自分探しの旅に行ってきました
短編
私はどこにいるのだろう、と時々思う。私が描く絵も、私の仕草も、私の言葉さえも、誰かの真似でしかないからだと気付いたのは今このときが初めてだった。
ヨリコ、と間延びした声が立ち止まった私に掛けられる。トラックを十分間走り続けるという持久走の授業中。それを思い出して私はまた走り出す。
私はどこにいるのだろう。
ときは変わって放課後のクラブの時間だ。始まって三十分経ったら、いつもなら黒鉛をスケッチブックに塗りつけ始めているところだ。けれど私は未使用のページを開いてから何もできずにいた。
真っ白な紙のデコボコに視線を吸い込まれて動けない。私はこれに、一体何を描いたらいいんだろう。
後ろから部長に声を掛けられる。大丈夫? 大丈夫です。少し間を置いた返事は、多分信用に値しない。そう?と首を傾げた彼女の顔には釈然としないものが浮かんでいた。
ゆるく頷いてもういちどスケッチブックを見る。さっきよりは、スケッチブックらしく見えた。その白さに疎外感を感じた。
心の奥を弄る。私が描きたいと思って考えていた絵は、全部全部誰かの絵に似ている。構図も、雰囲気も、色づかいも、そもそもの絵の感じも全部。
だから私は心の中をもっとはっきり覗こうとしていた。心の中にいる私を探し出して、そこにある絵を描く。でも濁ってて先が見えなくて、私はどこにもいないみたいだった。
誰かじゃない私になりたい。誰かみたい、じゃない私に。でもそれがない。
きっとこれは、一人で籠り続けて見極めようとしても見つからないものだ。頭が靄に埋め尽くされるだけだと思った。
でも何をしたらいいんだろう。私は何をしたら、私らしい存在に近づけるだろう。
結局今日は何も描かずに部活を終えた。
家に帰って母親と会話をしていると、私はなんども自分の言葉の中に流行語を見つけた。
私は、おそらく周囲が抱いている私のイメージとは異なる言葉を覚えて、驚かせるのが好きだった。家族の前では乱雑な言動をいくらでもしてきた私だけど、家から一歩出ればおとなしい少女でしかなかった。
どちらが私の本質に近いのかといえば、今までてっきり家族の前の私だと思い込んでいたけど、どうやら逆のようだと思った。私は、確かに大人しい性格をしている。外で覚えてくる言葉——周りのみんなが使っている思い切った言葉は、本当は私はあまり使えない性格をしているのだ。
ただ家族の前では片肘張らなくてもいいから、口をついて出てしまうだけだった。仲間内でもそう。
私が使うべき言葉は一体どこに置いてきたんだろう。
夕飯時、私は最近足を組む。それが学校の友達の複写だということは、随分前から気付いていた。うつってしまったのだ。
普段ならちょっと思い出して面白くなるだけなのに、今日はあわてて両足をついた。それからついでに膝も揃えようとしたけど、少し違和感を感じた。
足を組むのは私じゃないけど、膝を揃えられないのは私?
少し考えてみて、すぐに答えが出る。膝を揃えられるのは、私の理想像だ。
なってみたい私がいる。それは、それこそ何かの真似ごとに近い。だからと言ってなってはいけないわけじゃあないと思うけれど、そのなってみたい私というのは私の範囲を超えていたりするから困る。
これが憧れ、というのは簡単だけど、今の私の主軸を無視してそんな遠いところに行こうとするのは無茶苦茶な話だ。主軸自体がずれるのならともかく、その周囲の装飾は離れたところに浮かせられない。肉付けするならきちんと骨にくっついていなければいけない。
あ、これだ。
椅子にガタンと音をさせて席を立った私は、はっきりごちそうさまを言って自分の部屋に直行した。
私の主軸をまず見つけること。見つけたら、そこに在り得る全ての線と色で絵を描く。そうすれば私が描ける。私はそう考えた。
鞄をひっくりかえす勢いで——けれどそれは私のフィルターを通した空想で、実際には割と落ち着いてスケッチブックを取り出していた。机の上にある2Bの鉛筆をとり、椅子に腰かけた私はひたすら顔を描き続けた。常に真正面に置いてある鏡に写りこんだ、私の顔を。
20100811




