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第五百八十二話『籠城戦』

――こと籠城戦に対して、リリスは碌な思い出がない。


 考慮しなければいけないことが多すぎて身動きは取れなくなるし、防衛線の内のどこか一つでも崩れたら計画は音を立てて崩れ始めてしまうし。かつて護衛だった身としてあるまじきことだと自覚はしていても、リリスは籠城戦が大の苦手だった。


 冒険者となってしばらく経った今でも苦手意識は脳裏に住み着き、絶えず嫌な緊張感をリリスに送り続けている。それを完全に振り払うことなどできないと諦めつつも、リリスは強い言葉を舌の上へと乗せ――


「……刺し貫きなさい‼」


 咆哮のような詠唱に従って伸びた氷の棘が人形の胴体を貫くのを見届けつつ、リリスは地面に氷のつぶてをばらまく。やがて人形たちを搦め取る罠へと成長する『種』とでも呼ぶべきそれは、これからも断続的になだれ込んでくるであろう人形たちを見据えた物だ。


 正面の入り口以外はあらかじめ封鎖しておいたこともあって今はどうにか侵入を食い止められているが、もしも封鎖の要となっている氷が砕かれるようなあれば状況は一変するだろう。その脅威が消え去らない限り、薄氷を踏むかのような綱渡りをさせられている状況に変わりはない。『籠城戦』という形式に追い込まれてしまった以上、不利なのは常にリリスたちの方だ。


 ただの一度も失策が許されない中、再生する人形たちは無限の試行回数を以て挑んでくる。……そんな戦いがアンフェアでなくて、一体何だと言うのか。


「リリス、すぐ次が来るよ!」


「分かってるわよ。……全部まとめて、吹き飛ばしてやるわ」


 芋づる式に浮かび上がってくる嫌な記憶の数々をツバキの合図とともに振り払い、リリスは氷の剣を振り抜く。それに従うように出現した氷の波は一瞬にして宿の扉へと到達し、ドアノブに手をかけようとしていた人形たちを丸呑みにした。


 どうせしばらくすれば再び動き出すのだろうが、それまでの時間が稼げるのなら戦果としては十分だ。宿の至るところに罠を張り巡らせて置いてあるとはいえ、防衛線は少しでも押し込まれない方がいいのだから。


 人形たちの気配は入り口の前に集い、力づくでの正面突破計画に挑み続けている。マルクと共に部屋に残ったスピリオの気配も今のところは変わりなく、気付かないうちに人形が忍び込んでいるという事もなさそうだ。マルクが目覚めるまでこの状況が続けばいいと、そう願わずにはいられない。


「……ほんと、これだから籠城戦ってのは嫌なのよ」


 いつ動き出すかも分からない人形の群れを凝視しつつ、リリスはため息を一つ。たとえ九十九の攻撃を凌ごうと一の攻撃を通してしまえば負けるのが籠城戦である以上、束の間の安息すらこの宿の中では許されないものだった。


「守る側ってのはどうしても窮屈になる物だからね。ボクとしても今の状況は好ましいものじゃないよ」


 影を用いた罠を張り直しつつ、ツバキもどこか疲れたような声を上げる。入り口で人形を迎撃し続けること約四十分、その負荷は徐々にリリスたちを蝕み始めていた。


 いつ人形は蘇り動き出すのか、そうなった時同じ戦術を使い続けるだけで対処できるのか、自分たちの知りえないところで包囲網が強化されて居たりはしないか。不安点は考え出せばキリがなく、そんな状況の中でリリスたちが切れる手札は非常に少ない。身体に何も問題がなかったとしても、そういった懸念はじりじりと精神をすり減らしていく。気を張り続けること自体には慣れているつもりだが、この戦場が孕む緊張感は今までのそれと比にならないほどに濃密だった。


 敵の手勢は実質無限、対するこちらはたったの三人。状況を考えれば宿が破壊されることも実質敗北に等しく、何より今守らなければならないのはマルクを含めた大切な仲間全員の命だ。『感情に仕事の質を左右されるな』と商会では教えられてきたが、今までの何と比較しても『夜明けの灯』が持つ価値はリリスにとって大きすぎる。


 マルクが目覚めるまでの時間を稼ぐために出来るだけの罠は張り巡らせ、その上で相手が取り得る策も大体先回りして潰したつもりだ。ただ、それでも懸念は消えてなくならない。それどころか対策を打てば打つほど不安は膨らみ、人形が再生する様を目にするたびに脳内に響く問いかけの声は大きくなるのだ。


――この程度の備えで、本当に『マルクは安全だ』と言い切れるのか?


