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ふたつ名の令嬢と龍の託宣【なろう版】  作者: 古堂素央
第7章 裏切りの神官と託宣の呪い

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第3話 雪解けの王都へ

【前回のあらすじ】

 ベッティが仕込む薬草の影響で、日々を夢うつつで過ごすルチア。カイの存在すら忘れそうになっていたことを自覚し、大きな恐怖を覚えます。

 夜のラウエンシュタイン城を彷徨うルチアは、不安の中イグナーツの部屋に辿り着いて。胸の内打ち明けたルチアに、イグナーツは自由に行動する条件として平気なふりをするよう伝えます。

 イグナーツに心を開き始めたルチアとは対照的に、イグナーツへの不信感を隠そうともしないベッティ。義理の親子となったことに、内心恨みを呟いて。

 一方、黒装束姉弟に引き合わされたリーゼロッテは、ラウエンシュタイン家を陰から支えるふたりに名前をつける流れになります。

 幼少期から成長を見せない自分のポンコツぶりに涙目になる中、イグナーツから王都に行く誘いを受けて。

 ジークヴァルトへ報告の手紙を書くために、リーゼロッテは部屋へと急ぐのでした。

 スカートの裾に注意を払いながら、息を弾ませ階段を駆け上がった。

 気が()いている分だけ、いつも以上に長く感じてしまう。


(こんなことなら、もう少し下の階にしてもらうんだったわ)


 ここラウエンシュタイン城で、リーゼロッテは見晴らしのいい上階で過ごしていた。

 一階にある子供部屋を使う手もあったが、時を止めたあの部屋を今の自分が荒らしたくはなかった。

 わざわざ高い階の部屋を用意してもらったのは、運動不足解消に丁度いいと思ったからだ。

 なにしろフーゲンベルク家ではまず階段を使わせてもらえない。

 令嬢時代に王城で階下へダイブして以来、ジークヴァルトはリーゼロッテが階段に近づくことすら嫌がるようになった。

 必要なときはいつもジークヴァルトに抱えられて上り下りしている。そんな呆れ返るほどの過保護ぶりも、今は恋しくて仕方がなかった。


(何はなくとも、まずはジークヴァルト様にお手紙を書かなくちゃ)


 自分も王都に行くと即答したが、ジークヴァルトにお伺いを立てておかないと後々マズいことになるかもしれない。

 黙って出かけて、万が一危険な目にでもあったとしたら。

 フーゲンベルク家に強制送還の上、しばらく部屋に監禁される恐れも出てくるだろう。

 心配性のジークヴァルトのことだ。そのくらいのことは平然とやってのけるに違いない。


「あっ、いけない、この階だったわ」


 行きかけた階段を慌てて戻る。考え事をしていたら、いつものフロアを通り越してしまった。

 それにここより上には行かないようにと、家令のルルに言われていたリーゼロッテだ。


(手が行き届いてないからって理由らしいけど……その割にはすごく空気が澄んでるのよね)


 行ったことのない階段の先を、リーゼロッテは何とはなしに仰ぎ見た。

 この城の敷地内はどこもかしこも清浄な空気で満たされている。不思議なことに城の上へと昇れば昇るほど、それはさらに神聖なものへと変化していく。

 今見上げている上階からは、全身が痺れるような圧を感じた。もはや神気と呼んでもいいくらいの空気感だ。

 この感覚をリーゼロッテは知っている。

 あれは王城の奥深く、当時はまだ王子だったハインリヒに連れられて行った日のことだ。

 歴代の王の肖像画が並ぶ長い廊下は、息が詰まるほど濃厚な青龍の気に満ちていた。


(それと同じものをここで感じるなんて)


 ラウエンシュタインとは、この国にとって特別な地なのかもしれない。

 神殿以上に手厚い加護を受けているように思えて、リーゼロッテはそんなことを考えた。


(やだ、こんなことしてる場合じゃなかったわ!)


