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そのあだ名呼び、コンプラ違反の疑義ありにつき

窓の外から優しい陽の光が差し込んでくる刺激で目を覚ます。


ここはどこだったか。しばし熟考して鳳凰高校の男子寮、自分の部屋であることを思い出す。


安っぽい木造の二階建てベッドの下段で目を覚ました僕は、枕もとのスマートフォンを持ち上げ、まだセットしておいたアラームの時刻にはなっていないことを確認する。


まだ目覚め切っていない体に気合を入れて立ち上がる。二段ベッドの上には同室の男子生徒が寝ているはずだが、そこには誰の姿もない。


本日は入学式当日。ここから僕の高校生活が始まる。新しい生活に不安がないと言えば嘘になる。しかし全寮制高校での暮らしも、実家から離れた高校への進学も、自分で選択した進路である。ここまで来て言い訳は聞かない。ましてや先日の喫茶店における問題行動が早くも監査対象(いやセルフ監査だけど)になっている以上、気を引き締めていかなければならない。高校生活において最も必要なことは友人でも彼女でもない、コンプライアンスである。異論は認めない。



学校の式典というものには中学も高校もたいした違いはないらしい。校長や来賓の長く紋切型の挨拶という退屈な時間をどうにかやり過ごすと、担任の教師が各クラスに紹介される。僕のクラスは1年A組。担任教員は若い女性である。英語教師らしい。紹介された情報によると新任の教師であるという。


式典の終了が告げられた後、新入生たちは一斉にそれぞれの担任の教師に先導されて教室に移動する。


「おーい、席順を配るぞ。早く席に着いて。」


担任の教師から渡された席順に従って席に着く。うむ、ここから僕の高校生生活が始まるのか。窓際の席でグラウンドが見渡せるだけでなく近くに山がよく見える。悪くないぞ。


窓の外を眺めていると隣の席から声をかけられた。


「うわっ、やっぱり、りっくんじゃん。」


いきなりうわっとか言われるような人間関係はなかったはずだと思いながら声の主を目に入れる。美しい赤い髪の美少女。つい先日知り合ったばかりの女子生徒を見間違えるはずもない。赤城杏那さんである。


「本当に同じクラスになったんだね。ちょっと運命感じちゃうんだけど。しかも隣の席とかウケるね。」


りっくん、と呼ばれた瞬間、クラスの雰囲気、主に男子生徒から発せられるそれが変わったのを感じた。


あいつなんで赤城さんにあだ名で呼ばれてるんだ?


とにかく可愛いくて目立つ杏那さんである。クラスを、いや学年を見渡してみても彼女ほどに美しい目鼻立ちをした女子生徒はいなかったように思われる。そんな注目の女子生徒から、さえない男子生徒に対し、いきなりのりっくん呼びである。いやがうえにも自分に注目が集まっているのを感じる。


「あの、赤城さん、できればその呼び方はやめてくれないかな。同意のないあだ名呼びはコンプライアンス的に問題が。」


「でた、コンプライアンス。あだ名で呼ぶことの何が問題なのさ。」


「その女子からあだ名で呼ばれるなんて普通じゃないというか。」


「へ?あだ名呼びしてるだけだよ?」


「そもそも本人の許可も取ってないし、2人の関係性を周囲に誤解させるリスクがあるし、そもそも公序良俗に照らして問題があるというか。」


「・・・?なんの問題があるの?」


「だからその呼び方自体が問題で。」


クラスの真ん中で激しくやり取りする僕らのやりとりを見てクラス中がザワザワし出している。


あいつ何を言ってるんだ?


コンプライアンス?何が問題なんだ?


俺も赤城さんにあだ名で呼んでほしい!


クラスがザワザワし始めた時、赤城さんとの会話に割り込んできた男子生徒が1人。


「よう、挨拶が遅れたけどお前が鳳来だろ?寮の同室の酒井だ。よろしくな。」


爽やかに会話に割り込んでくることだけをとってもなかなかのやり手であることを感じさせる。しかし僕にこんなさわやかな友人がいた記憶はない。いや、寮の同室といったか。まだ会えていない同室の男子生徒とこんな形で出会うことになるとは思っていなかった。


