第八章 だれもいない音楽室の星鳴り
星火事から、三日がたった。
理央のオパールは、前より少しだけ青く光るようになっていた。
前はただ白く濁っているだけに見えた石の奥に、今は、角度を変えると青や緑の小さな光がころんと転がる。
その光を見るたび、理央は少しだけ変な気持ちになった。
うれしい。
でも、こわい。
ミュオパルが生まれてから、世界は少しだけきれいに見えるようになった。
でも同時に、見えないものまで見えるようになってしまった気がする。
「理央」
学校からの帰り道、ミュオパルがポケットの中から小さく呼んだ。
「なに?」
理央は商店街の端を歩きながら答えた。
夕方の空は、うすい桃色から青紫に変わりかけている。スーパーの前では、今日の特売のアナウンスが流れていた。
ミュオパルは、ポケットから顔だけ出して、空を見上げていた。
いつもなら「コロッケのいいにおいですみゅ」とか「雲がふかふかですみゅ」とか言うのに、今日は少し真面目な顔をしている。
「これからも、ジュソモンは出てきますみゅ」
理央は足を止めた。
「……え?」
「星の流れを感じますみゅ」
ミュオパルの大きな耳の内側で、青い光がゆらゆら揺れた。
「この町に、見ないふりされた気持ちがたくさんありますみゅ。泣いている子、怒っている子、さびしい子、ほんとはいやだって言いたかった子……そういう声が、少しずつ星の流れに引っかかってるですみゅ」
「また、猪狩くんのときみたいになるの?」
「形はちがうですみゅ。でも、放っておくと、ジュソモンになるですみゅ」
理央は、ポケットの中のオパールをぎゅっと握った。
あの夜の炎を思い出す。
言葉が燃えていた。お兄ちゃんなんだから、助かる、頼りになる。そんな言葉が、火になって猪狩くんの背中に降り積もっていた。
怖かった。
でも、その奥で泣いていた小さなジュソモンのことも、理央は忘れられなかった。
「……私に、どうにかできるのかな」
小さく言うと、ミュオパルはすぐに首を振った。
「理央が全部どうにかしなきゃいけないわけじゃないですみゅ」
「でも」
「でもじゃないですみゅ」
ミュオパルは、理央のポケットからぽすんと飛び出して、肩に乗った。
「理央がいやなら、やらなくていいですみゅ」
「え」
「こわいなら、こわいって言っていいですみゅ。いやなら、いやって言っていいですみゅ。ミュオパルは、理央に無理させたくないですみゅ」
理央は、少し黙った。
助けなきゃ、と思っていた。
でも、助けなきゃいけないと言われたら、きっと苦しくなっていた。
ミュオパルが先に「いやならやらなくていい」と言ってくれたから、理央は少しだけ息がしやすくなった。
「七瀬さん」
後ろから声がした。
理央はびくっとして振り返る。
猪狩悠斗が、少し息を切らして立っていた。
胸元には、赤いルビーのケースがある。前みたいにぎらぎらした光ではない。小さな火が、静かに灯っているみたいだった。
「猪狩くん……」
「今の話、聞こえた」
猪狩くんは少し気まずそうに言った。
「ジュソモンって……また出るのか」
理央はすぐに答えられなかった。
星火事のあと、猪狩くんはちゃんと謝った。
理央はそれを聞いた。
でも、全部が急に平気になったわけではない。
Fランクって笑われたこと。
ミュオパルを弱そうと言われたこと。
自分の心配してろよ、と言われたこと。
それはまだ、胸のどこかに残っている。
ミュオパルが理央の肩から猪狩くんを見た。
「たぶんですみゅ。星の流れが、ざわざわしてますみゅ」
「そっか」
猪狩くんは、ルビーのケースを握った。
何か言いたそうにして、それでもすぐには言わなかった。
そのときだった。
商店街の角に、見たことのない細い路地があった。
