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第9話 謀

盗賊による被害は、予想していたよりも遥かに大きなものだった。


光海国の西に位置する村の多くが焼き払われ、行き場を失った人々がそこら中に溢れていた。食べ物も飲み物も満足に手に入らない状態で、加えて、この一帯で元々流行していたのか、疫病に倒れる者も多く、人々の救済が何よりも急を要する事態となっていた。


鎧を(まと)ったユノは、陣幕(じんまく)で広げた地図の前に立ち、いくつも印がつけられた地図を険しい表情で見つめた。


討伐に赴いてからすでに半月が経っているが、未だに敵の実態を掴めずにいる。それもそのはず。多くの民を救済しながら、神出鬼没で出没範囲も広い盗賊を追うのは、少ない兵力ではかなり困難なものだった。


盗賊は既に、吏那国(りなこく)側でも、紫微国側でも同様に暴れているようだ。

新たに印を書き足しながら、ユノは舌打ちをした。一つ村が襲われるたびに増えていく印に比べて、遅々として進まない追跡に、苛立ちと焦りだけが募る。


「首長様!」


陣幕の入口に掛けられた垂れ幕を跳ね上げて、ユノの直属の部下である将軍が駆け寄った。


「どうした?」

「今しがた、差し向けていた追尾の者から知らせが参りました。ついに奴らの根城を掴んだとの(よし)にございます!」

「何!?」


ようやく舞い込んだ吉報に、ユノの瞳に光が宿る。


白山(はくざん)の中ほどの谷間に大きな洞窟があり、そこに居を構えていたようです」


ユノはすぐに地図に目を走らせ、立てかけていた太刀を掴み取った。


「急ぎ、隊を整えよ! すぐに出立する!」

「かしこまりました!」


頷いた将軍が陣幕を飛び出す。その後を追うようにユノも外に出た。


辺りには既に夜の(とばり)が下りている。日が落ちた空には星一つなく、月には濃い雲がかかっていた。時間が経つごとに闇は深まり、松明の灯りがあっても数歩先しか見渡せないほど、今宵の闇は色濃いものになるだろう。襲撃をかけるには絶好の夜だ。


整えられた隊の中から、ユノは選りすぐりの兵からなる三〇人余りの小隊を組んだ。夜陰に乗じて奇襲をかける際には、小回りの利く小隊の方が向いている。

先頭で馬を走らせ、ユノは白山の中腹に向かった。蹄の音が届く距離に入る前に馬を降り、追尾の者が張っている場所まで徒歩で進む。

盗賊が根城にしているという洞窟を見下ろす形で、味方の兵が数人、入口を見張っていた。ユノは片手で太刀を掲げ、後ろに連なる兵に歩みを止めるよう示した。


「首長様」


張っていた兵が、小声でユノに頭を下げる。無言で頷き返し、ユノは辺りの様子を探った。

今いる場所には背の高い(あし)が生い茂っており、あちら側からは容易には見つけられないだろう。逆に、洞窟の入口に煌々と焚かれた松明のおかげで、こちら側からは洞窟の様子が手に取るように分かった。


入口には左右二人ずつ、武装した門番が立っている。時折他の者の出入りがあるが、中の様子に大きな動きは無い。

ユノは後ろを振り返り、控えていた将軍に小さく指示を出した。


「隊を二つに分ける。私は正面から、そなたは後ろから回ってくれ」


将軍が無言で頷く。それに頷き返しかけたユノは、突然眉を寄せた。


「……待て!」


片手を上げ、動きかけた将軍を止める。

(いぶか)しそうに見返す将軍に顎で示し、ユノは洞窟の入口、そこに近づく一台の荷車に目をやった。


一人が引き、もう一人が後ろから支えるようにして、ゆっくりと洞窟に荷車が近づく。その荷車の前後左右には武装した兵がついており、辺りに目を光らせていた。

荷台には木箱と大きく膨らんだ袋がいくつも積まれており、完全には閉じられていない袋の様子から察するに、食料を運んできたのだと思われた。


「食料……?」


横で将軍が呟く声が耳に届く。振り向かずとも、将軍が眉をひそめたのがユノには分かった。


何かがおかしい。


ユノの胸中に、突如違和感が広がる。

こんな夜更けに食料を運んでいること自体にではない。では、何に対して。


今日襲撃があったと報告のあった場所は、貧しい村だったはず。それなのに、荷台に積まれた食料は不思議な程多い。

そして。

洞窟の入口で松明を掲げた四人は、古い鎧に厚い毛皮という山賊のような出で立ちをしている。なのに、荷車を守る兵は鉄の鎧を身につけていた。


―――鉄の、鎧?


