表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

606/607

第五百八十七話『返事の声は聞こえない』

「……ありゃりゃ。上手くいかないな」


 自分なりに上手く解析して、模倣してみたつもりだったのだが。結果としては眠れる獅子を起こしてしまっただけのようで、無意識のうちにため息が零れる。巨大な氷塊に呑み込まれて魔剣が砕かれていく様を、クライヴ・アーゼンハイトは空間に投じた『穴』を通じて見つめていた。


 素材に拘ったのが裏目に出たのか、それともサイズ感の問題か。いや、ネルードはアレよりも大きな石造りのゴーレムを操っていたはずだ。となれば、問題があるのは素材か術式。大方後者だろう、ととりあえず仮定する。生まれた過程はさておくとして、あの双子剣はクライヴの所有物の中でも指折りの大業物なのだから。


「流石は『業の国』由来の技術だね。そう簡単に全てを把握させてはくれないか」


『穴』を閉じ、椅子の背もたれに体重を預ける。ネルードが仕掛けた宿への攻撃はまだ続いているが、覚醒したリリスが人形たちに苦戦する未来は見えない。乙女の秘密を覗き見る趣味があるでもなし、目的を果たした以上『穴』を残してもリスクになるだけだ。


「今のあの子なら勘付きかねないし。――やっぱり、あの時殺しておくべきだったかな」


 いいや、それはそれで面倒な話になるか。リリスとツバキ、そのどちらかの命を奪ってしまった時点でマルクとの協力は絶対に不可能になる。マルクがなりふり構わない行動に出ないのは、二人が彼を支える安全弁として機能しているからだ。


 それが失われた時、果たして計画は滞りなく完遂できるだろうか。無理だろうな、と即座に確信する。どんな形で花開くかはともかくとして、マルクが才能ある魔術師であることは間違いない事だ。……こと修復術に限れば、クライヴよりも。


 だが、記憶を取り戻した今でもマルクは修復術の本質を引き出すことに躊躇している。ありとあらゆる魔術を掌握し、歪め、思うがままにコントロールし得る可能性に満ちた魔術を、マルクは自分とその仲間を護るためだけに使っている。その事実がクライヴにとってどれほど幸いな事か。


「本当に、純粋で一途な弟分だよ。……その想いがあの子に向けられてないことが残念でならないね」


 目を瞑り、ため息をまた一つ。記憶を取り戻させて協力関係を取り付けることが出来れば、その時点で計画は九割達成されたも同然だった。帝国を呑み込むなんて回りくどいことをする必要もなく、大半の過程を省略して詰めに入ることが出来たはずだ。『落日の天』なんて嫌味に満ちた名付けだって、きっとしなくて済んでいた。


「……本当に、惜しいな」


 時間を無駄に費やす事、無駄な交渉に神経をすり減らすこと、マルクを敵に回す事。その全てが億劫で面倒極まりない。これならいっそマルクに何も知らせず、記憶に鍵をかけさせたまま一人で終わらせてしまった方が余程楽だったかもしれない。計画に起きた綻びは、全てマルクやその周囲の人物を起点としているのだから。


 バラックでもベルメウでも、そしてこの帝都でも。本人が修復術師として未完成だとしても、マルクの存在が周囲に与える影響は計り知れない。アグニに正面から打ち勝ったのが魔剣使いの貴族令嬢だと聞いた時の衝撃を、クライヴは今でも昨日のことのように思い出せる。


 昔からずっと、マルクには人を惹きつける何かがある。そういう星の下に生まれてきたのか、あるいはそれに相応しい生き方を貫いているからなのか。……理由はともかく、それはマルクにあってクライヴにないものだ。クライヴがどれだけ足掻いたところで、『落日の天』が『夜明けの灯』を組織として上回る日はついぞやってこない。


「何せこっちの手駒さえ裏切らせるぐらいだからね。恐ろしいよ、心から」


 それが帝都に生まれた最初の綻びで、クライヴが忙しなく動く羽目になった一番の原因だ。どうやったって盤面から目を離す時間が生まれて、その間に想定外の事態は増えていく。遂に完成された『人形魔術』を模倣して帳尻を合わせようとしたけれど、それも急ごしらえなせいで不完全、挙句の果てに敵を強化してしまう始末だ。人形魔術を不死の実現たらしめるには何か特別な要素が必要だとわかったのが唯一の収穫で、それ以外は丸損と言ったところか。