 身を翻し、急ぎ部屋へと駆け込んだ。

 なんとしてでも今日中に手紙を送らなくては。


「返事が届く前に出発になるのも厄介だものね。とりあえず父様と王都に向かうってヴァルト様に伝えないと」


 イグナーツが一緒なら、さすがのジークヴァルトも行くなとは言ってこないだろう。

 そうは思っても、黙っておくのはバレたときの代償が大きすぎる。

 意気込んで早速文机に向かうも、しかし文章が上手くまとまらない。どう書けば一番心配をさせずに済むだろうか。

 伝え方次第では、ジークヴァルトの過保護魂に火をくべる結果になり兼ねない。それを思うと言葉選びも慎重にならざるを得なかった。


(駄目だわ。何を書いても過保護が悪化する結末しか思い描けない……)


 それでなくともこれだけ長い期間離れて過ごしているのだ。

 フーゲンベルク家に戻った際には、しばらくベッドから抜け出せないかもしれなかった。

 それが三日になるか、一週間になるか、最悪一か月なんてことになったりしたら――。


(絶っっっ対に体力が持ちっこない!!)


 涙目になりながら、羽根ペンを握りしめる。


「うう、やっぱり王都は諦めるべき? でもルチア様が行くならわたしも付き添いたいし……」


 リーゼロッテはルチアのためにここにいるのだ。自分ひとりが留守番するなど、この城に来た意味がない。

 覚悟を決めたリーゼロッテは、簡潔に(ふみ)をしたためた。

 そして至急ジークヴァルトの元へ届けてほしいと、ルルに手紙を託したのだった。


     ◇

 慌ただしくリーゼロッテが出て行った部屋で、イグナーツはひとり古びた地図を広げていた。


(今年は随分と出発が遅れちまったな……)


 例年なら、今頃は山の麓の村に着いていた。リーゼロッテたちの存在もあったが、雪解けが遅れたことが大きな原因だ。

 ここ数年どんどん雪深くなっている。このままでは、山にいられる時間がますます短くなっていくだろう。

 十年以上かけて、道なき道を開拓してきた。おかげで幾度も通る険しい山道は、初めに比べると随分と行き易くなっている。

 それでも目指す頂上は遥か彼方だ。毎年吹雪に阻まれて、道も半ばで断念を余儀なくさせられる。


(とにかく夏の間に頂上まで行かねぇと)


 でないと同じことの繰り返しになってしまう。

 去年、一昨年と二年連続で、イグナーツは本気で凍死しそうになった。

 だがなぜか気づくと麓の村の入り口に立っていた。山を降りた覚えは全くないにも拘らずだ。


(あのまま登ってりゃ、マルグリットの元に行けたかもしれねぇのに)


 山頂に近づけば近づくほど、青龍の神気に満ちていく。そして同時に最愛の妻、マルグリットの気配も――。

 地上にいるときと、感じる強さは比べものにならない。

 マルグリットは確実にその先にいる。イグナーツにはそれがはっきりと感じ取れた。


「イグナーツ様、今よろしいでしょうか?」

「ああ、丁度よかったです」


 やって来た家令のルルに、イグナーツはそろそろ出発する旨を伝えた。


「それと、リーゼロッテとベッティにルチア、三人も一緒に王都に連れて行きます。その準備もお願いできますか?」

「承知いたしました」


 ぴしりとルルは腰を折る。


「で、本題はなんですか? 書類へのサインなら、もう次に帰ってきてからにしてほしいのですが」

「ではそちらはそのように」

「そちらは? まだ他にあるのですか?」


 面倒くさそうに聞き返すも、ルルの表情が変わることはない。

 いつだってこの老女は血の通わない鉄の塊ようだ。


「明日は神官様がいらっしゃる日となっております。念のためご報告をと」

「そうでしたか……で、今回は誰が?」

「神官長と伺っております。リーゼロッテ様にはお伝えいたしますか?」

「いや、それはいいです。神官が来たことをロッテに知られないよう、配慮をお願いします」

「かしこまりました」


 むやみにリーゼロッテを不安にさせたくはなかった。

 神官が来た理由を問われたら、すべてを話さなくてはならなくなる。

 これはあの日、マルグリットとした約束だ。それを違えることはイグナーツには許されない。

 だがあの部屋に立ち入る人間をこれ以上増やすのは我慢がならなかった。例えそれが娘のリーゼロッテだったとしても。


(へっ、こっちが本音かよ)


