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72・黒の薬

 宰相ランドルフが捕らえられる様子を虚ろな目で見ていたギルバートは、思い出したように独り言を呟く。


「秘薬……そうだ秘薬だ。聖女の血から作られる……聖女は……マリアンヌはここに居るではないか……いや、マリアンヌは聖女ではない……そうだグレースだ、そこに居るではないか!」


 ギルバートは立ち上がると手を伸ばしながら、クレアに向って勢いよく走って来た。

 目付きが明らかにおかしい。これがこの国の王子などと言っても誰も信じられないだろう。

 俺がクレアの前に立ち、その脇をダン達が固める。

 王子の暴走を止める為に俺がセイクリッドゾンビになって習得した障壁を張ろうとした時、俺達の更に前に一人の男が立ちはだかった。

 その男は拳を握り締め、突進してくるギルバートにカウンターを当てるように拳を振り抜く。


「ふぐぁっ!」


 ギルバートが身体を反転させる勢いで派手に吹っ飛ばされた。


「お父様?!」


 俺の身体の横から顔を出したクレアが驚いた声を上げた。殴り倒したのはクレアの父、オーガスト公爵だったからだ。


「娘には手を出させん」

「ぶ、無礼者! ぼ、僕に手を上げるなんて……騎士共何をしている公爵を捕えよ!」


 ……あれれ?

 かなりの勢いで殴り倒されたのにギルバートは痛がる素振りを見せない。こんなにタフな奴だったのか?

 ギルバートはオーガスト公爵を指差し抗議の声を上げているが、誰もそれに従いはしなかった。

 王子である自分の言う事を誰も聞かない事に腹を立てたのか、バンっと床を手で叩く。その反動でギルバートの懐からコロンと黒色のポーションのような物体が床に落ちた。

 それは透明な容器に入った、中身が黒っぽい液体のようだ。

 割れずに落ちたそれを拾い上げたギルバートは、たった今殴られた事も忘れたようにオーガスト公爵の事を無視して、黒色の液体の入った容器を持って国王ゾンビが居るベッドへ歩き出した。


「おお、そうだった。父上に薬を飲んでいただかなければ。それにしてもアルデバランめ、何時まで秘薬を待たせるつもりだ……この薬でようやく父上は身体を起こせる様にはなったが、顔色が全く優れないではないか……」


 顔色が悪い事は分かっているんだな。明らかに死者の顔色だけどな。

 いやいや、それよりも薬だって? しかもアルデバランの名前が出たって事は、それは奴から貰った物だよな?

 ああ、俺がクレアを助けた死者の迷宮の部屋で、アルデバランやアインバッハとギルバート王子が話していた薬はこの薬(?)の事だったのか。

 ギルバートのさっきから言ってる秘薬は別物で、それは完成していないという事か。聖女の血がいるって言ってたしな。

 でもその黒い液体……絶対薬じゃないし!


「父上、お薬です」


 ギルバートはその薬(?)を開けると自分で一口飲んでから、残りを国王ゾンビに飲ませようとした。

 まさかあれは毒見のつもりなのだろうか?


「ち、父上それは僕の腕です、薬はこちらに」


 国王ゾンビはギルバートの腕にかみついた後、薬に気付くとそれをギルバートから奪い取り、貪るように飲み干した。

 ギルバートは国王ゾンビに噛まれても、やはり痛がる様子は無かった。

 ……嫌な予感がするなぁ。


「ぐっ……まさかあれは……」


 そう呟いたのはオーガスト公爵だ。


「アルバート、知っているのか?」

「お父様?」


 ゲルト公爵がオーガスト公爵に問いかけた。クレアも心配そうな顔で口を押えたオーガスト公爵に駆け寄る。


「……領都の屋敷で見たことがある。確か料理長が滋養強壮に効果があるとかで食事に混ぜていた筈だ……王都で手に入れたと言ってた筈だ……すると出所は殿下か。だとするとランドルフが関わっているのは間違いない。私は奴に嵌められたのだな」

「何だとアルバート、身体は大丈夫なのか?」

「……心配ない。グレース……いやクレア嬢に身体を治して貰った時から、あの嫌な感覚は一切なくなった。思考力も元に戻っている。今思えば何故あんな事を……グレースを追い出したのかも分からないのだ」


 あれは少量でも思考をおかしくするヤバい物だったようだ。

 王子から何らかの方法でアレを手に入れた宰相は、オーガスト公爵を貶める為にアレを使ったのだろう。

 しかしさっきの様子を見るに、ギルバートは国王にアレを飲ませる度に一口飲んでいたのか? そりゃおかしくなるよな。オーガスト公爵と違って原液のままだし。

 国王のゾンビ化はあれが原因で間違いなさそうだ。

 国王は病に伏せっていたと聞く。

 亡くなってからアレを使ってゾンビになったのか、それとも生きているうちに摂取してゾンビ化したのかは分からない。

 どちらにせよ生きている者に使えば、摂取量に比例しておかしくなっていくのは確かなようだ。

 オーガスト公爵のように軽症ならまだ治る様だ。ただそれは聖女であるクレアが治癒をしたからか、もしくは現状ではクレアしか使えないリカバーの魔法が作用したかのどちらかだと思う。

 それはそうと、治したいとは思わないが王子は治るのか?

