第42話 走
人だかりの中に飛び込むと、ソンジェだけでなく、ヨンギルも「……スハ!?」と驚いたように顔を上げた。
「お前、どうしてここに」
「そんなことより、一体何だよ、これ……! トボクおじさん、どうしたんだ!?」
他には目もくれず、スハは叫ぶ。
じっくり確かめるまでもない。先程見えたから知っている。
胸に大きな怪我を負っているらしい、地面に力なく四肢を投げ出して倒れているのは、トボクだった。
辺りに立ち込める、むっとする程の血の匂い。
既に大量の血を失っているらしいトボクの顔は、青白いのを通り越して土気色になっている。
ヨンギルに目を向けると、ヨンギル自身も唸るように眉間に深いシワを寄せた。
「それが、よく分からんのだ。先に気付いた女将の声で駆けつけたところ、ここにこうしてトボクが倒れておった。誰にやられたのか、何があったのか、確認しようにも本人がこの状態では……」
そして、ヨンギルは険しい表情をソンジェに向ける。
「できる限りの応急処置は施したが、既に大量の血を失っている。熱も出てきているようだ。これ以上の血を流さんよう、早急な手当てが必要だ。鍼はあるか」
「ええ、念のため用意していたものがここに。私は傷自体の手当の方を急ぎますので、ナ教吏様はこちらを」
そして、ソンジェはその鍼をヨンギルに渡し、自身は手当のための薬と道具を急いで用意し始める。
スハも、二人が処置をしやすいようにと、血を拭いたり、トボクの体を押さえたりと、できることを必死に手伝った。
どれ程の時間、その手当てにあたっていたか―――。
やがて、出血が徐々に引いていき、意識を失っていたトボクがうっすらと目を開けた。
「トボク! 気が付いたか!」
「……う…、おじさん……?」
「ああ、私だ。分かるか?」
「トボクおじさん、気が付いたんだね! よかった……!」
「……スハ……?」
ヨンギル同様に覗き込むスハの顔をぼんやりと見上げたトボクは、その隣にいるソンジェにものろのろと視線を動かし、そしてそこで、急にはっと目を見開いた。
「た……、大変だ……! こんなことをしてる場合じゃ……! 痛っ……!」
急に起き上がろうとして、胸に広がったのだろう凄まじい痛みにトボクが顔を歪める。
「動くんじゃない! 今動けば、また傷が開くぞ!」
「でも、薬房の女将さんが……!」
「なに、薬房だと……!?」
一気に険を帯びるヨンギルに対し、トボクは再びスハとソンジェに目を向けると、苦痛に顔を歪めながら呻くように話し始めた。
「俺、見たんだ……。薬房の女将さんが、なんだか得体の知れない奴らに、連れて行かれるところを……」
「……え?」
その言葉に、スハの瞳が固まる。
「薬房の女将さん」とは、誰のことだ?
すう……と、氷の手で撫でられたように奥底が冷えた。
まさか、俺の母さんのことじゃないよな―――?
変に心臓が跳ね、そこから急に思考が動かなくなる。まるで、その答えを出すことをどこかが阻んでいるようだ。
だが、トボクの言葉は続く。それが、嫌でもスハの耳に入ってくる。
「……黒い連中が、女将さんを取り囲んで、どこかに連れて行こうとしてたんだ……。祭りに行きかけたところで、それを見かけて、なんとか阻もうとしたんだけど、俺、何もできなくて……」
痛みに対するものなのか、その時の恐ろしさが蘇ったのか、ぶるぶると震えながらトボクが話す。
「それで、飛び出していって斬られたというわけか。……無謀にも程がある」
「仕方ないだろ……、止められるとしたら、俺しかいなかったんだ。でも、結局……連れて行かれちまった……!」
ぎゅっと瞳を引き絞るトボクに、「もうよい。分かったから、それ以上はしゃべるな」とヨンギルはその肩を押さえた。だが、スハには到底、そのまま引き下がることはできない。「ま、待ってよ……」と呟くと、必死に抑えようとしていたものがそのまま一気に溢れ出る。
「母さんが連れて行かれたって、どういうことだ!? 得体の知れない黒い連中って、なんで母さんがそんな奴らに連れて行かれるんだよ! しかも、トボクおじさんをこんな風にしたのは、そいつらなんだろ!? なのに、そんな奴らが母さんを連れて行ったなんて、そんなの……っ!」
「スハ、落ち着け!」
「落ち着いていられるわけないだろ! 父さんは心配じゃないのかよ!」
スハの肩を掴み、押さえるようにしていたソンジェの手を強く払いのける。
こんなところで、こんなことをしている場合ではない。早くユンファを探し、助けなければ……!
居ても立ってもいられず走り出そうとしたスハを、再びソンジェの手が封じる。
「スハ、待て!」
「離せよ! 離せっ!」
「だから、落ち着けと言ってるだろう! 闇雲に走り回ったところで、母さんを助けられるわけじゃないんだ! どこに連れて行かれたのかだって分からないんだぞ!」
「そうだけど……っ!」
スハを押さえる手にぐっと力を込めて言ったあと、ソンジェは何かを考えるようにしていたヨンギルを振り返った。
「ナ教吏様、私は一旦、家の方へ行ってみます。もし荒された形跡などがあれば、連れて行った者たちの手がかりが残っているかもしれません」
「……ああ、そうだな。まずはそれがいいだろう。―――スハよ、ユンファのことが心配だろうが、ここは子どもが出る幕ではない。ここの女将に話はしておくから、トボクと一緒に待っておれ」
「な……、おじさんまで、何を言ってるんだ! こんなところで大人しく待っていられるわけないだろ! 連れて行かれたのは、俺の母さんだぞ! もし、そいつらが母さんを傷つけたりしていたら……」
ちら―――と、今もそこで細い息を繰り返すトボクの姿が、視界の端を掠める。
「そうなるかもしれないと分かってて、じっとなんてしていられるか……!」
「気持ちは分かるが、しかし……!」
「探すだけだ……。もし見つけたら、必ず知らせるから……!」
だから……、と懇願するように見つめると、ヨンギルは「お前は……っ」と呟き、だが観念したように「……仕方がない」と頷いた。
「だが、本当に探すだけだぞ。もし見つけたとしても、決して自分だけで突っ込んでいこうとするな。まずは知らせるのだ。それが守れないのであれば、初めから何もするんじゃない」
「……分かった、約束する」
ぐっと頷くスハに、ヨンギルはソンジェを見る。
「スハのことは、私が責任を持とう。危うくなりそうな時は、私が必ずこやつを押さえる。それならばよいか、ソンジェ」
「私に否やはございません」
「よし」
そして、ヨンギルはトボクのことを任せるために一旦その場を離れ、ソンジェは先程話していた通り、まずは薬房でもある家へと向かった。スハも、ユンファを探すため、そこを飛び出していく。
心当たりなど何もない。一体どんな奴らが、何のためにユンファを連れ去ったのか、それも分からないのだ。けれど、何もせずにはいられない。
しらみつぶしに探してでも、必ず見つけ出して助けなければ。
母さん、それまでどうか、無事でいて……!
スハは、火祭りの中をただひたすら走った。




