夢と理想と悲劇
夢があった時代は、満たされないものを追っていただけなのだろうか。満たされた時代が来るとは思っていなかった時代の人は、無責任にそれを夢だと思っていたのか……。
進んだ未来に到着したとき、消えたその夢にどう向き合うべきなのだろうか――
強引に起きることができた。「お目覚めドローン」が飛んできてプラスチック製のハサミを伸ばし、私の瞳をこじ開けたからだ。大昔のヒーロー番組では両手がハサミになっている怪獣がよく出てきたが、そこから何世紀経っても寝坊阻止商品のネーミングセンスに変動は見られないらしい。睡眠リズムを分析して起こしてくれる枕を買えず、昔はスマートフォンとか言われたディバイスのアプリケーションで起きられるタチではないから、取材の記念にもらった安いこの装置を使っている身分では贅沢も言えないが。
昔調べたその時代のことを思い出す。「現実が空想を超えた」とはよく言ったもので、20世紀あたりではちょっと常識外れの犯罪が起きただけで騒ぎ散らかす奴がいた。正義の味方を描いた作品を「絵空事」と鼻で笑う連中が増えたらしいが、「空想を夢として楽しめばいい」と割り切ることも、少しはできていた。でも、その夢が科学技術で現実化してきて、次第に空想にすら楽しみを見出せなくなると話は変わる。
特撮ヒーロードラマに登場させた武器でまだ解決されていなかった科学を扱って強さを描いたのだが、公開した次の日にその謎を解明したとニュースで盛り上がった。科学技術の発展は速度の面でも見られたということでもあり、途端に番組の人気が急激に衰え、最終的には打ち切りとなった。そして、その余波で仕事と意欲を失った脚本家が私――石谷章二である。
ヒーローはもういないのか――何百年も続いたヒーロー場組を、幼少時代から電子ライブラリーからも引っ張ってきて夢中で見て、やっと関わることができた私の憧れは、急に廃れてしまった。
何もすることがない日々が今日も変わらない。モニター付きのメガネでニュースを見ると、例のサッカーも水泳もやっている二刀流選手のクエストハイパー化疑惑を裏付ける証拠が出たと流れていた。確か小山士郎とか言ったか――走り回るサッカー・抵抗を受けながら動く水泳という、体力をゴリゴリ削るスポーツを両方やらせるなんて、そりゃできないだろうと世間は思っていたから、まあ当然だろう。
体を使うスポーツは、科学技術が発展しても人間本来の魅力を保てるはずだと言われていたが、栄養管理とかトレーニングだけではなく、「薬で筋肉を強化する」所謂ドーピングという方針を発展させ、「改造する」ためにウイルスや人工血液などを人体に流し込む技術が産声を上げ始め、賛否が止まらない状況が続いていた。生命としての人の尊厳を無視したものではないかという声も大きいし、そもそも少し勉強しただけの悪徳科学者による生兵法も裏社会で横行しているとも言われている。スポーツ界と結託した一部メディアは、21世紀前半の野球で打者と投手の二刀流を行った男に対抗すべくスーパースターを作ろうとしたのだから、疑惑で目を付けられたこと自体も自然な流れであり、メディアの人間としては寧ろ「そういう人体改造を隠し通す方が面白い情報を得られたのでは」などと思ってしまった。
この小山という選手に行われたとされるクエストハイパー化というのが、血液に筋肉強化のための薬品を注入するシンプルな方針だったのだが、斬新なのは人体と極めて酷似した成分を極めて細かい状態で注入するため、バレにくさも高いと言われていたことだった。「クエスト」は10の30乗分の一で、10の9乗分の一である「ナノ」より細かい数字となるということまでは取材の時に調べたが、どうやらゲームとかでよく出てくる「クエスト」の言葉の響きを面白がったからこう言われただけで、本当にナノテクノロジーを大幅に上回る細かい技術が使われている訳ではないらしい。尤も、知ったかぶりでいろいろな情報を扱う職業と言っていいメディアの人間だから、私も世間で広がる言葉に遊びを入れることに違和感はなく、目先の食い扶持のために書いた記事でもこの小山の疑惑を茶化したりもした。その記事は世間からの評判も思った以上によくなく、書けと言ってきたくせに出版社は電子化手数料もケチってきたのだが。