 既に痛覚は無いようだし、言動もかなりおかしいしな……一線を越えてしまった感じがするし、望みは薄いかもしれない。


 怪しげな黒い液体を飲んで満足していた国王ゾンビだが、腹が減ったらしくマリアンヌの腕だった物を貪りだした。既に半分くらい無くなっており、見ていて気持ちのいいものではない。

 マリアンヌの遺体と取り乱していたレイド伯爵はゲルト公爵の命令で数名の騎士に連れられ、既にこの部屋から連れ出されていた。

 戦場では味方を置いて逃げ帰るような禄でもない騎士団長だが、流石にこの光景を見せるのは酷だろう。


「父上、その様な物を口にするのはおやめ下さい! おい、陛下の御食事をお持ちしろ! それから関係ないものはさっさとこの部屋から出て行くのだ! 何時まで父上の寝室にいるつもりだ、無礼者共!」


 そう一人で喚き散らすギルバート王子。

 当然ながら誰もその命令には従う者はいない。


「殿下を連れ出し隔離しろ、そしてこの部屋も出入りを禁止する。ここで見た事は他言無用だ、よいな!」


 ゲルト公爵が皆に命令を下す。現状王と王子がこの様な状態だしな、公爵に従うしかないだろう。


「無礼者、離せ、離さんか!」


騎士達は国王ゾンビを警戒しながらギルバートを取り押さえ、そのまま部屋の出入り口に戻って来た。

 王子だと言う事もあり騎士達も扱いが難しいと思っているのかもしれない。さっきまで自分達に命令をする立場だった男だからな。

 ギルバートがかなり暴れる上に拘束が緩めだ。ギルバートは手を振り解き、何を思ったか懐から黒い液体の入った容器を取り出してそれを飲み干した。

 まだあの危険な液体の入った自称薬を持っていたようだ。


「離せ! 俺は次期国王になる男だぞ! 離さんか無礼者共!」

「ギルバート殿下、このような事をしておいてまだ王になれると思っているのか?  殿下の凶行のせいで他に継ぐ者がいないが、少なくとも貴方は廃嫡になる」


 ギルバートはゲルト公爵の言葉に意味が分からんという顔で首を捻る。


「僕が廃嫡? 貴様何を言っておるのだ。僕が偉大なる父の後を継ぐに決まっておろう。父は叔父であるローランド辺境伯を従え冥王国に侵攻し、アルグレイド王国の領土を拡大させた偉大なる王だぞ。そして僕は冥王国を滅ぼした偉業をもって王位を継ぐのだ。そんな僕が廃嫡? 笑わせるな公爵!」


 その王様の侵攻はさ、冥王が王国の油断と慢心を利用して、アルグレイド王国軍を、効率よく殲滅する策の最初の一手だったんだよ。

 王国軍の殲滅は王子や宰相の手引きもあって予想以上に損害を与えられたしな。

 それとこんなに冥王国に手玉に取られているお前が、冥王国を滅ぼすのは無理だと思うぞ。


「愚かな……ギルバート殿下、いやギルバート。お前は既に犯罪者だ。王族だとしても現王にしでかした事は罪に問う事になる」


 再度取り押さえられたギルバートは自分を拘束している騎士達を見上げる。そして自分を取り囲んでいる俺達を見渡した。


「そんな馬鹿な……勇者である姉上を殺したら僕が次期王だと言ったではないか。追い出してしまった聖女を捕え、引き渡せば秘薬を作り、姉上が亡くなる前の壮健な父上に戻ると言ったではないか。話が違うぞアルデバラン!」


 遂に頭がおかしくなったのか、王子の自白オンパレードになっている。

 いや、宰相がいた時からすでに自分で暴露していたけどな。


「この薬は飲めば飲むほど力が湧くが父上はまだ床から出れん……くそくそくそ! 力を貸せアルデバラン! 僕の持っている物なら何でもやろう、人でも物でも何でもだ!」


 既にいないアルデバランの名を連呼するギルバート王子。

 敵だぞ? 王子は利用したと思っていたようだけど、客観的に見て利用されていたのはお前だぞ? 自覚はないのだろうけど。


「……やれやれ、仕方のない奴じゃの」


 そう何処かで聞いた声がギルバートの口から漏れてきた。

 ……え、この声って……いや、まさかな?


「何でもと言うたかギルバート? ならお主の身体を代償に力を貸してやろう……とは言えお主の意識はなくなるがの、くくくっ」


 ギルバートを拘束していた騎士達が見えない力で弾き飛ばされる。

 そしてギルバートの身体が変化していく。徐々に頬がこけ白骨となり目には赤い光が宿る。


「アルデバラン……」


 俺はついそう呟いた。

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