体育館の裏
――死者の"悔い"は大きく分けて二つに分かれる。「やり残した事」と「もしも」
もしも……あの時ああしていれば?
――過去の行動とは限らないけどね。君の様に。
ふうん。自分が二つに分類される中に入るのって、何か気に食わないな。
――天邪鬼。
君、日本語上手だね。
+―+―+―+―+
「思い出した?」
あたしを覗き込むユキの顔を見返す。あたしはまだ心の半分をあの真昼間の屋上に置いて来てしまっているようなぼうっとした気分で頷いた。
「思い……出した」
ユウに告白された事。ユウから逃げた事。
いつも自信に満ちているように見えたユウの、頼りない様子を思い出せば、胸が潰れそうになる。
どうして、逃げてしまったんだろう。あんな風に、明らかに傷ついているユウを一人残して。
確かにあたしは驚いていたし、混乱していた。けれどもそれでも、あたしはあの場に残ってユウとちゃんと話をするべきだったのだ。
「後悔してるの?」
言わずもがなな事を聞かないでほしい。それともユキはここで何があったか、あたしが何をしたか知らないんだろうか。でも確かにユキはあたしに「思い出して」と言った。
「ユウ、は……」
あの後どうしたんだろう。あたしたちは、あのあとちゃんと仲直りできたんだろうか。元のようにとまでは行かなくても、友達のままでいられたんだろうか。
ユウの悲しい顔が胸の中に残って内側から圧迫する。苦しくて、声を出す事すら難しかった。まさかあのままだったんだろうか。あれが最後だったんだろうか。
だからあたしは、幽霊としてここに残ってしまったんだろうか。
「アヤはどうしたいの?」
ユキの言葉に、あたしは彼を見上げた。優しい、真剣な目をしていた。手がそっと伸びて、あたしの頬を包む。
「あたし、は……ユウと」
息が詰まる。胸の奥からせり上がって来たものに押されて、ヒックと引き攣った声が出た。
「ユウが、好き、だった」
ユキの目が切なく細められて、あたしの頬に流れる物を指で拭う。こんな風に優しくされる資格なんてあたしには無いのに。
「とも、だちで、居たかった」
しゃくり上げながら言うあたしを優しく撫でながら、ユキが静かな声で囁く。
「本当に、友達?」
ユウがあたしに向けた感情に、答える気は全く無かったのか。
聞かれると分からなくなる。どうなんだろう。あたしはどう思ってるんだろう。もしかしたら、あたしは未だに、ユウのその感情と向き合う事から逃げているんだろうか。
「あ、たし……」
どうすればいいんだろう。どうしたかったんだろう。ただ苦しくて苦しくて、止まらない嗚咽と涙に考えすらも纏まらない。
ああ、あたしは今、ユウを思って泣いている。ユウの悲しい顔を思い出して泣いている。
けどさ、これも結局、自己憐憫なんだよ。ユウっていう友達を失ったかもしれない自分が悲しいんだよ所詮はね。いつだって、あたしは自分の事ばっかりだ。どうしてあたしなんか好きになったのかな。趣味悪いよ、ユウ。
いつの間にかあたしは、ユキの胸の中に顔を埋めていた。微かにユキがユウかもしれないという思いが頭を掠めたけれど、それも涙に溶けてしまう。優しい手に髪を撫でられれば、子供の様に甘えて縋ってしまう。何やってるんだろうね、本当に。
ごめんね、ユウ。ごめんなさい。
最早何について謝ってるのか自分でも分からないまま、頭の中でユウに謝罪の言葉を繰り返して、あたしはユキの胸の中で泣き続けた。
+―+―+―+―+
泣きつかれた頭でぼうっと考える。屋上でのあの出来事の後の事を。本当にあれが最後だったんだろうか。
七不思議はまだ残っている。
屋上に行く前に、あたしたちは約束していなかっただろうか。次に会う約束を。次の七不思議を。
『じゃあ、明後日に。体育館裏に直接集合でいいよね?』
確かに、そんな約束していた気がする。
