第3話 岩
「あ、いた! こんなところでまだやってたのか!」
うはうは気分でジャラジャラと儲けを収めていたところに、すぐ横でそんな声が止まった。
顔を上げると、なんだか少々険を帯びたような目がスハを見下ろしている。
「なんだよ、ドハン。そっちこそ、向こうの卓の方でさっきまで楽しんでたじゃねえか。もう全部使いきったのか?」
「違えよ! 俺はお前と違って限度額を決めてんだ。お前みたいに全部突っ込んだりしねえっての!」
言って、ジャラジャラとスハが収めていく大量の儲けを見下ろし、ドハンは顔をしかめながら腕を組む。
「時間が過ぎても全然来ねえし、迎えに来てみりゃあ、案の定だよ。お前、また調子に乗ってやりやがったな」
「待て待て、その言葉は聞き捨てならないな。賭け場は元々そういう場所だろ? それより、見ろよこれ。すげえだろ。いや、実はさっきの勝負でさあ―――」
「―――おい、」
スハが嬉々として話そうとしたところで、先程負かした親役の男がじろりと視線を向けてきた。男は立ち上がりながら、ひどく苛立たしげに睨んでくる。
「若造が、あまり調子に乗らねえこった。そのうち痛い目を見るぞ」
吐き捨てるように言って、そのまま卓を離れていく。拳を握り込んで離れていくその背に「はっ、忠告どうも」と投げかけながら、スハはそれを見送った。
客に大量に持っていかれるようなヘマをした者は、その卓の親役を交代させられる。放っておけば、賭け場がさらに損をしかねないからだ。
場内を見張るように卓の間を練り歩いていた屈強そうな者たちが数人、先程の親役が消えるのと同時にいなくなったところを見ると、男はこのあと裏で文字通り締め上げられることになるのだろう。
それを思えば、スハとしても、先程の苛立たし気な男の態度に少しは納得できるところもある。だが、そもそも賭け場は、乗る方だけでなく、乗らせる方も、それなりの覚悟を持って挑むべき場所なのだ。
正々堂々……とは言えないまでも、勝負に負けたあの男に同情の余地などない。ここのような違法な場であれば、それはなおさらである。
このあと男がどうなろうと、正直知ったこっちゃない。
でも、まあ、死なない程度に終わることだけは祈っといてやるよ。
短く息をついて顔を戻したところで、卓には新たな親役がやってきたところだった。席に腰を下ろしたのは、先程までの男とは異なり、親役らしくない、随分柔和な顔つきをした細見の男だ。
ああ、これは―――。
卓につくなり、次の勝負はどうするか、とそこにいる者たちに順に笑顔を向けていく新たな親役に、スハはすっと瞳を細めた。
その柔らかな表情は、先程までの下卑て荒い親役に慣れていた人間にとっては、かなり優しく、頼りなさげ―――忌憚ない言い方をすれば、弱そうに映る。だが、有り金をすべて失った者たちにとってこの柔らかさは、むしろ毒だ。
ふん、面白いことになってきたな。
人知れずそんなことを思っていたスハの方に、意思を確認する柔和な顔が向く。
「ああ、俺たちはもう行くから、気にしないでくれ」
「あ、おい待て、誰がやらねえって言ったよ」
すかさず断ろうとするドハンを遮り、スハは見せびらかすように大きく膨らんだ金の袋に触れ、その男に笑った。
「ふふふ、俺の限度額は一気に広がったんだ。もう一丁、勝ちをかましてやるよ」
「はあ!?」
「向こうはこれを取り戻しに来てんだ。勝負を挑まれてんのに、ここでやめたら男がすたるってもんだろ。なあ、おっさん? ―――て、うおっ!?」
好んで喧嘩を売りに行くことはしないが、売られた喧嘩は買ってやる。それがスハの信条だ。
軽く舌なめずりをしながら―――いや、もっと言うと、指や首の骨をぽきぽきと鳴らしながら気合十分な様子を示したところで、突如両脇に太い腕が差し込まれ、スハは思わず喉から妙な声を上げた。
身長差のおかげで完全に立ち上がるまでには至っていないが、両脇をがっちりと抱えられ、持ち上げられた猫のようにでろんと体が伸びる。
不意打ちを食らった形にはなるが、控えめに言ってもかなり無様な格好だ。
「いい加減にしろ、もう行くぞ」
この、馬鹿力め。