 どんなに謝罪を口にしようと、所詮口先だけのパフォーマンス。いつだってリーゼロッテは二の次だ。

 どこまで行っても自分はマルグリットしか選べない。結局その考えに行きついて、イグナーツは薄く自嘲の笑みを漏らした。


「話は以上ですか?」

「はい」

「ではリーゼロッテに、このあと昼と夜の食事は、ひとりで取るよう伝えてもらえますか?」

「イグナーツ様はどちらへ?」

「今日は彼女の部屋で過ごします。よほどのことがない限り、邪魔はしないでください」

「承知いたしました」


 再び腰を折ったルルを置いて、イグナーツは城の最上階へ向かった。

 階を上がるごとに、肌がピリつくほど清浄な空気が濃くなっていく。


 ようやくたどり着いた部屋の前に立ち、滅多に開かれることのない重厚な二枚扉を押し開いた。

 開くそばからさらに濃厚な青龍の神気が流れ出してくる。あの日からずっと時を止めたままの室内は、痛いくらいの静けさに包まれていた。

 扉を閉めると、あまりの神気の圧に息が詰まりそうになった。ここに来るといつも思う。まるで深い水底に沈んでしまったかのようだと。


 部屋の奥へと歩み寄る。水に見える揺らめきの壁が、そこに置かれた寝台を守るように覆っている。

 その水のカーテンの中に、イグナーツは躊躇(ためら)うことなく足を踏み入れた。

 呼吸をするたび、こぽりこぽりと泡が立つ。ゼリーのような濃密な神気がイグナーツの肺を中から浄化していった。

 ここは完全な聖域だ。穢れた者は彼女に近づくことすら許されない。

 唯一触れることが許されたのは、対の託宣を受けた者だけだ。


「マルグリット……」


 魂のない肉体が、朽ちることなく寝台に横たえられている。蜂蜜色の髪がリネンの上を川のように流れ、花々に埋もれた彼女はただ眠っているかに見える。

 だがその瞳は決して開かれることはなく、吐息ひとつ漏らさない。

 長い影を落とす睫毛の瞼の奥の、翡翠のような美しい瞳にただ焦がれた。あの瞳を失って、いまだ正気を保てている自分が不思議なくらいだ。


 そうしていても、イグナーツの思いはすでにベトゥ・ミーレの山頂に向かっていた。

 ベトゥ・ミーレは龍の霊峰と呼ばれる山脈だ。その山頂へ近づけば近づくほど、イグナーツはこの部屋と同じ濃密な青龍の神気を感じ取っていた。

 同時に、マルグリットの気配も地上とは比べ物にならないほど近くなる。


「待っていろ、マルグリット……絶対にお前を取り戻す――」


 血の気のない頬に指を滑らせ、イグナーツは冷えた唇にそっと口づけた。


     ◇

 王都行きが決まってから数日、リーゼロッテは悩みに悩む毎日を送っていた。

 イグナーツやベッティもいるので物理的な安全面は問題ない。いちばんの懸念はやはり異形の者対策だ。


「ジークヴァルト様の守り石があるから、心配はまずないのだろうけど……」


 目の前のテーブルに置かれているのは、ラウエンシュタインに向かう時に渡された、肩こり必至の守り石ずっしり三連弁慶ネックレスだ。

 これを首に巻き付けていれば、そこら辺にいる異形などリーゼロッテに近寄ることもできないはずだ。

 どの守り石も超特大の大粒サイズで、いまだ色鮮やかな青が美しく対流している。

 異形が一匹もいないので、この城に来てからはずっと外して過ごしていた。それもあって浄化の力を消費することもなく、守り石の中身はほぼフル充電だ。

 王都へ行く道中に余程のことがない限り、この守り石の色が褪せるような事態は起こらないだろう。

 問題はそう、人目を引いてしまうことだ。

 こんなものをじゃらじゃら首に下げていたら、下町では浮きまくること間違いない。


(そんなんじゃお忍びにならないし……)