そこは昨日までは、たしか古い文房具屋の横の壁だったはずだ。
なのに今は、夕方の光が届かない、暗い路地が口を開けている。
奥のほうに、黄色い明かりがひとつ。
風もないのに、木の看板が、ぎい、と揺れた。
星屑古道具店。
「……また出た」
理央はつぶやいた。
猪狩くんが目を丸くする。
「えっ……あんな店、あったかな」
「前にも、急に出た」
「急に?」
「そういう店みたい」
「どういう店だよ」
「私もよくわかんない」
ミュオパルが、理央の肩で耳をぴんと立てた。
「行ったほうがいい気がしますみゅ」
理央は、少しだけ路地の奥を見つめた。
前にこの店へ入ったとき、変なおばあさんに会った。
がっかり顔をお代にされた。
でも、あの紺色の布をもらわなかったら、ミュオパルは生まれなかったかもしれない。
「……行く」
理央が言うと、猪狩くんも一歩前に出た。
「俺も行く」
「猪狩くんも?」
「今の話、聞いたから」
猪狩くんは、少しだけ視線を落とした。
「知らないふり、したくない」
理央は、何も言わなかった。
でも、止めもしなかった。
三人は、細い路地へ入った。
足元の石畳が、こつ、こつ、と鳴る。
前と同じように、店の窓には変なものが並んでいた。
欠けた水晶玉。
星の砂が入っているらしい小瓶。
羽根の形をしたしおり。
顔のついた小さな木彫りの人形。
それから、黒い星形の金具がいくつも入った、古いガラス瓶。
理央が扉の前に立つと、中からしわがれた声がした。
「ヒッヒッヒ。今度は三人連れかい」
理央は、やっぱりと思いながら扉を開けた。
ちりん、と小さな鈴が鳴る。
店の中は、外から見るよりずっと広かった。
天井からは星形のランプが下がっている。棚には古い本や木箱や、使い道のわからない道具がぎっしり詰まっていた。
ほこりっぽいのに、甘い匂いがする。
砂糖菓子と、古い紙と、雨上がりの土を混ぜたような匂い。
カウンターの奥に、黒い布をかぶった小さなおばあさんが座っていた。
丸い眼鏡の奥の目が、理央たちを見るなり、にやりと細くなる。
「ヒッヒッヒ。そこのオパールのジュエモンの言うとおりだよ」
「ミュオパルの?」
理央が聞くと、おばあさんはカウンターの上の水晶玉を指でつついた。
水晶玉の中で、白い煙がくるりと回る。
「この町には、これからジュソモンがあふれるよ」
理央は息をのんだ。
「あふれる……?」
「聞こえなかった声。飲みこんだ涙。笑ってごまかした痛み。そういうものが、星の流れに引っかかっている」
おばあさんの声は、ひやりとしているのに、どこか歌うようだった。
「それが、ジュソモンになるの?」
「なるものもある。ならずにすむものもある」
「じゃあ、どうすれば」
「まずは、聞くことだねぇ」
おばあさんは、理央の手元のオパールを見た。
「倒すより先に、見ること。消すより先に、何が泣いているのか知ること」
ミュオパルが、理央の肩で胸を張った。
「理央、ミュオパルとなら、なんとかできますみゅ!」
その声は、とても頼もしかった。
でも、すぐにミュオパルは理央の顔を見て、耳を少し下げた。
「でも……理央がいやなら、やらなくていいですみゅ」
「ミュオパル」
「これは理央のせいじゃないですみゅ。理央が全部助けなきゃいけないわけじゃないですみゅ」
理央は、何も言えなかった。
怖い。
でも、何も知らないふりをするのも、胸がざわざわする。
そのとき、猪狩くんが一歩前に出た。
「俺にも、手伝わせてくれないか」
理央は振り向いた。
「猪狩くんが?」
「うん」
「手伝ったら、前のことがなくなるわけじゃないよ」
その言葉は、思ったよりすぐに出た。
猪狩くんは逃げなかった。
「わかってる」
「私は、まだ全部いいよって言えるわけじゃない」
「それも、わかってる」
