第五百八十八話『将と将、傲慢と傲慢』
戦況は思わしくない。その結論に至るまでに様々な修辞や美辞麗句が並べ立てられたが、今しがた上がってきた報告を要約すれば一言だけで片が付く。
瞳を揺らしながらもまっすぐにこちらを見上げる部下から視線を外して、カイル・ヴァルデシリアは深々とため息を一つ。半ば無意識にこめかみへと伸ばされた右手が、彼の失望を示すサインだった。
帝都を取り巻く戦況に、ではない。帝位を簒奪せんと挑んでくる敵が生温くはない事など容易に想像できることだ。それよりも何よりも、カイルの頭を痛めているのは帝国兵の致命的な劣化だ。
「既に七割強の小隊が壊滅、戦線の維持は王国の勇士たちによって辛うじて成立している、か。……貴様が過剰に言葉を並べ立てたのはその事実を少しでも漂白するためか?」
「いいえ、そのようなことは決して! 犠牲こそ出ていますが、この情報を持ち帰ることが出来たのは勇士たちの尽力による物であり――‼」
元々忙しなかった口調がさらに早くなり、まくしたてるように部下は言葉を並べる。意味も価値もない、羽よりもなお軽い言葉を。それが皇帝の逆鱗に触れるなどと想像もしないまま。
「妄言はそこまでにせよ。そろそろ余の我慢も限界だ」
一度外した視線を部下の目へと戻し、左の人差し指でその首をまっすぐに指し示す。その指先が微かに動いた瞬間、首筋に真紅の線が一本刻まれた。
「ひ、あ……⁉」
「改めて命ずる。伝令たるもの、必要な情報のみを余に伝えよ。保身も美化も要らぬ。それに背くことがあれば、貴様の首は即座に飛ぶものと心得よ」
「しょ、承知いたしました! あああ改めて必要な情報の選別と精査を行いますので、数十秒ほど猶予を頂ければ……‼」
「いいだろう。余の指をこれ以上煩わせるな」
懇願にも似た了承を聞き入れ、カイルは左手を引っ込める。それと同時、蒼い顔をした部下は崩れ落ちるようにしながら小さな声で何事かを呟き始めた。
『絶対強者による安定した治世は、民を軟弱者へと作り替える』――この帝国で生きる物ならば誰しもが耳にする絶対的な摂理の一つだが、ここまで早く劣化が進むとは思わなかった。絶対強者の君臨とはこうも容易く人の野心を奪い取る物なのか。
玉座に腰掛け、少しの間目を瞑る。状況はほぼ想定通り――出来るなら外れていてほしかった想定だが――動いており、クライヴ・アーゼンハイト率いる『落日の天』の勢力は帝都を徐々に侵食しつつある。同盟の奮戦が予想以上であることだけが好材料だが、それもいつまで保つか。そもそも彼らは変える場所のある身、帝国軍が全滅するその瞬間まで共に戦ってくれる保証などどこにもありはしないのだ。
帝国において誠実とは悪徳であり、裏切りこそが向上心として称賛される。謀り、蹴落とし、その屍を以て自らをより高みへと押し上げる。いくら醜悪だと誹りを受けようが、それが帝国の常識であることは最早覆しようのない事実だ。
故に、カイルは次善の策を考える。同盟が破棄されたその先、どのようにしてこの苦境を切り抜けるか。帝都という盤上にどのような楔を打てば、この先も玉座に就き続けられるのか――
「お、お待たせいたしました! 改めて帝国の現状を報告させていただきます!」
「よい、申せ。必要な情報のみを余に供せよ」
思索の海から引き戻すかのような部下の声に、カイルは軽く首肯して視線を合わせる。念のために左手は構えつつ、その力が振るわれることが無いようにと内心では望みながら。
「承知いたしました! まず現在の戦況ですが、帝国軍による戦線は――」
「――実にその八割強がネルードの作り上げた『人形』の大群に呑まれて、今ごろ彼らのお仲間になってる。まったく、武力の国なんて評判が聞いて呆れるよね」
本来は部下の口から紡がれるはずだった言葉を、虚空から響いた声が横取りする。おそらく、その情報をより確度の高いものへと上書きしながら。