ならば、あたしはそこに行ったんだろうか。それとも気まずくて、ユウに会うのが怖くて行かなかったんだろうか。いくらあたしでもそこまで酷い人間じゃないと思いたい。
それとも、そこに行くことができずに死んだんだろうか。
「泣き止んだ?」
優しいユキの声が耳元でする。それがくすぐったくて、あたしはようやくユキの胸から体を離した。
「うん。泣き止んだ」
目はしょぼしょぼするし、頭は鈍痛を訴えている。体の無い幽霊だっていうのに随分とリアルな感覚で、却って不便だと文句を言いたくなる。これもあたしのイメージの問題なんだろうけれど。って事は全部あたし自身が悪いのか。
「大丈夫?」
「うん。大丈夫」
オウムの様にユキの言葉に答えながら、促されるままに立ち上がる。
ユキがあたしの髪を撫でて言った。
「じゃあ、次に行こうか」
やっぱりと言うべきか何というか。まだ終わっていないらしい。
「うん」
あたしは頷き、あたしの手を握るユキの手を握り返した。
+―+―+―+―+
向かった先は体育館裏だった。あたしとユウが屋上の次に行くと約束していた場所。あの日の二日後にユウと会うはずだった場所だ。
体育館裏の怪談は、夜中聞こえる筈の無いボールの音が聞こえるという物だった。
ユキと手を繋いだまま来た体育館裏は静かで、当然ボールの音など聞こえてこない。これまでの場所のように、ユウの声を思い出す事も無かった。壁に沿って歩きながら、何か思い出す事は無いかと必死に思いを巡らせても、ここでユウと話した記憶はさっぱり捕まらない。
本当に、あれが最後だったんだろうか。
あたしはここに来る前に死んでしまって、結局あたしを好きだと言ってくれたユウとちゃんと話す事ができないまま終わってしまって、それが心残りで成仏できずに、こんな事をしてるんだろうか。
そう考えて、チリ、と違和感が掠めた。
あたしはここに来なかった。本当に?
ダムダムと、ボールが体育館の床を跳ねる音が耳の奥に蘇る。それと同時に、バスケ部が練習する掛け声も。顧問の先生が激を飛ばす声と、駆け回る足音とが、反響して賑やかで、それが余りに明るく感じられて。
体育館裏で、一人、それを聞いているのがどうしようもなく……寂しかった。
あの時あたしはここに居た。
ここで、ユウを待っていた。
+―+―+―+―+
数分置きに、下手したら数秒おきにケータイを確認した。LINEのプッシュ通知が来ていないか、着信履歴が無いか、メールを受信していないか。今何時か。待ち合わせの時間から何分何秒……何時間、過ぎているのか。
何度も開いては閉じ、連絡先リストのユウの名前を見つめてはまた閉じて、と繰り返すうちに、電池は恐ろしい勢いで減っていった。
こんなんだったら、昨日電話すれば良かった。そんな後悔が頭の中に渦巻く。電話だったら、一昨日逃げた事を反省した時点でしても良かったし、今してもいいのだ。
この前は逃げてごめん。……ちゃんと話したいんだけど、いいかな。
そう言えばいい。そうするべきだった。
だけど告白って、そんなに真剣に考えなくちゃいけないこと? ユウはいつもそっけなく断ってるし。……勿論、逃げたりなんか、しないけど。
ユウはどこまで真剣だったんだろう。
……見たことも無いくらい、傷ついた顔をしていた。
怒ってるんだろうか。傷ついてるんだろうか。どうせあたしが来ないだろうと思ってるんだろうか。どうして来ないんだろう。
もしかしたら、単純に今日の約束を忘れてるって、それだけかもしれないし。
そんなのここで考えてたってどうしようも無いんだから電話をすればいい。全部ユウと話せば分かる事なんだから。
なのに、通話ボタンが押せない。
もし、ユウが出なかったら? その時は仕方ない。いくらケータイだからって、必ず着信に気付くという物でも無いし。着信履歴を見たユウがそのうち折り返しで電話をくれるかもしれないし。
でも電話が来なかったら?
着信拒否されてたら?