猪狩くんは、胸元のルビーを握った。
「なくすためじゃない」
声は少し震えていた。でも、はっきりしていた。
「また誰かが苦しんでるなら、今度は……火をぶつけるんじゃなくて、守るほうに使いたい」
店の中が、少しだけ静かになった。
星形ランプの光が、猪狩くんのルビーに映る。
前に見た荒れた赤ではない。
小さくて、静かな火。
おばあさんが、にやりと笑った。
「決意の目だねぇ、火の坊や」
「火の坊や……」
猪狩くんが少し変な顔をした。
でも、おばあさんは気にせず、カウンターの下へ手を伸ばした。
「なら、これを授けてやろうかねぇ」
出てきたのは、小さな黒い星形の金具だった。
ひとつ、ふたつ、みっつ。
黒曜石みたいにつやがあって、中心には赤い星の火が閉じこめられている。
「星杭アンカー」
おばあさんは言った。
「ほしくい……?」
「悪霊を焼く道具じゃない。とどめる道具だ」
おばあさんは、しわしわの指で三つの星杭を並べた。
「三つの星杭で場を結び、狐火の三角形に閉じこめる。その間に、オパールの子が本当の声を聞く」
猪狩くんは、星杭アンカーを見つめた。
「俺に、使えるんですか」
「さあねぇ」
「え」
「道具は道具だ。使えるかどうかは、持つ者しだいさ」
おばあさんは、猪狩くんの目をじっと見た。
「怒りで打てば、火は暴れる」
猪狩くんの肩が、少しだけこわばる。
「守りたいと思って打てば、火は場を結ぶ」
おばあさんの声が、低くなる。
「坊や。今度の火は、どちらかねぇ」
猪狩くんは、しばらく黙っていた。
それから、星杭アンカーを両手で受け取った。
「守る火にします」
おばあさんは、満足そうに笑った。
「ヒッヒッヒ。言うだけなら、誰にでもできる」
「……はい」
「行動で見せるんだねぇ」
猪狩くんは、うなずいた。
理央は、その横顔を見ていた。
まだ、友だちではない。
まだ、全部を許したわけでもない。
でも、猪狩くんが前とは違う火を持とうとしていることだけは、少しわかった。
ミュオパルが、理央の肩で小さく言った。
「ごめんから、少しずつ始まるですみゅ」
理央は、小さくうなずいた。
そのとき、店の奥で、ちりん、と鈴のような音が鳴った。
でも、扉の鈴ではない。
もっと遠くから聞こえる、細くてさびしい音。
理央は顔を上げた。
「今の音……」
おばあさんが、にやりと笑う。
「聞こえたかい」
ミュオパルの耳が、ぴんと立つ。
「星鳴りですみゅ」
猪狩くんが、星杭アンカーを握りしめた。
おばあさんは、店の暗い奥を指さすようにして言った。
「だれもいない音楽室で、声が鳴っている」
理央の胸が、どくんと鳴った。
「音楽室……?」
「ヒッヒッヒ。笑って飲みこんだ声はねぇ、夜になると音になる」
おばあさんの水晶玉の中で、白い煙がふくらむ。
その中に、学校の音楽室が映った。
誰もいないはずの部屋。
閉じたピアノ。
風もないのに揺れるカーテン。
そして、机の上に散らばる、たくさんのふせん。
ふせんには、文字が浮かんでいた。
『これ、お願い』
『ついでに』
『急ぎです』
『いつも助かります』
『笑ってくれるから大丈夫』
理央は、ぞくっとした。
ミュオパルが、小さく言った。
「理央」
「うん」
「たぶん、次のジュソモンですみゅ」
理央は、手の中のオパールを握った。
こわい。
でも、聞こえてしまった。
笑って飲みこんだ声。
だれもいない音楽室の星鳴り。
理央はゆっくり息を吸った。
「……行こう、ミュオパル」
ミュオパルは、ぱっと顔を輝かせた。
「みゅ!」
猪狩くんも、星杭アンカーを手にうなずく。
「俺も行く」
おばあさんは、ヒッヒッヒと笑った。
「気をつけてお行き。星鳴りには、優しい幽霊ばかりが寄ってくるわけじゃないからねぇ」