思わず、ちっと舌打ちが出る。
この五年で、ドハンは随分ガタイが良くなった。
昔より背も伸び、ひと回りも、ふた回りもガタイの良くなったドハンは、岩のようにデカい。子どもの頃はただの脂肪だった肉が、この五年ですっかり厚く硬い筋肉に変わったようだ。
不意打ちとはいえ、そんなドハンに両脇をがっちりと固められていては、逃れようにも逃れられない。
「分かった、分かった!」と言いつつ、そのまま引きずってでも行こうとするドハンの腕をぺしぺしと叩いて解放されたところで、スハはようやく立ち上がった。
「おふ……っ」
馬鹿力に固められた胸の骨が軋んでいる。それをさすりながら、スハは忌々しくドハンを斜めに見下ろした。
どっしり感で言うと軽く及ばないが、身長で言うとスハの方がドハンより頭一つ分は高い。
五年前はほとんど変わらなかった身長は、成長期を迎え、一気に差がついた。
当時、ソンジェの肩くらいまでしかなかったスハの目線は、今やそれを軽く追い越し、何なら、ソンジェすら少し見下ろすくらいの高さになっている。
もしかしたら年齢とともにソンジェの方が縮んだということもあるかもしれないが、それにしても、自分はかなり高い部類に入っているんじゃないかと思う。
一応付け加えておくと、ドハンの岩具合には及ばないまでも、スハも別にひょろりとしているわけではなく、十分にがっしりとした体格をしている。この五年、毎日体を鍛えてきたのだから、それは当然だ。
まあしかし、そろそろ潮時なのは間違いないな。
立ち上がったついでに、スハはさっと賭け場全体に視線を走らせた。
勝負の間に凝り固まった体をほぐすように装いながら、いたるところから寄せられる鋭い視線をそっと確認する。
これ以上警戒される前に、さっさとずらかった方が身のためだ。
そう判断し、大げさに息をついてみせながらスハは首を竦めた。
「はあ、まったく、お前が来なきゃもうひと勝負できたってのに」
「よかったな、俺のおかげでその金を失わずに済んだぞ」
「はは、言ってろ。俺が負けなしだってこと、ドハンも知ってるじゃねえか」
「……はあ、ほんとに……。誰だよ、こいつをこんなに調子づかせた奴は……」
呆れ混じりにドハンが言って、首を振り振りしながら歩きだす。ずっしりと金の入った荷を肩に背負い、「調子づいてんじゃなくて、事実だ、事実」と笑いながらドハンの肩に片腕を回して、ついでに、そのドハンの肩をまたぺしぺしと叩きながら、スハもその卓を離れた。
それでも、当初の目的は果たせた。
必要な分の金は稼げたし、なんなら余剰分もさらに稼げたくらいだ。
ちらと後ろを振り返ると、先程の卓では、柔和な親役が新たな勝負の札を配り始めていた。本当はスハをこそ取り込む予定だったのだろうが、無理に追いかけてこないところがさすが玄人だ。
少し前、勝負に負けて有り金すべてを失った三人は、さすがに席を立ったかと思えば、またそこで新たな勝負に乗ろうとしている。
賭けに乗るには、初めに賭け金を払う必要がある。有り金すべてを失ったというのにそれをどうするのかといえば、「前借り」という形で彼らは続けることにしたのだろう。だがそれは、この賭け場ではさらなる破滅への入口となる。
新たな親役の口車に乗せられたか、あるいは、見るからに柔和で弱そうな親役に、勝てると踏んでの愚かな行動か。
だが、そいつは多分、さっきの親役より数倍上手だぞ?
恐らく、先程の男より、こちらの方が腕がいい。この優しげな面に騙されて舐めてかかっていると、取り返しのつかないことになる。無いものまで絞り出され、骨の髄までしゃぶり取られるのが落ちだ。
賭け場は、娯楽を提供する場ではあるが、決して慈善事業ではない。
失った金を取り戻そうと死に物狂いになっている連中に、さらに金を使わせる。
ここは、どう転んでも賭け場が損をしないようなつくりになっているのだ。
それに気づいていても、わざわざ声を上げてまで忠告することはしない。
そこまでの責任を持つ義理は、当然スハにはないからだ。
自分のケツは自分で拭うのが賭け場の―――ひいては、この世の常識だ。




