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第34話 闖

 山賊か人攫いか、どちらにしろ捕まれば終わりだ。命の保証だって無い。


 なんとかして、この場から逃げなければ。


 ぎゅっ! とヒョリの手を握り、「こっち!」とスハは反対の方へ走りだそうとした。だが、行く手を阻むように先に回り込んだ男が「おっと、」と太い腕を広げて立ちはだかる。


「そんなに急いで、どこに行くんだ? 俺たちと少し遊ぼうぜ」


 俺たち……?


 その言葉に、すう―――、とスハの心臓は一気に冷える。

 その驚愕を嘲笑うように、くつくつと喉の奥で(わら)う男は、周りについと視線を走らせた。いつの間に囲まれていたのか、同じように下品な笑いを浮かべた連中が、脇から続々と歩み出てくる。


「な……っ!」


 一人ならまだしも、これだけの人数、どうやって逃げれば……っ!


 気付けば、スハたちはぎらぎらと眼を光らせる五、六人の男たちに取り囲まれていた。その全員が、分厚い毛皮で身を固め、腰や手に得物を持っている。


 一瞬で周りを囲まれたスハは、ヒョリの手を握ったまま必死に考えを巡らせた。


 目の前のやつの足を思いきり踏んで、そいつが屈んだところに特大の頭突きを食らわせれば、空いた隙間から逃げだせるか……? ……いや、だめだ……! 思いきり踏んだところで、あんなに分厚い毛革の靴を履いていたんじゃ大して痛くもない。それに、たとえそのあとの頭突きまで成功したとても、向こうの懐に飛び込むのは危険過ぎる……! 隣のやつと一緒になって抑え込まれれば、ひとたまりもない。そうなったらおしまいだ……!


 あちこちに視線を巡らせながら、ぐるぐると必死に頭を動かして、なんとか方法を考える。だが、ろくな作戦を思いつかない。


 悩んでる暇は無いっていうのに、くそっ……! 何かいい考えはないのか……!?


 緊張と焦りで汗が溢れ、ヒョリと繋いでいる手がずるりと滑る。


「……あっ!」


 その瞬間を、相手は見逃さなかった。まるで計ったかのように、スハの手から離れたヒョリの腕を男たちの一人がすかさず捕らえ、なんと後ろ手に絞り上げたのだ。


「きゃあ……っ!」

「ヒョリ―――!!」


 瞬間、どん―――! とスハの中で何かが弾けた。

 全身が、かっと熱くなり、頭で考えるより先に足が地を蹴る。凄まじい勢いで飛び出した体は、ヒョリの腕を捻り上げる男に向かって特大の体当たりをかましていた。


「ぐおっ……!」


 不意を突かれた男は反動でぐらりとよろめき、その隙に緩んだ手からヒョリを奪い返す。


「この、ガキの分際で……っ!」


 ひと回りも、ふた回りも体の小さい子どもにやられたのが屈辱だったのか、男はそこで一気に気色ばんだ。ヒョリを背後に守ろうとするスハを思い切り蹴り飛ばし、その勢いのまま、腰に差した得物を引き抜く。そして、地に転がるスハめがけて斬り下ろそうと、勢いよく振りかぶった。


 やられる……!


 ぎゅっ、と強く目を閉じた時、ぴぴいっ、と口笛のようなものが聞こえた。続いて、この緊迫した瞬間にはとても場違いな、やけに上機嫌な鼻歌が耳に届く。


「ふんふん、ひっく。おっと、こんなところに人が」


 お、おじさん……?


 なぜこんなところにいるのかは分からないが、明らかに泥酔している様子のヨンギルが、道をこちらへ、ふらふらと千鳥足でやって来るのが見えた。

 右に左に揺れる覚束ない足取りに合わせて、手に下がる酒があっちへこっちへと大きく揺れている。僅かに赤らんだ瞼は、酒の眠気に負けて今にも閉じてしまいそうだ。


 ―――と、足元に転がる石に気付かず、それに(つまず)いたヨンギルは「おっとと……!」と盛大に体勢を崩した。そのひょうしに、手に下げられていた酒の重い底がぐんと宙に浮き、一番近くにいた男の頭をまさかの調子で、ずがん―――! と強打する。


「うん? おっと、すまん、すまん」


 気を失ったように倒れ込む男に対し、ふら……っとヨンギルが覚束なく振り返ったかと思うと、その動きに合わせてぐるんと横殴りに回転した酒が、今度はその隣にいた二人に次々と命中した。


「ぐえっ!」

「ぎょあっ!」


 ヨンギルは、ばたばたと倒れる男たちに、んん~? としょぼつく目を必死に開けるように顔を寄せ、「おお、何だ? こんなところで昼寝をするとは、相当眠かったようだな。ひっく」などと言いながら、はははと笑っている。


 な、なんだ? 何が起きてるんだ? おじさんが来てから、急に三人も地面に転がったぞ……?


