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第22話 繍

 隣を歩いていたヒョリが、ふと、髪飾りなどの小物を置いている店で足を止め、


「きれい……」


と、そこにあった指輪を一つ手に取った。


 ころころと転がして眺めたあと、今度はその隣にあったまた別の小物を手に取る。立ち止まって順に手に取っていく様子は、随分楽しそうだ。


 ……ふうん、やっぱり、女の子はこういうのが好きなんだな。


 隣で同じように小物を手に取りつつ、楽しそうに眺めるヒョリを横目に見る。


 ドハンたち、普段一緒にいるような友人たちは、当然ながらこんなものには見向きもしない。食べ物か、芸人がいればそちらに行くかで、スハも含め、こういう店の前で立ち止まることがない。


 その違いを新鮮に感じながら、ちらとヒョリの様子をうかがう。

 白い肌に、大きな瞳。動きやすいようにまとめられた髪は艶やかで、小物に触れる指先も手荒れ一つなくきれいだ。


 今は装飾の類をつけている様子はまったくないが、大人になればここにあるようなものの一つや二つ、当たり前に身につけるようになるのかもしれない。


 こういうものをつけたら、きっと似合うだろうな。


 指輪だけでなく、そこに並んだ髪飾りや他の小物たちを見ながら、スハがそんなことを思っていると。


「―――うん? 何?」

「……えっ!?」


 ぼんやりと眺めていた横顔が急にこちらを向き、どきっと止まる。

 まさか、大人になったヒョリの姿を想像してました、なんてことは言えないため、ただ「なんでもないよ」と首を振るに留める。だが実際は、背中にだらだらと変な汗が流れるような心地を隠すのに必死だった。


 大人になったヒョリを想像するなんて、なんか変態的じゃないか。改めて考えると…………うわっ、なんか心臓がきゅっとなる……! 自重しろ、自重っ!


 自分の知らないところでそんなおかしな想像をされていたなんて、少なくとも嬉しくはないもんな―――と首を振りながら、スハは再びヒョリの様子をこっそりと探った。

 幸いにも、まだ品物を眺めているヒョリは、そんなことなどまったく気付いていないようだ。よかった。とりあえず、そっと息をつく。


「あら、これは何かしら―――?」


 スハがこっそり胸を撫でおろしたところで、品物の一つを手に取っていたヒョリが不思議そうな声をあげた。


「何?」

「この刺繍。形を見ると鴉のようなんだけど、使われている糸が黒じゃなくて白だから。それに、鴉はどちらかというとあまり縁起のいい鳥ではないでしょう? なのに、吉祥花の牡丹や梅の花と刺繍されているから、どうしてかなと思って」


 ヒョリは手にしていた髪飾りを見やすいようにこちらに向けてくれる。結った髪に結びつけて飾る、幅広の髪紐だ。結んだ時に映えるように、両端と中央に刺繍が施されている。


「ああ、これ? 『白い鴉』だよ」

「白い鴉?」

「うん、知らない?」


 スハは言って、首を傾げるヒョリに話し始める。


「俺も、あまり詳しくは知らないんだけどさ―――」




 かつて、天と地が今よりも近かった時代。

 地上の争いを嘆いた天の神は、一羽の白い鴉を一人の小さき国の王に遣わした。


 ―――天に住まう白い鴉は、地上においては吉祥の証。この鴉が、そなたの国を唯一無二の存在へと導くだろう。


 周辺の国々はこの王の元へ集い、いつしか争いは途絶え、王は地上で唯一の存在となった。


 ―――天より遣わされたこの鴉は、まさしく吉祥の証。以後は国の守り神と定め、我が国を白い鴉の国とせん。




「―――と、そういう古い神話があるらしくて、それで―――」


スハは、さらに説明を続ける。




 (いにしえ)の遥か昔、この紫微国(しびこく)がある蔡景(さいけい)と、北の尚景(しょうけい)、東の冲景(ちゅうけい)、今は三景(さんけい)の地と呼ばれる場所には、東西南北数百里にも及ぶ広大な地を一手に治めた大国があった。


 今は名前も失われたその大国こそ、その『白い鴉』に守られた国だったという。


 元は、三景のどこかに生まれた、ほんの小さなか弱き国だった。

 周辺で絶えず繰り返される激しい争い。その波についに呑み込まれそうになった時、どこからかやってきた白い鴉が、その国を守ったそうだ。

 そして、地上にはない力で人々を導き、国の礎となって、かの国を強大な覇権を握る大国へと、大きく繫栄させた。


 その力がどんなものであったのか、それを知る者はもうこの世には存在しない。今ではもう、この三景の地にそんな大国があったことも、その礎となった白い鴉がいたことも、古の遥か昔の世迷言(よまいごと)としておとぎ話程度に知る者が、ごく僅かに存在している程度である。




「―――で、それがどうして、今ここでこうして髪飾りの刺繍になってるのかっていうと、」


 牡丹や梅の花と一緒に華々しく刺繍された白い姿に目をやりながら、スハは話す。


「そんな本当にあったかどうかも分からないような昔話を、平気でそこら中で広めてるおじさんがいるからだよ」

「おじさん?」

「うん。酒に酔った勢いで、どんなところでも話すんだ。まるでそれが本当の話みたいにね。だから、それを皆が本気で信じてるかどうかは別として、この辺では白い鴉は縁起のいいものとして扱われてるんだ。なんたって、神話の中で吉祥の証って言われてるくらいだからね。だから、婚礼がある時は衣装のどこかにそれを刺繍したり、何か祝い事がある時にはそれにちなんだ贈り物をしたり、わりと普通にいろんなところで見られるんだよ」


