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第1話 面影なき故郷

 五感のうち視覚と臭覚が麻痺してしまったかのようだった。

 視界の中から鮮やかな色彩は失われ、焦げた匂いすら、もはや強いとも感じられなかった。

 ――ここが宇都宮か。

 勇記は、炭化した瓦礫の間をゆっくりと歩いていた。眼前に広がるのは、瓦と土塀が崩れ、骨組みだけになった町屋の影ばかり。目を凝らしても、かつての城下町の賑わいを伝える面影は一つも残っていなかった。

 足元に転がる陶器の破片を避け、ふと顔を上げたときだった。焦げた神社の鳥居越しにかすかに見えたのは、かつて二荒山の森に覆われていた明神山――いまは黒く焼け、丸裸の丘のようにしか見えない。

「あの野郎……さんざん好き勝手やりやがって!」

 呟きは、誰に聞かせるでもなく口をついて出た。城の北面に残された大手門の前まで来ると、勇記は立ち止まり、かつての城下の景色を思い浮かべようとした。だが脳裏に浮かぶのは、真っ赤な炎と黒煙に呑まれる街の記憶ばかりだった。

 見渡す限りの焼け野原。戦火を避けるため避難していた町民たちも、かつてあったはずの家の前で、うつろな目をしながら立ち尽くしている。

 この日、慶応4年(1868年)4月26日。関東七名城に数えられた宇都宮城と日光道中の宿場町として栄えた宇都宮の姿は見る影もなかった。去る19日と23日、新政府軍と旧幕府軍との間で繰り広げられた宇都宮城をめぐる二度にわたる激しい戦いが、城や町を焼き尽くしていた。

「先生!」

 内心の苛立ちを抑えながら城の西側の宇都宮の町を見上げる勇記に、一人の若者が声をかけながら近づいてきた。勇記は、平静を装いつつゆっくりと声の方へ顔を向けた。

「鉄之助か。状況はどうだ?」

 小走りで勇記の元にやってきた鉄之助は、少し荒い息のまま答えた。

「避難していた人たちも徐々に町に戻り始め、少しずつ落ち着きを取り戻しております。ただ、藩士の皆様は沈んだお顔で……。他藩の方々を見かけると一様に顔を下に向けるご様子です」

「そうであろう。事情が事情であるからな。合わせる顔がないのは私も同じだ」

 覇気なく口にした勇記であったが、思い出したように鉄之助に尋ねた。

「あれはいかがした?」

 鉄之助は一瞬目を伏せた後、ゆっくりと答えた。

「ご教示いただいた堀の中を探しましたが、影も形もございませんでした。聞くところによると、賊軍の連中が引き上げて持っていってしまったとか……」

 勇記は目を閉じたまま、少しばかり空を見上げた。

「町の復興や民の生活のために入用になるというのに……。今回はあの時以上の藩の一大事だ……」

 一難去ってまた一難、果たして何度目の災難であろうか。どうしてこうも災難が続くのか。そう思いながら大手門の傍らの石に腰掛けると、勇記は深いため息の後にふと漏らした。

「まったく、踏んだり蹴ったりだ……」

 (あがた)勇記――。宇都宮藩中老として宇都宮藩のかじ取りを担った男である。徳川譜代の戸田家が治め、些か保守的な風土を有する宇都宮藩では、一風変わった異端児である。また、その名は広く知れ渡っていなくとも、類稀な才能を持って幕末の宇都宮藩に尽くし、支え続けた傑物である。

 この男が幕末の歴史に名を遺すべく宇都宮藩の表舞台に立ったのは、ほんの一ヶ月前のことであった。


 ※中老とは、家老が今でいう企業の取締役とするならば、執行役員のようなものである。


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