第2話 野
ふわり、と緩やかな風が頬を撫でる。
木漏れ日が優しく降り注ぎ、閉じた瞼の上に心地よくまだら模様が揺れているのを感じる。
「―――……」
遠くに、声が聞こえた。
「―――…、――ハ―――…、スハ―――……」
向こうから微かに聞こえるのは、自分を呼ぶ声だ。
初め遠かった声は、徐々にこちらに近づいてくる。いや、徐々にはっきりしてくるのは、物理的な距離が近づいているのではなく、自分の意識が浮上しつつあるからだ―――
「スハ! おい、起きろっ!」
―――と思った瞬間、耳元でいきなりの大声が響き、スハははっと目を開けた。
ぱちぱちと何度か瞬きを繰り返し、辺りを見回す。
頭上にはさわさわと緑の葉が揺れ、その合間から柔らかな陽が覗いている。
少し前と変わらない、穏やかな情景。
スハは目をこすりながら大きな欠伸をし、のっそりと起き上がった。ちょうどよい木陰に横になっているうちに、いつの間にか寝てしまっていたようだ。
起きがけに、うーん、と大きく体を伸ばして、軽く肩を回す。ぽきぽき、とどこかの骨が心地よく鳴った。
「ったく、どんだけ呼んだと思ってんだよ」
「ああ、ごめんごめん」
軽く手をあげて、傍らで口を尖らせているドハンに謝る。
少し寝たが、いや、寝たからこそ、まだ残る眠気で少し瞼が重い。スハは再び欠伸をしながら、ぽりぽりと頭を掻き、ぐるっと周りを見た。
「ジョンウとヒスは? まだ薪集め終わってない?」
「とっくに終わってるよ。スハがこんなところで寝てるから、俺が呼びに来たんだろ」
「ああ、そっか」
「ったくよー」
「だから、ごめんて」
言葉では謝りながら、だが顔では、ははっと笑いながら、「よっこらせ」と立ち上がり、腰についた細かな草の葉を払い落とす。
少年らしい意志の強そうな瞳に、凛々しい眉。すっきりと通った鼻筋に、少しばかり立った耳。ざんばらな髪は適当に束ねられ、首の後ろで括られている。
少年の名は、スハ。齢、一三。
大人と呼べるわけでもなく、かと言って、子どもという程幼いわけでもない。完全に低く変わりきっていない声や、まだ成長しきっていない絶賛伸び盛り中の体躯が、それを表している。
それは小さい頃からともに育った幼馴染のドハンも同じで、スハよりは少しどっしりとした体格ながら、声はまだそれ程低くはなく、あどけない部分を残している。
「そんじゃ、行くか」
スハは言うと、木の下に立てかけていた背負子を取った。
背負子には近くで拾った枯れ木や枝がいっぱいに積まれている。すべて家で火起こしの際に使うものだ。
スハが住んでいる辺りでは、火起こし用の枝木を拾うのは子どもの仕事だ。と言っても、当然、子どもがいない家や老人しかいない家もあるわけで、そういう家には子どもがいる家からお裾分けがいく形になっている。その代わり、野菜や穀物のお返しがあったりと、暮らしそのものが近所で当たり前に助け合う構造になっている。
そのため、一人が拾う薪の量はそれぞれ自然と多くなってしまう。スハ同様、ドハンの背負子にも枝木がいっぱい積まれ、他に、同じく一緒に薪拾いに来ていたジョンウとヒスも同じ状況だ。
「悪い、寝てた」
ドハンとともに、ジョンウとヒスの二人が待つ場所まで行くと、スハは先程と同じように軽く手をあげた。
ジョンウは出っ歯、ヒスはひょろりと背が高い、とそれぞれに特徴はありつつも、気の合う少年たちだ。この二人もスハ、ドハンと同じ近所で育った幼馴染であり、皆揃って今年で一三歳になる。
「ちょっとだけ休憩のつもりが、木陰があまりにも気持ちよくってさ」
「そんなこったろうと思ったよ。でも、勝負はまたスハの勝ちかー」
「お前、一体いつもどこで薪拾ってるわけ? お前だけいつも早いとか、まじで解せないんだけど」
