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第30話 密

 チョンミョンの冷静な言葉に、セヨンは急いでその場を取り繕う。


「ああ、いえ、寺の僧侶から聞いたのです! そう、この辺りでは有名なお話らしく……!」

「―――ふん、まあよい」


 とりあえずは頷いてもらえたことに、セヨンはほっと息をついた。一先ず、誤魔化すことはできたようだ。


 ―――と、セヨンが心の中で胸を撫でおろしている間に、チョンミョンは細めた目をセヨンの後ろの方へ向けた。


「ヒョリ」

「はい」

「そなたも心得ているであろうが、寺にいる間、セヨンをしっかり見ておくように。もし万が一にも目を離した時は、そなたの首が飛ぶと思え。よいか」

「かしこまりました」


 静かに返事をしたヒョリは、変わらず落ち着いた様子でチョンミョンの言葉に頷いている。だが、それを横で―――いや、前で聞いているセヨンとしては、少しおかしな気分だ。一瞬前の緊張も忘れて、思わず、ふふ、と笑いがこぼれる。


「母上様、それではまるで、ヒョリが私の監視役のようではないですか。ヒョリは女官見習いですよ? それに、目を離しただけで首が飛ぶだなんて、少し大げさではありませんか? ヒョリが目を離したところで、私は何もしませんよ?」

「セヨン」

「はい」

「私はそなたのその言葉を信じてはおらぬ」


 なんと……。

 母からそんな疑いの目で見られていたとは。けれど、それがまったくの杞憂というわけでもないことをセヨンも心得ているので、何も言い返せない。


 そんなセヨンに向き直り、チョンミョンは声を厳しくして告げた。


「セヨン、母はこれから明日の朝まで堂に籠り、王后として祈りを捧げる。先程の礼拝よりも体力を使うものゆえ、そなたは同行せずともよい。だが、よいか。到着した際に言ったように、何も問題を起こさず大人しく過ごしているのだぞ。分かったな?」

「え、ええ、分かりました」


 そう答えると、自分でもそれを認めているようで複雑な心境ではあったが、そこは素直に頷いておくことにした。




 ◇   ◇   ◇




 まったく、同じように厳しく育てたはずなのに、セヨンはなぜこうも奔放に育ってしまったのか。


 セヨンが退室した後。

 苦々しい思いで深いため息をつき、チョンミョンは痛むこめかみを揉みほぐす。


 王太子である兄のジュングと比べても致し方ないが、セヨンには慎重さに欠ける部分がある。

 度胸という点を取れば、父親であるソンドに似たのか、セヨンの方が大いに据わっていると言える。だが、セヨンの場合、それがいらぬ方向へ働いていると言わざるを得ないのが現状だ。


 この国の、王子でもなく、()()なのだという自覚を、もっと持たせなければならない。王女には、王女の「役割」というものがあるのだ。


 そう思って、ふっ、とチョンミョンは自嘲気味に口元を歪めた。


 まさか自分が、このような母親らしいことで頭を痛める時が来ようとは。


 再び、ふん、と小さく鼻で笑ったところで、「失礼いたします」と誰かの訪れを告げる声が聞こえた。

 王后様―――とチョンミョンの部屋に入ってきたのは、大将軍となったギテだ。


「チャン将軍―――いや、大将軍か。忙しいだろうに、何用か」


 そこに、今しがたまでの自嘲気味の笑みは無い。王后たる余裕を湛えながら口元だけで笑って返したチョンミョンに、ギテは僅かに頭を下げたあと、こちらの傍らに控えるホン尚宮(さんぐん)にちらと視線をやった。その意図を察して、ホン尚宮に下がるように言う。


 外に控えていた者の気配もすべて遠ざかったのを感じ、チョンミョンはギテに向き直った。


「それで、何か話でも?」

「はい、実は昨日、この村の通りの方を見回っていたところ、妙なものを見かけまして」

「妙なもの?」


 眉を(ひそ)めるチョンミョンに、ギテは声を低めて続ける。


「道行く者の中に、見覚えのある者が」

「見覚えのある者だと? ふっ、何を言い出すかと思えば、わざわざそのようなことを言うために参ったのか」


 常の無表情とそう変わりはしないが、それでも神妙な面持ちでやって来るから何かと思えば。

 チョンミョンはギテの言葉を鼻で笑うように目を細めた。


「辺境とはいえ、同じ国なのだから見覚えのある者くらいいよう」


 だが、言った言葉に対し、ギテは「いえ、そうではございません」と首を横に振った。そして、人払いをしたあとだと承知しているにも関わらず、それでもなお辺りの気配を入念に探るようにしたあと、先程よりもさらに声を低めてギテは言った。


「一三年前、赤子とともに逃げた者です」


 一三年前。赤子。


 それを聞いた途端、チョンミョンの中で忘れていたはずの炎が、ぐわっ……! と燃え上がった。


 あの時、無残に引き裂かれた、矜持(きょうじ)と、尊厳(そんげん)。そして、忘れもしない、あの絶望。


「赤子を連れて逃げた女に酷似した者を、あの村の中に見かけました」

「……なんだと? その言葉、確かか。その女は、一三年前のあの時に命を落としたと聞いていたはずだが……?」

「―――っ、申し訳ございません!」


 失態を認めるように目を下げて言うギテに、チョンミョンはぎりりと強く拳を握り締めた。胸中に渦巻く、憎悪とも、憤怒ともつかぬ激情が、一気に溢れ出る。


 一三年前、死んだと思っていた者が、生きていただと……?

 それも、辺境の地とはいえ、この紫微国(しびこく)の中で密かに―――。


 チョンミョンは激情に震える喉からゆっくりと息を吐き出し、「チャン将軍―――、」と冷たく燃える双眸(そうぼう)を上げた。


「見かけたというその者、まことにあの者であれば、必ずや私の前に連れてこい」

「承知いたしました」


 生きていたのが事実なのであれば、確かめねばならないことがある。


 ギテのことだ、これから堂に籠もっての祈りが終わる頃には、その者を必ず自分の前に連れてくるだろう。


 下がっていくギテの背を、握り締めた手のひらに血が滲むのを感じながら、チョンミョンは見送った。


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