32 試練④
宗人は、人間界で生活していた頃、おっさんとともに、とある海沿いにある街を訪れた。おっさんと旅するようになって一年目のときの話だ。
数か月前までその場所には街があったという。しかし宗人が訪れたとき、その場所には建物の土台や瓦礫、頑丈そうな建物しかなかった。
「家はあっちの方で、見つかったんだ」
そう語るお爺さんは、ひどく疲れた顔で、自分の家があった場所を眺めていた。
宗人は掛けるべき言葉が見つからず、持っていた飴をお爺さんに渡した。お爺さんは「ありがとう」と力なく笑い、飴を受け取った。
おっさんと一緒に堤防に立ち、海を眺めた。その日は快晴で、波は穏やかだった。
「信じられねぇよな」おっさんは紫煙をくゆらせながら語る。「この海が一つの街を壊滅させたなんて」
「そう、だね」
宗人は目の前の海が迫ってくる光景を想像してみる。建物よりも高い波を思い描くことはできたが、リアルな質感をもって想像することはできなかった。
「坊主、坊主はどんな人間になりたい?」
「どうしたの突然?」
「こんなときだからこそ、自分がどんな人間になりたいかって考える必要があるんだ」
「どんな人間になりたい、か……。まだ、わかんないや。おっさんは、どんな人間になりたいの?」
「俺か? 俺は、水のような人間になりてぇな」
「水のような?」
おっさんは手に持っていたペットボトルを宗人に見せる。
「水というのは、俺たちが生きていくためには必要なもんだろ?」
「うん」
「ただ、時として、災厄をもたらす災害ともなるわけだ」
「そうだね」
「そして水は、どこにでもある。目の前の海には当然あるが、俺たちの体にだって水はある。つまり、水というのは、どこにでも存在することができて、そして救世主から悪役まで、何者にでもなれる柔軟性を有しているんだ。だから俺は、そんな水みたいに、何者にでもなれる男になりたいと思っている」
「ふぅん。水ってすごいんだね。なら、俺も水のような男になることを目指すよ」
「なれるのか? 坊主に」
おっさんは茶化すように言った。
「なるよ」
宗人は海に目をやった。海は太陽の光を照り返し、煌めいて見えた。
◇◇◇◇◇◇◇◇
魔族が魔法を使う際、魔法陣に対し、何気なく魔力を注入しているが、魔法陣はどのようにしてその魔力を吸収し、貯蔵しているのだろう。一般的に、魔法陣の表面に多数のポンプがあって、そのポンプを介し、魔力を吸収していると考えられている。これを魔力吸収ポンプと呼び、ポンプは常に開放されているというわけではなく、量に応じて閉じることで、魔法陣内の魔力量を調節している。また、そのポンプは異空間転送装置としての機能も有し、異空間に魔力を貯蔵しているため、平面に描いた魔法陣でも魔力を貯蔵できると言われている。
今、リッチを動かす魔法陣には、魔力吸収ポンプが常に開放されているのか、魔力を吸い上げる魔力流ができていた。この魔法陣が吸収する魔力の量を増加させるのも一つの手だが、ただ増加させただけでは、ポンプが機能し、閉じてしまう、もしくは排出が起きる可能性があった。だから宗人は、【術式妨害】によって瞬間的な機能不全を引き起こし、ポンプに関する機能を混乱させ、その隙に大量の魔力をぶつけた。寝ぼけている人に、やかんの水ではなく、消火用のホースで放水するようなものだ。
魔法陣に濃い霧の塊がぶつかる。不意の一発で、ポンプの機能を破壊し、ポンプはただの通り道となった。宗人は凄まじい勢いで魔力を流し込む。限界を超える量の魔力を注入することで、内側から破壊する作戦だ。霧が魔法陣に激しくぶつかり、舞い上がるその様は、まさに、魔力の洪水であった。
