第4話 外
外に出て、スハはまずはそこで大きく伸びをした。
まだ明るい陽の光を浴びて、新鮮な空気を肺にいっぱい吸い込んで吐き出す。
賭け場はどこも同じようなところが多いが、閉めきった狭い空間にむさ苦しい男たちが密集しているため、とにかく空気が悪い。緊張から滲み出る汗のにおいや体臭で、鼻が曲がりそうなところもあるくらいだ。
客の中にはたまに女がいることもあるが、そんなものはほぼいないに等しい。
スハは肩にかけていた荷を背に担ぎ直し、軽く息をつきながら後ろを振り返った。
外から見るとそうだとは分からない入口には、男が一人立っている。そもそもが人通りの少ない裏通りだ。そこに男が一人立っていたとして、気に留める者はほとんどいない。
ちらと振り返って見ていると、今しがたスハたちが出てきたところに、新しく入っていく者がいた。入口に立っている男に何かを手渡し、開いた扉からそっと中に入っていく。
見張りの男が受け取ったのは、中に入るための手形だ。普通の賭け場にそんなものはないが、こういういかにもなところは、誰かの紹介か、もしくは、通行証である手形を持っていなければ入ることができない。
法外な額が手に入ったり、それを一瞬で失ったりする賭け場は、そうやって中に入れる者を選別しているのだ。
入口の男は受け取った手形を懐にしまい、扉を閉めると、また元のように外を向いてそこに立ち直した。
見るからに屈強な男だ。中にもそういう男たちが複数いたが、それだけ、ここではそういう者たちが必要な事態が発生しやすいということだろう。
考えながら振り返っていると、死角から伸びた太い腕がばしっ、といきなりスハの頭を激しく払った。
「あだっ!」
「スハ! お前、ほんといい加減にしろよ!」
完全に無警戒だったため、すぐには何が起きたのか分からず、一瞬思考が停止する。
払われたところをさすさすとさすりながら顔を元に戻すと、腕を組んだドハンがこちらを見据えて仁王立ちしていた。
「時間になったら勝負が終わってなくても引き上げる約束だったよな? それを破ったら今度こそタダじゃおかねえって、俺言ったよな?」
「あ? ……ああ、ええと、そうだったかな? はは」
頭をさすりながら、へら、と笑ってみせるが、ドハンにそんなお惚けは通用しないらしい。仁王のような顔をさらに吊り上げて、どす、とスハに詰め寄る。
「ここはほんとにヤバい賭け場だから、ちゃんと調べてからにするって話になってたじゃねえか。だいたい、今回は注文されてた薬を届けにきただけだろ。それを、お前がいきなり賭け場に寄ってくって言いだして、予定が狂ったことを分かってんだろうな?」
「ああ、はは、そうだっけ……?」
「そうだっけ、だと? お前、いい加減に―――」
「あ、ああ、冗談だって、冗談! そんな怒んなよ、もちろん分かってるって! でもさ、勝ったら十倍になるっつうんだから、乗っておくに越したことはないだろ?」
「たとえそうだったとして、調子に乗ってもしバレたらどうするつもりだったんだよ! お前、イカサマばっかじゃねえか!」
「あ、おい! ドハン、声がデカいって……っ!」
慌ててドハンの口を押さえ、自分の口元には反対の手で人差し指をしーっ!、と立てながら、スハは先程の賭け場の方を目で示した。
少し距離があったため内容は聞こえてはいなかったようだが、入口に立つ男が訝しげにこちらを見ている。それに、ははは、と笑って軽く会釈を返しつつ、顔をしかめて唸るドハンの口を押さえたまま、急いでその場を離れる。
裏通りから表の大きな通りの方に戻り、周りに人が多くなった辺りで、スハはようやくドハンを開放した。
「ぺっ、ぺっ! お前、いきなりやめろよな。どこ触ったのか分かんねえ汚え手で、口なんか押えるなよ」
「いきなりはお前の方だろ。あんなところで種明かしなんかしたら、ただじゃすまなくなるだろ、俺が」
「ふんっ、むしろ、お前は一回、本当に痛い目に合わせてもらうべきだと思うね、俺は」
「なんだと」
言い合う二人を、道行く人々が横目に見ながら通り過ぎていく。
一八になったところで、それまでより急に大人になるわけではない。あとで考えればどうでもいいような、実にくだらないことで揉めるなんて日常茶飯事だ。そう、まさに今のように。
互いにひとしきり言い合ったところで、どちらからともなく「やめだ、やめだ」と二人は体を離した。
「こんなことしてたって、時間の無駄だ。行こうぜ」
「ああ、そうだな」
そして、スハはずっしりと金の入った荷を、ドハンは元々背負っていた荷を担ぎ直し、往来の中に歩き始めた。
スハたちが幼い頃から暮らす村―――いや、今はもう村ではなく街と呼ばれているが―――も、人が多く賑やかな場所ではあるが、この街も負けてはいない。
広い目で見ると、同じ紫微国の辺境という括りになるこの街は、スハたちの街から一番近い、隣の街だ。