じっとりとした目で見てくる二人の視線を軽く受け流し、「そんなの教えるわけないだろ」とスハは軽快に笑った。
「自分の狩場を人に教えるなんて、馬鹿のすることだ。それで勝負に負けたら意味ないじゃん」
「はは、狩場って。たかが薪拾いに、何言ってんだ」
「くそ、今日こそは絶対スハに勝ってやろうと思ってたのに」
「やめなって。こいつ絶対ずるしてんだよ」
「おいおい、人聞き悪いこと言うなよ。そんなことするわけないだろ? 負け惜しみは見苦しいぞ」
薪をいっぱいに積んだ背負子を担いで言い合う三人に対し、にやりと笑って、スハは腰に下げていた袋を出した。
「ささ、今日の勝負も「また」俺の勝ちだ。潔く負けを認めて、物を差し出しな」
三人は口をへの字に曲げながらも、それぞれ渋々の体で、腰に下げていた袋からそれを取り出す。
スハが広げる袋に、三人が順に一つずつ入れていったのは、近くの森で採れた木通の実だ。薪拾いを始める前に、皆で採ったものである。
ただ薪を拾うだけでは面白くない。どうせやるなら楽しみながらの方がいい。しかも、その方が不思議と早く終わる。
だから、薪拾いをする際、スハ達はよく何かを賭けて拾い終わる速さを競う、という遊びをしていた。それぞれが同じものを同じ数だけ賭け、最初に薪をすべて拾い終えた者が、賭けられたものをすべて得ることができるというものだ。
たいていの場合、賭けるものは木の実や山菜など、その日山で採れた、自分の小腹を満たせるものであることが多いのだが、負ければ自分のおやつが減り、勝てばその分増えるとあれば、皆一気にやる気が出るようで、勝負は毎回白熱したものになる。
ただ、賭けるといっても、採ったものをすべて賭ける―――つまり、その日山で採れたものを勝者一人がすべて独占する形―――とういわけではなく、あくまで、他の者よりいくらか多く貰うという程度の可愛いものだ。
今回で言うと、負けた三人は、今持っている中から一つずつ木通の実が減り、勝者であるスハはその分三つ取り分が増える、という計算になる。
そうやって楽しんでいるのだが、近頃、競うたびに勝者がスハになることに、三人とも胡乱な表情を浮かべているわけである。
スハとしては、至ってまっとうな勝負をしているだけで、そんな視線を向けられること自体とても心外なのだが、こうも続けばたしかにそう思いたくもなるよなあ、とも思っている。
何のことはない、スハが他の三人よりも薪拾いを終えるのが早いのは、ただ他より枯れ木や枝がたくさん落ちている場所を知っているからだ。
ここ最近は、たまたま見つけたその場所で毎回薪拾いをしているため、辺りを歩き回って一から探す手間が省ける分、拾い終わるのが他の三人より早いのだ
でも、そろそろ皆にも教えてあげないと、さすがに不公平かな、とも思いながら、腰に戻した袋を揺らす。
三つ増えた木通が少し重いが、嬉しい重みだ。思わず、ふへへ、と頬が緩んだ。
今日採った木通は、もう少し置いて、熟すのを待ってから食べた方が美味しくなりそうだ。少しだけ置いておいて、あとで父さん、母さんと一緒に食べよう。
自分で食べる分はもちろんだが、今日も賭けに勝てたおかげで、家で食べられる分が増えた。それが純粋に嬉しい。
もしもっと余りそうなら、半分ずつに分けてドハン達と食べてもいいな。
袋を揺らしながら、そんなことも思う。
せっかく貰ったものを返そうと思う程お人好しではないが、誰かが喜ぶ顔を見るのは嫌いではない。
三人が驚いて喜ぶ顔を想像し、思わず口元をにやけさせてしまったスハを、先に歩き出した三人が不審そうに振り返っている。それには気づかないふりをして、スハも皆に並んで歩き始めた。




