女王と騎士は足を踏みあって踊る
タナキサとカバネルに、デーモンたちが雪崩のように襲いかかった。
アセットにはそれ以上のことはわからない。メレブが突っ込んできたのだった。
「くっ!」
アセットは左の拳でガグスタンの刃を受けた。
魔力障壁が切断を防ぐかぎり、悪魔の騎士の腕力にとって、その一撃は軽いものだった。
いけるかもしれない!
アセットは一瞬、希望を抱いた。
しかしメレブの動きは素早かった。電光の速さで左右に斬りつけてくる。
アセットは必死で防戦する。
ガグスタンの連撃を受けた直後の刹那、隙が見えた。アセットは鋭く、蹴りを繰りだす。
メレブは飛び退いた。飛び退きながらガグスタンを一閃する。
「あっ!」
イステバが叫んだ。
アセットは太ももに灼熱を感じていた。
麻酔の効果で痛みは強くないが、傷は浅くもない。
プライマル・スーツの装甲はひと撫でで切り裂かれていた。
すべてはメレブの手の内だった。
メレブは猛攻をしかけたあと、わざと隙を作ってアセットに攻撃させた。
態勢が崩れたところを退きながら斬ったのだった。
メレブは余裕を見せて、ガグスタンをくるくる回した。
「左足一本もらうつもりだったが、わらわも鈍っているようだ。それともそなたが意外とやるのかのう」
メレブがふたたび襲いかかってきた。
アセットはガードをしたうえで先手を打つ。
メレブはアセットの拳をかわして、すれ違いざまに斬りつけてきた。右の上腕に痛みが走る。
距離をとってメレブは笑った。
「ふふふ、ははは! 興よ! 興よ! お互い一撃で決まる。おまえも楽しかろう」
アセットは必死に集中していた。返す言葉はない。
戦いは続いた。アセットとメレブは何度も交わった。そのたびにアセットの傷が増えていく。
「はぁはぁ……」
アセットは喘いだ。
致命傷はないが、
装甲の多くの部分が切り裂かれていて、アセットには外気を感じることさえできてしまっていた。
アセットの喉元に恐怖がこみあげる。
このままでは勝てない。
ひときわ大きな打撃音に目をやると、タナキサがデーモンの拳で殴り倒されたところだった。
「くそぉおおおっ!」
カバネルが叫ぶ。カバネルはアベイラーをつかまれて振り回されていた。
まごうことなく劣勢であった。
メレブを倒せないと、三人とも殺されてしまう。
メレブのほうは愉快そうだった。
「妹よ、思っていたより粘るな。そなたを始末したあとにはアンデッドとして蘇らせてやろう。いや、そなたたち三人とも蘇らせる。蘇らせたら、わらわの剣でいつまでも可愛がってやろう」
そのふざけた余裕がアセットの恐怖を打ち消して、怒りに火をつけた。
闘志が燃えあがり、反対に頭が冷えていく。
なにか手はないか。
形勢逆転の一撃。それが繰りだせないか。
アセットは素早く考え、ひとつの答えをみつけた。
一度きりしか使えず、失敗したら終わりの一撃を。
装甲の内側でアセットは囁く。
「イステバ、よく聞いて。タイミングが命だから……」
短い時間でアセットは計画を説明した。
イステバが了承する。
「わかった」
「それじゃ、いくよ!」
背中の装甲が開き、推進噴射が吹きだす。
推進噴射の方向が連続的に変化する。アセットは目にも留まらぬステップで飛び回った。
メレブはじっと佇んで、アセットの動きを見極めようとしているらしかった。
アセットの移動スピードについていけていない。
アセットは数ステップジグザグに飛んだ。
直後、拳をふりあげてメレブへ突っこむ。
絶妙なタイミングであった。拳がメレブの頭を砕いても不思議ではなかった。
しかし、メレブは反応していた。
軽い金属音。
ガグスタンが紺碧と金色の装甲を貫いていた。
刃は腹にまっすぐ入っていた。
中に人間がいれば絶命したにちがいない。
中にいれば。
メレブが紺碧と金色の装甲を貫いて動きを止めたとき、
その背後へ生身のアセットが回り込んでいた。メレブが目ざとく気づいた。
「きさま! バカな!」
自分の身体を貫いた刃を固定するため、
プライマル・スーツ姿のイステバがメレブの腕を押さえた。
「アンタの負け!」
アセットはメレブの髪をつかみ、短剣でその首を切る。血の出ない傷口がぱっくり広がった。
「うぉおおおおっ!」
メレブが悲鳴をあげる。
メレブはアンデッドだ。切られただけでは死なない。
イステバは装甲の手で、だらんとしたメレブの首をねじ切った。
アセットの最後の手段は功を奏した。
タイミングが命の作戦だった。
アセットはイステバがガグスタンに貫かれるのを承知で、
突撃した直後に、イステバの背後から装甲の外へ脱出していたのだった。
メレブの首が床に転がり、長い金髪が広がった。
メレブの身体はガグスタンを落とし、腹を押さえたイステバの前にくずおれた。
戦いは終わった。
アガモルゲの女王メレブは、ここに敗れたのだった。
だが、息つく暇はない。タナキサとカバネルがデーモンに圧倒されていた。
アセットは身を屈め、まだまばたきしているメレブの頭から王冠をとる。
そして自分の頭に載せた。
「うあぁっ!」
衝撃がアセットの脳髄を貫く。身体が痙攣した。それは苛烈な奔流だった。
アガモルゲの記憶、構造、機能、位置、操作法、
すべての情報がアセットの魂に撃ちこまれる。
凶悪な情報の津波がアセットの人格を破壊しようとしているかのようだった。
アセットは歯を食いしばって耐えた。
ここで屈してしまったら、けっきょく誰も助からない。
生来の頑固さが、意志の硬さが、激流に抗うすべだった。
救う!
