表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

605/607

第五百八十六話『不条理、理不尽、初見殺し』

 

 剣を構え攻撃の姿勢へと移る怪物に向けて、大量の氷の弾丸を引き連れたリリスが落下していく。透き通る弾丸が照明の光を受けて乱反射する様は、その展開量も相まって夜空がそのまま降り注いでくるかのようだ。


 濃い魔力の気配に酔わないように気を付けていても、二振りの魔剣はびりびりと肌を刺すような存在感を放ってくる。それはきっと『何か』の前触れで、それが起こればただでは済まない。それを完封しようと思うならばこの規模ですら生温いことも、本能的に確信できた。


「……まだ、まだッ‼」


 だからリリスは吠え、自分の周囲に漂っていた弾丸を両手で強く握り込む。硝子が砕けるような音が立ち、その手の中から巨大な氷の槍が生まれた。


 器用に槍を回転させながら標的へと狙いを定め、風の力を借りて落下速度を更に上げる。その最中にも弾丸は数を増やし続け、仮初の星空はそのきらめきをさらに強めていく。天才の辿り着いた極点は美しく、そしてあまりにも暴力的だった。


「――これで、沈みなさい‼」


 吠え猛り、両の手に構えた槍を魔剣に向けて叩きつける。体感的には何分もの試行錯誤を経たうえで導き出された一撃だが、実際には腕をまとめて切り捨ててから五、六秒足らずで叩きこまれた容赦のない追撃だ。自然、怪物の姿勢が受け身になる。


 剣と氷がぶつかり合い、悲鳴のような甲高い音を立てながら拮抗する。リリスの全力を賭してもなお剣は切断されることなく、今も確かに攻撃を押し返し続けていた。全開のリリスと競り合えているという事実こそが、この魔剣を大業物たらしめる最も揺るぎない証明だ。


 でも、それだけではまだ足りない。リリス自身はあくまで前座、本命はその背後から落ちてくる氷の星々だ。剣に槍に斧に槌にと形を変え、それらは怪物の息の根を止めんと加速を続けている。


 腕を切り落とされ、氷の茨に足を絡め取られた怪物にそれを凌ぐ手段はない。切り落とされた腕が再生を応用するような形で死角から奇襲してくるというハプニングこそあったが、それも一つの氷を盾に変形することであっさりと凌ぎ切った。無論、弾丸のうちの一発を防御に回したところで攻撃の手が緩むことなどあろうはずもない。


 槍と剣が衝突してから数秒の後、鈍い衝撃音を伴って氷の弾丸が怪物の身体を貫く。槍の形をしたそれが先陣を切ったかと思えば、瞬きの後には無数の武装が怪物の全身を埋め尽くしていた。寸断に寸断を重ねられて、怪物の身体はバラバラと崩れ落ちて行く。


 異様な光景だった。人の何倍もの巨躯を持つ怪物が、それよりもはるかに小柄で華奢な少女の振るう暴力に擦り潰されて原型を失っていく。蹂躙と、そう呼ぶほかない程に圧倒的な力量差だ。


 しかしその一方で、槍を振り下ろし続けるリリスの眉間には深いシワが刻み込まれている。魔術の負担が大きすぎるから、ではない。ここまで徹底的に破壊してもなお、魔剣が拮抗を続けていることが問題だった。


「どれだけの力があれば、こんなにバラバラになってもまだ動いてられるっていうのよ……‼」


 先の先を奪うリリスの戦略は奏功し、怪物は甚大なダメージを受けた。この戦場の大勢は決したと言ってももはや過言ではないだろう。しかし、リリスの胸中には不安が渦巻いている。清らかな水に垂らされた一滴の汚水のように、心地よさの中に混ざる不安感はリリスをかき乱している。


 破壊された怪物の身体はばらばらと地面に飛び散っており、再生の素振りこそ見せてはいるがその気配は微々たるものだ。頭部を代替できるほどの部品はもうどこにもなく、傍目から見れば剣だけが宙に浮いてリリスと競り合いを続けているかのような構図になっている。


 だがまだダメだ、不十分だ。一番の脅威がまだ取り除かれていない。この剣を地に落とすその瞬間まで徹底的にやらなければまた不意を打たれる。ベルメウと同じ轍を踏むのなんてもう二度と御免だ。


「最後の一瞬まで、徹底的に叩き潰すわ――‼」


 槍を握る手に力を籠め、氷の弾丸を一息で再装填する。中々お目にかかれない大業物の最期としてはあまりにも申し訳ないが、ここまでやって止まらないのならもう圧し折るほかに方法はない。その覚悟を示すかのように、氷の弾丸は膨張しながら形を変えて。


――キィン、と。


 それを差し向けようとしたその瞬間、リリスの眼前で二振りの魔剣がわずかにくぐもった音を立てる。それに驚く暇もなく、リリスの視界は白と黒の明滅を始めた。


「お、え」


 吐き気と眩暈、そして激しい頭痛。酔った、と本能が確信する。背後に控えさせた氷の武装が、鈍い音を立てながら床に転がった。


 咄嗟に再展開を試みるが、意のままに操れていたはずの魔力はリリスの意志を拒絶する。氷の弾丸が生み出されることはなく、その代わりと言わんばかりに身体から力が抜けていく。音もなく氷の武装が両の手から滑り落ちたのは、あまりにも当然すぎる帰結だった。


