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3 荒谷真二郎

「こ、こんばんは。六藤くん。」

「うん。こんばんは。」

 夜、街が寝静まった時間。月明かりと街灯だけがあたしたちを照らしていた。

 あたしは気まずくて、六藤の顔をまともに見られない。

 公園のベンチに二人で腰掛ける。

 どんな風に話を切り出せばいいのだろうか。

 ごめん、だけでは足りない。いや、土下座しても足りないだろう。

「梓。」

 なにも話せないあたしに、六藤は静かな声で話しかけた。

「俺は怒ってないよ。梓が俺の感情を窮屈に思ってたことくらい気付いてたから。いつか、こんなことがあるかもしれないとは思ってた。」

 店長だとは思わなかったけど、と苦笑する六藤にあたしは胸が苦しくなる。いつも無意味に謎の迫力であたしを圧倒してくるのに、今の六藤は弱々しくて、簡単に壊れてしまいそうだ。

「本当にごめんなさい。出来心というか……興味が湧いて行ってしまいました。もう、しないから。六藤くんが傷付くようなことはしない。ごめんなさい。」

 頭を下げて、じっと待つ。

 あたしの処分とこれからを決めるのは六藤だ。

 それがどんなものでも、あたしは黙って従うしかない。

 別れたいと言われたら、少しの間ストーカーになってしまいそうだ。あたしは六藤の強い想いに繋がれてしまっているのだから。

 彼の想いが消えても、あたしに注がれた日々はなくならない。

 それだけがあたしの大切な思い出にならないことを祈る。

「良いよ。許す。」

 詰めていた息を吐く。ほっとして少し涙も出てきた。

「梓が浮気するつもりで出かけるとも思えないし、俺の想像だけど、告白されてパニックになってメール送ったってところかな。自分のことを好きな人と二人で出かけてしまった、どうしよう。ちゃんと彼氏に言わないと、って。何にもわれてなかったら、梓はずっと黙ってただろうね。」

 大体、六藤の言う通りだ。どうして、そこまで分析できるのだろう。二年も一緒にいたらその境地に辿り着けるのだろうか。

 六藤の推理力は、頭脳は大人のあの小学生みたいだ。

 あたしは自分が思っているほど六藤の思考を読めていない。

 おそらく、頭の出来の問題だろう。

「俺さ、梓が店長と頻繁にメールしてたのも知らなかったし、今日のデートも分からなかった。だから、結構不安なんだ。」

 苦しそうな顔で六藤はあたしを見つめる。

 あたしまで胸が痛くなってきてしまって、あたしは六藤の頭を抱えるように抱き寄せた。苦しくないように、大切に抱いた。

「だから、本当は帰るつもりもなかったのに梓と一緒に帰ることにしたんだ。店長とメールしてたこと知った日からずっと焦ってた。今度こそ本当に梓を盗られて、奪われてしまうって。俺は梓じゃないとダメなのに、店長は簡単に代わりの誰かが見つかるのに、なんで俺から奪うんだって。ずっと嫌なことばっか考えてた。」

 ぎゅっとあたしの身体に手が回される。六藤の身体は微かに震えていて、声にも涙が混じっていた。

 こんなに追い詰められるまで、あたしに焦がれているなんて。

 それなのに、あたしは別れたいと言ったり、他の異性と遊びに出たりと最悪なことをしてきた。

 執着もひとつの愛の形だ。この愛は受け止められる人が少なくて、周囲に受け入れられることも滅多にないだろう。

 あたしが最初その愛を受け止められたのは、彼にとってあたしが『運命の人』と呼べるものだったからかもしれない。

 六藤が言っていた『俺には梓しかいない』。

 その言葉は真実で、彼はあたしを見つけた瞬間に分かった。異常な愛の形を持つ自分を受け止められる人を見つけた、と。

 本能で六藤はあたしを好きで、多分あたしも同じだろう。

 人間的にも出来た人で、絶対にあたしを裏切らない。それをわかっている。だから、どんなに無茶をされてもあたしは六藤を好きなまま。

 何年も引きずった初恋を簡単に忘れてしまう相手なんて、運命の人としか言いようがない。あたしの愛の形は六藤と似ているところがあると思う。

 だから、パズルのピースように上手くはまるのだ。

「泣かないで六藤くん。あたし、ずっと六藤くんの隣にいるから。誰にも奪われたりしないよ。大丈夫だから……。泣かないで?」

「ごめんね、梓。」

「もう、謝らないで。謝るのはあたしの方だよ。」

 男の人が泣いているとき、どうやって慰めたらいいのだろう。

 女友達なら肯定しておけばいいと思うのだが、どうやって宥めたらいいのか分からない。

 だから、せめて六藤が落ち着くまでは抱き締めていようとあたしは決めた。六藤があたしの前で泣いたのは初めてだったから。


 *~*~*~*~*


 翌日、あたしは荒谷の店へと足を運んでいた。今度はきちんと六藤に伝えた上で。

「どうした? なんかあったか?」

 驚きの表情であたしを迎えてくれた荒谷に、一晩考えた言葉を伝える。

「あたし、店長の気持ちはとてもありがたかったんです。あたしを好きになってくれる物好きが六藤くん以外にもいるんだって知れたので。だから、何て言えばいいかな……。」

「オレ、今から振られるわけ?」

「え、分かります?」

 そう、今日は返事ではないがあたしの決意を伝えに来たのだ。心配してくれている荒谷には悪いが、あたしは今の交際に満足している。

 それに、好意を伝えられたのに白黒はっきりつけていない状況がむず痒かった。後々のためにも終わらせておきたい。

 ずっとあたしだけを好きだった、とは荒谷の性質上考えられないが、少なくともアルバイトに入った頃から今までの間、何かしら特別な感情を抱き続けていたであろうことは想像できる。