そもそもユウが約束を忘れて、ずっと気付かないなんてことあるだろうか。あたしが来ないかもしれないからって、約束をすっぽかすなんてことがあるだろうか。ユウは、そう言う人じゃない。
だったら、やっぱり怒っていて、あたしが嫌になって、だから来ないんだろうか。それだって、ユウがそんな事するとは思えないけど、もしかしたらそれだけ傷ついて怒っているのかもしれない。
出口の無い思考は頭の中を行ったり来たりと、同じ事を繰り返し繰り返し反芻する。同じ事を考えながらも、時間が経てば経つほど、それは重く暗くなっていくようだった。終いにはブラックホールのような黒い塊になって、全て吸い込んであたしの中にぽっかりと大きな虚を作ってしまいそうだ。
そうやって結局電話を掛ける事もできずにいた。やがてケータイの電池が切れて、確かめることすらできなくなる。何もできず蹲り、どのくらい経った頃だろうか。誰かの足音が聞こえた。
慌てて立ち上がり、近づいてくる足音の正体を確かめる。何度もこうやって期待しては、単なる空耳だったり、明後日な方向へ向かって行く人の足音だったりと、がっかりしてばかりいる。それでも足音が聞こえる度に、顔を上げずには居られなかった。
今度は間違いなく、あたしの方へと歩いてくる足音だった。けれどもユウじゃない。絵の具で汚れた白衣を着て、ポケットに手を突っ込んだまま歩いてくる。美術部の顧問の先生だった。
あれって危ないからって、小学生の頃に散々注意された記憶があるんだけどな。大人になったらいいのかな。
ぼけっとそんな事を考えて、それから、カッと唐突な羞恥に襲われた。
見られた。一人で居る所を。ユウに見捨てられて、寂しく待っている所を。
あたしとユウがもう友達じゃないと、知られてしまった。
衝動のままに踵を返し、逃げようとした。けれどもその背に、先生の声が掛かる。
「風間。随分探したよ」
名前を呼ばれて、探したとまで言われて、それでも逃げる事はできなかった。振り向いて先生に向き直る。
「よくあたしが学校来てるって分かりましたね」
「ああ、家に電話してな。風間が学校に行くって家を出たって聞いたから。お母さん心配してたよ。美術室に居ないんですかって」
家で七不思議巡りの事は話していなかったから、学校に行く、と言えば美術室に行くと思うのはお母さんにとって自然なことだったろう。
「……そうですか」
家に帰ったら、どうして美術室に居なかったのか、どこに居たのかと聞かれると思うと気が重い。体育館裏で一人ユウを待っていたなんて、誰にも言いたくない。かといって適当な嘘も思いつかない。
もう、考えたくない。
「風間。今日はもう帰ろう。家まで送るよ」
「……はい?」
何言ってんだろう、この人。送るって言った?
「今日は私ももう帰るから。ついでに風間も送るよ。家までのナビは頼めるかな?」
「え、はい。え? あの、送るって、あたしをですか? 車ですか?」
「うん。車だけど?」
あたしは慌てて首を振った。何だろうこの展開。どうしてこうなった?
「車で帰るような場所でも無いですし、帰れって言うんだったら自分の足で帰ります。そんな、送ってもらうなんて」
「いや、風間に話す事もあるしね。私の車が抵抗あるんだったら、養護教諭の榊先生に頼もうか?」
何そのナチュラルなネガティブ思考。人の事、あまり言えないけど。そしてどうしてサキちゃん先生まで出てくるんだ。
この状況、何か普通じゃない。
「ニーナ先生の車が嫌なわけじゃ無いです。けど……」
「悪いね。じゃあ、大人しく送られてくれるかな? ……家に着いたら、説明するからさ」
「……はい」
先生の口調にこれ以上は反論できない物を感じて、あたしは頷いた。
+―+―+―+―+
元々徒歩通学の距離である。家まではあっという間だった。家の前の道路に車を横付けにした先生は、そのままあたしの家のインターフォンを押した。インターフォンの受話器を取る事すらせず、いかにも慌てて、と言った様子でお母さんが玄関の戸を開けた。あたしの姿を確認して、くしゃりと顔を歪める。
「あんたはもう、心配させて……!」
どうも本気であたしの身を案じていたらしいお母さんに驚く。そんな焦らせるような時間じゃない。ちゃんと学校に行くと伝えていたのだし。
「あの、すみません、お母さん、わたくし、美術部顧問の仁科と申します。本来その、担任から説明すべきこととは思いますが、一応、夏休みという事もありまして、風間は美術部員でございますし、わたくしが学校に居たという事もありまして」
授業を聞いていて前から思っていはいたんだけど、ニーナ先生はあまり説明が上手くない。ちょっと混乱すると言葉がグダグダになる。
「ええと、つまりそのですね。風間と話す時間を、少々頂けないでしょうか。あのもしかしたらその後もお時間頂く事になるかもしれませんが」
混乱したニーナ先生の言葉に、お母さんはやけに真剣に頷いた。どうでもいいけど、お母さん相手にあたしを風間、と呼ぶのは有りなんだろうか。お母さんだって風間だよ。先生。
「……学校から、連絡は受けております。仁科先生にはお世話になります」
「いえ……その」
あたしは今になって気付く。先生の手は震えていた。小刻みに微かに。良く見れば、何か泣きそうな顔をしていないだろうか。先生は基本的にハの字型の眉毛の、ちょっと情けない顔つきをしているけれど、いつもよりも眉尻が下がっている気がする。
先生は、その情けない顔のまま、あたしに向き直って膝を折った。先生の目線が、あたしよりも少し低い位置になる。
「先生?」
何だろう。話って何だろう。嫌な予感がする。何でこんなに改まってるの?