リッチが異変に気づき、くわっと宗人を睨み、大口を開ける。
「貴様、何をした!」
リッチが突撃してくる。
しかしリッチの前に師範と翔太が立ちはだかり、力を使って、リッチの顔面を殴り飛ばした。
「お前の相手は、わしだ!」
「お、俺もいるぜ!」
「くそがああああ」
リッチが消える。が、師範には見えているのだろう。吹き飛ばされ、リッチが姿を現す。
リッチがぶつかり、壁が崩れる。リッチは苦しそうに頭を押さえた。
「魔力の量がおかしい。貴様、魔力をいじっているな。なら、こうするまでだ!」
魔法陣から魔力が排出される。宗人は舌打ちした。さすがリッチ。対応が早い。宗人はさらに魔力をぶつけ、排出される魔力を、注入する魔力で押し返した。
しかし、そのやり方は、宗人に対する負担が大きくなることを意味する。肉体が悲鳴を上げ始めた。また、無尽蔵にも思える魔法陣の貯蔵量に絶望した。いつまで、どれくらい入れ続ければいいのか。肉体的、精神的疲労感が、宗人の心身を蝕む。
宗人は大きく息を吐き、神経を研ぎ澄ました。今こそ、力の原点に立ち返るときだ。宗人は自分に言い聞かせた。魔力と一体となることを。柳瀬宗人を魔力にする。魔力を柳瀬宗人とすべきか。いや、そんなことはどうでもいい。何が何になろうと関係のないことだ。今は、魔法陣を破壊するために一体となるのだ。一体に、一体に――。
「見て! 魔法陣が!」
柚子の声で目を開ける。魔法陣に亀裂が入っていた。
「な、何が起こっている。こ、こんなことが!?」
リッチを見ると、ハチに刺されたかのような瘤が体にたくさんできていて、膨張していた。リッチはもがき苦しみ、暴れる。
あと少し。宗人は気合を入れて、魔力を流し込んだ。
魔法陣の亀裂が大きくなる。裂け目が大きくなって、魔法陣が割れ始める。
「あああ、あああああ!」
リッチの絶叫も大きくなった。
そして、一際大きな音を立てて、魔法陣が――割れた!
「ああああああああああああああ!」
リッチの断末魔が響く。膨張していた瘤が破裂し、リッチの体がボロボロになる。
割れた魔法陣は、破片となって落ちる。が、破片は宙で光の粒になって消えていく。壁に張り付くように残っていた大きな魔法陣も、地面にぶつかって、さらに割れ、光の粒となって、消えていった。
「くそが、こんなことが、こんなことがあっていいはずないんだ」
リッチの体は人間の姿に戻っていた。しかし頭部の一部が消え、胴体は足から光の粒となって消えていく。
師範と翔太がリッチのそばに立った。
「だから言ったろ? 貴様は不滅になれない」
宗人と柚子も駆けつけた。
宗人はリッチを見下ろす。リッチと目が合った。
リッチは「ふ、ふふふふふ」と突然笑い出したかと思うと、強い怨みのこもった目で宗人を睨んだ。
「お前と老いぼれは絶対に許さないからな! 必ず、殺してやる!」
「幽霊にでもなって、俺を祟るとでも言うのか?」
リッチの胴体が消え、顔が光の粒となって消えていく。それでもなお、リッチの恨みは消えないらしく、宗人を睨んだまま、リッチは言った。
「そうだ。俺様の名はリッチ。不滅の王様だ。貴様らのはらわたを引きずり出すまで、俺は、何度だって、貴様らの前に現れてやる!」
リッチの恨み節が響き、リッチは光の粒となって完全に消えた。
静寂が訪れる。
翔太は辺りを見回し、言った。
「終わったのか?」
「ああ、ひとまずはな」と師範が答える。
「いやったああ」と翔太が喜びかけたときのことだった。地面が揺れ、空間全体に亀裂が入る。
「と思ったが、試練の間から脱出するまでが、試練のようだ」
師範は肩をすくめると、走り出した。三人は顔を合わせ、師範の後を追って走った。




