第3話 道
歩くたびに、薪を積んだ背負子がぎしぎしと軽く軋む。
「あ、竜胆だ」
薪拾いをしている山から村の方へと続く道を下り始めたところで、スハは道端に濃い紫の花が群れ咲いているのを見つけた。
竜胆は、夏の終わりから秋にかけて鮮やかに咲く花だ。その根や根茎には、苦味健胃、消化不良、食欲増進に加え、解熱、解毒などの薬効がある。そのため、薬房を営む父が、見つけたら必ず採る花だ。
だが、それより何より。
竜胆は、母さんが好きな花だ。
「スハ、何してんの」
「ちょっと待って、これ摘んでく」
道端にしゃがみ込んで土を軽く掘り、スハは紫の花を根元から丁寧に手早く集めていった。たくさん摘みたくなるが、茎を強く握ってしまうと傷むのも早くなるので、片手で軽く持てる程度に収めておく。
そして、背負子を担ぎ直して、振り返って足を止める三人の元まで軽く走った。
「ごめん、待たせた」
「いいけど。それ、何の花?」
腰の袋からさっそく自分の分の木通の実を取り出して食べながら、隣のドハンが聞いてくる。
少し待てばもっと美味しく食べられるのに、ドハンにはそういう選択肢はないようだ。さすが、この中で一番食に貪欲なだけある。
既に思いきり木通を頬張っている様子に思わず苦笑しながら、スハは「竜胆だよ」と教えてやった。
「食べ過ぎた時とか、逆に食欲が湧かない時とか、腹の調子が悪い時なんかに効くんだ」
「ふーん。旨いの?」
頷きながら、しかしさらに木通を頬張る。とりあえず聞いてはみた、というような生返事だが、そこは気になるらしい。
「薬だからな、苦いと思うよ。まあ、ドハンにはきっと必要ない」
「うん、苦いならいらないな。―――て、おいっ」
それでも一応ちゃんと聞いてはいるのか、含めた意味をしっかり読み取っている。思わず、はは、とスハは噴き出した。
反対側の端では、細い枝を拾ったヒスが、もう一振り、同じような枝を隣のジョンウに放り、歩きながらの打ち合いが始まっている。
本物の太刀を交えるところなんか、誰も見たことがない。奇声のような変な効果音を口にしながら打ち合う二人を、木通を頬張るドハンと笑いながら眺めた。
「二人とも、気をつけろよー」
そんなスハ達の間を、ぬるい風がゆったりと通り抜けていく。
季節的にはもう秋の入り口とはいえ、日中はまだ汗ばむ日も多い。
今日も一日、暑くなりそうだなーと思いながら、スハは竜胆を持つ手を替え、よいしょ、と背負子を再び担ぎ直した。
薪拾いをしている山からスハ達が住む村までは、少し歩く。
勾配がきついわけではないので、登るのも下るのも、薪を積んだ背負子を担いでいてもそれ程苦があるわけではないが、まだ暑さが残るこの時期にはそれなりに汗だくにもなる。山を下りきったところで、近くの木陰に一度背負子を下ろし、ひと休みするのがいつもの流れだった。
「そうだ、もうすぐ火祭りだけど、お前らどうする?」
大事に運んだ竜胆が萎れていないことを確認しながらそっと置いたところで、草の上に腰を下ろしたヒスが手拭いで汗を拭きながらにやりと振り返った。
「去年はさすがに参加できなかったけど、今年はいけんじゃないかと思うんだよね」
「なに、まさかお前、参加する気なの?」
同じく腰を下ろして汗を拭いながら、ジョンウが胡乱な瞳をヒスに向ける。
「松明が持てるのは一五からだぞ。俺たち、まだ一三だろ」
「それは分かってるけど、一、二歳の違いくらい、紛れても分からなくね?」
「お前はその身長だからいいかもだけど、俺たちは無理だろ。なあ、スハ」
ドハンは食べ終わった木通の皮をまだしゃぶっている。それには触れず、ジョンウはスハに言を向けた。
身軽になった体で伸びをしていたスハは、「そうだな」と頷き、「ていうか、」と軽く片眉を寄せる。