「……ッ‼」


「リリス、前だ‼」


 もう何度目かも分からない自問に歯を食いしばったのと、人形の再生を察したツバキから鋭い声が飛んできたのはほぼ同時だ。ワンテンポ遅れて目の前の状況を把握し、その上で剣を構え直す。全身を氷に呑み込まれた人形たちは、その氷ごと自分の肉体として運用することを選択したようだ。


「氷漬けにして閉じ込めておくの、もうやめた方がよさそうね――‼」


 舌打ちと共に戦闘方針をまた一つ更新して、リリスは氷の剣を大槌へと作り替える。切断ではなく破砕に特化したその武装は、現状で考えられる人形たちへの最適解だ。


 人形の前進に合わせて頭部へ一撃を叩きつければ、その全身は凍り付きながら粉々に砕かれていく。人形たちにその一撃を押し返すだけの力などあるはずもなく、五秒も経たないうちに突入を試みた人形たちは細かな氷の欠片となった。


 薄暗い部屋の中に青白い氷の欠片が漂い、空いた扉の隙間から射しこんだ光を不規則に反射する。光景自体は随分と幻想的だが、ここまでやってもしばらくすれば再生するのだから理解に苦しむ。――どんな魔術を身に着ければ、ここまで砕かれた破片の一つ一つを人形の肉体として再構築できるのだろう。


 世界に無数の魔術理論がある事も、リリスが知っているのはその中の一割に満たないことも分かっている。故にこそ魔術師の戦いは往々にして初見殺しの応酬となり、対応力のない者から順に脱落していく過酷なものになるのだろう。


 ただ、それにしてもネルードのそれは異端が過ぎる。ともすればアゼル・デューディリオンがあの村で手にした呪印術式よりもずっと。彼が『人形魔術』と呼ぶものは、頭のてっぺんからつま先まで不老不死を実現させるために設計されたものであるように思えてならなかった。


 元から存在した生命を不老不死に昇華させることと、生命ですらなかったモノを素体として新たな不老不死をこの世界に誕生させること。今までにネルードをアゼルの同類だと考えたこともあったが、この二つは似ている様で全く次元が違うものではないのか。いいや、悍ましさだけで言うのならばネルードのそれの方がよっぽど――


 緊張感によって回転を強いられる思考はあらぬ方向へと舵を取り、今まで想像だにしなかったような仮説へとリリスを導いていく。それが正解なのか不正解なのか、するべきだった思考なのかそうでないのか、それらを定義できるものは本来誰もいない。散逸し目標を見失った思考に採点基準などなく、自分自身ですら正解不正解を定義することは不可能だ。



 そう分かっていても、リリスは自らの思考に『不正解』を叩きつけたくて仕方がなかった。



「な、あ……ッ⁉」


 あらぬ方向へと逸れた思考が引き金となったかのように強大な魔力の気配が扉の前に現れ、脳内を駆け巡った危険信号が散らかった意識を強制的にまとめ上げる。偶然の一致にしてはあまりにも丁度良すぎるタイミングに、非合理と分かっていながら自らの思考を責めずにはいられない。


 ただ、そうする余裕すら一秒後には消え失せた。扉の前に立つ気配は人形と酷似していながら、今までのそれとは明らかに規模が違う。今まで群がっていた人形たちの魔力全てを一点にまとめ上げたとしても、これの規模を上回ることは出来ないだろう。


「……ツバキ、影の準備をしておいて」


 その指示にツバキは一瞬息を呑み、すぐに神妙な表情を浮かべて頷く。その意思疎通が完了した直後、宿の扉が轟音と共に吹き飛ばされた。


 人形たちを食い止める最初の壁として機能していたそれをあっけなく吹き飛ばし、新手の人形は悠々と宿の中へと侵入する。そうして初めてその全貌が明かされたとき、リリスの足は無意識の内に一歩後ずさっていた。


 十本の腕と六本の脚、人間の上半身と獣の下半身を強引につなぎ合わせたかのような不自然なシルエット。瞳の代わりだとでも言わんばかりに取り付けられた二枚の鏡は、リリスとツバキの引き攣った表情をはっきりと映し出している。


「何よ……何なのよ、これ」


 怪物と、そう呼ぶ以外に的確な表現が思いつかない。リリスを無意識の内に後退させた本能は正しかったのだと観察を終えた理性も結論付けた。……この人形は、もはや生命を象ることにすら失敗している。


「……これも、不老不死の一つだって言うの?」


 だとするのならばネルードのセンスは絶望的だ。人も妖精も精霊も、獣や魔物でさえもこの怪物を前にすれば警戒心をあらわにするだろう。『生命』を語るにしては、この怪物はあまりにも歪が過ぎる。


「――認めるわけには、いかない」


 氷の剣を手中に作り出し、正面に立つ怪物に向かって突き付ける。考えなければならないことは数多いが、それは一旦すべて後回しだ。今はただ、この怪物の存在を一秒でも早く否定したくて仕方がない。


 かつてないほどに強烈な拒絶の感情に引きずられるかのように、地面に撒かれた氷の種たちが音を立てて芽吹きはじめる。それらの一つ一つへと意識を集中させながら、リリスは空いた左手を強く握りこんで――


「粉々になって、消し飛びなさい‼」


――その叫びに応えて延びた氷の棘たちが、リリスから怪物への宣戦布告だった。

 籠城戦の拮抗を破らんと現れた怪物に相対するリリス、彼女たちは一体どのような戦術で挑むのか! ネルードの覚醒によって加速度的に戦況は動いていますが、同時に結末へ向けて舵を切り始めてもいます。氾濫する人形はどこへ向かうのか、姿を見せないクライヴの真意、聖剣を扱わんとしていたフェイとカルロの動向などなど、終盤に向けて増していく見どころをお楽しみいただければ幸いです!

――では、また次回お会いしましょう!

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