29 過去と現在
オースティン復帰
YATTA!
※和人視点
昔は病弱でいつも周りから心配されていた
風邪は毎年10回近くひくし、怪我もしやすく、勉強もからっきしだった
そんな貧弱な僕にも野球は幼い頃から身近にあるものだった
地元にシーレックスがあり、そこの元プロだった祖父、シーレックスの応援団の父、そして2つ上の姉さんも野球をやっていたという野球家庭
引き寄せられたのか自然と僕も野球にどっぷりと浸り、姉と同じリトルリーグに入団した
始めは俊足を買われてショートをやっていたけれど身長が母に似て幼い頃から毎年背の順で並ぶと先頭か2、3番目だったほど小さかったためダイビングしても取れそうな打球が取れなかったりというのが続いたたことと体力面を考慮してライトに転向させられた
打順は大抵二番を任されて一番が出ると送ってチャンスで三番でセンターの姉さんに回すというのが常だった
ただ僕が5年になって姉さんがいなくなると代わりに中軸となる三番を打つようになった
転機は中学に入ってからだった
僕はまた姉と同じく神奈川県の強豪シニアである横須賀ロッキーズに入団した
ロッキーズの監督は早くから僕の投手としての才能を見抜き、1年生の夏から投手に専念するよう指示された
中3になると最速140km越えのエース、そして好打者として県内はおろか他県にも名を馳せていた
学校中ではあの佐々城だと騒がれスポーツ系の番組にもそこそこ出演し、なに不自由ない順風満帆な野球生活を送っていた
そして近い将来、強豪高校に入学し球児の憧れの舞台である甲子園でも輝きを見せいずれはプロの世界でも...と回りの誰もが、いや僕ですら信じて疑わなかった
あの日が来るまでは...
第××回シニアリーグ神奈川県大会決勝戦
この試合は連投続きだった僕の疲労を考慮してあえてエースの僕で行かず、先発は2年の控え投手の比留川に任せることとなった
はっきり言ってこの時の僕は完全に浮かれていた
試合中もライトを守りながら、監督は僕の事を信用していないんだ、早く打たれて僕にスイッチしろ、とか自分勝手なことばっかり考えてベンチでも明らかにふて腐れる
今考えるとこの態度が野球の神様を怒らせたのかもしれない
そして9回裏、1点リードの場面で遂にマウンドに僕が送られた
エースの登場に相手ベンチもざわつきだしスタンドの生徒達からも凄い歓声が聞こえる
しかしかこれだけ調子に乗っておきながら投球の方は明らかに本調子ではなかった
ワンナウトから2連打を食らった後四球で満塁となると続く打者には押し出しの死球
目の前が真っ白になり、この時ばかりはストライクゾーンが針の穴のように狭く見えた
そして聞こえてくる生徒のため息と落胆の声
「なーんだ、佐々城って大したことないじゃん」
ふざけんな、そんなことない
どこからともなく聞こえる自分への罵声への否定で精神的にやられてもはやピッチングどころじゃなかった
その後ツーアウトとなるものの、5番の打者に対して投じた中学最後の投球はホームの手前で強くバウンドしてキャッチャーが後ろに逸らしてしまい、その間に三塁ランナーがホームインしサヨナラ負け
ホームの手前で膝まづいて呆然とする
あとたった3つのアウトで全国への切符を手に入れられたというのに自分のメンタルの弱さをがチームみんなの夢をぶち壊してしまった
それでも周りの皆は誰も僕の事を責めずただ泣いていた
でも僕は泣かなかった
泣く権利すらないと分かっていたからだ
試合後のバスは思いの外明るく、みんな僕に労いの言葉をかけてくれていた
「お前のお陰でここまでこれたんだよ」
「お前がやられちったならしかたねぇよな」
戦犯の僕にこれだけ優しくしてくれたのは本当にありがたかった
けれど僕は比留川にこそ声をかけてほしかった
8回1失点のピッチングでマウンドを降ろされて逆転負けなんてショックが大きかっただろう
バス内でも監督が一番声をかけて慰めていた
その姿を見て僕は投げることが嫌になった
たった数十球の投球で人を一喜一憂させるならいっそ投げない方が気が楽だったからだ
これが初めてのイップス、大好きだった野球が世界一嫌いになった時期だ
僕が投げられないと知ると学校中のみんな僕を触れてはいけない腫れ物扱いし、スカウトも誰一人として僕を見に来なくなった
そして今の感覚はその時とよく似ている
何度も投げようとしても体が拒絶反応を起こして上手く投げられない
まさに金縛りにあっているみたいだ
ただ昔のイップスはまだ比較的軽い症状だったのかいつも通りの投球フォームで投げようとすると駄目だが、軽いキャッチボール投げのような投げ方だと普通に投げられた
だから高校時代は外野を普通にこなすことができた
けれど、今の僕にはそのキャッチボール投げすら難しいものとなっていた
その様子を見た浪川君が血相を変えてパソコンでメールを打つ
「まずいな、CSまで一週間しかねぇってのに。...いや、それどころか来年まともに投げられるかもわからないか」
「ど、どうしよう...」
「とりあえず...投手コーチと監督に報告しといた。詳しいことは監督室行ってお前が直接話せ」
「うん...わかったよ」
ボーッとして少しとぼとぼとうつ向きながら練習場を後にしようとすると、浪川君が「おい」と、突然僕を呼び止めた