「あのな、落ち着いて聞いて欲しいんだ」
その前置きはさ、逆に不安を煽るだけだよ先生。早く本題を言ってよ。
思っても口には出さず、ただ頷く。
「秋月がな、交通事故に、あったらしいんだ。あ、いや、あったんだ」
ニーナ先生、今、何て言った?
「午前中病院に運ばれてな? 手術を受けて、集中治療室に、入ったという話までは、聞いている。意味、分かるか?」
意味って何の意味? あたしはどこまで理解すればいいんだろう。
今日の待ち合わせは十時だった。午前中に運ばれたって、じゃあ、ユウは学校に行こうとして、それで事故にあったのかな? ユウが手術受けてる間、あたしはずっとケータイを弄ってうじうじ考えてたんだ。
なにそれ。
「風間が行きたいと言うなら、これから秋月が居る病院に連れて行く。行きたいか? 無理しなくていいぞ? 秋月にはもうご両親が付いてるから。風間はずっと外で待ってたもんな? 疲れてるだろ?」
行って欲しいのか行って欲しくないのかよく分からない先生の言葉を半ば聞き流した。答えなんて考えるまでもない。
「行く」
そうか、と頷いた先生について行って、再度車に乗り込む。
どうなってるんだろう。今は一体どういう状況何だろう。ユウの手術は成功したんだろうか。ニーナ先生何て言ったっけ。手術は終わったっていう感じだったと思うんだけど、ちゃんと思い出せない。もう一度聞いてもいいのかな。聞けば分かる?
ユウは助かるんですか?
助からないわけが無い。だってこのタイミングで死ぬなんて、有り得ない。ドラマじゃあるまいし。いくらユウが美人で主人公っぽいからって、それはない。そもそも主人公がこんな簡単に死んじゃ駄目だろう、どう考えたって。
だから大丈夫。きっと大丈夫。
けれども、あたしとニーナ先生が病院に着いた時には既に、ユウは息を引き取っていた。
+―+―+―+―+
涙は流れなかった。
病院の待合室で、ユウの両親からユウの死を聞かされた事を思いだしても、さっき散々流した涙は、もう枯れてしまったかのように出てこなかった。
ユウは、死んでいた。あたしより早く。
「何で?」
口から零れ出たのは、そんな言葉だった。
「何で、ユウが死んだの?」
だっておかしいでしょ? 何でユウなの。有り得ない。
「事故だよ」
仕方ない、とでも言いたげなユキに思わず手を振り上げて、でもそれを振り下ろす事はできずに下げた。
「本当に事故?」
「事故だよ。どうしようも無かった」
「何で?」
「何でって……」
「トラックが突っ込んで来たんでしょ? 避けられなかったの?」
「無茶を言う……それに」
「何で死んだの?」
「アヤ、落ち着いて」
「戻って来てよ」
「アヤ」
「魔法使いなんでしょ? 生き返るくらい、できるでしょ?」
「アヤ……」
「小母さんも小父さんも泣いてたよ。ユウのお葬式、何人の人が来たと思う?」
「僕は」
「ユウは死んだらいけなかったんだよ」
「……」
「どんなに酷い事か、分かってる? ねえ」
無茶苦茶な事を言っていると自覚していた。けれども駄々っ子の様な言葉は止まらくて、拳を握りしめた手は力なくマント越しの細い体を叩く。
「最低だよ、ねえ、もう止めてよ。帰って来てよ。死んじゃうなんて、有り得ないよ」
銀髪の魔法使いはあたしに叩かれるままにそれを受け入れて、小さな声で呟いた。
「ごめん……ごめん、アヤ」