そんなふざけた語源を持つこの技術は、宇宙へはばたく上で人類の進化のために研究されていたという。やっと月に行った20世紀の頃、宇宙飛行士は宇宙へ行く度に骨密度などを減らしてしまっていたらしい。それなのに、ガスとかを使わず火を発生させるエネルギーの塊などによって、環境をキープしながら宇宙へ行く方法が想像以上に早く発展して我々一般人が簡単に月面旅行もできるようになった。安全性などが議論された結果、人体強化などのテクノロジーが急激に冷え込むこととなり、研究者の間でも失業者が出たとか。宇宙へ行く――ねえ。
発展の「速度」まで進化している技術という概念だから、じっくりと覆されるものもあれば、昨日と今日で見る世界が変わるほど急激で大きい発展もある。暑い・臭い・重いの三重苦が揃った敵怪人の着ぐるみの改善のため、内部にモニターを入れてスーツアクターが演技をしやすくして大喜びした日を、メガネのモニターを見て思い出した。それでも重量の方は寧ろ増えたと文句も言われたが、足元を踏み外して崖などから落ちてしまう事故のリスクは大きく減ったことで、一つの技術で周りが大きく変わる喜びは嘘ではないと思ったものだ。視聴者の周りも技術が発展し、映像文化への見方が変わることも計算できなかった悔しさも、そこから感じた。
勿論、コストとの釣り合いも目を付けられて、特撮ヒーローという映像表現への風当たりは制作会社の上層部から一層厳しくなり、私みたいな脚本家はくだらない記事などを生活のため書かなければならなくなった。更に分が悪いことに、カッコつけるヒーローの姿をどうというのは、容姿への差別意識を強めるのではないかという風潮も世間は持ち始めた。ギリシア彫刻とかを持ち上げる芸術論に対して十分な論考もしていないクセにと腹を立てていながら、ヒーロー番組で大口顧客としていた子どもは、そういうところで慎重に差別的意識を持たないよう見るものを取捨選別して親の顔色を窺うようになったのだからたまったもんじゃない。憧れたカッコいいヒーローに対して恥ずかしさを感じている、文章しか書けない男がここにいる――
メガネに電話の通知が出た。誰もいないから、ディバイスをスピーカーモードで立ち上げて会話しよう。骨伝導で会話もできるシステムは私の頭蓋骨の構造に合わないようだし。
「もしもし」
「おう章やん、仕事しないか?」
本人に意識がある訳ではないようだが、この男の声の響きは頭の上から話されていると感じる。昔からこのプロデューサー――黒本建平は「儲けよう」としか言わない人で、特撮モノを少しやったかと思えば、アニメが安定して儲かればそれしかしなくなる。その意識を隠そうとはしない分、嫌いな奴と仕事をしないとかいう勝手なことは言わないので、あまり嫌われてもいないし私も憎めないと思ってはいる。だが、21世紀になってから「文章を作る」とかいうシステムの発展が著しいAIで「儲かる傾向」を調べることを覚えてから、謝りながらも私たちを切って予算節約などを行い始めた。「文章を書くメカに頼る方が楽でも、細かい修正や本当の心を書き込むには人力が必須」という風潮は映像制作の業界には残っていて、アニメとかの作画でワンパターンな絵が増えてジャンルとしての伸びしろの低下を嘆く声も出始めたことと正反対な状況なのだが。ただ、「人間の心が何を好むのか」の分析についてはAIは正確だったから。
というのも、例えば時代劇は「文明もない原始時代から見る人の在り方」「科学の発展は低かった時代における迷信の意味」とかという、テクノロジーが発展しようが扱う意義も大きい「人の意識と文化」を扱えるため、AIで調べた上で上手にネタを広げる作家が大きな活躍を見せるようになった。勿論原始時代であれば、旧石器時代の狩りとか縄文時代の生活の知恵とか、子どもにも教養として教えられる話が山ほど転がっている。
まあ、それこそチャンバラヒーローという感じの作品は全くなくなり、時代毎の題材の魅力が強く意識されるようになったので、私のような脚本家はそこに付け入ることができなかった。「1990年代のネットが未発達だった時代の、現代の技術に発展する“まで”の人間の感覚」という、その時代でなければできないであろうポイントの物語作りは、視聴者も「目から鱗」だと食いつきがよかったりした。単に今の技術の恩恵に預かって生活しているだけでは掴めない意識であり、私は取り残されることになった訳で……。
「で、最近はふざけた奴らが昔の特撮の安っぽい演出を馬鹿にしたコントとかを動画サービスで投稿したりしているだろう。あんな奴らに対抗するくらいのヒーローをまた作りたいと思って、一個企画を出したんだ」
