表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
冴えない私が輝く星と出会った  作者: 雪見遥
第6章 交差する告白、鼓動の行き先

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

36/115

第6話 喪失

 夜が深まり、空は次第に濃い青に染まっていく。街路に並ぶ街灯がひとつ、またひとつと灯り、橙色の光が濡れたアスファルトの上に細長い影を落としていた。


 私は部屋の机に座り、ランプの光を浴びながらノートを広げていたけれど、そのページは放課後に開いたきり一度もめくられていない。本来なら復習すべき文字は霞んで見えなくなり、頭の中にはあの光景ばかりが繰り返し浮かんでいた。


 ――サッカー場で、佐藤さんと高橋先輩が陽の光に照らされて、眩しいほどに輝いていた姿。


 試合が終わった瞬間、佐藤さんの顔に浮かんだのは、今まで見たことのないような笑顔だった。抑えきれない、子供みたいに無邪気な勝利の笑み。そこへ高橋先輩が歩み寄り、自然に手を差し出し、二人は軽やかにハイタッチを交わした。そして、彼女は佐藤さんの頭をやさしく撫でた。彼女は逃げなかった。むしろ……とても柔らかく、幸せそうに笑っていた。


 私は一瞬、息ができなくなって、その場でぎゅっと自分の体を抱きしめるしかなかった。胸の奥を何かに細く締めつけられるようで、言葉が出ないほどの痛みではないのに、押し潰されそうな苦しさだった。


「……私なんかが、悲しくなる立場じゃないよね」


 かすれた声で呟いた。まるで風にさらわれて消えていく塵のように淡い声色で。


「彼女はあんなに優しくて、あんなに努力家で、あんなに真っ直ぐなんだもん……誰かに好かれるのなんて、当たり前だよね」


 視線を水の入ったコップへ落とす。そこに映るのは、自分でも戸惑うような曖昧な瞳だった。スカートの裾を指先で無意識にぎゅっと握りしめる。そうしていれば、胸の奥にたまっていく酸っぱくて苦い感情まで絞り出せる気がした。けれど記憶の中での彼女の姿は、ますます鮮明になっていくだけだった。


 試合の前、彼女が笑顔で言った言葉が耳に蘇る。


「昨日言ってたよね、もし私が勝ったら、ご褒美があるんでしょ?」


 そのときの彼女の瞳はキラキラと輝いていて、声にはほんの少しの期待が滲んでいた。私も笑って答えた――「もちろんあるよ」と。


 頬を赤らめて、隠しきれない嬉しさをにじませた彼女。その瞬間、私は思ってしまったのだ。彼女の言う「ご褒美」は、私から何か特別なものを望んでいるんじゃないかと。


 ……だけど、今日、彼女は勝ったのに、私は何もしていない。差し出したのはただのタオルで、言えたのは「おめでとう」というありふれた一言だけ。


 あの場所には、もう私よりずっとふさわしい人がいた。彼女の頭を撫でられて、ハイタッチをして、あんなに自然に笑顔を引き出せる人……それは私じゃない。


 無理に笑顔を作ろうとした。鏡の前で練習するみたいに口角を上げてみても、どうしても形にならなかった。


「やっぱり、私と彼女の距離なんて……ただの友達なんだよね」


 声に出すと、自分でも驚くほど小さな音になった。何かを驚かせてしまうのが怖いみたいに。


 試合が終わったあと、チームのメンバーは打ち上げに向かう準備をしていた。佐藤さんは高橋先輩と並んで歩き、二人は笑いながら話していて、ときどき佐藤さんの朗らかな笑い声が聞こえてきた。その顔に浮かぶ表情を私はよく知っている。それは嬉しくて、大切にされていると感じたときにだけ見せる、本当の笑顔。


 でも、今回その笑顔は私のためじゃなかった。


 私は人だかりの端に立って、静かに二人を見つめていた。指先は袖口を無意識に掴み、やがて背を向ける。羽根のように軽い足取りで、そっとその場を離れる。ほんの少しでも遅れてしまったら、胸の奥に膨らんでいる感情が破れて、目尻から零れ落ちてしまいそうで怖かったから。


 ――今の私を佐藤さんに見られちゃいけない。知られちゃいけない。心の中でこんな想いが湧いているなんて。嫉妬に似たもの。寂しさに似たもの。そして……彼女にとってたった一人になりたい、そんな願い。


「私はただの友達だよ……ただ、それだけ……」


 何度も心の中で繰り返し、私自身すら直視できない想いを少しずつ奥へ押し込めていった。


 家に帰り、机に向かい、一つの灯りだけが照らす静かな空間で、ようやく私はそっと吐き出した。


「私だって……頭を撫でてあげたかったんだよ」


 言った瞬間、両手で顔を覆った。震える指先が熱を隠しきれなかった。


 その夜の空気は、ほんのり酸っぱさを帯びていた。口に出せなかった言葉は、投函されないままの手紙みたいに心の奥底に眠り続けている。いつか勇気を持てたその日には、必ず彼女の手に渡したい――そんな願いを胸に秘めながら。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