 どれ程吞んだらこうなるのか、ぐびっとまた酒に口をつけるヨンギルの足は、今まで見たこと無い程にふらふらと揺れている。


 スハはその光景を、ただ茫然と見つめた。偶然の産物だとしても、目の前で繰り広げられている光景があまりにも信じられない。


 突然の闖入者に言葉を失っているのは相手も同じようで、先程スハたちの前に立ちはだかった、やつらの(かしら)と思われる大男ですら、幽霊を見るような顔でヨンギルを見つめている。

 だが、徐々に正気を取り戻してきたのか、次々と仲間を倒されている現状を目の当たりにして、男の顔は頭に血が上ったように真っ赤になった。


「この……っ、ふざけやがって……! おい、じじい、あまりフザケたことをしてると痛い目見るぜ!」


 そして、誰よりも大きな大刀(だいとう)を腰から抜き、ぶん! と大きく振ってみせる。が、何を思ったか、その懐にふらふらっと入り込んでいったヨンギルは、


「なんだなんだ、こんなに楽しい気分だというのに、お前さんは何をそんなに目を怒らせとるんだ? ひいっく」


と笑い、「まあまあ」と言いながら、とん、とん、とん、と男の胸を軽く叩いた。すると突然、その男は泡を吹き、その場にどさりと倒れ込んでしまった。


 え……?


 何が起こったのか、もう訳が分からない。

 度肝を抜かれたのはスハだけではない。(かしら)が倒れるのを見ていた残った者たちの顔色も当然、一気に青ざめていく。それを知ってか知らずか、ヨンギルの千鳥足が今度は、ふら、とそちらを向いた。


「お、まだ起きてるやつもいるな。どうだ、あっちで一杯やらんか? 奢るぞ? 金は無いがな。あっはっはっはっは」


 足をふらふらさせながら再び鼻歌を歌い始めると、残っていた者たちは慌てたように倒れた者たちの肩を担ぎ、退散していったのだった。







「ひっく。さて、道を塞いでいた者たちもいなくなったことだし、うちに帰って寝直すか」


 先程までと同じように足をふらつかせながら、ぐびっとまた傾けた酒を担ぎ直し、ヨンギルがその場を去ろうとする。それに、おじさん―――! と声をかけようとして、はっとスハは止まった。


 その前に、ヒョリだ。ヒョリは無事か。


 ぐるっと見回して、先程スハが後ろに庇った時と同じところに呆然と立ち尽くしているヒョリの姿を見つけ、スハはほっと息をついた。


「ヒョリ、大丈夫?」

「……え、ええ、私は大丈夫よ」


 青い顔をしていたヒョリは答えると、だがそこで急にはっと別の色に顔色を変え、慌てたようにスハに飛びついた。そして、腕や足、あちこちを確認し始める。


「それより、スハは? スハこそ、大丈夫なの!?」

「あ、ああ、俺は大丈夫。ちょっと擦りむいただけだから」


 ひとしきり確認して満足したのか、ほっとヒョリの手が離れた。その様子に、思わずふっ、と笑みがこぼれる。

 そうして、今もまだふらふらとそこら辺を歩いているヨンギルに「おじさん!」と声をかけた。


「助けてくれて、ありがとう」


 言うと、「うん? 何のことだ?」とヨンギルはしょぼつく眉根を寄せながら振り返った。


「なんだあ? いつもはただの呑んだくれだと侮っているくせに、今日はやけに殊勝なことを言うではないか、ひっく。私はただいつものように酒に酔っているだけで、お前を助けた覚えなんぞ、これっぽっちも無いぞ?」

「でも、それじゃあ、さっきあいつらを追い払ってくれたのは―――」

「追い払う? 私が? 何の話だ? 見ての通り、ひっく、こんな覚束ない足で、そんなことできるわけが無いだろう」


 じゃあ、あれは一体何だったんだ?


 ヨンギルの言葉にスハは首を傾げるが、気持ちよさそうに鼻歌を歌いながら、ふらふらとまた歩き出したヨンギルは、「ああ、そうだそうだ」と再び足を止めてこちらを振り返る。


「冒険もいいが、そのために傷つくかもしれない人間がいるということを、もう少〜し、知っておかねばならんなあ。自らにその気がなくとも、その危険性は常にあるのだ。そうなってから後悔しても、遅いというものだぞ?」

「……おじさん、急に何言ってるんだ」


 このおじさんは、たまに何の脈絡もないことを急に言い出すから困る。

 胡乱(うろん)に見つめるスハに対し、ははは、と笑って、ヨンギルは下げた酒を揺らしながら去っていった。




 ◇   ◇   ◇




 スハに通じずとも、少女の方はそうではない。まだ幼いとはいえ、「忠告」は十分に通じるはずだ。そう言えば分かるくらいには、本人の中にもその自負はちゃんとあるだろう。その証拠に、少女は俯いて唇を固く結んでいた。


 スハが止まらないなら、そなただけでも止まってくれねば。


 再びぐびりと酒を呑み、先程までのふらふらを消し去った真っ直ぐな足取りで、ヨンギルは坂を下った。

 その木々の合間に、小さく波止場が見える。


 ふっ、出発点か。スハのやつめ、上手いことを言う。


 通りの方で見かけて、そこからつかず離れずで何となくついて歩いていたところに、あの連中が躍り出てきた。成り行きでそこで出て行くことになったが、そこまでの二人の会話ももちろん聞いている。


 せっかくなので、と波止場の方を覗きにさらに下りてみると、そこは思っていた以上に人で賑わっていた。スハの言葉を思い出して、ふっと自然と笑みがこぼれる。


「―――師匠」


 そばにじゃり、と気配が立のを感じ、ヨンギルはそれまで浮かべていたものとは別の笑みをそこに浮かべた。そして、その笑みを浮かべたまま静かに振り返り、そこに立つ人物の顔を正面から見据える。


「ギテ、久しいな」


 そこにいたのは、紫微国(しびこく)の大将軍、チャン・ギテだった。


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