「……本当に、割に合わない」


 クラウス・アブソートは予想外の拾い物だ、いつ手放しても別によかった。だが、セイカ・ガイウェリスを失ったのはあまりに痛い。クライヴにとっても『落日の天』にとっても彼女は貴重な研究者、彼女がいなければ実現しなかった計画も数多い。最低限の準備は整っているものの、まだまだ彼女に頼みたいことは沢山あった。ネルードの体質を制御するのに必要だったとはいえ、出来るなら戦場に出したくなかったというのが正直なところだ。


 単純な戦闘要員ならいくらでも代えが効くが、セイカの役割は決して代えのきくものではない。彼女に頼まれて何人かつけた助手でさえやっていたことは基本身の回りの世話、彼女の知恵を引き継げるだけの器はない。『落日の天』の技術力は、彼女の死を以てほぼ失墜したと言ってもいいだろう。


 それだけで済むなら、痛手ではあるがまだギリギリ許容できた。『業の国』とパイプを作れた今、代償を払う必要こそあれ技術協力のアテはある。……だが、彼女が果たしていた役割は決してそれだけではない。


「――アグニ、大丈夫だといいけど」


 いつも飄々としている腹心の顔を瞼の裏に思い浮かべ、心配の言葉を漏らす。未だ底知れない人物ではあれ、セイカと接している時の彼の表情は普段より明らかに柔和になっていたことははっきりと憶えている。――きっと、彼の過去と何か関係があるのだろう。


 人の過去を根掘り葉掘り問いただす趣味はないし、どんな行動原理であれ計画の役に立ってくれるならば文句はない。ただ、彼が過去に何かを失ったことは知っている。それが今の軽薄な態度を形作ったことも分かっている。アグニ・クラヴィティアには、何か大事な物がぽっかりと欠けている。


 もしそれを埋めうるのがセイカで、意識的であれ無意識の事であれアグニがそれに気づいていたのだとしたら。それが、彼女との交流を特別なものにしていたのだとしたら。……セイカを失った彼の心に、より大きな穴を生むことは想像に難くない。


 せめて帝都の戦いが決着するその時まで、アグニとセイカの死体――『アイン』と名付けられた人形が対面することがないようにと、柄にもなくクライヴは祈る。この不確定要素に、クライヴは干渉できない。……こちらはこちらで、やるべきことがある。


 もし、顔を合わせてしまえば。ネルードの手によって、セイカが人形となったことをアグニが知れば。待っているのはアグニとネルードの敵対、『落日の天』を二分しかねない内部分裂だ。そうなれば最後、計画の歪みはさらに大きく厄介な物になる。……また、付け入る隙を増やすことになる。


 ただ、そうなってもクライヴはアグニを責められないだろう。それは今のクライヴ自身をも否定することと同義だ。――大切な存在を奪われる痛みの大きさを、クライヴはこの世界の誰よりもよく知っている。


「……フレイヤ」


 もう何度口にしたか分からない名前を呼ぶ。返事はない。来るはずもない。来ないはずの返事をもう一度聞くためだけにここまでやってきたのだ。――これからだって、やっていくのだ。


「ごめん、また回り道しなくちゃいけなくなった。……もう少しだけ、待ってて」


 誰にも、邪魔はさせないから。


『今は』瞼の裏にしかいない少女の姿を思い浮かべて、クライヴは誓いの言葉を紡ぐ。起こってしまうことは仕方ない。裏切りも内部分裂も、大事な弟分との決裂も。それら全部ねじ伏せて、望む未来を手に入れる。里を出たあの日から、覚悟は決まっていたはずだろう。


「……そろそろ、行こうか」


 思索を打ち切り、反動をつけて椅子から起き上がる。服の襟を少し整え、大きな伸びを一つ。そして虚空へ右手を伸ばし、眼を大きく見開いて――


「これ以上、お祭り騒ぎになるのも面倒だからね」


『穴』の向こうに豪奢な玉座を捉え、クライヴは不吉な笑みを浮かべた。

 怪物と戦っていた時に抱いた違和感の正体、そして見えなかったクライヴの動向。それらが少し垣間見える回となりましたが、いかがでしたでしょうか。帝位簒奪戦もそろそろ山場、決着に向けてそれぞれの思惑は、そして宿命はより深く交錯していきます。果たして最後に笑うのは誰なのか、ぜひご注目いただければ幸いです!

――では、また次回お会いしましょう!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