「酒井・・・くん?こちらこそよろしく。」


「酒井でいいよ。で、さっきからお前さんたちはなんの話をしてるんだ?サッパリ要領を得ないんだが。」


「だからそれはりっくんが・・・」

「だからそれは赤城さんが・・・」


「いや、分かった。もうこれ以上は結構。あとは2人で仲良く解決してくれ。」


「ただひとつだけ言わせてもらえればこんな可愛い子にあだ名で呼んでもらえるならぜひお願いしたいところだぜ。」


実にさわやかに初対面の挨拶を述べたあと、やはり実にさわやかに去っていく。酒井と名乗ったこの男子生徒とはこれからも仲良くできる気がする。酒井は去り際に振り返って言った。


「じゃあ以後よろしくな、りっくん。」


だからその名で呼ぶのは勘弁してくれ。



入学式の翌日から早速授業が開始された。入学式直後ということもあり今日は半日授業とのことだが、授業内容は最初から結構なペースで進められている。もう少し余裕のある学習進度を予想していたのだが、このあたりはさすが進学校ということなのだろう。



ふと隣を見ると赤城さんがなんだかソワソワしている。机の上にはなんだか使い古した教科書が出ている。どう見ても指定された高校の教科書ではない。しばらくすると意を決したのか声量を抑えてこちらに話しかけてくる。


「私、間違えて中学の時の教科書持ってきちゃった。りっくん、英語の教科書見せてくれない?」


高校初日の授業で教科書を忘れるとか、この人には緊張感というものがないのだろうか。


「席をくっつけてもいいかな。良いよね?」


杏那さんは返事も聞かずに自分の座席を僕の座席の隣に寄せ始める。完全に机と机がくっつけられる。クラスの何人かがこちらを振り返る。


「赤城さん、ちょっと近すぎるのでは?」


「え〜だって近くないと見えないじゃん。」


そう言って杏那さんは僕の教科書を自分の机にひっぱり寄せる。同時に杏那さんの体が僕の体にちょこんと接触する。


え、ちょっとそれは近づきすぎなのでは?全然授業に集中できないんですけど?何かいい匂いがするし!


女子生徒の同意もなく、匂いを嗅ぐのは明らかに違反行動である。公序良俗に反していることは言うまでもない。幾分かの変態的要素が含まれることも認めざるを得ないだろう。こんなことを考えていること自体相手に悟られるわけにはいかぬ。


そんな僕の動揺とは裏腹にいつの間にか授業は何事もなかったかのように始まっている。


クラス担任の若い英語教師がクラスを見渡して言う。


「ここ、誰かに読んで翻訳してもらおう。鳳来、出来るか?」


「はいっ?えっ?どこでしたっけ?」


いかん、すぐ隣の杏那さんに気を取られて全然授業を聞いてなかった。最初の授業だって言うのに印象悪すぎるだろう。


「おいおい、2人の世界に入って授業聞いてなかったのか?」


いえ、そんなことはない、いやないことはないですが。そもそもこの状況は決して自分が望んだ状況ではないのです。


「りっくん、教科書の15行目からだよ!」


「お前ら入学したばかりなのにちょっと仲良しすぎじゃないか。」


教師の一言にクラスから笑い声が起きる。


なぜ初日から先生に怒られて、クラスメイトに笑われているのだろうか、いささか理不尽である。


授業後、クラスメイトたちが僕と杏那さんを取り囲む。好き勝手にいろんな質問をぶつけてくる。まぁ、授業中にあれだけ目立てば誰でも気になると言うことなのだろう。


寮の同室だという酒井もその中の一人だった。酒井はなかなかクラスでも積極的な存在らしい。クラスの誰もが聞きたかったらしい質問を遠慮なくぶつけてくる。


「で、お前さんたちは付き合ってるのか?」


「つ、つ、付き合ってるわけないだろ。」


「じゃあなんでそんなに仲良しなんだ?」


「それは僕のせいではないというか。」


「ふぅん、杏那さんは鳳来のことをどう思ってるんだい?」


「え、私?そりゃ良い友達だと思ってるよ?」


「本当にそれだけかい?」


「まぁ、りっくんと仲良くなるのは満更でもないですけど。」


クラス中から一斉に歓声があがる。」


こんな高校生活あっていいのか?ちょっと何か間違ってるぞ。


そもそも、我々は別に付き合っているわけでもないのだ。理由もなく女子生徒と仲良しになるのは相手との関係性を周りに誤解させる可能性があり不適切である。仮にそう言う関係だとしても、出会って数日でそんなことになるのは人間関係構築の手順のどこかにバグが生じている。第一、自分なんかと付き合っていると誤解されたら杏那さんにとっても本意ではあるまい。なんとかしなくては!


