嫁入り準備
嫁にいく自覚があるようなないような
ルイスの教育は時間の許す限り続いた。
それは思いの他ハードで、一日が終わるとぐったりと疲れてしまう。
だが、やらなければいけないことはお妃様教育だけではなかった。
嫁入りの準備もしなければならない。
気づいたら、王宮に入る日は明日に迫っていた。
今日の午後は嫁入りの準備をする時間としてルイスはスケジュールを空けてくれた。
自分は溜まった仕事をするために昼食も取らずに城へ向かう。
わたしは昼食後、少し居間で休憩してから準備に取り掛かることにした。
休んでいると、ルークやユーリが遊んで欲しそうな顔でこちらを見ている。
それに気づいたが、子供たちに付き合って遊ぶ体力も気力も残ってはいなかった。
だがわたしも癒しは欲しい。
そこでちょっとしたことを思いついた。
「ルーク、ユーリ」
二人を手招く。
呼ばれた二人は弾かれたようにわたしのところにやってきた。
嬉しそうににこにこ笑っている。
(ああっ。天使っ)
その笑顔を見るだけで元気になれる気がした。
「あやとりを教えてあげる。一緒に遊びましょう」
わたしはそう言うと、二人に毛糸を少し貰ってくるように頼む。
二人は言われた通り、毛糸を貰ってきた。
それでわっかを二つ作る。
わたしはユーリを自分の膝に乗せた。
ルークには隣に座るように言う。
ルークも抱っこして欲しそうな顔をするが、大きいので膝に乗せるには少々重い。
隣で我慢してもらうことにした。
ぴたっとくっついてくるルークが可愛くて、ぎゅっとその身体を抱き寄せる。
ルークはちょっと照れた顔で笑った。
可愛い子供たちにわたしはまた癒される。
わたしは毛糸のわっかをルークとユーリに一つずつ渡した。
二人はそれを不思議そうに見る。
「これをこうやって、指に掛けて……」
わたしはあやとりの仕方を教えた。
もっとも、わたしも実はたいして上手くない。
出来るのは基本のやつくらいだ。
だがそれでも十分、子供たちには衝撃だったらしい。
「わぁ」
ユーリの口から歓声が上がった。
毛糸のわっかが形を変えるのが面白いようだ。
(こういうのを考えた人って天才だな。言葉も文化も関係なく、全ての子供の心に突き刺さる)
夢中になる子供たちに、二人で遊ぶやり方も教えてあげる。
最初はたどたどしかったのに、二人は直ぐに慣れた。
上手に遊び始める。
二人の楽しげな顔に癒されたわたしの心には、少し余裕が生まれた。
ふと、祖父の顔をあまり見ていないことに気づく。
同じ家に暮らしているから、基本的に朝食と夕食は一緒に取っていた。
昼食は祖父が家にいれば一緒に食べるが、忙しいようであまり居ることはない。
同じ家に暮らしながら、会話らしい会話をしていなかった。
それがちょっと寂しい。
明日、この家を出ればさらに話す時間はなくなるだろう。
その前に少し時間が取れないかと考えた。
セバスを呼んで、相談する。
「それなら、王宮に持っていくものを選別するのを手伝っていただいてはいかがですか?」
セバスは提案した。
午後から、わたしはセバスと共に嫁入りの準備をすることにしている。
大公家では使用人が全てやってくれるので、わたしが動くことはない。
だが、指示を与える必要はあった。
持っていく物と置いていく物をわけなければいけない。
正直、わたしは何が必要で何が不要なのかわかっていなかった。
セバスに手伝ってもらうことにする。
その役目を祖父に頼んだらどうかということのようだ。
「お祖父様はお帰りなの?」
昼食の時はいなかったので、出かけているのだろう。
「間もなく、お帰りになる予定です」
セバスは答えた。
当然、祖父のスケジュールは把握している。
「じゃあ、戻られたら頼んでみるわ」
わたしの言葉に、セバスは笑顔で頷いた。
養子縁組をした後、わたしには屋敷の一室が自室として与えられた。
その部屋はもともと母の部屋だったらしい。
母のものがそのまま残っていた。
その部屋を見て、いつか母が帰ってくるのを祖父は待っていたのかもしれないと感じた。
部屋はいつでも使えるように掃除されていた。
わたしは部屋ごと母の私物も貰う。
ドレスもたくさんあったが、それ以上に宝飾品が多かった。
仕舞う場所がないほど、溢れている。
母はたくさんの宝飾品を実家から持ってきていたが、それはほんの一部だったのだと知った。
部屋には母が持って来た何倍もの宝石が残されている。
わたしはそれらの宝石を眺めた。
どれも装飾が見事だ。
高そうなのが一目でわかる。
それらを全て持って行くことは出来ない。
数が多すぎた。
だがそもそも、こういうのは何個くらい持参するのが普通なのかがわからない。
必要な時に取りに戻ればいいので、全て置いて行ってもわたしは構わなかった。