そういえばいたな、21世紀の言葉を借りれば「バズった」奴ら――誰かをけなしたり傷つけたりすることへ不快だと文句を言われるようになって、「笑い」という分野も考え方に大きくメスが入った。どちらかというと「笑う」よりも「微笑む」ようなことが多い可愛い動物系動画が安定して人気を得つつ、何かをけなしてこそ笑いだという奴らが独特の勢力であるかのように動画サービスで暴れる傾向もある。差別とかでなければ動画投稿を禁止されない決まりの中、所謂炎上は上等だと言わんばかりに活動する連中の標的に、私が憧れた特撮ヒーローも選ばれてしまった。
「あんな奴らが好き勝手やっている状況で何をしようって言うんです?」
なんだかこの人の声を聴いて疲れたと思いながら言った。ニコニコしている様子が想像できる声で黒本は答える。
「アニメとかじゃできない特撮の大迫力っていうのは、やっぱり本物を撮っている時の迫力だろう? だからね、月に行って重力がない中でアクションを演出してみようと思うんだよ」
思わず言葉を失った。突飛だか確かに、映像での迫力を出す意味では面白いかな。
「重力が弱い中でジャンプとかしている様子を、映像のスピードとかも調整しながら撮影していけば、地球ではできないようなアクションも撮影できるし、それを地球だと視聴者に思わせるように演出すれば、スーパーヒーローがいるって感覚をCGとかではできない形で見せられる――いいアイデアだと思わないかい!?」
確かに、生身の人間をそうやって撮影していく方針は面白いかも知れないし、新しい特撮表現ができるかも知れない。
しかし――
「それ、制作予算とか大丈夫なんですか?」
面白くない質問をしてしまったかと思ったが、返ってくる声は明るい。
「地球環境と変わらない生活もできる施設を提案しながら取材するっていう名目で、連れていく俳優の旅費も、宇宙開発機構の方から出してもらえることになったんだよ! こういう機会を逃さず何かやれないかと思ってのアイデアでね」
黒本の前職が不動産屋だったことを思い出した。セットの設営にも関わった縁でこの業界に飛び込んだらしい。話は続いた。
「しかもだよ、その俳優として使おうと思っているのはスポーツ選手なんだ。ほら、肉体改造疑惑でもう廃業必死の小山って男。セカンドキャリアの検討でノってくれたんだ」
「本当ですか、さっきニュースも見たばかりでした」
人の弱みに付け込んでいる訳ではないのだろうが、話題性とかの利益も考えて人を誘うのがこの人の得意分野で、仕事の速さに賞賛より先に呆れを感じてしまう。まあ自分もこの人に誘われる身なので文句は言えないが……。
そしてこのプロデューサーは、またまた大胆な進行で仕事を行うようだ。
「スケジュールの都合で、企画会議とかも後回しにして撮影しに行くんだ。宇宙への適応検査とかも最近はすごく早くできるようになってね、来週には月にいくよ。セットを作る時間も考えなきゃだからさ。色んな画を撮ってくるから、その間に章やんにもネタを練ってもらえないかなと思って今日は連絡したんだ!」
企画確定もまだなのかと思いつつ、ノリノリで言われて多少の興味が沸いた。多少止まりだったのは、ヒーロー作品の仕事を離れすぎてアイデアが出ない恐怖なのか、黒本の順調な仕事に情けない嫉妬も抱いているからなのか、よく分からなかった。
「やれたらやる」という、一番やる気のない返答で会話は終わった。
食つなぐための記事を書いている中で、そのヒーロー作品へのアイデアは浮かんでは消えた。カッコいいスタイルやセリフ回しを差別とかの視点で問題視されたらたまったものではないので、改めて検討しようとしていく内に面白みがなくなってアイデアを捨てる――ない脳みそで考えているこういう状況を、生意気に努力とか誇らしく生みの苦しみとか言えていた頃が懐かしい。
電子ライブラリーで調べものをしながら、何かアイデアはないかと考える。時代遅れなコンクリートむき出しの壁の、安っぽいこの家にこもりっぱなしでも自由にこんなことをできる有難みを感じつつ、ふと自分は「モノホン」に近づけているのかとも思った。ええっと……何をカッコつけて「本物」を逆さ読みしているんだ。