そんな僕の葛藤を嗅ぎつけたのか再びのLSC、ラッキースケベ審議会がすかさず開催される。僕の脳内において漆黒の男たちが厳粛に、しかし活発な議論を戦わせはじめる。


ユウザイ氏

「ギルティ。あれほどに可愛い女子生徒と偶然再開するばかりかクラスが一緒、席が隣になるなどいかにもな男性社会的ご都合主義である。」


ムザイ氏

「ノットギルティ。隣の席が女子生徒である確率は二分の一である。起こっている事実はそれだけに過ぎない。」


ゴホウビ氏

「こういう王道展開を読者は求めている。もっとやるべきである。」


ユウザイ氏

「教科書を共有するために机をくっつけるに至ってはハレンチとしか言いようがない。」


ムザイ氏

「必要があって行われる行為にそれ以上の意味を見出そうとすることこそ恥じるべきである。」


ゴホウビ氏

「毎日教科書忘れるよう祈ったらいいのに。もっと匂いにフォーカスしたイベントがあったらよかった。」


ユウザイ氏&ムザイ氏

「それは違う。」



相変わらずLSCの議論は収束するところを知らない。僕の知らないところで何が新しい審議官が増えてるし、僕の頭の中はどうなっているのだろうか。新しい環境下で少しばかり疲れているのかもしれない。


脳内議論の結論は雲の中であるが、赤城さんとの学生生活が前途多難であることはすでに疑いの余地がない。



今日はまだ入学式が終わったばかりなので午前中で授業は終了である。しかし疲れた。授業以上に何かに疲れた。


深いため息をつきながら帰り支度を始めようとした時である。隣の席で帰りの支度を始めていた杏那さんが話しかけてくる。


「りっくん、一緒に帰らない?」


「いや、僕は寮住まいなので。」


「あっ、そうだったね。」


「じゃあ玄関まで一緒に行かない?教科書のお礼もしたいし。」


杏那さんはそういうと上半身をもじもじさせながら右手をそっと差し出してくる。


まさか手を繋いで帰ろうというのか?こんなみんなが見ている学校の中で?付き合っているわけでもない男女が手を繋ぐ?いうまでもなくコンプライアンス的に問題がある。行動に合理性が認められない上、公共の場でのみだりな身体的接触は明らかに不適切行為である。


「りっくん?どうしたの?お礼って飴ちゃんだよ。苦手だった?」


僕は黙って杏那さんが差し出した飴玉を受け取るとそのままポケットの中にしまい込んだ。・・・合理的な対価としての飴玉の受領はコンプライアンス違反にはあたらないだろう。


教室を出て下駄箱までの短い帰り道で高校の授業が難しいなどの杏那さんの愚痴を機器ながら歩く。下駄箱の前まで来たところで、杏那さんが自分の靴を取り出すために前屈みになる。弾みでスカートがふわっと揺れる。


完全に油断していた。共学の高校生活において一番気をつけなければならないと覚悟していた事案である。


思わず目を逸らすが見えてはいけないものが見えたような気がする。いや、気のせいなのかもしれない。一瞬のことでよく判別がつかなかったのが実情である。いや、やはり見ていない。見ていないぞ。


この間0.5秒。


そんな自分の刹那的な不審者的振る舞いに気がついた訳でもないだろうが怪訝な顔をして振り返る杏那さん。何かを察したらしい。


「・・・どうしたの?」


「いや、全然みてないよ。」


「・・・見たの?」


「いや、絶対みてないよ。」


もしみていたらコンプライアンス的に一発アウトだし。


「ならなんでそんな赤い顔してすごい汗かいてるの?」


「いやだって、見えたらいけないものが見えてしまったらそうなるというか。足しか見てないと思うような。」


「キモい!ていうか、やっぱりみてるんじゃん!」


相手の同意なく女性の下着を盗み見てしまうような事態は完全にアウトである。いや、本当にみてないけど!いや太ももしか見てない。疑わしき行為も含めて、未必の故意による視線管理義務違反に問われかねない。