 一緒に行くルチアたちにも迷惑をかけてしまうかもしれない。


「いっそのこと、修験僧のコスプレでもして行こうかしら?」


 しかしそれこそ怪しさ大爆発だ。

 青龍信仰が主流この国で、異教徒扱いされたら厄介だ。


「あああ、どうするのが正解なのっ」


 部屋でひとり頭を抱えてしまう。

 荷づくりもしなくてはだし、万が一の涙の小瓶もお守り代わりに持って行った方がいいだろう。

 急にやることが増えまくりで、プチパニックを起こしているリーゼロッテだ。


「そうだわ! ベッティならいい知恵を貸してくれるはず!」


 名案に、リーゼロッテは勢いよく扉へ向かった。

 行きかけた途中で、はっとする。

 突然神妙な顔になると、リーゼロッテは掴んだドアノブからそっと手を離した。


(何やってるのよ……自分ばっかりこんな浮かれたりして……)


 ルチアもベッティも、カイを失ったばかりだというのに――。

 リーゼロッテはふたりのためにここへと来たはずだ。それなのに王都に行けるとなった途端、この体たらくとは情けないにもほどがある。

 何よりも、あわよくばジークヴァルトに会えるのではと、そんな邪な期待を抱いていた自分に気づく。


「ほんと、何やっているのよ、リーゼロッテ」


 唇を噛みしめ、すごすごと部屋の中へと舞い戻った。


(しっかりしなさい! 勝手に落ち込んでる場合じゃないでしょう? 今自分にできることを考えないと!)


 ぱんと頬を両手で挟み、前向きな方向に気持ちを切り替える。

 結局リーゼロッテはひとりで頭を搾り出し、どうにか準備を進めることができたのだった。


     ◇

 結局ジークヴァルトから返事が来ないまま、ラウエンシュタイン城を出発する日になってしまった。


(アネ・オトのふたりもついてきてくれるって言うし……きっと大丈夫よね)


 厚手のマントを厳重に羽織り、リーゼロッテは大きな城門へと向かった。

 馬車は跳ね橋の向こうで待機しているらしい。

 先に城門の前で待っていたベッティが、リーゼロッテの姿を見て首を傾げた。


「あるぇ? 随分と厚着をされてるんですねぇ。リーゼロッテ様ってそんなに寒がりでしたっけぇ?」

「え、ええ、まぁ、春が来たとはいえ、まだ雪が残ってるかもしれないでしょう?」

「王都の方はすっかり雪解けを迎えたって話ですよぅ?」

「さて、全員揃いましたね」


 そこにルチアを連れたイグナーツがやって来る。

 最近のルチアは随分と顔色が良くなった。今日の足取りもしっかりしているし、顔つきは少しふっくらと元に戻ってきているように見える。

 ベッティの話では、薬湯もまったく飲ませていないそうだ。これなら一安心と、リーゼロッテは胸をなでおろした。


(そろそろ傍を離れても大丈夫な頃合いかしら……)