 他にもこんな時とか、あんな時とか―――と指を折りながら話すスハに、へえ、とヒョリは興味深そうに頷く。


 さすがに、この辺りを取り仕切っているような上の方の偉い人たちはそんなことはないだろうが、スハたちのような下の方の一般的な村人の間では、わりと普通に白い鴉は使われている。


「白い鴉なんて、初めて聞いたわ。しかも、昔、三景を一つにまとめた大きな国の礎で、守り神なんて……そんな話があるのね」

「はは、そんな真剣に取る必要はないよ。どうせ、ただの世迷言だから」

「何が世迷言だっ!」


 そこでいきなり、ばしっと背中を払われ、「(いて)っ!」とスハは後ろを振り返った。


「何するんだよっ、おじさん!」


 振り返ると、いきなり背中を払ってきた犯人、いつものように手に酒をぶら下げたヨンギルは、何でもない顔をして答える。


「なんだか、悪口を言われているような気がしてな。気のせいだったか?」

「そうだとして、いきなり叩くのはやめろよな」

「何っ!? 本当に悪口を言っていたのか! こいつめ、そういうことなら今のでは足りん。スハよ、こっちに来なさい!」


 そして、手招きをしながら、捕まえようとヨンギルが距離を詰める。スハはそれをかわして、さっさと手の届かない反対側へ回った。


「この、すばしっこい奴め……!」


 ヨンギルは言って、ちっと舌打ちをしたあと、ふとそばに立つ姿に視線を向けた。


「―――ところで、こちらのお嬢さんはどなたかな?」


 その言葉は、スハというより、ヒョリに向けられたもののようだ。驚いたように動かないヒョリをじっと見つめて、ゆっくりと首を傾げる。


「この身なりは、この辺りの者というわけではないだろうし。お嬢さん、こんなところで遊んでいていいのかな?」


 ヨンギルには、ヒョリが行列で来た子だと分かっているようだった。顔は笑っているが、じっと見つめたまま、さらに言葉を重ねる。


「勝手に()()()を離れては、駄目だろう」

「……あの、ええと、私は……」


 どうしてかそこでしどろもどろになるヒョリに、「大丈夫なんだって」と代わりにスハが答える。


「昨日輿に乗ってた人から、この通りの様子や、人々の様子を見てきて、どんな様子だったか話して聞かせてくれって頼まれたんだってさ。それで、俺が今案内してるところなんだ。だからこれは、そのお使いをしてるところで、別にサボってるわけでも、勝手に持ち場を離れてるわけでもないから、大丈夫なんだよ」

「……ほお、これは、輿()()()()()()()()から頼まれた、()使()()だと?」


 ヨンギルは尚も、なんだか疑わし気にじろじろとヒョリを見ていたが、そのうち「……まあ、よい」と言って体を離した。


「ていうか、おじさん。それ、またお酒を買ったのか?」


 ぶら下がる酒を見て顔をしかめるスハに、軽く息をついたヨンギルは「家の酒が無くなりそうだったんだ。切らすわけにはいかんからな」と当然のように返してくる。


「だが、あそこの店主、あれはろくでもない奴だな。名酒だと偽って、安い酒を売りつけようとしてきおった。まったく、私も舐められたものだ。酒の違いが分からずして、酒好きが語れるわけがないだろう」

「……それで、もしかしてお金も払わずにそれをせしめてきたわけ?」


 ひくっと少々引き気味にそろりと酒を指差すと、ヨンギルは「おお、よく分かったな。当然だ」と、悪びれるどころか逆にあっけらかんとした顔で頷いた。


「罰として、買おうとした量の倍の酒を用意させたわ。騙そうとするからには、それくらいの覚悟を持ってもらわんとな。酒で私を騙すというのは、そういうことだ」


 ははは、と笑って、満足そうに酒を振ってみせているが、結局はただいちゃもんをつけて手に入れただけではないかと思えてくる。


 店のご主人、ご愁傷様……。


 スハは心の内で、南無……と思わず手を合わせた。

 そんな話をしていたところで。


「……あっ!」


 唐突に、ヒョリが横で短く声を上げた。

 見ると、その目はスハやヨンギルを通り越して、通りの先の方に向けられているようだ。


「ヒョリ?」


 びくっと肩を震わせたヒョリは、なんだか先程より少し青ざめたような顔でスハを振り返り、


「ご、ごめんなさい、私、もう行かなきゃ」

「えっ、ちょ……!」


 早口で言うと、引き留める間もなく急に身を翻し、元来た道を戻っていく。思わず伸びたスハの手は、何も掴むことなく、虚しく宙に残されてしまった。


 寺からここまでは一本道だ。だから、戻る道で迷うということはないだろうけれど。


「急にどうしたんだろう、一体……」


 手を伸ばしたまま首を傾げるスハとは裏腹に、通りの先へ目をやっていたヨンギルは、その瞳を僅かに厳しく細めた。


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