救う!
救う!
勝つ!
勝つ!
勝つ!
アセットはただ耐えた。
やがて情報の洪水はアセットの脳に染みわたり、その勢いは止まった。
もうアセットの魂を脅かす苛烈さはなくなっていた。
「はぁはぁはぁ……」
アセットは胸を激しく上下させた。膝が笑う。
アセットはこのとき、アガモルゲを我がものとしたのだった。
契約を交わすこともなく、数百体のデーモンが配下として従った。
玉座のデーモンたちも例外ではない。
アセットは片手をあげて、デーモンたちを制した。
「止まれ、おまえたち! 戻れ!」
デーモンたちは目の輝きを失い、もとの場所へ戻っていった。
その数はあきらかに減っていたが、死体は消えてしまって残っていない。
ふたりの絶望的な防戦も終わった。
タナキサとカバネルがふらふらとアセットに向かってくる。
ふたりとも装甲は傷だらけで、ところどころ大きくへこんでいた。
イステバはコルセットドレスの少女に戻り、仰向けに横たわっていた。
身体中に傷口があり、腹は赤く染まっている。
アセットはイステバの横に跪いた。
「ごめんね、イステバ。こんな方法しかなくて」
「これぐらいじゃ死なないけど、痛い……」
イステバは血の気のない顔で答えた。
タナキサとイルケビス、カバネルとイメリアンもそばへ来た。
イルケビスの左目は充血し、口元に痣ができていた。
「こんなヒドイ目にあったの初めてかもー。おねーちゃんがいちばんヒドイけどねー」
タナキサはアセットの傷口をあらためてきた。自分も打ち身だらけだった。
「おまえもずいぶんやられたな。浅くはない。止血だけでもしないとまずいな」
左目に大きな痣を作ったイメリアンが、満足そうに吐息を漏らした。
「自分の限界を知りました。いえ、限界を超えて戦い抜きました。満足です」
カバネルは手の甲で鼻血を拭っていた。
「いやぁ、ホント、ひでぇ目にあったなぁ。冗談抜きでしばらく戦いはおなかいっぱいだよぉ……」
足元のほうでごぼごぼと音がした。
床に転がったメレブの首はまだ生きていた。メレブはのどにからむような声でいった。
「みごと。そなたたちの勝ちだ。妹よ、そなた……名をなんといったか」
メレブの首を見下ろして、アセットは答えた。
「アセット」
「そうか。アセットよ、とどめを頼む。わらわはまだ死なん。二度目の生は流れ矢などではなく、正面から戦って倒された。わらわは満足だ。思い残すこともない。ガグスタンをそなたに譲ろう、アセットよ。わらわをガグスタンで斬ってくれ」
ガグスタンとメレブの身体は、イステバの近くに転がっていた。
アセットはよろよろと近づいていく。
アセットの傷からはまだ出血が続き、滴を作っていた。
悪魔の騎士の麻酔効果も薄れ、身体中が痛んだ。
アセットはよろめきつつ、ガグスタンを拾いあげた。
魔剣は木でできているかのように軽かった。
ガグスタンを手に持つと、よろめく足取りでメレブの首のもとへ戻る。
メレブは薄く笑った。
「ふふふ、興よ。最後に極上の楽しみを得られたわらわは勝者であろう。やってくれ。さらば、イステバ、アセット」
「さよなら」
アセットはガグスタンをメレブの頭に振り下ろした。
なんの抵抗もなく、メレブの頭はぱっくり割れた。
急にしぼみはじめ、煙があがる。
それを見守り、ひと呼吸するあいだには灰になってしまった。微風に灰が散らされる。