第41話 変
……どん……、どん……、どん……。
本番を迎えた火祭りの喧騒を遠くに、スハは石段を上りきった寺の入口でヒョリに向き直る。
「今日は、ありがとう。楽しかった」
「……ううん、こちらこそ。本当に、楽しかったわ」
ここまでずっと繋いできた手も、それが合図のように、どちらからともなくするりと離れる。それが、少しと言わず、自分を削り取られるように、すごく寂しかった。
多分、これでもうお別れだ。今までのようにこの寺に来ても、きっともう会うことはできないのだろう。
言葉で説明できない部分のところで、直感的にそれを感じる。
最後に何を言おう―――ずっと、それを考えながらここまで歩いてきた。本当はもっと楽しい話をしながら歩きたかったのに、それができなくて少しだけ後悔が残る。
もっと、ヒョリを笑顔にしてあげたかった。
あの話をしたあとから、ヒョリの表情はずっと暗いままだ。
これからもずっと友達でいようと言ったスハの言葉が嫌だったわけではないだろう、とは思っている。けれど、それがヒョリを喜ばせるものではなく、逆に辛い思いをさせてしまうものだったのかもしれないことは、否定できない。
また会いたいのに、会いたいと思っていればきっと会えるはずなのに、それができないってどういうことなんだろう……。
何度も考えたが、スハには分からない。分からないが、ヒョリもヨンギルも、同じことを言う。
―――でも、俺はそうじゃないと信じたい。だから。
スハは懐に手を入れ、そこからあるものを取り出した。
「これ、今日、最後に渡したいと思ってたんだ」
スハは取り出したそれを、ヒョリにそっと渡した。それを見下ろしたヒョリが、はっと瞠目する。
藤色の布地に、華やかな花々と一緒に刺繍された、白い鴉。
それは、結った髪に結びつけて飾る、幅広の髪紐だ。結んだ時に映えるように、両端と中央に花々と白い鴉が刺繍されている。
そこにあるのは、その人の幸せを祈る、吉祥の証。
「ヒョリにはこの色が似合うかな、と思って選んだんだけど、どうかな。女の子に贈り物をするなんて初めてだから、すごく悩んだんだけど」
へへ、と無理がない程度に笑いながら、スハは言う。言葉を失くしていたヒョリは、髪飾りを見つめたまま「ありがとう……」と呟いた。そして。
「―――嬉しい。大切にする」
本当に華が咲いたように。満開の明るい笑顔で、髪飾りを大切そうに胸に抱く。
「ヒョリ」
名残り惜しそうにしつつも、「それじゃあ……」と背を向けて行きかけたヒョリを、スハは呼び止めた。振り返ったヒョリをまっすぐに見据えて、今一番伝えたいことを言葉にする。
「さっきの約束、俺、本気だから」
「―――……」
「だから、覚えてて。ヒョリがそうしてくれたように、俺も、友達との約束は絶対に忘れない。絶対、守るから」
髪飾りを抱いたままの瞳が、大きく揺れたように見えた。だが、それをぐっと飲み込むようにして、何も言わず、ただ弱く微笑む。
それからヒョリは、何かを振り切るように背を向け、離れていった。
約束、絶対守るから。いつか必ず、会いに行くから。
だから、その時は、その髪飾りをつけて笑っているところを、見せてほしい―――。
そう願ったスハの想いは、どこまでヒョリに届いていただろうか。
伝えたいことは、すべて伝えた。
あとは、いつか必ずその約束が守れるように、明日からを生きていくことだ。
自分への決意を胸に石段を下り、スハが再び火祭りの喧騒の方へ戻ろうとしていたところで。
あれ、父さん―――?
今は祭りの中心できっと大勢の怪我人の手当てに当たっているはずのソンジェが、すぐそこの路地を急いで入っていくのが見えた。
近くにぽつぽつと火祭りの篝火が焚かれているのは見えるが、祭りの中心部である広場はまだ先の方で、ここからは少し離れている。にも関わらず、何やら慌てた様子で先に行く人に急かされながら入っていくソンジェの姿に、スハは首を傾げた。
ここは男衆が駆け抜ける道でもないし、こんなところで一体どうしたんだろう。
思いながら、スハもソンジェのあとを追って路地に入った。
進んでいくと、その先に何かの人だかりができているのが見える。人だかりはそれ程大きなものではないが、確実にそこで何か変事が起きたのだろうということは分かった。
「父さ―――」
声をかけようとしたところで、人だかりをかき分けて中に入っていったソンジェの向こう側に、地面に膝をついて何かを押さえているヨンギルの姿が見えた。
「……え、おじさん?」
瞬間、スハは急いで人だかりに駆け寄る。
「父さん! おじさん!」
人だかりの合間に、一瞬だけ見えた。地に膝をつき、何かを必死に押さえているらしいヨンギルの手や衣服の至るところに、赤黒い染みがついているのが。
そして、その手が押さえる「体」が、大きく地面に投げ出され、生きているのかも怪しいくらいにまったく微動だにしていないことが。
「父さん、おじさん……!」
スハは叫ぶようにしながら人をかき分け、その中に飛び込んでいった。




