全てを知ってはいけない
無事戻れたかな。
――そのようだよ。
そう。なら良かった。
――……ちょっと気になるんだけど
何が?
――足りなくないかい?
ああ、七不思議?
――そう、明らかに六つしか無いだろう。
いいんだよ。
――何で。六つじゃ七不思議とは言わないだろうに。
知らないの? 七不思議のセオリーを
――は?
七不思議を七つ全部知ってはいけない、ってね。知ってしまうと何かが起こるらしい。
――何が?
何かが。
――つくづく、適当だね。それで六つまでしか調べなかったの?
御明察。ほら、案外怖がりだから。あの子
――それ、本気で自由研究として提出するつもりだったの?
どうかな? そもそも任意だったし。読書感想文と好きな方を選べた。
――ちなみに、君は、読書感想文は?
書いてあったよ。僕もアヤも
+―+―+―+―+
黒猫が尻尾を揺らして呆れたように鼻を鳴らす。小さい子猫なだけに、それは生意気な少年らしい仕草にしか見えない。本人曰く、僕よりずっと歳をとっているらしいけど。
「良く分からんね。君らは」
黒猫、アルがやっぱり少年の声にしか聞こえない可愛い声で言った。
「まあ、自由研究の名目で校内を歩き回りたかっただけだから」
「デートに敢えて学校を選びはしないだろう。普通」
「アヤはデートだなんて全然思って無かったし」
「遊ぶ場所にも学校は選ばないだろう」
「そうでもないさ。それに学校にばかり遊びに行っていたと思われるのは心外だ。それなりに普通の遊びにも行っていたさ。ただ、あまりに頻繁だと、筋金入りのインドア派のアヤがすぐにへばるから」
「学校ならいいのか……」
「美術室に絵を描きに行くからね」
「分からん……」
「分かって欲しいなんて言ってないさ」
僕は逆に、僕とアヤの事は誰にも理解してほしくなかった。二人だけの閉じた世界を作って、そこに閉じ込めてしまいたいと思っていた。
結局、手放してしまったけれど。
「しかし、よく手放したね。本人が一緒に行きたいとまで言ったのに」
「よっぽど連れて行こうかと思ったけどね」
「彼女が君の恋人になる事を了承したら連れて行ったのかい?」
「さあ? そうかもね。分からないや」
結局最後まで振られっぱなしだった。
「案外自信あったんだけどな……」
思い出せば、結構落ち込む。最後には彼女の恋愛感情を手に入れる事ができると思っていたのに。
「だから言ったじゃないか。可能性は低いと。多少の認識は歪められても、過去の感情は変えられないんだ」
「それだけでも上手くいくと思ってたんだよ。」
死んだ僕は、どうも普通よりも強い"悔い"を持っていたらしい。何となくふらふらして、何かを渇望しながらそれが何であるかも分からずにいた。そんな中、どこからともなく現れたアルにいきなり迷子認定された僕は、その"悔い"を清算しなければならない、と生意気な黒猫に言われた。
そうして「思い出した」。僕の望み。
アヤが欲しい。
それだけだ。
我ながら自分らしくも無いくらいに純で甘酸っぱい恋をしたものである。傍に居られるなら友達でいい、だなんて、いっそ寒気がするほど健気ではないか。それで結局健気を貫けずに告白した挙句、振られる事すらなく逃げられて、挙句その後ちゃんと話す事もできないまま死ぬだなんて、間抜けにも程がある。
これが"悔い"ずにいられようか。
「そもそもさ、アヤに恋をしてるって気付いたのは僕にとっても衝撃だったんだよ」
「え? ああ、恋愛を馬鹿にしてたって奴かい? 若いね」
どう高く見積もっても十歳以下の少年の声としか思えない声で話す小さい子猫に言われるのには、果てし無く違和感がある言葉である。
「それもあるけど、普通思わないだろう? 自分がアブノーマルだなんて」
「……今更?」
「僕は自分の事、"僕"とか言っちゃうけど、それは単なるキャラ作りだし」
「将来黒歴史って言われるパターンだね」
「お? 中々日本文化に詳しいね? ほら僕、一部じゃ"中二病"ってあだ名つけられてたし」
「……そうかい」
結構真剣に悩んでいた。標準より美しく、身体能力にも脳みそにも、家庭にも不満が無い……つまり産まれ持った物に満足していた僕にとって、アヤへの恋は初めて「別の自分になりたい」と思わされた経験だった。
それも、切実に。
「僕が男だったら絶対に手に入れたのにってさ、思うだろう?」
「同意を求められても困る」
「僕はアヤの処女を奪う事すらできないんだって、絶望したよ」
「僕はあの子の為に、君が女で良かったと心から思ったよ。今」