世界大戦を実際に経験した人ももういない現代では、タイムマシンが開発されない限りその時に感じたことを直接聞く術はない。遠い遠い昔である20世紀中盤の映画では、そんな戦時中の出来事から学んだことを生々しく反映した作品も数多くあり、今では貴重な資料であるとしてしっかり残す動きが強く活発化している。
あの頃に制作されていた特撮ヒーローだって、関わっていたスタッフの戦争経験が反映されている場面があることはよく言われる。何も戦争だけではなく、学生運動や残留孤児の問題も大きく絡み、空想の世界で描かれるメタファーとして映し出されていた。生々しい心でリアルなミニチュアとかを撮っていたから評価されたのだし、その名作による恩恵で自分が仕事をしていたことを改めて感じさせる部分でもある。
特撮以外の分野はどうなんだろう……今日は一日、電子ライブラリーを眺めていよう。
人間の差別意識は、同じ分類の生物ではある他人を見下すことを「楽しい」と思ってしまう、潜在的な本性と欲望で形成される部分もあると思うし、そうではないという人間にしてみれば、目指したい人間の理想の中で「こんなことはしたくない」と考えるから「否定したい人の姿」がある、というケースもあるだろう。常識人ぶって私は、そのどちらの考えも低俗だと否定しているが、文章の仕事で高尚な意識を語っているのに私生活で他者を見下すことを厭わない行動も取るなど、食うための二枚舌をフル活用している自覚もあったりする。特撮ヒーローで描くべき正しい心ももう一度見直したいとご立派なことを考える一方で、今ロクな生活を送れなくなった今だからこうも考えられるのだろうという現実に呆れる……と思っていたら当初のネタ集めという目的を忘れてしまっていた。
そんな意識も電子ライブラリーは拾ったようで、メガネに「昭和期の文学」がおススメとして出てきた。「昭和」とはまた極めて古臭い年号だ……こういうシステムに詳しくはない私で調べたところだと、今までの検索記録とかを蓄積した上で、ある記事とかを見たときの脳波の変動を細かく計算する仕組みらしい。それがあまりにも細かいため、何を調べたいとか言葉に出さなくても察してくれて、本当に心を読んでいるように思わせる挙動を見せた。実際に今も、ネタ集めをしたいと音声認識させたりした訳ではなかったのにパッとおススメが出てきた。
相変わらず、機械的なアルゴリズムとか言うやつが意志を持つように動く感触が気持ち悪いと感じてしまう。こういう考え方は「不気味の谷」と言われ、リアルに近づけた映像表現でも同じように気持ち悪いと思う現象が起きると学んだ。つまり、「絵」で描かれた人間が妙にリアルなだけだと、リアル「っぽい」その絵を気持ち悪く感じてしまう、気持ちの浮き沈みの「谷」のことである。裏を返せば、90年代の「システムができる“まで”の過程向き合っていた人の心の動向」とかに着目して紹介した連中はやっぱり天才だったんだなと、気味悪がっているだけの自分は今更、ふと思った。
またまたブツクサと、誰に対して言っているのかも分からないどうでもいい不満を考えてしまった。ここは素直に勧められた内容を見てみよう。
大昔、「男色」に対して「世間に認められるのは人の意識の面ではいいだろうけれど、小説のテーマとして扱う際には面白みがなくなる」と言っていた作家がいたようだ。さっき考えていた差別とかの意識を思い返せば、これはなかなかに無責任な発言だと思えるが、報道としてではなく芸術として見た際には、汚い感情を乗り越えた人間の美意識の根源も考えさせられる。「世間が考える普通」とは違う感覚も、21世紀くらいになってから「マイノリティなのは仕方ないしけなされるべきものではない」という意識で認められるようになったのだから、それを面白がるとかいう芸術観を「神経を疑う」と評する意識は正常な考えだろう。そこも受け止めた上での話ではあるが、「芸術」としての心の動きを見たとき、常識に背く背徳感に興奮したり、或いは男の肉体や存在への美しさを見抜こうと昔は考えていた訳で、その時に見ていた美しさは別に非難はしなくていいだろう。私が見失ったものを見つめなおすヒントはあるかも知れないと……そう考えれば少しは、個人的に気持ちが楽になるとほっとした。
