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冴えない私が輝く星と出会った  作者: 雪見遥
第16章 傷の中で生まれた決意

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第5話 立候補の決意

 職員室を出た瞬間、ちょうど陽の光が肩に落ちてきた。金色の光がそのまま流れ込むように降り注ぎ、地面に伸びた影を長く引き延ばしていく。まっすぐに伸びたその影は、さっき口にした言葉も、譲らなかった意志も、そのまま光の中に刻みつけているみたいだった。


 私は泣いていなかった。それでも、その扉を出たあと、目の端が少しだけ熱くなるのを抑えきれなかった。


 それは悔しさでも、後悔でもない。ただ、分かってしまったからだ。遥がこれまで、どんな場所に一人で立っていたのかを。そして、「守る」というものが、必ずしも守られるべき人のところに、当たり前のように届くわけではないのだということを。


 軽く瞬きをした。その熱を、光の中に溶かしてしまうみたいに、外へ零れ落ちないように。廊下の奥まで歩くと、ようやく周囲は静まり返っていた。教師の声も、紙をめくる音も、あの「敏感」だとか「難しい」だとか「目立たないように」だとか、何度も繰り返された言葉も、もうどこにもなかった。


 ポケットに手を入れて、ゆっくりとスマホを取り出す。画面が点いた瞬間、そのまま視線を落として、短い一行を打ち込んだ。


「学校は守ってくれない。でも、私は守る」


 打ち終えたあと、指は送信ボタンの上で止まったまま、すぐには押さなかった。ただその一文を静かに見つめていた。それが一時的な衝動で打ち込んだ言葉なのか、それとも、これから先ずっと引かずに背負っていく覚悟なのかを、自分の中で確かめるように。


 窓の外から風が吹き込み、髪がわずかに揺れた。私は、さらに一つのことをはっきりと理解した。


 これは遥ひとりの戦いではない。私たち二人だけの問題でもない。


 これは、これまで校内で沈黙を強いられてきた人たちの問題であり、傷ついてもなお、自分が「敏感すぎるのではないか」「周囲を困らせているのではないか」「むしろ静かにしていたほうがいいのではないか」と先に考えてしまう人たちが、共に直面しているものだ。


 もし、このような痛みさえも軽く受け流され、「いつか自然に消えるもの」として扱われるのなら、この場所はこれからも決して変わらない。


 スマートフォンを握り、送信ボタンを押した。


 私はもう、「遥の隣にいるだけの人」でいることはできない。ただ付き添うだけでは足りない。もっと前に立ち、もっと高い場所に立たなければならない。そうして初めて、彼女に向けられるべきではないものを本当に受け止め、彼女が守ろうとしている世界を守ることができる。


 ***


 夜、私は机に向かって座っていた。手にはボールペンを握り、ペン先はノートの白紙の上で止まったまま。復習するつもりだったのに、どうしても最初の一筆が落とせない。窓の外では風が木の梢をそっと揺らし、その風はそのまま私の思考もかき乱していた。


 頭の中では、今日の職員室でのあのやり取りが何度も繰り返されていた。


「この件は関わる話題が少し……敏感でして。公に扱えば、保護者や学校側の反発もありますので……できるだけ目立たないようにしていただけると」


 その口調は穏やかで、どこか無力さや同情すら含んでいた。けれど、その穏やかさこそが、かえって私に強い息苦しさを感じさせた。まるで音もなく、私たちは誰にも口にされない「問題」のリストに分類されてしまったかのように。


 ただ誰かを好きになったという、それだけの理由で。


 視線を落とし、指先がわずかに震えた。握りしめたペンの軸が、今にも折れてしまいそうだった。ただ一人を好きになっただけなのに、どうしてそれが間違いになるのか。誰かの言う「普通」に合わせなければ、公平に扱われることさえ許されないのだろうか。


 深く息を吸い込む。それでも、胸の奥の重さは消えなかった。


 ふと、あのときの光景が、はっきりと浮かび上がる。教室の中で、遥の手を取った。そのまま、クラス全員の前で、関係を明かした。


 衝動なんかじゃなかった。あのとき立ち上がらなければ、彼女はきっと、一人で押し潰されてしまうと分かっていた。怖さよりも、彼女が一人であの視線に晒されることのほうが、ずっと耐えられなかった。


 でも——たとえ私たちが必死に真実を見せようとしても、本当に何かを変えられるのだろうか。一人の声はあまりにも小さい。どれだけ力を尽くしても、沈黙と偏見で築かれた壁を揺るがせるとは限らない。


 私は唇を噛み、目の奥がわずかに熱くなった……それでも、このまま引き下がりたくはなかった。ただ彼女のそばで守るだけでは足りない。この学校全体を、誰かが俯かなくていい場所にしたい。誰もが顔を上げて、陽の光を見られるようにしたい。


