変わった属性がなくても、平凡でも、日常の象徴でも。
(10月15日 木曜日)
「ね、段々距離が縮まってきた気がしない?」
登校の際、小都と孝市が並んで歩くことが当たり前になってきたある日。ようやく筋肉痛で悩まされることも少なくなり、私も少し後ろを歩けるようになったそんな頃。
放課後、小都に聞いてみた。私がフォローしながらではあるが、今や孝市の夕飯は小都が作っているし、朝はほぼ2人で登校しているようなものだし。これはもう夫婦では?
ところが、小都は渋い顔で首を振る。
「ううん、全然ダメ。むしろ問題外なんだなって伝わってくる。それに、もっと他に気になることがあって……」
「そ、そう……? 悩んでるならそっちも相談してよ。力になりたいから」
すると、小都は困ったように黙り込む。どうやら私には言いにくい話らしい。
告白は? と催促すると、恥ずかしいと言われた。小都的にはまだまだな状態のようだ。私も付き合ったことがあるわけではないので、その辺はよくわからなかった。
一方、小都は、私を上から下までまじまじと見て、驚いたように呟く。
「江麻ちゃんなんだか痩せたよね。元から太ってた訳じゃなかったけど。食べてる……?」
「最近さ、なんか食べても減るんだよね」
「まあ、毎日10キロ走ってましたからね」
結局、朝練の話は、小都には内緒にしておいた。小都も低血圧だから、練習に付き合うとか言い出しそうだし。小都にはもっと頑張ってもらわないといけない場面が他にある。
「ガチすぎでしょ。ほんと江麻ちゃんウケるわ。まあ、確かにスレンダーになったよね」
翌日の昼食時、屋上で河原崎さんにも言われた。ちなみに、河原崎さんとはたまに昼食を屋上で一緒に食べる仲になっていた。時々悪ノリするのが玉に瑕であるものの、彼も悪い人間ではなかったし、次第にクラスでも友人ができつつあるらしい。それなのに、なぜ今も屋上に来たがるのかはいまいち分からなかったが。
「そういえば、私たちの誤解って解いてないですよね」
私は、お弁当箱の中の、毒々しい紫色に染まったチクワをつまみ上げながら、ふと思い出して口にした。誤解とはつまり、他ならぬ河原崎さんの指令によって私が髪を金色に染めたというアレのことである。
「ああ、誤解なら……ちなみにさ。そのチクワはなんでそんな色なの?」
「たまにカラフルに染めるのにはまってしまって。それで?」
「誤解は解いておいたよ。ああいうのは楽しんだらネタバレするのが礼儀ってものさ」
いつの間に、と驚いた目で河原崎さんを見やると、彼はニヤリと笑って胸を反らせた。
「よく信じてもらえましたね」
「最終的には、孝市と河原で殴り合って和解した」
「何それちょっと見たかった」
私の知らないところで青春的な何かが行われていたらしい。暗躍してくれたお礼にと真っ赤な卵焼きをあげたら、河原崎さんは喜んで口に運んだ。躊躇が一切ないその様子に、私は内心の河原崎さんの成績表に「刹那的に生きています」と書き込んだ。
美味しそうに咀嚼した後、今度は河原崎さんが何か思い出したように私の方を見た。
「そういえばさ、小都ちゃんって孝市のこと好きなの? 俺、応援しちゃおうかな」
「いや、違うと思いますよ」
「江麻ちゃんってたまにすごい真顔で嘘つくよね。ほら、よく屋上で江麻ちゃんと小都ちゃんが話してるじゃん。あのとき、上に俺もいたんだよ」
ほらそこそこ、と河原崎さんは屋上の貯水槽の上を指さした。なぜそんな場所にいるのか、と私は内心歯噛みする。確かに、梯子があるから登れそうではあった。かと言って、小都の断りなく他人に話していい話でもないと思う。
「話してくれないなら、俺が乱入して面白くしてやろうかなって。もし話してくれるなら江麻ちゃんの言うとおりになんでもするけど。任せてよ」
「……ちょっと考えさせてもらっていいですか?」
最悪な二択だった。でもいちおう、小都に確認は取ろう。
私が河原崎さんと一緒にクラスに戻ると、教室から出てくる小都とすれ違った。寂しそうな顔をして、くしゃっと私を見て笑った後、小都はささっと走り去る。
教室の中を見ると、孝市を挟んで女子2人が争っていた。1人は食堂のお姉さん、1人は後輩の女の子だった。孝市は困った顔で両者を見回している。私の後ろから顔を出した河原崎さんが嬉しそうな声を上げた。
「おっ修羅場だ。盛り上がってるね」
「河原崎さん、ここ、任せていいですか? 私、孝市を連れていくので」
すると、河原崎さんは怪訝そうな顔で自分自身を指さした。
「……俺?」
「はい」
「あの女子2人を、俺が、どうにかするの? どうやって?」
「方法は任せます。だって、さっき、なんでもするって言いました」
「言った……けどさあ……! ああもう、わかったよ! わかった!」
そのまま教室に駆け込んだ私は、有無を言わさず孝市の手を取った。女子2人から睨まれたものの、そのまま無理やり連れ出し、代わりに河原崎さんを置いて行く。
私と孝市が教室を走り去ると、後ろから河原崎さんのものと思われる叫び声が聞こえ、私はぎゅっと目を閉じる。ごめんなさい、明日ちゃんと謝るので……っ!