 拮抗が終わり、競り勝った魔剣が勢いよくリリスに向けて振り切られる。明らかに致命的なそれをどうにか躱すことが出来たのは理外の幸運としか言いようがないだろう。明滅し不安定な視界の中、刃が自分の頭上を通り抜けるのが辛うじて捉えられた。


 あまりにも力なく落下していたことがいい方向に作用したのだろうか。――いや、考えるべきはそんなことではない。まだ戦いは終わっていないどころか、明らかに違う局面へと切り替わっている。リリスの作戦は成功したが不完全だった。『先の先』を超えた未知の領域へと突入した戦いは、先刻までとは比べ物にならない程の危険性を孕んでいる。


(……今、すべき、ことは)


 脳を支配するあらゆる不快感を黙殺して、リリスは今一度感覚を研ぎ澄ます。最大限に警戒してなお魔力酔いしてしまった以上、怪物の一手はそれ相応の異常事態を引き起こしたということだ。それが分かっているならば、今やるべきなのは自分の体を労ることではなかった。不快感など噛み殺して、今このロビーで起きていることを掴まなければならない。


 覚悟を決め、受け身もそこそこにロビーに漂う魔力の気配へと意識を向ける。普段とは明らかに質の違うそれは、異変の原因を二秒足らずで把握させるには十分すぎた。


 それとほぼ同じタイミングで、胃の底からせりあがってきた異物が喉の奥へとたどり着く。脳の内部を直接鈍器で殴られているかのような不快感があり、眼を瞑っているのに視界の明滅は激しさを増し続けている。魔力の気配を感知できる存在にとって、この空間はあまりにも強すぎる劇毒だ。


 何もかもが気持ち悪い。この空間に存在する魔力は、何らかの影響を受けて明らかに変質している。よくできた絵画の上から原色の絵の具をぶちまけたかのような、あるいは真っ黒な線を何本も何本も刻み付けているかのような。経験したこともない程に異質で不気味なそれを無防備に拾い上げてしまえば、魔力酔いを引き起こすのも当然の帰結なわけで。


「……そりゃ道理で、魔術も制御できなくなるわよ」


 変質してしまった魔力に対していつも通りのアプローチを試みたところで、性質が異なるのだから失敗するのは当たり前だ。あの鈍い音が響いた瞬間、ここは魔術師を拒絶する空間へと作り替えられた。もはや変質ではなく、『汚染』と表現した方がよほど正確だ。


 おそらく、それがあの魔剣の持つ切り札だ。流れから帯びている性質そのものまで、魔力という存在のほぼすべてに干渉し歪めて見せる。対峙しているのが誰であれ、魔術の恩恵を受けて戦う者は大なり小なりその悪影響を被ることになるだろう。帝都を滅ぼす『怪物』の権能としてこれほど相応しい物も中々ない。


「体がバラバラになっても魔力の流れを弄って繋いでおけば問題なし、ってわけね。とことん合理的で腹が立つわ」


 生理的な不快感と引き替えに、リリスは確固たる結論を得る。怪物――否、宙に浮く二振りの魔剣はこちらへと切っ先を向け、魔力と切り離された魔術師を殺すべく動き始めていた。


 ああ、悪い意味で想定通りだ。初見殺しは発動して、リリスの優位は無へと帰った。魔術師をあざ笑うかのような一手にも、それを許してしまった自分にも腹が立つ。魔力酔い覚悟で向き合えば、その切り札の本質を事前に見抜くこともできたはずなのに。


「……ああ、ほんっと腹が立って仕方が無いわ」


 魔剣を睨みつけ、片膝を突きながら立ち上がる。あの魔剣が元々性格の悪い権能を持っていたのか、それとも怪物の要として仕立て上げられる段階でそんな機能を得てしまったのか。ふとそんな疑問が湧いて出るが、その答えなどどうでもいい。それが分かったところで胸の奥の不快感が消えてなくなるわけじゃないのだ。――この不愉快な権能を正面からねじ伏せなければ、リリスの気分は決して晴れない。


「真っ二つに叩き折ればいいと思ってたけど、気が変わっちゃった。……原型も残さない程、粉微塵にしてあげる」


 堂々と宣言して、リリスは深呼吸を一つ。相も変わらず周囲に漂う気配は気持ち悪く、如何に無視しようとしても不快な存在感を放ってリリスの感覚を蝕んでくる。不気味だ、不愉快だ。……だから、跡形もなく片付けてやろう。


 その宣言を聞く耳も、いつになく凶暴な笑みを捉える目も魔剣には当然存在しない。しかし、その宣言に応えるかのように魔剣は動いた。反動をつけるかのように一度後退して、その小柄な胴体を串刺しにせんと二本の魔剣がリリスに迫る。その一部始終を余すことなく蒼い瞳の中に捉えながら、リリスは悠然と右手を前にかざして――