学生時代の文学研究も振り返ってみる。個人的に覚えているのは、とある小説で金を高いところから投げ飛ばして人に渡すシーンに対して「これは失礼な行動だよね」と教授が言っていたことだった。これも穿った見方なのかも知れないが、半ばブルジョア的な意識で捉えている中で、作家仲間が好むような部分を書いているから評価が高かっただけではないかと、その「失礼」という見方から思わなくもなかった。作家の方でホイホイ盛り上がっているから「優れている」と見られやすいとか、文学評論のプライオリティとしての「作家側の見方」の在り方も見直していいだろう。「あの作家が評価しているから」という点を盛り上げる迎合は日本人のよくないところだと言われるし、私も迎合を超えて本質的なことを見抜いて、という意味で共感はしている。その一方で、自分の考えに自信がない・他人の考えに骨があることを自認しているからこそその分野を「知っているであろう」人間の意見が正しいだろうし乗っかって損はしないと思考する部分はある。教授の意見に乗っかっている私も、そこは人のことを言えないから今の作家生活の堕落もあると言われたら反論ができない。そこでの「作家側」にプライオリティが置かれているという事実には見直していい要素がありそうだ。
……世紀単位で昔の文学を考えて新しい特撮ヒーローはできないかと思っていたが、傍から見れば情けないと言われそうな評論しかできなかった。違う分野を見てみろと促すように、またメガネは新しいおススメ情報を見せてくれる。
見るだけで疲れそうだが、まあベッドに横になって――
進んだ科学を扱った刑事ドラマやサスペンスについて表示されたが、このあたりのジャンルは安定した人気を得ていると聞いてはいる。昔の特撮でもSFとして科学犯罪を描いた警察ドラマがあって、「どう扱うか」「何故扱うか」という部分で展開されたテーマは、現代でも考えさせられる社会的にも色あせない魅力があった。サイエンスフィクションで描くテーマはそうあるべきだと思いつつ、特撮ものがヒーローばかりになった事実も踏まえて、描き切った感があったと見える。マンネリ化が始まる前に引き際を見誤らなかったと言っていいか。
そういう犯罪を「謎」として扱う推理小説も、特撮と違って廃れず広がっていた。DNA鑑定とかが発展する前でなければできないトリックとか、描き方次第での物語作りをしてきた以上、テクノロジーの発展で詰まってしまう要因を違う形で描ける強みはあるらしい。「抜け穴がある密室トリック」なんかだと「誰がどう見てもトリックにはならない」と明確に突っ込まれてしまうこの分野は、ヒーロー番組を茶化すのと同じ感覚で「謎がどうってことを楽しむなんて幼稚」と馬鹿にされたこともあったが、それでもしぶとく魅力を発信できていること自体を、私みたいな作家は見直していかなければならないのかと思う。「映像技術なので歴史は浅いけれど日本映画の創成の頃からあった」「物語ではなく使われる技術が定義」である特撮とは正反対の、「19世紀末に本格的に生まれた新しい文学」「明確に“謎解き”という物語からの定義がある」本格推理という分野なので、こういう歴史と現状を見直すのはアリかと思いつつ……結局、私の枯れた頭脳で見つけられた発見は大したことはなかった。
絵画なんかはどうだろう。人力による描く技術は大事だと、まがりなりにも作家である私も理解はしているけど、それでも画を描くだけならAIで事足りるため、本当に芸術的な画家を目指す人間は減る一方で大変らしい。
そういった傾向が、絵で動画を見せるアニメが現代でワンパターンの一途を辿った一因にもなっているのは皮肉ではあるけれど、だったら「AIで描くだけでは足りない画を創っていけばいい」として、そのワンパターンからの脱却も今、言われ始めている。私の興味を察してアニメの歴史もメガネが映し出したが、昔はセルという透明なものに描いた絵を重ねてアニメを手作りしていたため、制作上の苦労も多かったらしい。背景を動かしたりということは当然、実写より難しい。特撮ヒーローばかりにのめり込んでそんなことも知らないのかと、前に受けたインタビューに対してオタク連中から馬鹿にされたこともあったが、「絵」から作るということはすなわち、「こういう画も撮っておこう」といった実写でやれる自由な制作体制はできなかったということであり、根本的な映像制作の考えが異なっているということでもある。だからこそ、AIで「絵」を作って動画にすると「やり直し」がしやすいことは、予算のかけ方も含めて劇的な変動をアニメにもたらしているということであり、意識すら変える出来事を経ているから特撮とは違って生き残れている現実をアニメオタクがどこまで理解しているのかと、嫌味を言いたくなる時もあった。残念なことに、アニメの方から私に仕事の依頼を貰えたことはないので、ただの業界に染まった男の戯言と思われても文句を言う資格はないんだろうな。