「そうじゃなくても、普通にばれると思うぞ? 俺たちのことを知ってる大人がどれだけ参加すると思ってんだよ。見物人もいるし。違う村の連中に交ざったところで、すぐに気づかれると思うけど」
それを言うと、「それを言ったら元も子もない」とヒスが眉を下げた。
火祭りというのは、この辺りの村が集まって行われるお祭りだ。通りも多く、市場などもあり、この辺りの村の中では一番広いスハ達の村で、その祭は毎年開かれている。
火祭りは元々、この国の王様の活躍を称えるために始まったお祭りだと聞いている。
スハは、自分たちが住む国が紫微国という名前で、その王様がクァク・ソンドという名前なのだということは知っている。
その王様がいるおかげで、この紫微国は他の国に侵略されることもなく、自分たちの暮らしが脅かされることもない。だから、この紫微国に生きる者たちは、何事もなく暮らしていけるらしい。
逆に言うと、自分たちが住んでいる「国」について、スハが知っているのはそれくらいしかない。
国など、遠い世界の話で、その国の辺境に位置するらしいこの村こそが、スハの世界のすべてだからだ。
とにかく、この国を守るその王様の活躍を称えて、村では毎年祭が行われる。
祭の白装束を身につけた男衆が燃え盛る松明を片手に村の通りという通りを駆け抜け、最後は中心部になる広場に集まり、そこに組まれた櫓にその松明の火をすべて移す。そして、大きくあがる火柱の周りで猛々しく踊るのだ。
重い太鼓の音と、男衆による掛け声の大合唱が、その勇ましい踊りと相まって、そこには子どもも大人も関係なく圧倒される程の迫力がある。見物客はそれを見て興奮し、広場は毎年歓声でいっぱいになる。
この辺りに住む少年でその男衆に憧れない者はおらず、早くそこに加わりたいというのは皆が当たり前に抱く感情だった。
だが、その男衆に加われるのは一五歳を過ぎた者からで、今のスハ達にはまだまだその資格がない。
「祭に参加できる資格が一五歳以上に決められてるのは、俺たちみたいなのが参加したら危ないからだろ。そうじゃなくても、火祭りは怪我や火傷と隣り合わせのものなんだ。これ以上父さんの仕事を増やすのはやめろよ」
「それは分かってるけどさー」
ヒスだけではない。毎年、こういう考えを起こす少年は少なからずいて、祭では怪我人の手当てに必ず駆り出される父のソンジェはいつもそれをぼやいている。
こういうものに年齢制限が設けられている理由をもっとちゃんと考えるべきだ、とため息をつく父の言葉を毎年聞いている身としては、自分の友にそれをさせるわけにはいかない。
「大人しく、一五になるのを待つしかないって」
「くそーっ、早く大人になりたい!」
空に向かって、うがーっ! とヒスが吠えるのを、
「男衆も格好いいけど、俺はそれより、通りに出る露店の方が楽しみだな」
と、木通の皮さえもしゃぶり尽したドハンが、満足げなまったりとした口調で遮った。
ドハンによって木の影に放られた皮は、自然に戻るものなのでそのままでよしとすることにしている。
「普段は食べられないようなものも出るし、毎年何を食べるか迷うよ」
「はは、そうだな。去年は迷い過ぎて、結局いつでも食べられるものしか残ってなかったんだっけ」
「今年はそんなことにはならない。気合入れて選ぶぜ」
鼻息荒く、ドハンが拳を握る。その気合が、また同じ轍を踏むことになるんじゃないか、とドハン以外の三人が心の中で思ったことは、本人だけが気づいていない。
「まあ、祭も楽しみだけど、まずは目の前の仕事だ。もうひと踏ん張り、そろそろ行くか」
「だな」
スハが言ったのに合わせて、それぞれ立ち上がり、皆揃って再び背負子を担ぎ直した。




