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マジックミラー

短編

 

 正直理解が出来ない、という言葉で彼女は話を締めた。同意も何も求めないまま、窓の外を見つめていた。

 彼女の話はこれで終わりなのだ。それを未紀は経験から知っていた。知っていたから何も言わなかった。

 それに、どうせ言葉なんて思い付かない。里那が言うのは丸きり正論だから。話の種類から言うなら愚痴に分類されるのだろうけれど、むしろ単に自分の意見を語るだけに思わせるその素っ気なさは未紀をいつも感嘆させていた。心のなかで、だけども。


 窓の外で風がさわさわと鳴っていて、夏だけど結構爽やか。もしかしたら教室の上の方で頑張ってる古めの扇風機が上手に空気の入れ換えをしてくれているのかもしれない。

 野球部がランニングしながら言う掛け声も入ってきて、そっちは勿論、太陽の下なのだから非常に暑いんだろう。そう考えると急に空気の流れが滞った気がした。


 同じように窓の外を見ていた未紀は、ちらと里那に視線を移す。とても柔らかいとは言い難い表情だけれど、緊張してる風でもない真面目な顔。別にさっきの話題に出て来た「理解出来ない」相手に腹を立てているのではなく、また別な考え事をしているようだった。

 結ばれた唇も組まれた足もとても自然。彼女とは幼なじみだが、いつだって美しく存在していたとしか記憶にない。そしてまた、この瞬間に溜め息をつく。(……かっこいいなぁ…)


「……、」

「…あ、えっと」


 視線に気付いた里那が表情を変えぬまま未紀を見返す。慌てて何か話題を探すけれど咄嗟には出て来るものじゃない。素直に「かっこいい」なんて褒めるわけにもいかないし。

 里那は自分の器をしっかり理解しているのと、それとは全く別のところで目立つのを苦手とする性質があった。必要以上——彼女自身の感覚で、必要以上の誉め言葉は喜ばない。未紀からしてみれば「かっこいい」なんてありきたりな言葉では足りないくらいなのだけれど。


「——ええっと、…ポイフルあるけど食べる?」

「頂戴」


 なんとかその言葉をしぼりだし、返事があると席を立って自分の鞄まで駆け寄る。

 正直なところ彼女の視線を真っ向から受け止めるのは未だに緊張する。考え方が白黒はっきりしているから、嘘や曖昧さを赦さない雰囲気を感じるのかもしれない。

 少しどきどきいう胸を心の中で励まして鎮めながら、ピンクのポーチを取り出して元の場所に戻った。ポーチの中で飴玉の個包装に紛れている小さな箱を二つ選び、片方を里那に手渡す。

 里那は「ありがと」という軽いお礼とともに微かな笑みをくれた。なんとなく嬉しくなる。


 それからまた言葉はなく、二人はそれぞれポイフルを食べている。里那が元々、食べ物は大事に食べる性格なので、未紀もそれに合わせてちょっとずつ食べた。

 彼女が黄色い一粒を口に運びかけて、ふとこちらを見る。視線を返すとその一粒をさっさと口に入れて飲み込んで、「未紀さ、」とどこか慎重な声音で言った。


「あたしの話聞いてて楽しい?」


 ちょっと唖然とした。里那が、そんなことを言い出すなんて思わなかったからだ。

 常時彼女の声は冷静なので感情が読み取りにくいが、自分の話の意味のなさを自分で気にして未紀に遠慮しているか、でなければ未紀の、何も言わずストレスのはけ口になっている状態を馬鹿にしているかのどちらかのようだ。客観的に言えば後者は考えにくいのだが、なにしろ里那の本音、のような部分を直接的に向けられたのは多分初めてだったので、そういう嫌味でも不思議に思えなかった。


「え……いや、私は別に…」


 里那の話は、半分くらいがさっきのような愚痴話になる。

 けれどさっきも言った通り、嫌な印象よりも里那の考え方を聞いている印象の方が強くて、少なくともその面は嫌いじゃない。むしろもっと知りたいというか、


「……嫌いじゃないよ?」

「………ふぅん」


 里那は目を伏せる。その表情には釈然としないものが浮かんでいる。


「ていうか、あの、」

「………」

「好き…な方かな」

「嘘」


 眉を寄せて、疑念を抱いているというよりは言い切った形でそう返されてしまって、未紀は困ってしまう。実際嘘ではないと思うけれど、それを伝えようにも里那が納得のいくように説明出来るのか。


「うんと…嘘じゃないよ」

「愚痴聞いてて楽しい人なんていないでしょ」

「愚痴っていうか…里那のはさ、自分のこと喋ってくれる感じじゃん」

「……」


 未紀が言ったことの意味を考えるように、里那が黙り込んだ。それに任せて未紀も喋るのをやめる。

 結構長い間何も変わらなかったが、結局思考したことの答えが見つからなかったらしい彼女は「よくわからないんだけど」と再度の説明を求めた。

 未紀は少し考えてみるも、頭のいい方法は浮かばなかったのである程度ありのままを伝えてみることにした。


「『進路のことは自分のことなんだから他人と話す必要ない』とかさ、『どうせ男は、っていうのは自分が和解の責任から逃げるための言葉みたい』とか、里那ははっきりした自分の意見持ってるし、いつも考えてるみたいでしょ。私にとって里那の考え方は、うーん、為になる?っていうか、」

「………」

「じゃなくてなんか、そう、はっきり意見言えるのも自分の信じる考えがあるのも、考えてるってこと自体、凄いなっていうか、かっこいいなっていうか……あの、私里那のそういうとこ好きだから、えっと……、うん」


 上手くいかなかった。しかも言わなくてもいいことまで言った気がする。里那は机に畳んで置いてあった自分のフェイスタオルを口元に押さえ付けて、視線を落としていた。ああそういえば褒めてしまったし。中学生のころ下手に褒めて、「やめて」と一蹴されたのを思い出す。

(どうしよう……機嫌悪くなっちゃったかな…)

 このまま——友達、という関係が崩れたら。ふとそんなことが頭を過ぎって、今更ことの重大さに気付く。嫌われてしまったら。そしたら、もうこれ以上彼女のことを知るなんてできない。


「えっと……ごめん」


 焦りから謝罪の言葉が口をついて出た。しかし返事はない。

 もう怖くて表情も窺えなくて、未紀は床をじっと見つめた。明るい木の色をした正方形のタイルは、机の引きずり過ぎで斑に黒くなっている。

 それからまた沈黙が少し続いたが、未紀が彼女といてこれほどまでに苦痛に感じた沈黙はいままでなかった。


 そして、


「——うー…、わかった」


 ばん、と少々乱暴にタオルを机に置き直して、組んだ足も解いた里那は、立ち上がってポイフルの箱を自分の鞄に放り込んだ。

 挙動が乱雑なだけにやはり怒っているのだろうかと思ったが、その割には言葉は弱々しいものを含んでいた気がする。

 どういうことだろう——半ば呆然と彼女の様子を見ていたら、視線に気付いた里那が「そんな見ないで、恥ずかしいから」と横を向き、もう一度取り上げたタオルで顔を隠した。

20100719

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