 そのけして短くはない時間を無駄にさせてしまったという、罪悪感があった。

「六藤くんを好きでいられるのは、多分あたしだけしかいなくて……。だから、あたしだけを求めてくれる彼を失うことは考えられないんです。本当に申し訳ないですが、あたしのことは忘れてください。」

「きっついな。」

 はっ、と乾いた笑いを漏らす荒谷にあたしは深く頭を下げる。

「ごめんなさい。」

「まあ、分かってたんだけどな。多比良は早い者勝ちだって。お前、流されやすいから。最初に愛情を示してくれた人間を絶対に裏切らない。切ねぇな。」

 なんだか、あたしがとんでもなくチョロい奴に聞こえる。

「あたし、やっぱり流されやすいですよね。」

「まぁな。その流されやすさが日向の救いになったんだろ。」

 難易度の低さであたしは六藤に選ばれたようだ。

 というか、六藤を受け入れる難度が高すぎる気もする。それなら比例してあたしの難易度も高いはずだ、と思いたい。チョロい奴というレッテルは嫌だ。


 *~*~*~*~*


 荒谷は自分より何歳も年下の梓を、純粋に想っていた。

 最初の出会いは、店に食事に来ていた彼女がアルバイト募集の張り紙を見て、その場で荒谷に話しかけてきたところだった。

 どうやら彼女はまかない付きという所に食いついたようで、瞳を輝かせながら雇ってくれと言った。下心が隠しきれていなかったが、その姿が子犬のように見えて、年甲斐もなく胸が鳴った。

 十以上年下の小娘に、自分は何を感じているのかと感情を押さえつけようとしたが、本気の感情になってしまった想いは、自分ではどうにもならない。

 下心ありで梓を雇った。幸い、彼女は荒谷のことを意識していた。近付いただけで顔を真っ赤にして、怒ったように「からかわないでください!」と言ってくる。

 このまま押せば手に入れられそうだと考えていたある日。

 それは、初めて梓が平日夜から忙しい休日昼の時間帯に入ってもらった日だった。六藤に最近アルバイトに入った子だと初めて紹介した。

 その日から、荒谷が思い描いていた未来から離れ始めたのだ。

 今まで休日しかシフトを入れようとしなかった六藤が、平日の夜にも出るようになり、梓と六藤は徐々に距離を縮めていった。

 荒谷は焦っていたが、手の打ちようもなく気付けば二人はアルバイトを辞め、大学進学のために地元を離れた。

 それでも、繋がりを断ちたくなくてメールは送り続けていた。

 しかし、大学に入学してすぐに梓が六藤と付き合い始めた、という内容のメールを送ってきたのだ。

 荒谷は面倒くさがりの人間で、浮気や不倫といったものは愚か者のすることだと、その時まで考えていた。

 だが、荒谷は初めて愚か者になりたくなった。隙があればそこを突いて無理やりにでも関係に持ち込んで、流されやすい彼女ならそのまま受け入れてくれるとさえ考えた。

 しかし、梓と六藤の仲は順風満帆のようで、付け入る隙などひとつもないまま二年も経過していた。

 今回、一か八かの賭けに出ることにして梓をデートに誘った。

 少しは『デート』を意識しているかも、という淡い期待は直ぐに打ち砕かれてしまう。

 普段からからかい倒してきたツケが回ってきたようで「あーはいはい。」という反応だったのだ。日頃の行いを反省した。

 それでも、何とかいい雰囲気に持ち込んだが、賭けには負けてしまった。梓は六藤しか見えていない。

 荒谷が梓を好きだ、という事を理解してくれたのは嬉しかった。

 だが、次の日に直ぐ一片の隙もなくお断りされるとは誤算だ。

 メンタルがガタガタになる。店の忙しさで紛れてくれると良いのだが。

 結婚式には呼べよ、その場で連れ去ってやる。と冗談を言ってみた。勿論、本気で思っていることでもあるが。

 梓は六藤が泣くから止めてくれと、呆れ顔で返した。

 六藤が泣く姿なんて想像も出来ないが、優しい彼女の前でなら、自分でも泣けそうだと思った。

 拐って欲しくなったら連絡しろ、と言って梓と別れた。

 おそらく、これから先メールを送っても梓から返信はこなくなるだろう。

 賭けに負けた代償は大きい。

 自分にギャンブルは向いてないなと、荒谷は呟いた。

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