そして、校庭の木陰でぼーっと空を見上げている小都をほどなく私は発見した。ゆるゆると振り向いた小都は、うっすらと口元に笑みを浮かべる。
「ここがよく分かったね」
「だって、小都って落ち込んだ時、だいたいここに来てるじゃない」
「孝市くん、連れてきてくれたんだ」
そして、小都は嬉しそうに、あは、と笑った。
「ほら、行って行って」
背中を押すと、孝市は小都の隣に座り、何か話し始めた。小都が私の方に目線をちらちらと送ってくるので、私は頷いて後ずさりし、そっとその場を去った。
夜、恒例となった小都との料理の練習がひと段落して、話していると。いきなり、ソファーの上で、小都は膝を抱えてうずくまった。
「好きな人が他の人と一緒にいるのを見て、辛かった。わたしには止める権利もないし、そんな立場でもないはずなのに、もやもやして。そんな自分がすごく嫌で。それで、孝市くんに相談しようと思ったら、途中で知らない人が来て、つい逃げちゃったの。孝市君にも迷惑を掛けちゃってることが、すごく嫌だった」
私は、そっか、と頷く。同時に、よかった、とも思う。小都が1人でこの辛さを抱え込まず、言ってくれて、よかった。私には、ただ聞くくらいしかできないかもしれないけど、せめて一緒にできるだけ悩んだりはしたかった。……けれど、1つ、疑問がある。その言い方だと、まるで孝市以外に好きな人がいる、みたいな……。
その時に、ちりん、と。私の頭の奥で、風鈴みたいな音が鳴った。
……えっと、それで、なんだっけ。孝市に迷惑を掛けたくない、みたいな話、だったよね。
「でも、ちゃんと他の人と離れて、私の所に来てくれたから。……嬉しかった。やっぱり私が辛いときは側にいて、助けてくれるんだって思った。これまでいつもそうだったから」
小都が嬉しそうに話す。よかった。孝市もやるじゃない。
「そういえば、屋上で話してた時に河原崎さんがいたらしくて。協力させてほしいって言ってるんだけど、どうかな?」
「……江麻ちゃんが話したんじゃない、んだよね? ならいいよ」
「えっ、私が話したかどうかでいいか決まるの……?」
翌日、河原崎さんの頬には大きな絆創膏が貼られていた。私が何度も頭を下げると、河原崎さんは飄々と笑って「名誉の負傷さ」とうそぶいた。
しかし、段々と下地は整ってきた気がする。結局、女子2名がいた状態でも、孝市はこっちを選んで来てくれたわけだし。これからはいよいよ直接アプローチの時間だ。孝市よ首を洗って待っておけ。
そして、その間に、住民からの情報収集も欠かさず行い、原作のほぼすべてのルートについて、私は把握しつつあった。その中で、ふと疑問が湧いたので尋ねてみる。
『そもそも、なんで孝市の恋愛相手ってこんな変わった属性の人ばっかりなんですか?』
《そもそも原作のジャンルが学園ファンタジーだから……。一番おかしいのが最後に来るメインヒロインなんだけどね。……あっ》
《そういや江麻ちゃんって……アレじゃないか?》
そんな意味深なやり取りの後、しばらく会話は止まった。私は思わずごくりと唾をのむ。い、いったい何? まさか私にも実は魔法の才能があったのだとかそういう展開だったり? なら楽でいいけれど。
沈黙に耐えられず、私は続きを催促してみた。
『あの、どうしたんですか?』
《メインヒロイン周りの話って、主人公以外の町の無関係な人間も、選択肢次第でけっこう大勢死ぬんだが》
初っ端から予想と違う反応が返ってきて、私の胃はずうんと重くなった。嫌な予感しかしない。それにしても、また死ぬんだって。世界は私が思っていたよりずっとハードだったらしい。
《3年生の4月、メインヒロインの個別ルートに進んだ後、急に、ヒントをくれる役が江麻ちゃんから小都ちゃんに変わるんだよな》
《しかも目が死んでる小都ちゃんね。最初は孝市を取られたからだってみんな思ったんだけど、考察班によると違う結論でさ。たぶん江麻ちゃんが巻き込まれて……その……》
『なら問題ありません。小都ルートに進んでもらえばいいだけです』
《動じてなくて草》
《無敵かな?》
……違う。私達は、無敵なんかじゃない。どれだけ努力したとしても、特殊な属性も、能力も持っていない。平凡で当たり前な日常の象徴、と言われてしまえばその通りなのだろう。……それでも。
『変わった属性がなくても、平凡でも、日常の象徴でも。それでも、私は』
『幼馴染が勝つところを、見たいだけなんです』