 最初から一緒にいて欲しいと頼まれたわけではないが、必要としてくれるのならまだルチアに寄り添っていたいリーゼロッテだ。

 高い城門をくぐり跳ね橋へと向かった。

 この城を出るのはいつぶりだろうか。来たときはまだ極寒の季節だった。

 城外の景色眺め、季節の移ろいを改めて強く感じてしまう。

 そんなことを思いながら、リーゼロッテは深い堀に掛けられた跳ね橋を渡っていった。


「うむぅ? リーゼロッテ様ぁ、なんだか変な音がしませんかぁ?」

「そ、そう? 気のせいじゃないかしら?」


 耳聡いベッティにいち早く気づかれてしまった。

 それでもリーゼロッテはそ知らぬふりで、早足で馬車に向かおうとした。進むたびリーゼロッテの体から、かちゃかちゃとおかしな音が響いて来る。


「気のせいなんかじゃありませんよぅ。リーゼロッテ様ぁ、一体何を隠してるんですぅ?」

「あっ、駄目よっ」


 ベッティがマントの開きを軽くぺろっとめくろうとする。

 阻止する間もなく、結局がばっと大きく開かれてしまった。


「なんなんですかぁ、これはぁ?」


 さすがのベッティも口をあんぐりとさせている。

 リーゼロッテの首には三連のごつい弁慶ネックレスが巻き付けられ、マントの内側には弾丸ベルトよろしく、涙の小瓶が幾重にも連なって縫い付けられていた。

 時代が時代なら、弾薬を仕込んだヤバいヤツにしか見えないはずだ。

 これがリーゼロッテが寝ないで考えに考え抜いた、王都の街並みを安心して歩くための異形対策高機能防御マントだった。


「カチャカチャ言ってたのは瓶のこすれる音だったんですねぇ……」

「こ、これだけあれば何かあっても心配しなくて済むでしょう?」

「そうかもしれませんがぁ、何もこんな数仕込まなくってもぉ。重くないんですかぁ?」


 そりゃもう、どこぞの天下一を決める武道会のための修行の重りのようだ。

 しかし備えあれば憂いなし。ルチアたちに迷惑をかけないためにも、これだけは譲れないとリーゼロッテはいそいそとマントの開きを閉じた。


「運動不足気味だからちょうどいいくらいよ」


 強がるように言って、ふぅふぅなりながらリーゼロッテはようやく馬車へとたどり着いた。

 馬車は四人乗りで、リーゼロッテとイグナーツ、向かいにはベッティとルチアが座ることになった。

 馬車は滑らかな動きで走り出す。これなら酔ったりはしなさそうだと、額に汗をかきつつリーゼロッテは息をついた。


「脱いだっていいんですよぅ?」

「だ、大丈夫よ。脱ぎたくなったらそうするわ」


 かさばるマントを整えて、イグナーツの邪魔にならないようにとリーゼロッテは居住まいを正した。


「数日かけての行程です。王都に着くまでは、のんびり行きましょう」

「はい、父様」


 リーゼロッテは養子先経由で嫁に行ったものの、ここにいるのはラウエンシュタイン家御一行様だ。


(なんだかとっても不思議な感じね……)


 実父のイグナーツに、姉妹となったベッティとルチア。人生どんな展開が待っているかなど、まったく予想がつかないものだ。


「そういえばベッティ、大丈夫なの!?」


 はっとしてリーゼロッテは一気に青ざめた。

 昔同じ馬車に乗ったとき、リーゼロッテの力のせいでベッティが馬車に酔ったことがあった。

 あのときは吐くほどひどい症状だったことを思い出す。


「ああ、あのときはぁ、リーゼロッテ様のお力が駄々漏れだった上にぃ、公爵様のお力がまるっと馬車を包み込んでいたからですよぅ」

「なら、今は何ともないのね?」

「はいぃ、あのときは本気で死ぬかと思いましたよぅ。逃げ場なくぱんぱんに濃密な聖女の力が詰め込まれていましたからぁ」

「そ、そう。それはとても悪いことをしてしまったわ……」


 自分で話題を振ったものの、蒸し返されてしまっては謝るしかできないだろう。

 そんなリーゼロッテを見てベッティは、くすりと小さく笑いを漏らした。


「別にいいんですよぅ。障壁が高いほど諜報員魂に火が付くってもんですからぁ」


 いまいちよく分からない理由だが、本人がいいと言うならそういうことにしておこう。

 これ以上藪蛇にならないために、リーゼロッテはイグナーツに話を振った。


「イグナーツ父様は浄化の力はお持ちなのですか?」

「ボクですか? いえ、ボクは異形の者すら視えません。昔に一度異形の塊に突っ込んだらしくて、マグリットに怒られたことならありますが」


 城を出てからイグナーツはずっと貴族仕様だ。ラウエンシュタイン家の馬車に乗っているので、対外的に気を遣っているのだろうか。

 そんなイグナーツにベッティは胡乱な目を向けている。


(父様とベッティって、微妙に仲が悪そうなのよね……)