違和感の正体に至ったユノは、さっと血の気が引くのを感じた。同時に、ひやりと背中を冷たいものが滑り落ちる。


自分はあの鎧をよく知っている。先の戦で目にしたばかりの鎧を、見間違うはずがない。あの鎧は、紫微国のものだ。


驚きで目を見開いたユノは、それでも(かぶり)を振り、必死に考えを巡らせた。


だが、なぜだ。なぜ、紫微国の軍が盗賊に食料を運ぶ必要がある。民を苦しめる盗賊を討伐しこそすれ、食料を届けるなどあり得ない。


こめかみにじっとりと浮かんだ汗が、首筋を伝った。刻まれた眉間の皺が一層深まる。


脳裏をよぎる疑念がある。頭の片隅に少しずつ広がるものがある。

だがユノは、そこから目を背けるように、荷車を運ぶ者たちを凝視した。


前を引いていた男が荷車を止め、懐から何かを取り出す。それを確認した門番が、荷車を中に通そうと道を空けた。その時。


ちらりと視界を掠めたものに、ユノは己が目を疑った。もう一度目を凝らし、今度こそ言葉を失くす。

荷車を引いていた者が懐から取り出したもの。あれは。あの玉牌(ぎょくはい)は。


細かな模様が掘られた翡翠の盤に、橙の房。ユノの瞳の奥に、先日見たばかりの光景が蘇る。腰帯に下げられた掌程の大きさの玉牌が、広がった羽織の中に―――。


そのヒャンだが……。私に、くれぬか?


「――――……!」

玉牌を捉えたままの瞳が、音を立てて凍りつく。

先日のソンドの言葉が、まるで耳鳴りのようにぐわんぐわんと木霊した。

胸を蹴り上げた心臓が全力疾走で駆け抜け、足元から悪寒が這い上る。腰の力が抜け、思わず地に手をついた。


「首長様?」


訝しんだ将軍が声をかけるが、ユノの耳には届いていない。喉が詰まって息が上手く吸えず、どくどくと激しく脈打つ鼓動が音を奪う。


ヒャン―――……。


それは直感だった。考えて導き出されたものではなく、今まさに肌で感じる恐怖から繋がる、唯一の答え。


瞳を見開いたままのユノの唇が、微かに震えた。紡がれた名が、音になる前に風に流れる。


「かかれ!」


瞬間、背後からあがった誰かのかけ声に合わせ、近くの茂みから武装した兵たちが一斉に躍り出てきた。それぞれに太刀や弓を構えた兵たちは、味方の兵たちを背後から次々と屠っていく。

洞窟の入口の方を向いてかがんでいた小隊の兵は、抵抗する余裕さえ与えられる間もなく倒れていく。それまでまったく予期していなかった方向からの攻撃に、辛うじて迎え撃つことができているのは、隊の長を任せられる力量を持った数人だけだ。


小隊はあっという間に敵に呑み込まれ、立っているのは片手で収まる人数だけになっていた。

残った人数で円になって武器を構え、周りを囲む敵に鋭い視線を向ける。


「何者だ」


聞かずとも、ユノには敵の正体が分かっていた。洞窟に入る荷車を護衛していた兵たちと同じ鉄の鎧を、今目の前にいる兵たちも身につけている。だが、聞かずにはいられない。

ユノはぎり……と奥歯を噛み締めた。


「私がファン・ユノだと知っての攻撃か」


「そなたこそ、ここで何をしている」


先程の掛け声とは違う声が、少し離れたところから聞こえた。夜闇にも重く低く響く、悠然とした声だ。


「クァク・ソンド……」


将軍のギテとともに現れたソンドは、鷹の目を(たの)しそうに細め、こちらを眺めている。


「ファン首長、聞こえなかったか。なぜそなたがここにいるのかと聞いている」

「……」


ユノは返事の代わりに、太刀を構えたまま、でき得る限り最大の力を込めてソンドを睨んだ。だが、ソンドの方は面白そうにさらに目を細め、口を開く。


「手中に収めたばかりの新たな土地で、武器を振るっている者がいると聞いて急いで駆けつけてみれば、それがファン首長とは……。これは一体どういうことだ?」

「……武器を振るっているなどと滅相もない。こちらこそ、国境付近の村々を襲う盗賊がいると聞いて鎮圧に赴いていたまで。なぜここに大王様がいらっしゃるのか、それを聞きたいのはこちらの方です」