 私はゆっくりと手を伸ばし、引き出しを開ける。その中から、ずっとしまってあった一枚の紙を取り出した——生徒会の立候補用紙。端は何度もめくったせいで少しよれていたが、そこに書かれた文字はまだはっきりと残っていた。


 実は、高一の学年が終わりに近づいた頃には、すでにこのことを考えたことがあった。


 あの頃の私は、人間関係もそれなりに良く、成績も悪くなかった。多くの人が笑いながら、「神崎さんが生徒代表に立候補したら、きっと向いてるよ」と言ってくれた。いつも笑って、「あってもいいし、なくても別にいいかな」と答えていた。自分がいなければならないとは、一度も思ったことがなかったから。


 でも、今は違う。


 その用紙を見つめる。胸の奥にあるのは、もう迷いではなかった。はっきりとした決意だった。今の私は、この紙を軽い気持ちで受け取ることなんてできない。守りたいものが、もう分かってしまったから。


 遥の苦しみや、友人たちが離れていったこと、そして学校のあのほとんど逃げるような対応を経験して……ようやく分かった。


 ある言葉は、もっと高い位置に立たなければ、守りたい人のもとへは決して届かないのだと。私はもう「勝ちたい」と思っているわけじゃない。「変えたい」と思っている。あの場所に立つのは、自分のためだけじゃない。彼女のためであり、私たちのためであり、そしてまだ声にすることのできない人たちのためでもある。


 ただ、その代償は、思っていたよりもずっと重いものだった。


 最近、廊下ですれ違う友人たちの視線は、以前のようにまっすぐではなくなった。かつては笑顔で背中を押してくれて、「立候補したら応援するよ」と言ってくれていた数人のクラスメイトも、いつの間にか私の存在に気づかないふりをするようになり、話題を変えると足早に去っていく。ときどき、背後からひそひそとした声や、冷たい言葉が聞こえてくることもあった。


「神崎は今、恋愛のことしか頭にないんじゃない?」


「生徒会に立候補する責任なんて、全然考えてないでしょ」


 その言葉は軽くて、まるで教室に揺れる光の粒のようだった。それでも、一つ一つが鋭い針のように胸に刺さり、無視できない痛みを残していった。


 でも、その痛み以上に耐えがたかったのは、あの人たちが本当は最初から、私のことをきちんと理解していたわけではなかったのだと分かってしまったことだった。


 昨日、私は偶然耳にした。かつて「最後まで応援する」と言ってくれたはずの同級生が、すでに別の候補者の演説準備を手伝い始めているという話を。彼らは静かに離れていった。まるで、私の名前をそのまま名簿から消すように。


 責めることはできなかった。彼らはただ、「より安全に見える道」を選んだだけなのだ。この世界では、多くの人がそうやって、「自分にとって都合のいいほう」に選択を委ねてしまう。


 私は視線を落とし、小さく苦笑した。かつて持っていた信頼や優位は、まるで手の中に留めておけない砂のように、指の間から音もなくこぼれ落ちていく。手のひらに残る温もりさえ、もう感じられなかった。


 それでも、知っている。私には遥がいる。そして、教室の隅で立ったまま、顔を上げることもできずにいる生徒たちがいる。「あまりにも特別だ」とされて、存在そのものが見えないことにされている声がある。自分の好きな相手が同性であることを認めることもできず、日記の中にだけそっと書き留めている言葉がある……彼らの存在を知っているし、見られたいのに、光の中に近づくことを怖れてしまうあの感覚も知っている。


 だから、もし私まで退いてしまったら、彼らはどうすればいいのだろう。もし誰も立ち上がらなければ、彼らはずっと、自分の存在は隠しておくべきものなのだと思い続けてしまう。


 そんな悲しみを、もう繰り返したくなかった。


 机の前にある、生徒会の立候補用紙を見つめる。それは静かにそこに置かれていて、まるで未知へと続く扉のようだった。


 締め切りは、あと三日。その日を過ぎれば、向き合うことになるのは、ただの対立候補だけではない。さらに多くの疑い、さらに多くの悪意、そして再び私を隅へ押し戻そうとする声も増えていくはずだ。もっと多くのものを失うかもしれないし、さらに多くの人が私と距離を置くかもしれない。そもそも、当選できない可能性だってある。


 それでも、もう覚悟を決めている。やっぱり、一度やってみたいと思った。


「……結果がどうであっても、今回はせめて、遥のために、そして守りたい未来のために、ほんの一度でいいから勇気を出したい」


 これは自分を証明するための戦いじゃないし、当選するためだけに立つわけでもない。彼女がもう俯かなくていいように、そして声を上げられなかった人たちが、ようやく聞いてもらえるようにするためのものだ。


 私、神崎星奈は、この光を支える存在になる。

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