それに困惑する間もなく、部下の首から何かの刃先が血飛沫ととともに勢いよく飛び出してくる。その刀身は一片の曇りもなく透き通っていて、むしろ気味が悪かった。
部下の目が見開かれ、だらりと垂れた手足が彼の絶命を確信させる。刃が引き抜かれた後、支えを失った体は力なく床に倒れ伏した。
「今もまだ帝都が壊滅していないのは、ひとえに王国からの同盟が気を吐き続けているからだ。情けないとは思わないの、誇り高き『皇帝』サマ?」
その死体の影から現れるようにして、瘦身の男が薄ら笑いを浮かべながらこちらを見つめる。『落日の天』を率いる黒幕、クライヴ・アーゼンハイトの姿が、確かにそこにあった。
「まさかここまで追い込んでも自分のお城に引きこもってるとはね。帝国軍の皆を傷めつけてれば、義憤に駆られた君が顔を真っ赤にしてやってくるものだと思ってたけど」
「義憤とは、随分甘い言葉を口にするではないか。『落日の天』とはそのような結びつきによって生まれた組織であったのか?」
「はははっ、まさか。あんなのは手駒に過ぎないよ。どんな思惑を持っていようと、死に場所をどこに定めていても関係ない。それらすべてを利用して、僕は計画を果たすだけさ」
嘲笑交じりの問いに対し、クライヴもまた笑顔で答えを返す。表面上だけは朗らかだが、その裏で行われているのは凄まじい殺意の交換だ。互いの将が顔を合わせた以上、その目的は一つに決まっている。
「仕掛けた僕が言うのもなんだけどさ、お祭り騒ぎってあまり好きじゃないんだ。……そろそろ、幕引きにはちょうどいい頃合いなんじゃないかな?」
「奇遇だな、今しがた余もそう考えていたところだ。この戦況を維持したところで未来などない」
ここは城内、それも玉座の間。カイルにとって本拠地中の本拠地と言ったこの場所に、何故クライヴが直接乗り込んできたのか。その笑顔の裏に隠した称賛など推し量るべくもないが、ここでカイルとクライヴが対峙している状況そのものは実に好都合だ。どれだけ『落日の天』が優勢で帝国の兵が軟弱であろうとも、敵将の首を打ち取ればこの戦いは幕を閉じる。『帝位簒奪戦』とはそういうものだ。
「ここが終点だ、クライヴ・アーゼンハイト。単身にて帝国最強へと挑むその傲慢、後悔しながら沈むがいい」
「傲慢? やだなあ、僕は至って謙虚だよ。こっちからしてみれば君の方こそ傲慢が過ぎる」
玉座に腰掛けたままのカイルを見やり、クライヴは笑みと共に右の拳を握り締める。その手の中に現れた透き通る刃は、今しがた部下を刺し殺したのと同質のものだ。
「君の終点はその玉座で、僕の終点はまだ先にある。上り詰めた者といまだ駆け上がり続ける者、どちらが勝つかなんてあまりに明白だ。――君たちが積み重ねてきた帝国の歴史は、きっといい踏み台になってくれるよ」
空いた左手で天を指さし、クライヴは不敵に笑う。敗北など微塵も想定せず、この帝国その物すらも目的ではないと嘯いて。勝利の暁にはその歴史総てが踏み台になると、想像を絶するような不遜を言葉にして、なおその口元は愉快そうに吊り上がっている。
「……いいだろう。まずはその笑みを奪う所からだ」
「やってみなよ、引きこもりの皇帝サマ。何をどう足掻いても、君じゃ僕を止められない」
不愉快の念を滲ませるカイルに笑いかけながら、クライヴは両の足に力を籠める。混沌を極める帝都を差し置いて、二人の将の戦いは静かに幕を開けた。……その事実を知る由など、欠片もないままに。
超お久しぶりです。心身ともに体調を崩したり卒業論文を片づけたり、実にいろんなことがあってかなり更新が開いてしまいました。まだ投稿ペースの安定にはもう少しかかってしまうのですが、これからは好きなタイミングで更新をしていこうかなーと思っています。ここから先は今までよりも更に『好き』を煮詰めた作品になっていくと思いますので、ぜひ皆さんのペースでついてきていただければ幸いです!
――では、また次回お会いしましょう!