だが、隣とはいえ実際はそれなりに距離も離れているため、移動は徒歩ではなく、河を使った舟での移動になる。
スハたちの街と、この隣街を結ぶ舟は、一日にそれ程何度も行き来しているわけではなく、今日の便はもう残り少ないはずだ。それをして、ドハンは予定が狂ったと言っているのである。
元々、今この街に来ているのは、販路を拡大した薬房の薬を客先に届けるためだった。
生活のためにはもちろんだが、何をするにもまずは先立つものが必要になる。住んでいる街だけで薬を売っていても、その儲けには限界があるのだ。
ソンジェには、そこまでする必要があるのか、と毎度言われるが、これはスハにとって重要なことで、必要なことだ。薬の供給量を増やし、そして儲けを得ることは、スハがこの辺境でやりたいと思っていることの一つなのである。
目下は、この隣街での取り扱い拡大だ。地道に宣伝を進めてきたが、その甲斐あって、最近は注文も徐々に増えつつある。
それになぜドハンが同行しているのかというと、舟賃を節約するためと、単純に人手不足だからだ。
客が増えるということは、運ぶ薬の量も増えるということで、河での短い移動とはいえ、そう何度も舟賃をかける程余裕があるわけではない。数か所を一気に回るので一人で動くのには限界があり、かつ、力持ちの荷物持ちは何人いても助かる。
そしてもう一つは、別の狙いのためである。
「で、どうだった?」
「ああ、お前の言った通りだったぜ」
歩きながら尋ねたスハに、ドハンが答える。いつの間に買ったのか、もしかすると実はずっと懐に忍ばせていたのか、こんがりといい具合に焼き色のついた団子を頬張りながらの言葉だ。
いつものことなので、それには特に触れず、スハはふっと笑った。
「やっぱりな。さすが違法なだけある。調子よく勝ってたのに、最後に有り金全部持ってかれるなんて、最初から相当なイカサマが働いてない限り起こりえない」
「お前がそれを言うか? イカサマに関しちゃ、お前の方が上だろ。賭け場のやつらは、なんでこいつのイカサマに気づかねえんだ」
「ふっ、それだけ俺の技が神がかってるってことだよ」
「うげえ、自信過剰もここまでくるともう病気だな」
嫌そうに言いつつ、次の団子を頬張る。それに、カカカッ、と楽しく笑ったあと、スハはずっしりと重い背中の荷に触れてから、少し思案するように腕を組んだ。
「これを依頼してきた客も、多分同じ手口で金を取られたんだ。俺の卓が五度目の勝負に入った時、近くに座った奴らが話してたんだよ。五回続けて勝てば、その五回目の勝負の儲けが十倍になるってな」
「ああ、言ってたやつか」
「おかしいと思わないか? あの時、卓の連中は皆その勝負に乗るか慎重になってたんだ。その時点で、連中の賭け金はえらいことになってたからな。けど、ちょうどそこで、図ったようにその話が聞こえてきてさ。連中は勝負に乗るどころか、追加で有り金全部をその勝負に突っ込みやがった。連中にそうさせるために、賭け場側がわざとその話を聞かせたとしか思えない」
「ふん、まあ、そういうことになるんだろうな。まったく、世の中には悪どいことを考える奴がいるもんだぜ」
と鼻息を荒くしたところで、ドハンは最後の団子を平らげた。
この数分の間にドハンが胃袋に収めた団子は、実に五本にも及んでいる。その本数を考えると驚きべきことだが、一本の串に刺さった団子をほぼひと口で食べきっているため、それくらいは容易いのかもしれない。
歩いている通りは、この街でも賑やかな通りだ。両側に店が立ち並び、行き交う人々はそれぞれの歩調で、目的の場所や興味を引かれたものの元に足を止めている。
その中を歩きながら、「スハ、お前さあ、」と食べ終わった団子の串を片付けていたドハンがこちらを向いた。
「さっきの勝負にしたって、こういうのが得意なのは分かるけど、あまりやり過ぎると目ぇつけられるぞ」
「分かってるよ。だからあまり同じ賭け場には行かないようにしてるだろ? あそこの被害者は多いだろうに、これ以上営業ができなくて残念だ」
「お前なあ……」
スハがドハンとともにこの街の賭け場に通うのは、実はある目的のためなのだが―――、
言っていたところで、ぴくっとスハの耳が何かに反応した。
同時に、ドハンもちら、とこちらに視線を寄越してくる。
人の歩調というのは様々で、特に多くの人が行き交うこんな通りでは、前を行く誰かと同じ歩調で進み続ける人間などいないに等しい。もしいたら、それは明確な意図をもって前の人間をつけているということだ。
「―――――………」
少し早めればその分だけ早まり、遅くすればその分だけ歩みが遅くなる。
少しずつ歩調を変えてそれを確認し、ドハンと視線だけで頷きあって、瞬時にその場を走り出す。
耳が捉えた複数の足音も、それを追うように後ろの方で同時に走り出すのを感じた。