脳内ではLSC、ラッキースケベ審議会のメンバーが一斉に意見を述べ始める。


ユウザイ氏、ムザイ氏

「大事なものが見えてなくても太ももだけで十分ギルティ。」


ゴホウビ氏

「見えないものに希望を託すのが男子というもの。みてないことこそが正義なんだ!」


ユウザイ氏、ムザイ氏

「ギルティ」


状況的に見ていないことを立証する術もない以上、結論は明確である。反論が受け入れられる余地はない。明確なコンプライアンス違反に該当。


高校生活数日にして2度目の社会的死を確認しました。ただ本当に僕は見ていない。


ワタワタと不審者ムーブをしている僕を置いてスタスタと歩き出した杏那さんは数歩進むと思いっきりあかんベーをしながら振り返って言った。


「りっくんのえっち!」


僕がその言葉に反応できずにいると。杏那さんは手を振って言った。小さな声だったのでうまく聞き取れなかったが、また明日ね、と言ったような気がした。


その時突然背後から声をかけられた。酒井だった。


「お前ら本当に付き合ってないのか?ちょっと周りから見ても凄すぎるぞ。」


「なっ、付き合ってなんかないぞ。」


「いいなぁ、俺もお前みたいな高校生活を送りたいもんだぜ。とりあえず赤城さんとの関係についてたっぷり聞かせてもらおうか。今日はまだまだ長いからな!」


酒井に首にまとわりつかれながら寮の方に向かって引きずられていく。酒井とは寮が同室らしいので逃げ場もない。観念して色々話すしか解放される方法もなさそうである。しかし、相手にとっては色々と聞きたいことはあるのかもしれないがこちらにはあまり話すことはないのだ。


コンプライアンス違反の反省ならいくらでも聞かせてやれるのだが。


ただ今日一日、こんなに女子生徒と触れ合った日も人生において記憶にない。杏那さんの顔を思い浮かべると屈託のない笑顔が脳裏に甦る。


くそ、可愛いな。しかし危険だ。監査対象がまた増える予感だらけだ。




本日のコンプライアンスレポート

20xx年4月4日(月)


■事案

入学初日における女子生徒との過度な親密化および視線管理不備に関する一連の複合的事案


■事案の発生に至るまでの概要

当方は入学式後、教室にて隣席となった女子生徒(以下「対象生徒」)より、本人の明確な同意を伴わない「あだりっくん」を付与された。


その後、授業中において対象生徒が教科書を忘失したことを契機として、机間距離を著しく縮小した状態での教科書共有事象が発生。これにより当方の注意力が低下し、授業進行への適切な対応が困難となった。


さらに、周囲の生徒からの関係性に関する追及により、当方と対象生徒の関係について誤認を招く状況が発生した。


下校時には、対象生徒の動作に伴い衣服の内部が視認可能となる可能性が生じ、当方の視線制御に関する重大な問題が露呈した。


■問題点

・本人の同意を得ない親密呼称の使用(あだ名問題)

・公的空間(教室)における過度な身体的接近(机の接触)

・授業中における集中力欠如および教育活動への支障

・周囲に対する関係性誤認リスクの発生

・視線管理の不備(未必の故意が疑われる状況)

・動揺時における適切な回避行動の欠如


■発生原因

・対象生徒の対人距離感および社会規範認識の不足

・当方の対人経験不足および突発事象への耐性欠如

・ラブコメ的状況に対する過剰な心理的反応

・予見可能なリスク(下駄箱付近での視線問題)への事前対策不足


■再発防止策

・あだ名使用に関しては初期段階で明確な是正要請を行う

・授業時における机間距離の適切な確保

・教科書忘失等の事態に備えた代替対応(教師への申告等)の徹底

・視線管理意識の強化(下向き30度固定ルールの導入検討)

・突発的ラブコメ事象発生時の緊急対応マニュアル整備

・精神的動揺時の自己制御訓練(深呼吸・現実認識の再確認)


■総合判断

グレーゾーンを逸脱しつつある準アウト案件


■処分

・当該事案を重要監査対象として指定

・対象生徒との接触については重点モニタリング対象とする

・今後発生する類似事案については即時報告義務を課す

・当方に対し「視線管理強化指導(初級)」の実施


■備考

・対象生徒の行動は悪意に基づくものではなく、天然由来の可能性が高い。しかしながら当方に与える影響は甚大であり、引き続き厳重な注意が必要と認む。



以上

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