か細く消え入りそうなその声に、全身から何かが抜け落ちてく様な気がした。
そうか、戻れないんだ。いくら魔法使いでも、駄目なんだ。
「ユウの馬鹿」
あたしの呟きに、彼は悲しく微笑んだ。
「そうだね。……ごめん」
ああ、やっぱり彼はユウなんだ、と、冷静な部分を取り戻しつつある頭の一部が呟いた。
+―+―+―+―+
しばらく経って冷静になってくると、色々と聞きたい事がある。
「何で魔法使いになってるの?」
ユウは芝居がかった仕草で唇に指を当て、
「秘密」
と言った。こういう仕草が絵になる所が凄い。
「っていうか、ユウも幽霊だよね?」
「まあね」
「何で旧図書館に居たの?」
「それについては最初に答えたじゃないか。アヤに会うため」
「……それで納得しろと?」
「事実だよ」
ふむ。そもそもあたしが何で旧図書館に行ったのか。その理由だって、今思い起こせばユウに会いたかったからなんだろう。
『僕がもし死んで幽霊になるとしたら、図書館の主になりたいものだね』
古い本に囲まれて、開かずの扉の奥でひっそりと本を読み続けるなんて素敵じゃないか、とふざけた事を言っていたのだ。コイツは。それで実際に死んでしまうのだから洒落にならない。
「その恰好、いつまで続けるつもりなの?」
銀髪に菫色の目に、黒マントの魔法使いスタイル。目鼻立ちは元のユウとあまり変わらないけれど、落ち着かない。
「だってこれがアヤの理想だと思ってたから。初めてだったじゃないか。人物をメインに描くの」
「だから何。そもそも何で他人のフリするかな。趣味悪い」
最初からユウがユウと名乗ってくれていたのなら、あたしは無駄に悩まなくて済んだはずだ。
「それはほら、もう一度出会ってデートしたい、ってね」
デート!? その単語に驚愕する。デート。あれが、デート?
「それを言うなら、二人で出かけてた時の方が、よっぽどデートっぽかった気がするけど……」
「それは友達としてのお出かけだろう?」
「友達より他人の方がいいの?」
「さてね。今のアヤには分からないと思うからそこはあまり気にしないで」
馬鹿にされている様な事を言われたけれど、あたしはもうそこに深くは突っ込まない事にした。こうやって、ユウがあたしを好きだと言う事を普通に話題にしているのは、ちょっと変な感じがする。
どうしてこれを、生きてる間にできなかったんだろう。
「これからあたしたち、成仏するの?」
今のあたしには、思い出すべき事を全て思い出した、という感覚があった。七不思議には一つ足りない。けれども元々、ユウと集めた七不思議は六つしか無かったのだから、これでおしまい、が正しいだろう。
まだまだ聞きたいこと、不思議な事はある。アルというあの猫は一体なんだったのか。魔法何て不思議な力をどうやって身に着けたのか。ユウもあたしと同じで、全部忘れたところから思い出すまでを誰かに導かれながら辿ったのか、とか。
「成仏か。それもいいかもね」
ユウはそう言って笑って、あたしの髪を撫でた。そのままその指が、つうっとあたしの首を辿って撫でる。
妙に艶っぽい仕草に、あたしは思わず身を強張らせた。
「ユウ?」
「僕に残った悔いはね」
あたしの顎のラインをゆっくりとなぞりながら、ユウがぽつりと口にする。まるで独り言のような口調だったけれど、それは確かにあたしに聞かせるための言葉だった。
「"やり直したい"だった」
「……やり直す?」
何を?