そうかもねえ、と僕はくすくす笑ってしまう。あの子は多分思ってもみないんだろう。自分に恋をしていた親友が、愛する人を閉じ込めてしまいたいと思う位には歪んでいた事を。性的な欲求も勿論あったけれど、それよりも寧ろ自分の痕跡をあの子に残したい、と思っていた。消えない様に、深く、深く。
友達でもいいから傍に居たいと言う健気さの陰でじっとりと育っていたそれが溢れだす前に僕が死んだのは、アヤにとっては幸運だったのかもしれない。
「でも僕、結局はアヤの泣き顔に弱いんだよね」
美術室でアヤが泣くのを見ていなければ、僕は今頃アヤを此処に連れてきていたかもしれない。彼女の肉体を亡骸にして。
それともやっぱりできなかっただろうか。彼女の気持ちが恋じゃないから。僕の求めるものと違うから。
やっぱり僕って結構乙女だよね。
僕の"悔い"を清算するために協力すると言ったアルに僕は、アヤの事を話した。
告白して返事も無く逃げられたままだった事。
そして、同性である事。
最初は、僕とアヤが最後の話し合いをする場を設けようと、それだけだった。少なくともアルの提案はそうだった。
けれども話すうちに、アルの力があればもっと何かできるんじゃないかと思い始めたのだ。
アルは、僕の様な幽体が、現実の物に影響できるようにする事ができる。
その場の幽体の思念や場の記憶から、現実の物を生きているかのように動かす事ができる。
生きた人間の魂を、幽体として呼び寄せる事ができる。……ただし、これは生者の方も死者に強い想いを向けていないと成功する確率は低いらしい。
そして、生者の魂にある程度の影響を与える事ができる。
加えて、幽体である僕自身が少なくとも見た目について言えば結構自由が効くことがわかり、僕は今回の計画を思いついたのだった。
元々、アルの能力の四番目、「生者の魂へある程度の影響を与えることができる」という能力がある理由は、僕のように強い"悔い"を残した人間の中に、「もしも」の人間関係を体験する事を求める人が多いからなんだそうだ。
『君が彼女と恋人同士である「もしも」を求めるなら、僕はそれを提供する事ができる。けれども、それは彼女に「秋月優と恋人同士である」と感じるように認識と記憶を歪めるだけで、彼女がそれで君に恋愛感情を持つ可能性は低い。しかもこれをあまりにやると生者に負担をかける。肉体との分離が激しくなって肉体に影響だ出るんだ。彼女を殺したくないなら、あまりお勧めはしない』
結果的に、僕はアルのこの能力を余すことなく使わせた。その負担でアヤが死ぬなら、それはそれでいいかもと思っていたのだ。いっそ一緒に連れて行こうかと。
僕がやりたかった事は、アヤ本人にも言った通りの「やり直し」。アヤの記憶を奪って、一緒に男の僕との思い出を辿ってから、男としてもう一度アヤに告白する。
アヤの思い出の中の僕を男にできても、その中でのアヤの感情は変えられないとアルは言う。だけれど、僕との思い出の中に、無意識にでもアヤの恋心が混入していれば、男の僕の再度の告白に落ちてくれるんじゃないかと思っていた。
周りくどいと言うなら言うがいい。まあ、アヤを限りなく僕に関わる部分だけにしたい、という思いもあったんだけどね。愛する人を自分に関わる部分だけ残して削り取って愛でたいって誰しも一度は考えると思うんだ。
結局振られちゃったけど。でも付いて行くと言ってくれた事は嬉しかった。嬉しすぎて連れて行けない位に。
自分が歪んでる自覚は充分あったけれど、そんな風に結局彼女を生かす事を選んでしまうなんて。案外僕もまともだったんだな、と笑えてくる。
「今回の件、アヤの魂に焼きついたかな」
この体験をアヤが夢のように忘れる事は無いとアルは言う。生きて体験したことと同じく記憶に残るそうだ。最も夢だと思いこまれる事が多いらしいけれど。
学校の中に少しずつだけ痕跡に、アヤは気付くだろうか。
「さあね? まあ、あの子はそう簡単には忘れないんじゃないか?」
「ふふ……体じゃ無くて魂に痕跡を刻んだと思えば、結構気分いいよね?」
「……なんで、僕の仕事相手は君みたいなのばっかりなんだろうね」
強い"悔い"を残す死者なんて碌なもんじゃない。とアルが愚痴る。その死者本人を前にしてよく言ったものだ。
「さて、ユウ。雑談も終わりだ。君もそろそろ行かなきゃね」
「はいはい」
僕はアルに促されるまま立ち上がる。旧図書館の奥の小さな部屋に満ちた青い光が消えて行くのと同時に、僕の体も透けて薄くなっていく。