「俺はなったことがないからイップスの辛さはよくわからんが...自暴自棄にはなるなよ。解決策はあるはずだ。1回克服したときのことを思い出してみれば何か手がかりになるかもしれん」
浪川君の言葉に後ろを向かずに軽く頷くと僕は重い足取りで監督室へ向かった
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【PM3:00 横浜シーレックス監督室】
「失礼します。佐々城です」
少しいつもと違う雰囲気の監督室に少し萎縮する
「どうぞそこに座ってくれ...早速だけれど少しまずい事態になったね。イップスはそう簡単に治るものではないだろうし...」
「はい...僕は以前にもイップスになったことがあるのですが完治させようとした時はだいたい1年近くかかりました」
「その時のきっかけというものは覚えているかな?」
「いやぁ、何度も思い出そうとしているんですけど全く...辛かった時期は覚えているんですけど克服できそうだった時の記憶がまるでぽっかり穴が開いたみたいになってて」
頭をかかえる僕にサミネス監督が僕の肩をポンと優しく叩いて笑顔で
「大丈夫だよ、必ず治るその日まで僕達首脳陣は君を見捨てたりは絶対しない。だからゆっくり焦らず共にがんばろう」
と、慰めてくれた
僕の目には自然と涙が溢れていた
なんでいつも周りのみんなは僕に優しくしてくれるんだろう
僕があのとき抑えていれば優勝できたかもしれないのに...
早くイップスを治してチームにもっともっと今までの何十倍以上貢献できるようにならないと
僕は監督の手を握り強く誓った
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※ネット掲示板
【公示】 横浜が佐々城を抹消 砂川を登録
1.風吹けば名無し
佐々城どうしたんや
2.風吹けば名無し
え?なんで佐々城抹消?
怪我した?
3.風吹けば名無し
マジか
短期決戦のクライマックスで中継ぎの一角がいなくなるのはかなり痛手だろ
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その後懸命に克服しようと長く辛いトレーニングをしたが
しかし、いくら祈っても行動してもそう簡単には治るものではないのがこの病が恐れられる理由の1つだ
チームがファーストステージを2連勝で悠々と突破している傍ら、僕は打者がいるというイメージトレーニングをしながら投げるという先の見えない練習を続けていた
まともに投げることができないという事実に精神的にやられてしまい、好きなアニメやゲームすら楽しいと思えなくなってしまった
そしてファイナルステージ2日前、この日は久々に投球をしていた
僕以外だれもいない二軍の室内練習場に少し寂しさを覚えながら緩いボールをストライクゾーンに投げる
先月までのスピードとはほど遠い不格好なフォームと山なりストレートに重くため息をつく
まぁまだ投げられるようになっただけマシか
でも、いつになったらまともに投げられるようになるのかな
そんなことを考えていると
「よう、佐々城」
と、誰かが声をかけてきた
振り返ってみるとそれはキャプテンの筒号さんだった
「つ、筒号さん?もしかして今の見てました?」
「うん」
「はは!嫌だなぁあんなダサいとこ見られるなんて...」
「チームメイトが苦しんでる姿見てダサいなんて思うわけないだろ」
そうフォローしてくれると筒号さんがバットを持って僕が勝手に作った模擬打席に立つ
「え?なにしてるんですか?」
「さて、勝負だ佐々城」
「しょ、勝負?」
「そう固くなるなよ。気軽に気軽に」
筒号さんがそう僕を誘うと転がっていたボールを僕に投げ返す
筒号さんが軽く構えると僕もとりあえずストライクに入れることを意識して投げる
するとフォームは何時ものような形になり、いとも容易くストライクゾーンに投げることができた
この時僕はなぜ投げやすかったのかすぐに気がついた
岡くんは右打者で大抵いつもその時の記憶がフラッシュバックするから左打者の筒号さんにはそこまで体が拒絶反応を起こさないからだ
「なんだ、イップスって聞いてたんだが普通に投げられるじゃないか」
「恐らく筒号さんが左バッターだからそうなるだけで...一回右立ってみてください」
そう右打席に立ってもらって投げると、案の定岡くんに打たれたときの記憶がフラッシュバックしてガチャガチャとしたフォームとなって球もあらぬ方向に行った
「こりゃ右相手には暫く時間が必要だな」
「はい...」
「でも左にはまともに投げられるって分かったのは大きな収穫だな。でもまだ試合に出るのはメンタル的やめた方がいい。それで悪化したら元も子もないからな」
そりゃそうだと自分に言い聞かせつつも一番重要なカードに同行できない自分に腹が立ってしかたない
そう拳を握りしめる僕を筒号さんが優しく宥めてくれた
「安心しろ、今年はみんなお前に何度助けられたことか分からん。新人なのによく頑張ってくれた。だから今年はもう休んでいい。俺はお前の分まで頑張るから」
その労い言葉はシンプルだがその一語一句に本音なんだなと伝わるような重みがあった
しかし、この会話から長らく筒号さんとの話す機会が無くなるということはその時の僕には知るよしもなかった