構えた太刀を下ろすことはせず、ひたとソンドを見据える。片手でも余る程の人数しかいないこちらを、武装したソンドの兵が太刀や弓を構えてぐるりと囲っている。下ろした瞬間に押さえられる。そんな緊迫した空気に満ちている。


「ふん、身に覚えがないと言うわりに、そなたは今そうして、私に対して太刀を構えているではないか。私に対して太刀を向けることがどういうことか、分からぬそなたでもあるまいに」


下ろしたところで、押さえられる。だが、ここで下ろさなければ、ソンドの言を認めてしまうことになる。ユノはぐっと自らを抑え、「下げよ」と配下の将軍たちに命じた。そして、己も太刀を納め、その場に跪く。

うっそりと(わら)うソンドの口の形が、見えるはずのない視界の端に映った気がした。


跪いて下げた頭上から、ソンドの重い声が降り注ぐ。


「そもそも、盗賊と言うが、そんなものがどこにいる」

「どこにいるとは……」

「あそこにいる者たちは我が王命に従い、この辺りの村々を「整理」している者たちに過ぎぬ。人々を襲い、無慈悲に搾取している下等な輩ではない。我が軍が食料を運び入れていた状況を見ても分かるであろう?」

「村を襲って潰すことを「整理」などと。そこにも民はいるのです。それに、そのような話、私は聞いておりません。さらに、この辺りは隣国との境が曖昧な場所。いくら大王様であっても、そのようなことを勝手にすれば向こうが黙っては――」


言葉を並べるユノを、「――ああ、」と何かを思い出したようなソンドの声が遮った。

「そういえば、言うておらなんだか。そなたが心配するその隣国だが、先の話し合いで我が紫微国の配下に下ることになったのだ。手中に収めたばかりの新たな土地、と先程言うたであろう。ゆえに、村の「整理」には何ら差し支えはない」

「な……! そのようなこと、聞いてはおりませぬ」

「一国の主たるもの、情報収集は怠らぬのが基本。それができておらなんだそなたが悪いのではないか?」

「何を―――!」


この男は何を言っている。そんな話が通用すると、本気で思っているのか。


だが、わざとらしく考えを巡らせるようにして、ソンドは「ああ、そうすると――、」と目を細める。

「ここで問題になるのは……、ファン首長、そなただけだな」

「大王様……!」


思わず顔を上げて目を(みは)るユノに、ソンドがくっと(あざけ)るように口端を上げる。その笑みを孕んだ声が、嫌に耳にまとわりつく。


「少し前まで一国を治めていたそなたであれば承知しているであろう。領内で、主の命も、正当な理由もなく、勝手に挙兵した者が、どのような罪に問われるか。―――私に対し、反意(はんい)があると見なされても文句は言えまい」


そして、ゆっくりと腰を下ろし、ユノに目線を合わせたかと思うと、ソンドはユノの肩に手を置き、耳元で囁くように呟いた。


「―――そなたは、大逆罪人(だいぎゃくざいにん)だ」


大逆罪人―――謀反人。

耳元で囁かれた言葉が、直接脳に響く。まるで呪いの言葉のように、ユノの四肢を絡め捕る。


はかられた。


それだけが、頭の中をぐるぐると回っていた。


いつから。どこから。まさか、初めから――。


膝の上で握りしめた手に爪が食い込み、血が滲む。吐き出すことのできない苦い思いが、胸中に広がっていく。


ソンドが言っていることは滅茶苦茶だ。まともな頭で考えれば、その言に無理があることは分かる。だが、ユノは国主といえど属国の主。宗主国の君主がそうだと言えば、どんなに無理がある話でもそれが事実になる。ここでは、ソンドが法になるのだ。


そのソンドに、無理を押し通せるだけの「名分」を与えてしまった。


ソンドがなぜここまで周到に手を回してことを運んだのか、狙いは分かっている。

ヒャンだ。

ヒャンの天命を、手中に収めるために。


大丈夫だ、心配ない、そう約束したのに。何を根拠に。


大逆罪(だいぎゃくざい)は重罪だ。疑われただけでも極刑を免れない。つまり、どう足掻いても逃れることはできないということだ。


「罪人を捕えよ」


ソンドの号令に、兵が動く。

両脇を抑えられながら、ユノはただ拳を握り、唇を噛み締めることしかできなかった。


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