 というよりベッティが一方的に敵意を向けているようだ。なんだか居心地が悪くて、場を和ませるためにリーゼロッテは懸命にしゃべり続けた。

 そんな会話が繰り広げられている中でも、ルチアはずっと押し黙っている。流れる景色を眺めているだけだ。


「あの、ルチア様……気分が優れなかったら遠慮せず言ってちょうだいね?」

「……ありがとうございます。でも大丈夫なのでご心配なく」

「そう、ならよかったわ」


 そこですぐに会話は終了してしまった。

 受け答えはしっかりしているが、出会ったころの心を閉ざしていたルチアに戻ってしまったように思えた。


 いくつか宿に泊まりながら、馬車の旅は何事もなく数日が過ぎて行った。

 ずっと何もない田舎道続いていたが、次第に建物の数が増えてくる。


「そろそろ王都の外れに入ったみたいですねぇ」


 ベッティの言葉に、リーゼロッテは窓に張り付いた。

 流れゆく街並みはすっかり春仕様となっている。道行く人々もどこか表情が明るく見えた。


(ああ、本当に王都に戻って来たんだわ)


 何度も通ったことのある街道に入り、遠い場所から帰ってきたとき特有の何とも言えない安堵感に包まれる。

 緑の瞳を潤ませて、リーゼロッテはしばらく間、その余韻に浸りきっていた。


     ◇

 早朝から書類に埋もれて数時間が経ち、マテアスの休憩の合図にジークヴァルトは黙っていつものソファへと移動した。

 できることならこのまま執務を続けていたい。その方が余計なことを考えないで済むからだ。

 しかしマテアスは午前・昼・午後と、日に何度も休憩時間を強いて来る。差し出された程よく冷めた紅茶を、ジークヴァルトは事務的に飲み下した。


 リーゼロッテがラウエンシュタインへ旅立ってから、ろくに眠れていなかった。

 彼女は今どこよりも安全な()の地にいるのだ。そのことはジークヴァルトも頭ではよく分かっている。


(だが万が一、オレの手の届かない場所でまたリーゼロッテに何かがあったら……)


 いらぬ心配ばかりがこみ上げてくる。

 空のカップを皿に戻すと、腕組みの姿勢でぎゅっと瞼を閉じた。口をへの字に固定して、ジークヴァルトはそのままぴくりとも動かなくなった。

 休憩時間が終わりを告げるまで、この状態でやり過ごすのがもはや習慣となっている。


 その間にも、思考は迷路を彷徨い続けた。無意識にリーゼロッテの気配を求め、ジークヴァルトの思いは遥かラウエンシュタインに飛んでいく。

 どこまでもどこまでも意識を伸ばす。その先で、眩い輝きを放つリーゼロッテの緑を確かに感じ取った。


 夫婦の契りを交わして以来、どこにいても彼女の居場所が把握できるようになった。これは対の託宣を受けた者が持ち合わせる特有の感覚だ。

 これがなければ疾うに気が狂っていたに違いない。リーゼロッテのいない世界など、ひとかけらの意味すら見出すことはできなかった。


 姿が見たい。あの笑顔を向けて欲しい。そして今すぐ彼女の熱に包まれたい。

 そんな衝動が弾けそうになる。持つだけ無駄な欲望をジークヴァルトはぐっと腹の奥にしまい込んだ。


(せめてカークだけでもついて行かせるべきだったか……)


