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第4話 栗

 歩きながら竜胆を持ち直し、日が中天にのぼった空に手を(かざ)して、スハは流れる雲を見上げた。


 祭の男衆は見たいけど、俺は今年も父さんの手伝いかなあ。


 火祭りの日、スハはたいていソンジェの仕事の手伝いをしている。

 別に、しろと言われて手伝っているわけではない。スハがやろうと思ってしていることだ。


 そのことをソンジェがどう思っているかは分からないが、スハが祭に行きたいと言えば、普通に行かせてくれるだろうと思う。

 でも、手伝うことにしている。それが自分のするべきことだと思っているからだ。


 村の家々が見えてきたところで、通りの先を見たスハの口から「あれ」と声がもれた。


「母さんだ」

「え? おばさん?」


 この辺りの家は、たいていが茅葺(かやぶき)だ。その家屋の周りを、辛うじて隣家との区切りを示す程度の痩せた生垣が囲っている。

 その一つから、右脇に平たい網籠を抱えて出てくる姿が見え、スハは軽く首を傾げた。


 母のユンファはこの時間、たいてい家で昼の用意をして夫や息子の帰りを待っているか、頼まれごとの内職をしていることが多い。

 どこかに出かけるところだろうか。


 薄布がかけられた網籠を抱え直し、つまずかないよう反対の手で裳を少しだけ上げて歩き出そうとしたところで、その顔がこちらを向く。視線の先にスハたちの姿を認めたようで、ふわりと微笑むのが見えた。


「スハ」


 左足を少し引きずりながらこちらに来ようとしたユンファを制するように、スハは足を速めて母の元へ向かった。


「母さん、ただいま」

「おかえり、スハ。あなたたちも、いつもご苦労様」

「おばさん、こんにちは」


 ドハンたちにも声をかけるユンファを、「どこか出かけるところ?」とスハは不思議に見上げる。


「ええ、父さんにお昼を届けようと思ってね。朝用意してたんだけど、忘れて行ったみたい」


 脇に抱えた網籠を軽く掲げながら、ユンファが笑った。そして、足の場所を少しだけ動かして、体の向きを変える。左足に少しでも負担がかからないようにするためだろう。


 ユンファは、左足が悪い。―――というより、左半身に少し不具合がある。


 詳しくは知らないが、スハが生まれたばかりの頃、骨に至るまでの大けがを背中に負ったらしく、その後遺症で左半身に少し障害があるのだ。日常生活を行なうのに大きな支障はないが、それでも動きにくい手足を抱えて生活するのには苦労が伴う。特に、左足にその影響が大きく残っており、歩く時はいつも少し引きずるようにしていた。


「そうなんだ。それじゃあ、あとで俺が持っていくよ」

「あら、いいの? ありがとう」


 そして、「ああ、そうだわ」とユンファは再びドハンたちに目を向ける。


「この前、スハがたくさん栗を持って帰ってくれたの。()かしておいたから皆で食べてね」

「え、栗!?」


 網籠の薄布をユンファがよけると、中から小分けにされた栗の包みが出てきた。それを見てドハンが目を輝かせるのと、ぎょっとスハが目を剥いたのは、ほぼ同時。

 さっそく飛びついたドハンだけでなく、ジョンウとヒスも同じように瞳を輝かせている。


「はい、どうぞ。皆の分があるからね」

「ありがとう、おばさん!」


 受け取る三人はもちろん、それぞれの手に栗の包みを渡していくユンファも、なんだか嬉しそうだ。

 網籠から覗いた栗に、瞬間的に「あっ」と声が出かけたのをすんでのところで止められた自分に対し、よく耐えた、とスハは自分を褒めたくなった。そして、苦い思いで一人そっと息をつく。


「はい、これはスハの分」

「……うん、ありがとう」


 ははは、と思わず乾いた笑みを浮かべながら自分の分を受け取って、スハはそれを見下ろした。

 今朝までは両手でも持ちきれない程あった栗が、今では片手に余裕で収まる程度しか残っていない。


 しばらくそのまま見下ろしていると、喜びの表情で栗を受け取っていた三人が、ちらちらとスハの方へ視線を寄越しながら、ひそひそと話し始めた。


「……なあ、スハが持って帰った栗ってことは、これ、この前の薪拾いの時の栗じゃないか?」

「ああ、多分そうだよな。てことは、俺たちがスハに渡した栗だよな、これ」

「だな。それが、負けたはずの俺たちに戻ってきたってことか」

「せっかく手に入れた取り分が無しになった、てことだな」

「スハのやつ、せっかく勝ったのにな」

「ああ、そうだな」


 言いながら、三人揃ってスハを見る。何が言いたいのか、そこには何やら憐れむような色が見え隠れしている。


「―――おい、そこ、聞こえてるぞ」


 じろ、と睨むスハに、「なあに、何の話?」と首を傾げたのはユンファだ。それに「何でもないよ」と笑って返したあとで、今度は一転して、三人に対しスハはわざとらしいくらいの満面の笑みを向けた。