これから僕は輪廻の輪の中に還るのだろ言う。
「次の人生はどんなだろうね」
返事を期待せずに言う僕に、意外にもアルの答えが帰って来た。
「何かリクエストがあるかい?」
「そうだねえ……」
次は男として産まれたい、とか? ノーマルであれアブノーマルであれ、男として生きるのは愉しそうだ。まあ、女の人生だって、楽しかったけどね。
でもまあ、結局は
「次も恋ができればそれでいいかな」
「僕は君の恋の相手の事を思えば素直に賛同できないよ。まあ、いい。リクエストは聞いたよ。受理されるかは別だけど」
「それはどうも。あ、そうだアル、ついでに一つ頼まれてくれるかな?」
「ええ?」
「大したことじゃないんだ」
そうして僕が口にした頼みごとにアルは、猫の顔に器用にも渋面を作った。
「どこがついでだよ! 君は本当に最後まで手が掛かるな!!」
あ、これは引き受けてくれるんだな。と結構お人好しな黒猫に微笑む。僕の今回の件は彼の仕事の中でも随分面倒なものだったろうに、文句を言いながらも最後まで付き合ってくれた。きっとこの頼みごともやってくれるだろう。成功するといいんだけど。
ああ、反応、見たかったけど。でも、想像するだけでも楽しいから、まあいいか。
それを最後に、意識は融けて行った。
+―+―+―+―+
あたしは原因不明の昏睡状態にあったらしい。
いくら叩いても呼んでも目覚めない両親はあたしを病院に連れて行き、そのままあたしは入院したらしい。何と丸三日間眠り続けたとかで、一晩の事だと思っていたあたしは驚愕した。一体どこでそんなに時間が掛かったのだろう。
目覚める少し前の一時は、心停止しかけるという危機的状態だったらしい。
きっと、ユウに連れて行ってと懇願していた時だと思っている。
両親に泣きながら縋りつかれ、あたしは自分がしようとしていたことがどんなことだったかをやっと理解した。死ぬのは酷い事だ。本当に。こんなあたしでも、こうやって泣いてくれる人が居るんだから。
それからは、腫れ物に触るかの様に扱われながら過ごした。ユウが死んでからのあたしは傍目に見てても不安定だったらしく、ずっと心配をかけていた所にあの昏睡事件だ。両親のみならず、周り中、あたしに対する態度が戦々恐々としている。努めてなんでもない風に接しようとしている感じがまた何とも申し訳ない。
もう大丈夫。
そう言ってもいまいち信用されない。昏睡状態に陥る前も、あたしは大丈夫を連呼していたから当てにならないそうだ。今度こそ本当に大丈夫なんだけど、と思うけど根拠は、と聞かれると返答に困る。
夢を見たから。だなんて言っても逆に心配されるだけだろう。昏睡状態にある間、ずっとユウの夢を見てました、何て言ったら、精神科に連れて行かれかねない。それは嫌だ。今でさえ、遠慮がちに「カウンセリング受けない?」言われるのである。勿論お断りしている。カウンセリングならあの夢で十分受けたからもう大丈夫なのだ。
うん。自分でも客観的に考えると、それって結構危ないような気がするけど。でも大丈夫だ。大丈夫。
退院してから数日が経ち、やっと許可が下りたあたしは、学校に出かけた。目的地は勿論、美術室である。魔法使いの絵は完成していない。
美術室の扉を開ければざっと数人分の視線が一斉にあたしに向き、いくつかが気まずそうに逸らされた。ニーナ先生が相変わらずの気の弱そうな笑顔で「久しぶりだね」と言う。
「風間。もう大丈夫なの?」
イーゼルの前に座った状態で状態を捻ってこっちを見ている部長が、筆をひらひら振ってそう言った。
「はい。大丈夫です」
「そうかいそうかい。自殺したって噂が流れてるけど本当?」
瞬間、美術室全体にピリ、と張りつめた空気が満ちる。苦笑してしまう。部長、相変わらずだ。
自殺。あのままユウに付いて行ったら、自殺になっていたんだろうか。本質的にはそうだろう。あたしはあのまま死んでしまいたかったのだ。ユウを失ったのが辛くて堪らなかったのは事実だけど、あの時のあれは空気に呑まれていたのもあるだろう。
でも、あたしは自傷行為も自殺も行ってはいない。
「いえ、違いますよ。ほら」
何となくあたしは手首を向けて部長に見せる。リスカしてませんアピールである。
「睡眠薬を飲んだという説が濃厚だよ?」
睡眠薬か。
「それは飲んでないという証明ができませんね。飲んでませんという言葉を信じて下さい」
「よしよし。信じてあげよう」
部長はにっこりと憎めない笑顔を浮かべてそう言って、あっさりとキャンバスに向き合いそちらに集中してしまう。どこか張りつめた美術室の空気が僅かに弛緩した。
