第29話 拝
今回の行幸のそもそもの目的は、大王である父ソンドの活躍と紫微国軍のますますの健闘、そして、この国のさらなる発展を祈念することにある。
セヨンが行幸の同行を切望したのは、王宮の外に出て人々の暮らしを少しでも感じるためではあるが、それはあくまで個人的な話であって、務めは務めとしてしっかり果たさなければない。
気を抜けば自分が興味のある方へすぐに行きたくなるし、熱中すれば周りが見えなくなることもしょっちゅうで、王女としてまだまだ未熟であることは承知しているけれども、その責務はしっかり心得ている。
太い線香が至る所で焚かれた長慶寺の本堂で、母のチョンミョンとともにご本尊の前に手を合わせ、膝を折って深く礼を取り、再び立ち上がる。僧侶たちの読経に合わせてそれを何度も繰り返す。
絶えず、立ったり座ったりを繰り返すため、そのうち膝が悲鳴を上げ始めるが、そこは根性でなんとか乗り切った。
そんな朝の礼拝を終えて自室に戻り、痛む膝にヒョリが冷えた湿布を乗せてくれていたところで、セヨンはチョンミョンに呼ばれた。
「来たか」
軽く礼をしてチョンミョンの居室となっている部屋へ入ると、少し前まで礼拝をしていたのが嘘のように、涼しい顔で迎え入れられた。
さすが、母上様だわ。顔色一つ変えず、涼しいお顔で立ったり座ったり……。膝が痛くないのかしら。
同じ動作を何度も繰り返したのは同じなのに、少し休んだとはいえ、歩くのにも少々難儀するセヨンとは違い、円卓の椅子に腰かけるチョンミョンの動きは、普段と変わらない気品あるものだ。
「さすが、母上様ですね」
驚きを隠せず、感嘆するように言ってしまうと、チョンミョンは怪訝に片眉をあげた。
「さすが? 何がだ」
「お膝ですよ。私は歩くのも少し難儀しているくらいなのですが、母上様はいつもとお変わりない様子で驚きました」
「ああ、こんなものは、何度も繰り返しているうちに痛まぬようになるものなのだ」
「そうなのですか。では、私もこれから毎年母上様に同行していれば、同じように痛まぬようになるのですね」
「……そなた、まさか、今後毎回同行するつもりか?」
「ええ、もちろんです。これも王女である私の務めと心得て、今後も毎年欠かさず、必ず同行したいと思っています」
王宮を出てから今この瞬間まで、セヨンはずっとわくわくが続いている。礼拝の辛さですら、嬉しい悲鳴だ。
それはきっと、スハという初めての友達ができたこともあるだろうが、次もこんな機会が得られるのなら、何を押しても同行したい。
ゆえに、セヨンとしては当然の答えだったのだが、どうしてかチョンミョンは眉間を軽く押さえて目を閉じ、深く長く息を吐き出した。
どうしたのだろう。急に深呼吸でもしたくなったのだろうか。
きょと、と見返したセヨンに、やがて顔を上げたチョンミョンは「それで、」と気を取り直したように口を開く。
「あれだけ見たいと言っていた民の暮らしだが、実際見てみてどうであった?」
「……ごほっ!」
急な言葉に、思わずセヨンは激しく咽た。別にお茶などを飲んでいたわけでもないのに急に咳き込んだセヨンに、チョンミョンは訝し気に眉根を寄せている。
「どうした、急にそのように」
「い、いえ、なんでもありません。……それで、ええと、民の暮らしですか?」
「ああ、こちらに向かう途中、輿から眺めたのであろう。その行為自体は、王女の品位を損なうものだと言わざるをえないが、僅かとはいえ、あれ程望んでいたものを目にすることができたのだ。満足したか?」
なんだ、そういうことか―――。
その言葉に、内心でほっと息をつく。
昨日、ここを抜け出し、スハとともに通りの方へ行ったことを指摘されたのかと思った。
バレていないのであれば、話に齟齬が出ないよう、細心の注意を払いながら素知らぬ顔で返すに限る。
「ええ、そうですね。ほんの少しの隙間、時間ではありましたが、見るものすべてが不思議で……。ですが、母上様、満足だなんてとんでもない話です。欲を言えばそれだけでなく、できればもっと近くで―――」
言いかけたところで、後ろから「こほんっ」と小さく咳払いをするのが聞こえた。
ここまで一緒にやって来たヒョリだ。何かあった際に女官見習いとしてすぐに対応できるよう、部屋に入った時からセヨンの斜め後ろに控えている。
ヒョリのおかげで、セヨンはまた調子に乗って言いかけていた言葉を止め、少しばかり剣の孕んだ瞳でこちらを見る母の言葉が、耳に痛いお小言の方へ流れていく前に、と急いで話題の転換を試みる。
「そういえば、母上様は『白い鴉』というものをご存じですか?」
「白い鴉?」
耳慣れない様子で僅かに首を傾げたチョンミョンに、やっぱり母上様も知らないのね、これはちょうどいい話題だわ、と思いながら、あの話をする。
「ずっと昔、この三景の地が、一つの広大な国だったというお話です。そして、その国は『白い鴉』に守られた国で、その白い鴉こそが、かの国を三景の覇者へ導いたのだと」
「ほう、そのような話は初めて聞くな」
頷くチョンミョンに、セヨンは少し得意になって話を続けた。
「ですから、この辺りでは、白い鴉は吉祥の存在として受け入れられているのだと聞きました。王宮ではそのような話を聞いたことがなかったので、とても興味深くて」
「なるほど。―――しかし、そのような話、どこから聞いたのだ」
「え?」
チョンミョンの冷静な言葉に、思わずぎくっと固まる。
しまった、確かにその通り。ちょうどいいと思った話題が、墓穴を掘る流れになってしまっている。
このままでは、目を盗んで勝手に抜け出していることがバレてしまうかもしれない。それはまずい。とてもまずい。
「あーあ、やってしまいましたね」と、後ろからヒョリの呆れた声が聞こえた気がした。
もちろん、実際のヒョリは、僅かに顔を伏せたまま静かにそこに控えているだけだけれども。




