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第24話 虚

 スハとユンファの背を見送って、ヨンギルは短く息をつく。


 「ヒョリ」という、あの子ども。


 身につけていたのは、昨日の行列で見かけた「女官見習い」の衣装だった。だが、それが普段あの子が身につけているものでないことは、その容姿を見ればヨンギルにはすぐに分かった。


 大きな瞳に、絹のような白い肌。

 黒い髪は子どもながらにも艶やかで、その指先、つま先まできれいに整った様子は、労働とは程遠い。


 その「ヒョリ」が、先程血相を変えて見つめていた視線の先。見えたのは一瞬だけだったが、そこにいたのはこの国の大将軍、チャン・ギテだった。


 ここは、都城(とじょう)から見れば辺境だ。行列の護衛の他に、ギテはこの辺りの治安の様子を確認して回るという任でも負っているのだろう。


 「ヒョリ」同様、ヨンギルも、ギテの目はできることなら避けたい。先程、送ると言ってスハと歩き出したのはそのためだ。


 ギテとは、過去のある時を共にしたことがある。しかも、かなり密接に。

 別に逃げているわけでも、隠れているわけでもないが、見つからないに越したことはない。少々悪いとは思いながら、スハを隠れ蓑にさせてもらった。


 ヨンギルは一人、家への道を帰りながら、ぐびり、と酒を口にした。


「もうすぐ火祭りだな。お前も、今年は参加するだろう?」

「もちろん、やっと一五歳になったんだ。他のやつらと一緒に、当然参加するよ」


 すれ違う親子が交わすそんな会話が聞こえてくる。それを耳の端に捉えながら、ヨンギルは再び酒を呑む。


 火祭りか……。大王の活躍など、あの者を表すたった一部分のみの話だというのに。


 人々が敬い、崇め奉る紫微国(しびこく)の大王クァク・ソンド。この国の民が当たり前に知っているその王の姿は、戦に強く、死力を尽くして民を守る慈悲深い人間だ。

 だが実際の姿は、それとは大きくかけ離れている。


 ヨンギルはもうとっくに忘れたと思っていた遠い過去に思いを馳せ、ふっ、と苦く笑った。




◇   ◇   ◇




 かつて、夢を見ていた時があった。



 この三景(さんけい)を統一し、戦の無い太平の世を築く。

 無残に踏みにじられることなく、誰もが「己」を力いっぱい生きられるような、そんな世に。

 

 初め、この紫微国の大王クァク・ソンドは、それに一番近い王だと思った。

 一〇も歳が離れているような自分を友と呼び、何の後ろ立てもない人間でも関係なく取り立て、意見を聞く。目下の人間が口にする耳に痛い諫言(かんげん)でさえ、それが真に有益なものならば(いさぎよ)く受け入れることができる。


 知略にも長け、戦となれば連戦連勝。その手腕の右に出る者はいない。


 ―――諌言してくれるのはお前だけだ、友よ。


 そう言って、元々の鋭い鷹の目をさらに細めて笑っていたこともある。


 ―――見ておけ、ヨンギル。いつか、この紫微国が、この三景の地の盟主になる時が来る。その時は今日と同じように、またここで酒を酌み交わすぞ。


 遠く尚景(しょうけい)冲景(ちゅうけい)にも続く山々をみはるかして、甲冑を身に着けた大王は酒を掲げた。それにヨンギルは笑って応えたのだ。あれは、いつのことだったか。


 懐が広いだけでは人は従えられないし、国は治まらない。当然、綺麗事だけでは進められない部分というものも出てくる。

 だが、大王のそれは苛烈で、見ようによっては「常軌を逸している」とも取れるほど、残虐で冷徹無慈悲なところもある人間だった。


 己の目指すところのためには、それを邪魔するものは躊躇なく排除する。それがどんなに非人道的なことでも、平然とやってのける。自らがすることも、人にそうさせることも、(いと)わない。

 まともな人間なら思わず顔をしかめてしまうようなことでも、平気でやってしまえる。


 ―――何を考えていなさる!


 入口を守る兵を振り切り、大王の広い執務室に踏み入った。

 ちょうど絵筆を走らせていた大王はちらと視線を寄越しただけで、また元のように手を動かし続ける。描いているのは朱く色付いた躑躅(つつじ)だ。滑らかに筆が動くたび、白い紙の上にさっと朱が走る。一つ二つと、躑躅が朱く染まっていく。


 ―――属国とするだけで十分だったはず。無条件で下ることをお許しになったものを、それを翻し、首長(しゅちょう)である南の獅子を(しい)した上に、その奥方を側室になさるとはいかなるお考えか!


 場も関係なく怒声を上げるヨンギルに、大王はあくまで涼しい顔で言い放った。


 ―――間違うな、ヨンギル。私が弑したのではない。()()()()()()()()()()()()()のだ。それに、あの者が手にしておくには大き過ぎる女だ、あれは。あの女が持つものを最大限に活かせるのは、このクァク・ソンド以外にいない。だから、貰い受けたまで。


 その言葉に、何を……、と思わず絶句する。噛み締めた奥歯がぎり……と鳴った。

 非人道的な行いに、罪悪感すら抱いていない。それが、獣にも劣る畜生のように映った。


 この広大な三景の盟主になろうとするならば、それなりに冷血にならざるを得ない場面は確かに存在する。だが、これは。


 それをして当然という言葉に、その時ヨンギルの中で何かが吹っ切れた。


 ああ、これは駄目だ。


 夢は結局、夢でしかない。叶えられると思ったものは、ただの虚しい、取るに足らないものだった。


 そうして、表情を落とした顔で、―――大王様、とヨンギルは静かに口を開いた。


 ―――名前さえ失われて久しいかつての大国は、天から遣わされた白い鴉に守られた国だったという言い伝えを、ご存知ですか?


 筆が止まる。大王の鷹の目が、胡乱(うろん)にヨンギルを斜めに見上げた。だが、顔の向きはまだ手元の躑躅に向けられたままだ。それは、意識だけほんの少しこちらに寄越したという形だった。


 ―――その白い鴉は吉祥の存在であり、かの大国を建国から支えた守り神であったと。その鴉なくば、かの大国は国として存続してもいなかったという話です。

 ―――何が言いたい。


 低い声に、ヨンギルはだが、その時まっすぐに大王を見返して言った。


 ―――この紫微国に、果たしてそのような白い鴉がやって参りますかな?

 ―――何だと?


 今度こそ完全に顔を上げ、ヨンギルを睨む。筆置きではなく、その場に適当に放られた筆が転がり、朱い飛沫が点々と散った。


 その大王の前に静かに膝を折り、深く頭を下げる。


 ―――何の真似だ。

 ―――道を共にするのは、ここまでです。大王様は大王様の思う国をお築きください。しかし、私がそこに関わることは、今後一切ございません。


 言って、立ち上がる。もう一度深く頭を下げ、ヨンギルは背を向けた。


 ―――再び酒を酌み交わすという約束、守れず申し訳ありません……。


 去り際に小さく付け加えて、後ろを振り向かずに部屋を出た。王宮を出たその足で都城(とじょう)を離れ、それ以来一度も戻っていない。



それが、十数年前の話だ。




◇   ◇   ◇



ついに正体が明かされたヨンギル。

次回も、もう少しヨンギル視点のお話しが続きます。


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なかなかアップテンポなお話ではないですが、面白い、続きが気になる!と思っていただけたら、いいねやブクマ、★をいただけると、とても嬉しいです!

感想もお待ちしておりますので、ぜひよろしくお願いします!!

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