1.初恋
珍しく恋愛ものです。
あの日、私は恋をした。
私が彼、王太子であるトリスタン・ジョーカーに会ったのは、十歳の頃。初めて、城で開かれる公式行事に出席することを許されたあの日。
日差しが降り注ぐ、魔女特製の強化ガラスが天井にはめられた城の音楽ホール。トリスタン様の美しい黒髪は、光をうけても決して負けることはなく、むしろ陽の光すら取り込んでその存在を主張していた。
ジョーカーの黒は高貴な色。王族しか纏うことの許されない、この国の闇の歴史を体現する色だ。
十二歳のトリスタン様は、壇上でバイオリンを演奏された。その洗練された立ち振る舞いと演奏に、私は稲妻が落ちるような衝撃を受けたのだ。
トランプ王国の四大公爵家の内の一つ。ジョーカーの名を冠する王家には劣るが、私の生まれたハート家はそんな高貴なお家柄だ。
芸術のハート、商売のダイヤ、武のスペード、知のクラブ。そして王族であるジョーカー。魔女いわく異世界のカードゲームから命名したとされるこの五家は、他国から怪物集団だと恐れられている。
私ことハート家の長女であるミニカ・ハートも例にもれず、畏怖と尊敬をこめて妖精姫と呼ばれていた。
芸術に最も必要なのは、豊かな心。私は幼い頃からそう教えられてきた。芸術を極めしハート家では、十歳にもなったらあらゆる楽器を演奏でき、あらゆる画風の絵画を描け、あらゆる詩や物語をそらんじられるのが当たり前だ。これが怪物と呼ばれる所以でもある。
そしてあらゆる芸術に触れ、それを評価できる目と耳をやしなう。私からみてトリスタン様の演奏は、ハート家の基準を満たすものではなかった。
心無い芸術は芸術とは呼ばない。トリスタン様の演奏には、一切の感情がこもっていない。ただ、技巧だけは怖ろしく優れている。本来感情を込めることで生じる音の歪みさえ、トリスタン様は計算で作り出していた。
演奏が終わり、多くの招待客が立ち上がって称賛の拍手をしていても、私以外のハート家の人間は眉一つ動かさない。偽物の感情を植え付けられたと、気がついているからだ。
それなのに、背筋を駆け上った愉悦にも似た衝動に、抗うことなどできなかった。よく、若いころはちょっと悪い男にひかれると言うけど、それはきっと本当のことだ。私は身をもって、それを知った。
私はトリスタン様のまとう完全なる闇に、どうしようもなく焦がれた。あの漆黒に一滴でもシミをつけてみたかった。それがトリスタン様への憐れみから芽生えた、歪んだ感情だったとしても。
私は確かに恋をしたのだ。
十六歳になった今も、トリスタン様への思いは消えない。
ずっとずっと待ちわびていた、トリスタン様の伴侶を決めるための試験。年頃の令嬢を数十名集めた戦いの場に、私はいた。
城に泊りがけで能力を試され、最終的にトリスタン様が選択する。選ばれたい。そのために、必要な教養は全て身につけた。懸念点があるとすれば、トリスタン様が能力と家柄以外の基準で伴侶を選んでしまうこと。
私たち婚約者候補が集められたのはあの時と同じ音楽ホール。ただ六年前のあの時と同じきらめきはない。上空を見ると、魔女たちの住まいである浮遊島が光をさえぎっている。一定の周期で空を飛び回る浮遊島。この時期はこのトランプ王国の上空を飛んでいる。農作物の生育に大きな影響がないよう進路を計算されているとはいえ、この薄暗さは気が滅入る。
「おやミニカ。本日もお美しい。先日の歌、想定以上に売れているよ。さすがは妖精姫だ」
ハート公爵家の姫である私に無遠慮に声をかけてくるのは、同じ公爵家の人間くらいだ。手にした扇子を手のひらに打ち付けながら人好きのする笑みでからかってくるのは、私の友人。この国の経済を牛耳るダイヤ公爵家の跡継ぎ。肩口で切りそろえられたありきたりな茶色い髪と青い瞳は、見た人に警戒を抱かせない。キャトリー・ダイヤ。彼女がなぜここにいるのだろう。
「まあ、キャトリー。どうしてこちらにいらっしゃるの? あなたは跡継ぎでしょう?」
首をかしげてたずねると、キャトリーは苦笑いした。
「トリスタン様の伴侶だけではなく、ガブリエル様の伴侶も一緒に探そうということらしい。第二王子は都合のいい婿入り先を探しているというわけだ」
「それで他にも跡継ぎの娘がいますのね。……キャトリーが最有力候補でしょうけど」
無言で顔をしかめるキャトリーに、言葉が過ぎたようだと感じて話をそらす。
「歌の売り上げが好調なようで良かったわ。おかげで最近は色んなサロンに呼ばれるの」
「好調も好調だよ! さすがはハートの妖精姫。恋歌の天才。……トリスタン様の目にとまること、祈ってる」
キャトリーは私の気持ちを知っている。そのために私がどれほどの努力をしてきたかも。恋歌の天才と呼ばれる私の歌は、全てトリスタン様を想って歌ったものだということも。
「最近魔女が髪色を変える薬を売り出したでしょ? 一番人気はあなたと同じ桃色だって。妖精姫と同じ髪色で告白すると、恋が叶うらしいよ」
「あなたがそうなるように仕向けたのでしょう。さすがダイヤは商売上手だこと。魔女の録音機を使って私の歌を売ったのも、このためだったのでしょう」
「バレてた? 魔女と取引するのは大変だったんだよ。地上の常識を知らない魔女は、金銭感覚が滅茶苦茶だから。……これでミニカが次期王妃になってくれたらもっと儲かるんだから、頑張って」
他愛もない話をしていると、ホールの入り口に男性の姿が見えた。トリスタン様の側近をしている双子の片割れ。遠いので兄なのか弟なのか判別はできないけれど、見知った顔だ。
「ああ、いよいよだね」
静まり返ったホールに、キャトリーの声がよく響いた。スカートに手をかけ、膝を折る準備をする。胸の鼓動が高鳴り、緩く巻いた髪が崩れていないか気になった。お忙しいトリスタン様と会うのは久しぶりだ。
「拝聴せよ。トリスタン・ジョーカー王太子殿下と、ガブリエル・ジョーカー王子殿下の入場である」
側近の合図に、一同は頭を下げる。本当はトリスタン様のお顔を見たいのだけど、いくらハート家の娘でもそれは不敬にあたる。
トリスタン様とガブリエル様の靴音がホールに反響する。その足音が近づいてくるたび、心拍数が上がっていくような気がした。
目の前を通り過ぎて、壇を上るのがわかる。早くその顔を拝みたい。
「面をあげろ」
ホールに響くトリスタン様の重厚な声に、鼓膜が震える。この響きをずっと感じていたいと思うほど、欠点のない魅力的な声だ。
ゆっくりと顔を上げると、夜も眠れぬほどに焦がれた顔がある。その射干玉のような漆黒の髪と、夜空の星をため込んだようにきらめく黒の瞳。それのなんと典雅なことか。この場の誰にも、その色を汚すことなどできやしない。
だからこそ、触れたい。信仰にも似たこの思いを、受け取ってもらいたい。
私はあなたの隣に立つ権利を、必ず手に入れてみせる。