そんな中、面白い記事を見つけた。「映像自体を“現実”だと思い込んだ上で見る」方針を提言したいらしい。古臭い映画で「セットが古臭くてもその時代の建物とか自体がそれくらい古かったと意識する」「フィルムに合成された光も“そういう光があった”と認識すること自体に意味がある」という考え方だそう。フィルムという、大元は「絵」でしかない映像分野で考えると面白い。「リアルに納得する」「内容自体を楽しむ」の二つが映像とか文章で「伝える」ことの意義なのは間違いないだろうが、「不気味の谷」とは正反対に、見る側自体で踏み込むリアルを見直す考えも現代に生まれたのが興味深い。
光より早く動いた物体が光るチェレンコフ光という現象もあるらしいから、ヒーローが「光る」のもリアルではあるらしいし、そこも「そういうもんだ」と考えて、気持ち悪い生体演出みたいなリアリティにのめり込まないのは大事だろう。視聴者に批判を貰う気持ち悪さは私も触れないようにしたいし、昔は「ゲームとかのしすぎで現実との境目が分からない人間が増えた」と言われた犯罪もあったけど、この考えをうまく使うことで「映像としてしか考えられないリアル」として割り切れるかも知れない。私の仕事を変えるヒントも転がっているかも……まだ脳が動かないけど、片隅に置いておこう。
黒本プロデューサーから連絡をもらって一週間――私の生活は全く変わらなかった。変わりそうな仕事の話が目の前にあるのにここまで喜べないのは、自分が思った以上にヒーローを書けなくなった挫折で付いた心の傷が大きかったからか……カッコつけだけど。
またまたお目覚めドローンに起こされた。いや……あの人がいい映像を撮れたか期待するほどの気持ちの高ぶりは今の私にはないから、無理に働かなくていいよ……と言いつつメガネをかけた。
返事をしない機械に話しかける自分に呆れながらメガネでニュース速報を見る。最初に目に入ってきた内容に言葉を失った。
『映像プロデューサーを月面で緊急逮捕! 無理な撮影であわや大惨事』
私の視線を感じ取ったメガネは、そのニュースをピックアップして展開した。テクノロジーに気を遣われているこの状況もまた、情けないんだか何だか。
弱い重力でのアクションの中、上空で静止した宇宙船も使って小山がジャンプし、爆発も上空で起こすという場面も撮影したところ、思いの外爆発が近くで起きたせいで月の重力圏から外れるほど吹き飛んでしまったという。どれだけ高いところで撮影していたのかという話だが、地上でのセット設営を待たずして撮影を進めようとする中で、地上を荒らされても困るからと高い場所での撮影を提言されたという。重力がもっと低い場所だし、燃えカスが残らないようエネルギー体で爆破を起こしていた中、火力に変換するための酸素を多めにまき散らしたことが原因らしい。
昔の特撮ヒーローで宇宙に放置されて怪獣になった人間が描かれていたが、まさか製作者側がそういう事態を引き起こしそうになるとは……せっかちなあのプロデューサーらしいと言えばらしいし、私の憧れていたものが泥で真っ黒になった瞬間も感じた。
フィルムを現実だと考える、なんて記事を見て面白がっていた自分に、無責任な現実が重くのしかかった気もした。「子どもがヒーローを真似して怪我をしたらどうする」なんて言われた時代を自分たちが再現してしまったようだ。
ニュースの続きを見て、更に衝撃を受けた。
かつて人体強化の実験を行っていた研究者グループが偶然、月面用人工衛星からその様子を目撃し、あのスポーツ選手崩れを救出したと報じていた。人体への影響についての研究はそのまま、宇宙空間での体力低下防止などに役立てていたとある。その研究を冷ややかに見る連中もいたそうだが、小山が行った肉体改造の形跡を発信機替わりに、研究していた人体分析システムを活用することで、どこかも分からない場所へ吹き飛ばされる前に位置特定ができたそうだ。こんな形で研究を生かすのも想定外だっただろうに。まさに本当のヒーローじゃないか。
していたことを否定されても新しい形で頑張っている――自分は一体何をしてきたのだろう、いや何ができていたのだろう……いつ終わるかも分からない自問自答だった。