「うん。……ほんの少し、違うだけで、きっと違う結果を得る事ができる筈なんじゃ無いかって、それを試したかった」
ユウの言っている事が分からない。これは、あたしに関わる事なんだろうか。
「僕にはどうしようも無い事の所為で、どうしようも無く欲しいものが手に入らないって。生きてた時には諦めたつもりだったんだよ。それなのにね。結局諦められてなかったし、死んでも悔しくてならないくらいに、結局それが欲しかった」
「ごめん、ユウ、何の事だか」
「分からなくていいよ。ねえ、アヤ」
「うん?」
「僕は最後まで、君にとって友達でしかないのかな?」
あたしはユウの綺麗な顔を見上げた。これは屋上の場面のやり直しなんだろうか。やり直したいことはこの事だったんだろうか。あたしが逃げた所為で最悪な形で終わってしまったあたしたちの関係に、きちんと形を与える為に。
だとすれば、それはあたしの"悔い"と同じなんだろう。
あたしは、ユウの気持ちに答えるのか、そうじゃないのか。最初から考えて、向き合って、答えを出すべきだったのだ。
思い出してからずっと、考えていた。迷っていた。けれども、こうしてユウに正面から聞かれれば、答えは自然と出てくる。
「ごめん。あたし、ユウの事、友達としか思えない」
意図せず、それはユウのお決まりの断り文句に近い言葉になった。あんまりにそれを聞き続けたから、脳に焼き付いてしまっていたのかもしれない。ユウもそう思ったのか、苦笑いで、
「自分で聞くと堪えるね」
と言った。
「でも、大好きだよ。あたし。ユウの事」
それじゃあ駄目なのかな。駄目なんだろうな。辛そうな顔してる。それでも優しいユウはあたしの頭を撫でて、
「うん、知ってる。ありがとう」
と言うのだ。
どうして、こんなに素敵なユウが、あたしを好きになったんだろう。
ユウはあたしを見て切なく笑って、それから決意したようなすっきりした顔になった。
「アヤ。最後の最後まで、僕に付き合ってくれてありがとう」
「ユウ?」
何だろう。この、最後の別れみたいな言葉。
「僕を気まずいまま終わった事をあれ程泣いてくれた事、嬉しかったよ。僕の死を悼んで怒ってくれた事も、僕に会いに旧図書館まで来てくれた事も、何もかも」
「それは、あたしも」
死んで自分を忘れて迷うばかりだったあたしを導いてくれた。感謝するのはあたしの方だ。
「君の事が好きで、君が欲しくて、だから連れて行きたいと思ってた」
「付いて行くよ。どうせ行く場所は一緒でしょ?」
「違うんだよ。君は帰らなきゃ」
「帰るって、どこに?」
「大丈夫。僕が手を放せば、君はそこに自然と帰れるはず」
「どういう事? 手を放すって、ユウ、一緒に連れてってくれないの?」
ユウのマントを掴み、放すまいとするあたしの手をユウは丁寧に解す。
「もう分かってるんじゃないか? アヤ、君は死んでない」
「嘘言わないでよ。あたしは幽霊でしょ? ユウが言ったんじゃない。あたしは死んでるって」
「僕は元々嘘つきだよ。忘れたの?」
ユウに解かれた手は、いつの間にかユウと指を絡め合うように手のひらを合わせていた。あたしは放すまいとその手を握りしめる。
「だったらそれでいい。それでも一緒に行く。ユウ、あたしを連れて行きたいんでしょ?」
正しくは、連れて行きたいと思ってた、と言ったのだ。過去形だった。
もう、ユウはあたしを連れて行く気が無い。置いて行かれてしまう。
「死んでしまうのは酷いことだって、僕に言ったのはアヤだよ。それなのに、自分が同じ事をするの?」
「あたしとユウは違う!」
沢山の人に愛されて、輝かしい未来があった筈のユウと、あたしが一緒である筈がない。
何でユウだったんだろう。何であたしじゃなかったんだろう。
ずっと、ずっとそう思っていた。
「違くない」
ユウが優しい声で言う。
「アヤ、お願いだから、僕の好きな人をそんなに貶めないで」
こんな時まで、何て事を言うんだろう。何も言えなくなってしまう。あたしにそんな価値なんて無いのに。
「バイバイ、アヤ、ありがとう」
ユウの姿が揺らめいて、銀の髪が菫色の目が黒に変わる。殆ど同じ造作の顔も、僅かずつ異なって、ユウ本人の顔になる。綺麗な顔。誰よりも憧れた顔。
その顔が、にっこりと、曇りのない笑顔を浮かべて……
消えた。
真っ暗闇の中に残される。
もしかしたら、消えたのはあたしの方だったのかもしれない。周りにあったはずの学校は陰も形もない。皮膚の感覚すらも茫洋として、途方に暮れる。
けれども不意に、何かに引っ張られるような感覚を手の平に感じた。それに引かれるままに行けば、手の平から始まってやがて全身に、確かな感覚が戻ってくるのを感じた。
空気を吸う。まぶたを開ける。それと同時に、目尻から濡れた感触が零れて行くのを感じた。
「文!」
目一杯に涙をためた両親がそう言ってあたしの顔を覗き込み、歓喜の声を上げた。白い背景。どうもここは病室らしい。
ふみ、そう言えばそうだった。あたしの名前は文なんだよね。これをアヤと呼ぶのはユウだけだった。
もう、あたしをそう呼ぶ人は居ない。
あたしは、ユウの居ない世界に帰還した。




