三人称文
さて、最後になりました三人称文は、皆様がもっとも慣れ親しんでいるものでございましょう。三人称とはご存知の通り、「彼、彼女、登場人物名」などの第三者を表すものでございます。
実は三人称によって書かれた文章はあまりにその数が多いため、さらに主観と客観による細分化などが為されておるのですが、こたびは割愛させていただきましょう。更なる分類法などもあって、ほじくり返すときりがない。
一番基本のことだけを申し上げますれば、これこそが創造神様を歴然たる神と広く知らしめ、登場人物たちとは別次元の、人格を超越した創造世界の絶対支配者として君臨せしめる文章作法であるという事でありましょうか。
実は今回、私めがここまでの案内を務めさせていただきましたのは、『三人称の神が一人称で語るとか、おもしろくね?』という、創造神様の芸人気質によるものです。ここで言う神視点というものを、細分化による神視点と混同なさらぬようになさってくださいね。あくまでも三人称文での立ち位置の話でございますよ。
私がなぜ三人称文の中で神と呼ばれるか、それは全てを知る者だからでございます。
ここに男と偽って育てられた女がいるとしましょう。さすれば、登場人物は各々が、その秘密をどこまで知りえるのでありましょうか。ある者は女であることさえ知らず、またある者はそうして育てられるに至った経緯までを知り、そこに人間関係の濃淡が表されるのであります。
ところが神は全てを心得ている。その女がどのように産まれ、どのような成長を経て、どの時点で男と偽られたか、その全ては創造神の手中にあるのです。
これには不便なこともございます。嘘をつくことが難しいのでございます。
その女が場末の酒場に入ってきたとき、初見の者はそれを男と見るでしょう。酒場にいたのが友人ならそれを女やもしれぬと疑い、恋する男がいれば間違いようのない女と見るのでありましょうが、それは登場人物の目線であります。私は全てを知っておりますゆえ、『女が酒場に入ってきた』と描写しなくてはならない。もし、読者にさえかの者の身上を知らしめたくないのなら、真実を描きつつ秘匿すると言う手間を加えねばなりますまい。
“あれは女ではないのか、とアリージアは思った。華奢な体つき、喉仏の出ていない細い首、湖水のように静かな優しさを湛えた瞳。しかし、身につけているのは男あつらえの甲冑であり、声も、見た目から想像していたほどに美しくはない。”
などと、登場人物の目線を利用することによって秘匿するは一例にございます。特にミステリ書きなどは、いかに事実を秘匿するかの工夫にお悩みのことでありましょうぞ。
他にも、未来をも知る存在であるゆえ、『伏線』と言う形で登場人物の行く末を暗示しなくてはならない。
“「メルス、この戦いから帰ったら、俺は軍人をやめようと思う。貧乏でもいいから、どこかで畑でも拓いて、君を妻に迎えたい」”
いかにもなフラグがたっておりますが、つまりはそういうことでございます。何しろこれが回収されるも、回避されるも、私の采配一つでございますゆえ。
さらに一番難しいのは、神の心得として常日頃から創造神様に言われている、ストーリーに対して公正、かつ寛大であるようにということでありましょうか。目の前で登場人物がちちくりあいなど始めてもうろたえることなく、エピソードが一つ増えたのだと喜ぶべきだと創造神様は言いやがり……いえ、おっしゃいました。
“「ああ、アリージア。でもボクは男として育てられたから、裁縫も、料理も出来ないよ」
「教えてやるさ。裁縫も、料理も、ベッドでの作法も、な」
男はその細い手を引き寄せ、指先に熱い息を吹きかけた。
「特に最後のは、な。今からたっぷりと教えてやるよ」”
かような事態を目の当たりにしても冷静でいろと、むしろ冷静な視線で状況を描写しろと、けっして「RIAJYU-爆殺っ!」とか叫んではいけないと……私、神なんですけど? その気になればここに夜盗など登場させ、女の身体に夢中になっている隙をついて男を殺し、女の方は……ぐへぐへ……して、ヒャッハーな行為に沈めて、絶望の深淵を覗かせるということだって……と、失礼。どうも邪神だった頃のクセがぬけきらない。
お分かりですか? 三人称の神は万能である、しかし制約は多いのです。
どの人称にも、かように利点はあり、制約も存在すると、そう心得ておけば文章を書くに難しいことなど何もないのだと創造神さまは私におっしゃいました。そうして書くことを恐れなくなったとき、私は一人前の創造神になれるのだとも……さよう、文章を離れたところでは、私もただの愚かな人間に過ぎぬのでございます。