あたしはチラチラと向けられる視線をやり過ごしながら自分のイーゼルを運んだ。ユウのお蔭で、というか所為で、というか、視線をやり過ごすのは少しだけ得意になった。
運んだイーゼルの正面に回って自分の絵を見て、あたしはふと目を見開いた。
描かれた魔法使いの背後、本棚に並ぶ本の背表紙。その中に、指紋が付いている。乾き切っていない絵の具に、指で触れた。そんな跡だ。
これは、あの夜あたしが触れた跡ではないだろうか。
心臓がどきどきと脈打つ。あれは夢じゃ無かったんだろうか。本当にあたしは幽霊になってユウとこの校内を歩いたんだろうか。
しばし迷ったあたしは、
「スケッチに行ってきます」
とスケッチブックを取り出した。部員たちの、「え? イーゼル出したのにスケッチ?」とでも言いたげな視線と、ニーナ先生の「あ、うん」という微妙な返事を背に、美術室を出た。
+―+―+―+―+
音楽室、屋上、体育館裏には何も無かった。音楽室も屋上も、わざわざ職員室に行って、不審がられながらも説得して鍵を借りたと言うのに、空振りである。残念だ。特に屋上は先生が付いてきそうになって、必死で断った。あたしが飛び降りるとでも思ったんだろうか。……そう思われていても不思議ではない。結局先生は屋上前の扉まで付いて来て、とても微妙な空気のまま鍵を返した。
けれども、ニノ君の足元ではブロンズ製の木の枝……薪だろうか、を見つけた。像が背負う薪はやっぱり溶接された鉄の塊で、一枝が落ちる様なものではない筈。きっとあれだ。ここでニノ君が転んだ時、回収しそびれた一枝何だろう。
それにしたってこの残り方は随分とわざとらしいけれど。わざとなんじゃないだろうか。あたしに、夢じゃないって知らせる為に。
これもまた職員室で借りて来た鍵を手の中に握りしめて、あたしは旧図書館へと向かった。
鍵を開け、重たい扉を開いて中に入れば、締め切ったカーテンの所為で昼間も薄暗い空間が広がる。静かなその空間を歩くことに何故か後ろめたさを感じながら例の「開かずの扉」の前まで来た。
深呼吸し、ドアに手をかける。多分開かないんだろうな、と心に予防線を張りながら捻ったドアノブはあっさりと回って、これまたあっさりと開いてしまった。これでは図書館の主の怪談は消滅してしまうのではないだろうか。
小部屋の中はあの時のように青い光に満たされてはいなかったけれど、机も椅子も棚も、あの時見たままだ。けれども、違う点が一つ。
机の上には、丁寧に畳まれた黒い布と、指揮棒が置いてあった。
ユウが身に着けていたものだろうか。黒い布は何の変哲もない黒い布だし、指揮棒は指揮棒だ。例えそれがマントとステッキだとしても、これをユウが身に着けていた可能性は低い。
だってユウも幽霊だったんだから、服装だってイメージで作っていた筈。それが物体としてこんな風に残るのはいくらなんでも変だろう。だとしたらこれもあたしに発見させるために残したんだろう。あたしがここに来なかったらずっとここに残すつもりでだったんだろうか。
あたしはその二つを手に取って、小部屋を出た。マントとステッキを抱えてドアを閉めようとした瞬間さっと足元を黒い何かが通り過ぎた気がして硬直する。慌てて振り返って目で探すけれど、その黒い影を見つける事はできなかった。本棚の列を呆然と見つめる間にドアが閉まり、ドアノブがカチャリと音を立てる。あ、閉めちゃった、と特に理由も無く焦ってしまい。あたしはもう一度ドアを開けようとした。
開かない。
さっきはあっさりと回ったドアノブも、回る気配が無い。ぎょっとして腕の中のマントとステッキを確認すれば、まだちゃんとそこにあった。
どうやらユウは、図書館の主の怪談を消したくないらしい。
ユウらしい。
そう思ったら、どうしてか涙がこぼれて来た。
マントを抱えて、開かずの扉に背を預けて流れる涙が収まるのを待つ。涙が止まったら、一回鏡で顔を確かめて、それから美術室に戻ろう。そしてあの絵の続きを描こう。
この先もまだユウを思い出して悲しくなる時もあるだろう。そうして段々と、ユウの為に泣かなくなって行くんだろう。
それでも決して忘れはしない。
死んでからもあたしを好きでいてくれてありがろう。
夜の学校の、あの時間をくれてありがとう。
さよならユウ。大好きだったよ。ずっと大好きだよ。
あたしは、届くか分からない言葉をそうして呟いて、自分で恥ずかしくなってちょっと笑った。