「言ってなかっただけで、俺は最初からこうするつもりだったんだ。貰った分を俺が独り占めするなんて、お前ら本気で思ってたのか?」


 それが精いっぱいの強がりでも、ただの開き直りでも、三人の前ではそう言わずにはいられない。

 実際、木通(あけび)はあげようと思っていたのだ。だから、全部が全部嘘ではない。気持ちとしては。


 本当は、栗ご飯とか、栗餅とか、栗饅頭とか、いろんな楽しみ方でたくさん食べたかったのになあ、と思ってしまったことは、自分の胸だけにしまっておくことにする。

 内心がどうであれ、三人のためのユンファの厚意に、わざわざ待ったをかけようとも思わない。


 そういうわけで、心の声をぐっと堪え、はははは、と笑ってみせるが、三人はしらっとした目を向けてくるだけだ。


「あんなこと言ってるけど、どう思うよ」

「今までそんなことをしてくれたこと、一度も無かったもんな」

「自分で食べるつもりが、おばさんが俺たちに気を遣って配ってくれたとしか思えないんだけど」

「右に同じ」

「左にも同じく。あれは多分、いや、絶対やせ我慢だ」

「だな。あの満面の笑みが白々しい」


 はん、そうくるか。


 好き勝手に言い合う様子に、スハは思わず半目になって三人を睥睨(へいげい)した。


 それなら、こっちだって考えがある。


「分かった分かった、いつまでもそんなこと言ってるってことは、その栗はいらないってことだな。それなら、返せ」

「いやいや、そんなことは言ってないだろ」

「そうだぞ、スハ。早とちりはだめだ」

「そうそう、冗談じゃないか。ありがとな、スハ」


 ははは、と今度は三人の方が大げさな程の笑みを浮かべ、ばしばしとスハの肩を叩き始める。ようやくいそいそと栗をしまう三人を見て、はじめから素直に受け取ればよいものを、と思ったことは、軽いため息とともに流しておく。


「ふふ、相変わらず仲が良いのね」

「まあね、ガキの頃から知ってるし」

「今もガキだろ」


 ユンファに対するドハンの言葉に思わず突っ込みを入れてしまいながら、けれど、誰からともなく笑い始める。


 幼馴染なんてそんなものだ。何があっても自然と許してしまう。許してくれるという安心感がある。


 母であるユンファにもそれが分かっているのかもしれない。喧嘩をしているようにも見える様子に、穏やかに微笑んでいる。


「さあ、あなたたちの母さんもお昼を用意して待っているはずだわ。その辺にして、家に帰りなさい」

「はーい。おばさん、ありがとう」

「じゃあまたな、スハ」

「ああ、またな」


 なんだかんだと言っていたが、三人とも結局はほくほくとした満足顔で帰っていく。それに思わずふっと笑ってしまいながら、スハもユンファとともに家に入った。






 立派な、とはとても言えないが、それでも丁寧につくられた生垣を中に入ると、そこはもう我が家だ。


 スハの家は、父が営む薬房(やくぼう)も兼ねている。そのため、家の中には薬や薬草、それを調合する道具などで常に溢れている。


 庭先には、薬草や薬材が並べて干され、軒先にはそれが袋詰めされたものがいくつも吊るされている。

 (えん)から上がったところには薬草をすり潰したり、調合したりする道具がいくつも置かれており、その奥には種類別に分けられた薬棚がでんと構えている。道具も棚も、いずれも使い込まれた年季を感じさせるものだ。


 吊るされた多くの袋や、使い古された薬棚にはそれぞれソンジェの手で薬材の名前が記されているが、この辺りで文字を読める者は大人を含めてもそれ程多くはない。スハもようやくそれが読めるという程度だ。


 そこら中に薬が溢れているため、スハの家は基本的に、枯れ草や薬材の苦いような渋いような匂いが常に微かに漂っている。とはいえ、慣れてしまえばほとんど感じなくなるので、生まれた時からこの家で過ごしているスハに、その匂いはもう分からない。


 そんな家の中で、父母スハ、三人の居住区といえば、「それ以外」の場所になる。

 台所となっている土間と二つの板間、あとは裏にある厠がそれだ。二つある板間のうち、気持ち広い方の板間はソンジェとスハが使い、もう一方はユンファが使っている。


 庭には柿の木が一本あり、小さい頃はそれに登ってよく怒られていた。その下に広めの縁台が置かれているのだが、そこにも薬材が所狭しと並べられている。


 スハはとりあえず、薪でたくさんの背負子をその縁台の脇に下ろすと、「そうだ、これ」とユンファを見上げた。


「これ、見つけたから少しだけ摘んできた。根の方は父さんにお土産で、花の方は母さんにお土産」


 はい、と差し出すと、「あら、竜胆?」とユンファが相好(そうごう)を崩す。


「もうそんな時期なのね。きれいだわ、ありがとう」


 そして、香りを感じるように顔を近づけ、紫の花を眺める。


「しばらく飾ったあと、花の方も父さんにあげましょうか。そちらも薬になるはずだから」


 そう言って、スハの頭を優しく撫でる。


 スハはもう一三だ。子どもではない。けれど、そうして撫でられると、やはり嬉しくなる。満足いっぱいに頷くスハに、ユンファもさらに笑みを深めた。


「さあ、それじゃあお昼にしましょう。父さんには少し待っててもらうことになるけど、しっかり食べてからお昼を届けてちょうだい」


 再び、ぽんぽんとスハの頭を撫で、竜胆を手にしたユンファは土間へ向かう。

「うん、そうする」と元気よく頷いたスハも、ユンファを手伝うため、庭先の水場へと手を洗いに走った。


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