第9話 第一次宇都宮城攻防戦 その4
慶応4年(1868年)4月19日午後2時頃――。
宇都宮城の下河原門が突破され、更には大手門、中河原門からも大鳥軍別動隊が城内に侵入、戦いは本格的に城内の戦いに移っていった。
勇記たちが指揮を執る二の丸の建物や忠恕のいる居館にまで銃弾が飛来する。さらに、城内に進入した大鳥軍別動隊が放った火や、外から降り注ぐ火の粉によって、城内の木々や建物も延焼をはじめ、更には城の西側の町屋も少しずつ燃え始めていた。
勇記は、香川に申し出た。
「もはやこれまで。兵も疲弊し、武器・弾薬も残り少なくなりました。援軍の到着も当分先でございましょう。これに対して賊軍は十分な戦力を有し、さらに鹿沼方面の部隊や日光方面の会津軍も迫ってくる気配があるとのこと。仮に今日この場を持ち堪えたとしても、明日以降の勝算はございません。ここで華々しく散ることで武士の名誉を守ることはできます。しかし、多くの兵を失いながら、みすみすこの地を奪われては天子様に顔向けができません」
香川をはじめ居並ぶ者たちに言葉はない。勇記は続けた。
「確かに、今ここで撤退すると臆病者とのそしりを受けるでしょう。しかし、数日のうちに城を奪い返せば、その功は、今ここで踏みとどまるより、遥かに天子様の御心に適うと言えます」
一同に異論はなかった。香川は、城内の各地で奮戦する部隊長を呼び集め、撤退を指示した。数人の藩士たちはこれに異を唱え、玉砕を主張したが、勇記の説得によってこれに同意した。
城内に残る守備兵が二の丸に集合した。その数は200人に満たなかった。香川は兵士たちに城から退却することを命じた。火災は激しさを増し、二の丸の東側に及んでいたが、このことが南東から押し寄せる大鳥軍別動隊の侵攻を防いでいた。
午後3時頃、忠恕の脱出から始まった。勇記は二の丸に残る兵を二手に分けた。まず、一隊を北の大手門へと差し向け、大手門周辺の敵に当たらせた。陽動である。そして、もう一隊を本丸に向かわせ、南東から迫る敵に対して銃撃を行わせた。城を枕に討ち死にする、そう思わせることで大鳥軍別動隊の注意を本丸に向けたのである。その狙いは、まんまとはまる。
大鳥軍別動隊が本丸からの攻撃に応戦している間、忠恕は数名の家臣に伴われて錦旗と共に城の西・松ヶ峰門から脱出した。その後忠恕一行は、一旦北へ向かい、その後戸田家と姻戚関係にあった館林藩を目指すことになる。
忠恕の脱出を見届けると、香川、平川等が続き、日光道中を南下して古河藩を目指した。香川が脱出すると他の新政府軍の諸藩兵も次々に宇都宮城から脱出し、城に残るのは宇都宮藩兵だけとなった。
「ようやく疫病神が消え去りましたな」
三左衛門が自嘲気味に口走った。それを聞いた者たちから笑い声が漏れる。
「さて、これからどうなさいますか?」
三左衛門が勇記に問うた。
勇記は、まずは大手門に派遣した部隊に大手門に取り付く敵を突破して脱出させ、西に向かうように命じた。日暮れも近くなり、火災の煙が広がって周囲が暗くなる中、本丸からの援護射撃を受け、大手門の部隊は城を脱出。その後、本丸の部隊も暗闇に紛れて少しずつ脱出を開始したのである。
城内の兵士たちの脱出が続く中、勇記は一人の宇都宮藩士を呼び止めた。
「城の御金蔵から、殿の身の回りのお世話に必要な分だけ持ち出し、残りを堀の中に投げ入れよ。みすみす敵にくれてやる必要はない」
指示を受けた藩士は、勇記に一礼すると一目散に駆け出して行った。その藩士の背中を見つめる勇記のもとに、三左衛門が歩み寄ってきた。
「最後に残った者たちはいかがしましょう? 一か八かの強行突破ですか?」
城内の兵の脱出に気づいた大鳥軍別動隊が城の包囲を始めていた。三左衛門が勇記に尋ねると、勇記は二の丸の端の焼失した建物に向かって歩き出した。そこで、刀の鞘の先端を使って器用に建物の残骸と土を払うと、勇記は地面から木板を持ち上げた。
「この抜け穴からお逃げくだされ」
抜け穴は、戦国末期の城主・宇都宮国綱が北条勢の猛攻に苦慮して掘りはじめ、江戸初期の城主・本田正純が完成させていたものである。宇都宮藩内でも、限られた者のみが存在を知っていた。
「ここを通れば材木町に出ることができる。出口がある屋敷は日光道中に面している。そこから、先に脱出した部隊を追ってくだされ。通行が可能なことは既に確認してござる。さあ、急いで!」
材木町は宇都宮城から北西約10町(1㎞)。勇記は、抜け穴に驚く兵士たちを急かした。兵たちが続々と穴に入っていく。その殿につけていた三左衛門が勇記に声をかけた。
「勇記殿はいかがなされるか? まさか賊の追撃を阻むために……?」
勇記は笑って答えた。
「捲土重来を期すと申し上げた以上、ここで命を散らすつもりは毛頭ござらぬ。残る建物に火を放ち、抜け穴が見つからないよう処置をして、皆の後を追います」
三左衛門は表情を緩めながら強く頷き、抜け穴の中に吸い込まれていった。
「悪いな、土方さんよ。お前の私怨、晴らさせてやれなくて……」
三左衛門を見送った勇記は、南東の方角を見てつぶやくと、残る建物に火をかけ、抜け穴の入口を木や土で塞いで皆の後を追った。夕方4時頃のことであった。
勇記が、先に脱出した部隊に合流して東に振り返ると宇都宮の町は赤々と燃え上がり、黒い煙が立ち込めていたのであった。
(これで宇都宮はすべてを失った……。だからこそ奴らも宇都宮を拠点にできまい)
胸に城奪還への強い思いを滾らせ、勇記たちは暗闇の中、館林を目指した。
その後、二の丸や本丸に突入してきた大鳥軍別動隊であったが、先刻まで銃弾の雨を降らせていた宇都宮藩兵が忽然と消えていることに呆気にとれたと言われている。
宇都宮城を落とした大鳥軍別動隊は、城下の火災もあり、午後6時頃に本陣を敷いていた蓼沼村に後退した。こうして第一次宇都宮城攻城戦は終結した。
その日、宇都宮城下の火炎は夜通し消えることはなかった。炎は、風に煽られて城下全体に広がり、すべてを焼き尽くした。日光道中一の宿場町として栄えた宇都宮は灰燼と化したのである。
翌20日、鹿沼方面からの大鳥軍本軍と別動隊が宇都宮城に入城。この後、各地の旧幕府軍も到着し、宇都宮城には3,000人近い大軍が集結することになったのである。
一方、宇都宮城を脱した宇都宮藩士たち。途中、散り散りになっていた各隊が合流し、20日夜、館林城下に到着した。翌日、宇都宮藩首脳部は宇都宮城奪還のための準備に取り掛かる。勇記は事情説明と援軍を求めに板橋の総督府へ向かった。
しかし、宇都宮城奪還に向けての戦いは、勇記の思いもやらない方向へ進むことになるのであった。