「氷よ」


 そのたった四文字が、凛とした声で紡ぎあげられる。次の瞬間、魔剣の一撃は巨大な氷の障壁によって受け止められた。


「……あー、やっぱり気持ち悪い。思った以上に骨が折れるわね、これ」


 空いた左手で口元を抑え、わずかに前屈みになりながら吐き捨てるようにそう呟く。慣れてしまえば頭痛や眩暈はどうとでもなるが、せりあがってくる異物が喉を焼く不快感だけは如何ともしがたいものだ。そう何度も経験したいものではないし、この異様な空間から一秒でも早く抜け出せるならそれに越したことはない。だから、この障壁がリリスの勝負手だった。


 分厚い障壁を突破しようと魔剣は前進を試みるが、氷に入った亀裂が少し広がる間にリリスは五歩、十歩と大きく後退を済ませている。それどころか氷の壁は徐々にその厚さを増し、魔剣全体を呑み込まんとしていた。


 額に浮かんだ冷や汗を拭い、リリスは大きくため息を吐く。やったこと相応の疲労感はあるが、作戦自体は予想通り大成功だ。魔術師に不条理を叩きつけるその権能は、『不条理』そのものといっても過言ではないリリスの才によって叩き潰された。


「魔力の方が変質してるとなれば、いつも通りのアプローチを試みたところで魔術が上手く扱えるわけもない。……けれど、そうなったとしてもそれが『魔力』であることに変わりはない。魔術の役に立たない物に作り替えられてしまったわけじゃない」


 それが魔力である以上、操る方法は必ずあるわ――と。


 氷の壁が魔剣を呑み込んでいく音に混じり、誰に向けるでもないリリスの解説がロビーに響き渡る。その姿はまるで、今まで教えを受けてきた研究院の学者のようにも見えた。


 ただ一つ違う点があるとするならば、それがあまりにも暴論であることだろうか。当然間違ったことを言っているわけではない。現にリリスはそれに成功している。長い時間をかけてしかるべき過程を踏めば、リリスと同じ芸当をやってのける魔術師も少数ではあるが現れることだろう。


 だが、それをリリスはこの数十秒にも満たない間でやってのけた。気配から魔力そのものの変質を察知し、それがもたらした影響の数々を瞬時に把握して。与えられた僅かな猶予の中で試行錯誤を重ね変質した魔力に対するアプローチを編み出してみせたその芸当を、『理不尽』『不条理』と呼ばずに何と呼ぶべきか。それがリリス・アーガストを『天才』たらしめる所以にして、それと出会ってしまったが故に魔剣はここで終焉を迎えるのだ。


「ついでに言えば、もう完成しちゃった魔術には干渉できないみたいだし? このまま全体を呑み込んで、その後にきっちり擦り潰してあげるわ。……今度こそ、悪足掻きはさせないわよ」


 魔剣の辿る末路が宣告されたと同時、氷の侵食はさらに激しくなる。脱出を試みているのか魔剣は時折振動するが、氷の障壁は魔剣を捉えて離さない。一切の抵抗を許さないまま、氷の障壁は柄の先端に至るまで魔剣の全てを呑み込んだ。


 それを確認してから、リリスは右手を力強く握り込む。それを合図に氷の障壁はゆっくりと圧縮され始め、防御のためにつくられた壁が魔剣を粉々に噛み砕く顎へと変貌を遂げた。


 それを破壊し得る怪物の肉体も、氷の武装に縛り付けられて再生することを許されない。無駄に大きく形作られた図体は、その効力を一切発揮できないまま元の無機物へと還る。『天才』の歩む勝利への道は何人たりとも阻めない。意思を持たない怪物になど、なおのこと。


 元の半分以下の幅にまで氷が圧縮されたころ、甲高い音を立てて魔剣の半ばに亀裂が入る。それが最初の手応えで、そこからは一瞬の出来事だった。大小さまざまな亀裂が刀身のあちこちに走り、やがて砕けて破片に変わる。気持ち悪かった周囲の気配がいつも通りに戻ったことが、リリスに勝利をより強く確信させた。


 しかし、それでも手を抜かない。念入りに、念入りに魔剣を擦り潰し、その破片が氷の結晶と混じって見えなくなるまで徹底的に噛み砕く。それを済ませて初めて、リリスは表情をふっと緩ませて――


「……これで終わりね。この場にマルクがいなくて、ちょっとだけ安心したわ」


 吐くのを我慢してるところなんて好きな人には絶対見られたくないし、と。


 内心そう付け加えて、理不尽を体現する『天才』は一人の恋する魔術師に戻る。ロビー中に散らばった氷の武装たちが、照明の淡い光を受けて煌めいていた。

という事で、怪物戦決着です! ただ初見殺しを封殺するだけでなく、受けた上で咄嗟にそれを打ち破って見せる『天才』の圧倒的な戦い、お楽しみいただけたでしょうか。吹っ切れたことで一つ上の領域へ至ったリリスがこの先どんな戦いを見せてくれるのか、今後ともご注目いただければ幸いです!

――では、また次回お会いいたしましょう!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