 何百年もの間、屋敷の裏庭で立ち尽くしていた不動のカークは、いまや屋敷内でのリーゼロッテの立派な護衛役だ。

 あれが視るものはすべてジークヴァルトの脳裏に届く。遠隔でも、やってやれないことはないのではなかろうか。


『カークはあの城に入れないんじゃない?』


 隣で浮いていたジークハルトがすかさず突っ込みを入れてきた。

 ラウエンシュタイン城は守護者(ジークハルト)でさえ立ち入れないのだ。確かに異形のカークなど、近づいただけで跡形もなく消滅してしまいそうだ。


『そんなことになったら、リーゼロッテ泣くかなぁ。泣くだろうなぁ。いや、泣くね!』


 楽しげに言われ、ジークヴァルトは無意識に眉間にしわを寄せた。

 こんなときは無視するに限る。ここで反応してしまうと、ジークハルトはさらに饒舌になるので面倒だ。


『ほんとヴァルトってば、リーゼロッテのことになると判断能力ポンコツだよね』


 腹の立つ物言いも、反論する余地がどこにもない。

 更にきつく眉根を寄せて、徹底して無視を決め込んだ。


『あ、ヴァルト。もうすぐラウエンシュタインから早馬が着くよ』

「そういうことは早く言え!」

「えっ、旦那様!?」


 マテアスの叫びを背に、弾かれるように執務室を飛び出していく。

 エントランスを素通りし、迷うことなく厩舎を目指した。

 馬を降りたばかりの使者の姿を遠くに認め、一直線に走り寄る。案内役の使用人とともに、驚き顔で使者はジークヴァルトを迎え入れた。

 礼節を守らず使者がぽかんとなったとして、それも無理からぬことだろう。

 むしろ非常識なのはジークヴァルトの方だ。正式な手順を踏まずして、裏口からいきなり訪問先の主人が現れたのだから。

 口を開く前にすっと手を差し出すと、使者は一拍置いてから気を取り直したように姿勢正した。


「ラウエンシュタインより文をお届けに上がりました。馬の不調で乗り換えが必要だったため、いつもより時間がかかったことをお詫び申し上げます」

「いや、ご苦労だった」


 丁重に差し出された文を受け取り、すぐさまその場で封を開いた。

 乾いた紙からふわりとリーゼロッテの気配が漂ってくる。その余韻を堪能する暇もなく、書かれた内容にジークヴァルトは息を飲んだ。

 リーゼロッテが王都に来る。しかもその日付はまさに今日の今日だ。

 カッと目を見開いて、ジークヴァルトは来た道のりを猛ダッシュで戻って行った。取り残された使者と案内役が、呆気に取られた顔になってもお構いなしだ。


「マテアス! 何があってもオレは行く!」


 乱暴に開いた執務室の入り口から、前置きもなしにジークヴァルトは言い放った。

 すでに執務を再開していたマテアスが、表情ひとつ変えずに顔を向けてくる。


「旦那様、休憩時間はとっくに終わっておりますよ」

「今すぐだ」


 嚙み合わない会話を交わしつつ、マテアスの糸目に(くだん)の手紙を突きつけた。

 本来なら誰の目にも触れさせたくないが、今はこうするのが一番手っ取り早い。


「はぁ……仕方がありませんね。どうにか執務を調整いたしましょう」


 事情を把握したマテアスが、重い腰を上げ手早く書類を選別にかかる。

 少なくない案件を選び出すと、マテアスはその束をジークヴァルトの執務机にばさりと置いた。


「火急の案件だけは片付けてもらいます。これさえ済ませば、あとはご自由になさってください」


 言い終わる前に高速で目と手を動かした。

 いい加減な判断を下しては、マテアスは絶対に修正を課してくる。動体視力を極限まで活用し、脳みそフル回転で必要事項をこなしていった。

 仕上がりを一枚一枚確かめるマテアスを横目に、可否を待たずに立ち上がる。逸る気持ちのまま、ジークヴァルトは扉も閉めずに執務室を飛びだした。


「期限は明日の朝までですからね! 早朝鍛錬は免除しますが、執務開始には必ず顔を出してくださいよ!」


 遠ざかる背に届くように、マテアスの声が廊下に大きく響き渡った。


【次回予告】

 はーい、わたしリーゼロッテ。ようやくたどり着いた王都で、下町に行くためにそれぞれが町娘に変装することになって。周りから身バレを心配されるも、魂は生粋の庶民のわたし。死角はひとつもありませんわ! っていうか、ヴァ、ヴァルト様がどうしてここにっ!?

 次回、7章第4話「下町のワルツ」 あわれなわたしに、チート、プリーズ!! 

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