第8話 本当の勇気
私たちは手をつないだまま、廊下を歩いていた。廊下は静まり返り、響くのは私たちの足音だけ。一歩、また一歩と、がらんとした空気の中に反響していく。誰も口を開かない。ただ、掌をぎゅっと重ねたままの温もりだけが、途切れることなく続いていた。
さっきの、あの突然の嵐の余韻から、まだ抜け出せていないことは分かっていた。星奈は相変わらず私の手を握っている。最初ほど強くはない。でも、揺るがない強さがあった。簡単には離れない握り方——まるで「これからの道も一緒に歩く」と言っているみたいに。
やがて人影のない階段の踊り場に差しかかったところで、彼女はゆっくりと足を止め、わずかに身体をこちらへ向けた。
「ごめんね」
唐突に、そう言った。私は一瞬、何を言われたのか分からず、ただ目を瞬かせる。
「さっきの教室……ちょっと急すぎたかな?」
「ううん……」
反射的に首を振る。声はとても小さかった。
「ただ……あんなにたくさんの人の前で、ああいうふうに言うなんて……思ってなかったから。」
星奈は小さく笑う。でも、いつものいたずらっぽさも、自信に満ちた響きもなかった。
「私も、思ってなかったよ」
その声は軽いのに、奥に言葉にならない感情を抱えている。
「本当はね、ずっとそばにいられれば、それでいいと思ってた。目立たなくても、隠れていてもかまわない。ただ遥がそばにいてくれれば……それだけで、もう十分だって」
彼女は視線を落とし、絡み合った指先を見つめる。その声は、風みたいにやわらかい。
「でも……あんなふうに、緊張して、必死に耐えてるのを見たら……守りたくなっちゃった。全部、黙らせたくなった」
私は口を開きかけて、何も言えなかった。胸の奥を何かがかき回すみたいに、苦しくて、涙がこぼれそうになる。
「本当はね、私だって怖いよ」
星奈はふっと笑った。でも、その瞳は笑っていなかった。
「嫌われるのも怖いし、この先、学校で浮いてしまうかもしれないのも怖い……好きなのが女の子だって知られて、家で怒られるかもしれないし、ひどいことを言われるかもしれない。最悪……何者でもないみたいに扱われるかもしれない」
彼女の目が一瞬、翳る。さっきまで射していた光を、雲が覆い隠すみたいに。
「でも、それ以上に怖いのは遥が一人で、あんな不公平な視線に押しつぶされそうになっているのを見ること。そのほうが、ずっとつらい」
胸の奥が、ぎゅっと締めつけられる。
「星奈……」
「だから、あの言葉を言ったの」
まっすぐ私を見つめる。その瞳には、これまでにない強い決意が宿っていた。
「怖くなくなったからじゃない。そうじゃなくて——」
彼女は小さく息を吸い、口元にかすかな、苦くて、それでも揺るがない弧を描く。
「一人で向き合うくらいなら、私は一緒に嫌われるほうがいい」
ついに、こらえきれず目の奥が熱くなる。
「でも……私、本当にダメなんだよ……何も言えなくて、ただあそこに立って震えてるだけで……星奈みたいに、勇敢になれない……」
「違うよ」
星奈はそっと私の手をほどき、ゆっくりと両腕を広げて、私を抱き寄せた。
「ずっと、強かったよ、遙」
声が耳元に落ちる。とても静かで、それなのに確かに胸の奥へ届く。
「こんなに長い間、一人で耐えてきた。あんなに苦しかったのに、手放さなかったし、逃げなかった。それはね、私にはきっとできないことだよ」
顎を私の肩にそっと預ける。声はやわらかく、風さえ足を止めて聞き入るほどに。
「だから……もうそんなに、自分を責めなくていいんだよ。ね?」
私は強くうなずき、腕を伸ばして彼女を抱き返す。制服越しに伝わる体温は、あたたかくて、確かで、胸の奥に残っていた冷たさを少しずつ溶かしていく。キスもない。誓いの言葉もない。それでも、誰もいない踊り場で、二つの心は静かに寄り添っていた。
その瞬間、分かった。いわゆる「本当の勇気」とは、怖くないことじゃない。怖くても、それでも相手の手を強く握りしめて、前へ進もうとすること。
そして星奈は——私にもう一度、前へ踏み出す勇気をくれる人。強く握り続けたいと願う、離したくない、その人だった。




