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パカラッパカラッパカラッパカラッ
彼は馬の中を一人走っていた。
一人というにはあまりにも馬だった。
が、馬というにはあまりにも人間だった。
中身は完全に人間だった。
馬の集団は二十頭近くいた。
みんながみんな走っている。
そこには子馬もいた。
それでも、どこかへ向かい、必死に走っている。地面は芝生だった。なので、食べ物を探しているわけではなくて、本能的に走っているのだった。
異世界に転生し、馬になった男の名前はまだない。前世の名前を言うならば秋田健。二十七才で、トラックの交通事故に遭ったことで亡くなってしまった人間、だった。
今ではその見た目は馬でしかない。
とはいえ、中身は人間だった。
なので、ひとまず、一人として数えることにする。
馬の毛並みは整っていた。彼は栗毛と言われるタイプの馬で、サラブレッドのように、手足がスラッとした馬だった。彼の周りにいる馬もみんなスラッとしていた。
彼が暮らしている異世界はアトモスという名前である。牧歌的な世界が広がっており、百メートルに達する建物など世界のどこを探してもないような、そういう、未発達の世界だった。
もちろん、ここにも人間はいた。
人間は魔法を使うことができる。
そして、魔法があるということはモンスターもいる。
馬たちは人間とモンスター、どちらもから逃げなければならない。
それもあって、健は困っていた。
毎日毎日、平原を走り回っている日々に疲れていた。
どうにかしてそんな日々を終わらせたいと思っていたが、馬の集団の中で暮らす以外に、彼に選択肢などないのだった。それ以外の生き方は知らなかった。
馬にもなれない。
人間でもない。
そんな彼は、宙ぶらりんな状態で困っていた。
当然のように、馬と恋愛することはできない。
子供の頃から馬として育っても、馬を愛することはできない。
さすがに両親のことは愛していたが、それでも、見ず知らずの馬を愛せるほど、彼は馬ではなかった。
毎日を淡々と過ごす日々。
パカラッパカラッと、走ることしかやることはない。
人間の、特に現代社会の娯楽になれていた彼はずっと暇だった。
馬として生まれたことを後悔するくらいには暇だった。
それは自分で選んだことではなかった。
が、神様と話をした時に、「なんでもいい」と言ってしまったことが全ての始まりだった。普通に「人間に生まれ変わりたい」と言えばよかった、と後悔しているのだった。
せめて鳥になればよかった。
そんな後悔が彼の中には募っている。
そんなことを思っていてもしょうがない。
そう思った彼はら今日もパカラッパカラッと走る。
周りの馬たちに合わせてそれをするのだった。
絶望感すらある日々を過ごしていた彼は、夢を見ていた。
いつか、こういう日々が終わるのを夢見ていた。
いつか、人間と一緒に暮らすことを夢見ていた。
そして、その夢はやがて叶うことになる。
夢が叶っても、結局、大変なことは沢山あるわけだが。
「ヒヒーン!」
と、馬の群れの中の一頭が鳴いた。
それを合図に方向転換をする馬たち。
というよりも、それぞれがそれぞれ、自由な方向へと走り出すことになった、集団の馬たち。なぜならば、彼らの近くにゴブリンの群れがやってきたからだ。
モンスターから逃げる時には、集団ではなくて別々で逃げる。
そうしないと逃げ切れないことが本能的にわかっているからだ。
彼も、他の馬と同じように走る。
バラバラになった馬は、いつも決まった場所で合流することになっている。もちろん、そうなった時には、何匹か数が減っていることもある。
幸いなことに、他の馬よりも賢い彼は逃げるのが得意だった。
ずっと、走る練習をしてきたのだ。
意識的に、どうすれば早く走れるのかを考えてきた。
なので、こういう時は簡単に逃げることができた。
ゴブリンが近付きそうにない、臭いがキツイ森へ逃げ込んだ彼。そんな場所で、彼は人間と出会ってしまった。
人間は馬の肉を食べることもある。
特に、遠征をしている途中であればそうだ。
なので、本来であれば自然の中で人間と出会うことはリスクでしかない。が、彼は、それと出会っても、しばらくそこにいた。
なぜならば、出会った人間は瀕死の状態だったからだ。
森の中、人間によって作られた、切り株だらけの広場。
そこに、今にも死にそうな、血だらけの瀕死の冒険者と、さっきゴブリンから逃げてきたばかりの馬がいた。太陽光が差し込む中、そして、なんにも知らない鳥がさえずる中、二人は出会った。
冒険者からは鉄の臭いがしていた。
人間だった頃よりも感覚が過敏になった彼はそれを嫌がる。
嫌がりながらも、最後の時を迎えようとしているその人間を哀れに想い、近くにいてあげることにした。そうすることで、少しでも心を和らげてあげようとしたのだ。
これから死に向かう哀れな気持ちを慰めてあげようとした。
それに冒険者も気付く。
死のうとしていた彼は生きようと思った。
目の前にやってきた、馬があまりにも美しすぎたので、生きたいと思った。
「ありがとう」
冒険者は静かに呟く。
彼は、その彼に寄り添うように、広場に座り込んだ。