しかし、それでは不味いのはわたしにもわかる。
嫁入りなんてある意味、デモンストレーションの一種だ。
見栄とはったりの世界だろう。
これだけのものを持参しましたよ、とアピールする必要があるのだ。
わたしとしては普通より少し多いくらいを持参するのが理想だ。
多すぎても余計な妬みを買いそうなので、よろしくない。
そのちょうどいいところがまったくわからなかった。
「うーん」
唸っていると、セバスが祖父の帰宅を伝えてくれる。
わたしはお祖父様を出迎えに行った。
「お帰りなさいませ、お祖父様。お忙しいところすいませんが、もしお時間があればご相談に乗って欲しいことがあります」
玄関先で切り出す。
「言ってみなさい」
問われて、持っていく宝飾品で悩んでいることを話した。
お祖父様は相談に乗ってくれることになる。
二人で部屋に向かった。
母が使っていた時のまま、わたしは部屋の中を家具の配置一つ変えていない。
部屋に入ると、お祖父様は懐かしい顔をした。
部屋に入るのは久しぶりらしい。
一つ一つ、宝飾品を説明してくれた。
母の宝石は全て、お祖父様が贈ったものらしい。
母への溺愛っぷりが伝わってきた。
「この部屋から娘を王家に嫁に出すことは叶わなかったが、孫を王家に嫁に出すことになるとは思わなかった」
お祖父様はぼそっと呟く。
「不思議ですね」
わたしは笑った。
「でも母様は王家に嫁ぐより、父に嫁げて幸せだったと思います」
そう続ける。
自分が嫁ぐことになってよくわかった。
王家に嫁ぐというのはとても大変なことだ。
シンデレラは王子様と結婚し、幸せになりました。めでたし、めでたし――なんていうおとぎ話は存在しない。
大変なのは結婚するまでより、結婚してからだ。
(絶対、シンデレラは王宮に入ってから苦労したに違いない)
そんな確信が今のわたしにはある。
そしてそれは自分自身のことでもあった。
「そうだな」
お祖父様は頷く。
「この一週間、私もそれはしみじみと感じたよ」
ため息をついた。
どうやら、ここ最近お祖父様が忙しかったのは、わたしの結婚絡みだったらしい。
「母は幸せでしたよ」
わたしは改めて、言った。
「そんなことは最初からわかっていた」
お祖父様は肩を落とす。
「だか私はいまだにランスロー男爵にどう接したらいいのかわからない」
その言葉を聞いて、わたしはちょっと驚いた。
お祖父様は父様と仲良くしたいらしい。
そんなことを思っていたなんて、思わなかった。
たぶん、父も思っていないだろう。
「母様の話をしたらいいんじゃないですか?」
わたしは微笑んだ。
「お祖父様は小さな頃の母様の話をして、父からは結婚してからの母様の話を聞いたらいいんです。二人の共通の話題なんて母様しかないんだもの。母様の話をしたら少しは打ち解けるのではないでしょうか?」
その言葉に、お祖父様は複雑な顔をする。
「そんな機会、あるのだろうか」
寂しげに呟いた。
「ありますよ。とりあえず、二ヵ月後の結婚式にはシエルと共に父もやってきます。その時、大公家に泊めてあげてください。一緒にお酒でも飲んだらいかがですか?」
話しながら、お節介を焼くなと怒るシエルの顔が思い浮かぶ。
放っておくと決めていたのに、つい、口出ししてしまった。
それでも、祖父と父が仲良くなれるかもしれないチャンスをみすみす逃すのは惜しい。
「そうか。それはいいかもしれないな」
お祖父様は頷いた。
乗り気になる。
「お祖父様と父様が仲良くしてくれたら、誰より母様が喜びます」
わたしが微笑むと、祖父はじっとわたしを見つめた。
「王家に嫁ぐのは楽なことではない。それでも良いのか?」
改めて問われる。
今さら駄目だと言っても後戻りは出来ないのに、それを聞くのは愛情なのだろう。
大切に思われていることを感じた。
「この一週間、大変さは骨身に染みました」
わたしは笑う。
「でもいいんです。自分で決めたから、後悔はしていません。逃げ出すことはあるかもしれないけど」
わたしの言葉にお祖父様は目を丸くした。
「逃げ出すのか?」
困惑を顔に浮かべる。
「どうしようもなかったら、逃げます。我慢出来ない、耐えられないって思ったら、逃げてわたしは自分を守ります。逃げるが勝ちって言葉もあるじゃないですか。逃げずに押しつぶされるなら、逃げて生き残る方が勝ちだとわたしは思っています」
わたしはぎゅっと両手を握った。
どうしようもない時、逃げるのは負けではない。
本当の負けは、押しつぶされてしまうことだ。
「マリアンヌ。お前は自分の好きなように生きなさい」
お祖父様は笑った。
「はい。そうしています」
わたしは頷く。
「お前は本当に母親似だな」
お祖父様は嬉しそうな顔をした。
どうしようもなかったら逃げたっていいんですよ><
生残ったものか勝ちなのです。




