総集編にはまだ早い
遅々として進まぬ説明パート。お待たせしておりますが、なにとぞ最後までお付き合いください。
私とリュカオンが視界に入る場所に座ると、母とマグノーリア妃は、はっと我に返ってユグドラ語に戻った。二人の話は判りやすい北方訛りのユグドラ語になって続く。
「リリィ・アン・リズガレット嬢ですか?彼女なら今この屋敷に滞在していますよ」
母の口調は、常に教科書通りの文語文という印象が強かった。それが深窓の貴婦人らしさの一端でもあったのだが、母国語ではないせいでもあったのだろう。
ユグドラ語は一つの単語が幅広い意味を持っていて常用語彙が少ない為、ティターニア語話者からすると、『やばやばのヤバ!まじウケんだけど!(訳:大変素晴らしいですね。興味深くて刺激的です)』くらい感覚の差があって、口語文には抵抗があるのかもしれない。
さて、二人の話によると、リリィ・アンは昨日、自力で誘拐犯の元から帰還し、各方面に遣いを送り、私の事件にも協力する八面六臂の大活躍だったそうだ。記憶持ちの転生者ならばそれも不可能ではない。
直接やり取りしたイリアスから何か礼をしたいと申し出た時、リリィ・アンは考えることなく『バーレイウォール侯爵夫人にお会いしたい』と即答したという。
しかしその願いは、イリアスの一存ではどうすることもできない。とにかく打診して、返事を待つ間、リリィ・アンは保護の目的もあって、バーレイウォール邸に留め置かれている。
「恩義に報いないわけにはいきませんが、何故わたくしに会いたいのか、理由がわからず困っていました。敵意がないなら面会するのも吝かではありません」
それもそうよね。どうしてお母様に会うことがお礼になるのか不思議だわ。
私は母の方を見ながらうんうんと頷いた。
「わたくしからもお頼申し上げます。リリィ・アン・リズガレットは、王国騎士の名を失った後も王家のために働く一族の娘で、身元は保障いたします」
今度はマグノーリア妃の方に向かってうんうんと頷く。
そっか。リリィ・アンはマグノーリア妃を頼ってアカデミーに入学したんだもの。事情には詳しいはずよね。
「わたくしに用があるのは、やはり請願の事でしょう」
少し気鬱そうな母。
「王国と共に失われた制度です。今のあなた様に、何の責務がありましょうや。ただお聞きになるだけで良いのです」
それを慰めるように語調が熱を帯びるマグノーリア妃。
…………うん?
なんか……変じゃない?
二人とも、語調が丁寧なのはともかく、敬語の向きがおかしい。
内容が今一つわからないせいか、会話の言葉尻ばかりが気にかかる。
母とマグノーリア妃の声が似ているせいで、遠くから聞いている時はわからなかったが、会話のキャッチボールを追いかけていると違和感を突きつけられた。
敬語+堅苦しい単語のチョイスは、ティターニア語の影響が強い、いわゆる北方訛りの最たるものである。敬語は、ティターニア語を難解足らしめている大きな原因の一つなのだが、難しいのは多種多様多彩な単語を正しく組み合わせることであり、聞き取りはさほどでもない。
私が誤訳していなければ、敬意の矢印が逆方向を向いている。
つまり、マグノーリア妃から母メイヴィスへの方向だ。
母の後ろに控えていた侍女のオリオールが、窓の外を見て声を上げた。
「あら、件のリリィ・アン様がいらっしゃいましたよ。こちらへお呼びになったのですか?」
母とマグノーリア妃は顔を見合わせて、同時に首を振った。
「案内もなしに、なにゆえこの場所がわかったものか……」
マグノーリア妃は怪訝そうにしているが、もしシナリオの中にこのバーレイウォール邸を舞台にしたものがあるのなら、記憶持ちの転生者が何をどれだけ知っていても不思議はない。
「不穏ですね。面会をお勧めしましたが、何もこんな時でなくともよろしいのです。万全に整えた席をご用意致しましょう」
味方として手柄を立て、意図の分からない急接近を目論むヒロインは私にとっても不穏だ。リリィ・アンのことは味方だと信じたいが、目的の分からない未来予知者の行動は恐ろしいものだ。
「もともと会うつもりではいたのです。少しくらい予定が変わっても構いはしません」
母の目配せを受けて、リリィ・アンを迎えに行くために、オリオールとフィロメルは恭しく一礼して部屋を出ていった。
いつもはここにシャロンの母カナリアも加わり、3人が過不足なく行き届いた働きで側に仕えている。
彼女たちは、母に対して恭しいという表現がピッタリなほど慇懃な一方で、言いなり一辺倒ではない気安さも持っている。
私もシャロンとは普通の友人以上に仲が良いので、長年仕えた侍女というのはそういうものなのかもしれないが、4人は主従の敬愛と、戦友のような信頼と、姉妹のような気心……で……、結ばれ……。
私は、嫌なことに気づいてしまった。
母の名前メイヴィスは、美しい声を持つ小鳥、歌鶫を意味している。
母が王女に仕えていたならば、結婚前から一緒にいると言う我が家の侍女3人もまた、ティターニア出身で王女に仕えていたはずである。
彼女らはそれぞれ歌が上手い小鳥の名前を持っている。オリオールは椋鳥擬、フィロメルは小夜啼鳥、そしてカナリアは金糸雀。これまであまり気にしたことはなかったが、この名前の統一感は偶然ではあるまい。
先ほどの話の中で、フロラントで起こったような事件を繰り返さないため、ユグドラでアカデミーに通う際、王女と4人の侍女は身分を伏せることにしたというくだりがあった。
これらの情報から推測するに、小鳥を冠する名は、アカデミーで名乗るために揃いで名付けられたものだ。
そしてこの部屋へ入ってきた時に、「メイヴィス」と呼ばれた母が呼び返した「クロエ」という名前が、妃殿下のアカデミー時代の名前だったと考えられる。
クロエは若草を意味する一般的な女性名だが、鴉を意味する単語と響きが同じで、小鳥ではないがこれも鳥を意味する名前だ。
5人は名前を変えて正体を隠し、アカデミーに通っていた。ここまではいい。
問題はこの後である。
なぜ、苦楽を乗り越え姉妹同然に仲が良い王女とその侍女が、交流を断って過ごさなければならないのか?
社交界から忘れ去られ、関係性を隠して、息を殺してひっそり暮らしてゆかねばならないのか?
宮仕えは婚姻に関係なく就ける職業で、既婚女性こそ仕事の幅が広がると言うのに。
どうしてオリオール、フィロメル、カナリアの3人は、王太子妃殿下ではなく、同僚のメイヴィスの侍女としてバーレイウォール侯爵家に仕えることを決めたのだろうか?
母が一人でいるところなど、家の中でも見たことがない。いつでも誰かが傍に控えている。それに対して、私に会う時の妃殿下は単独行動で、リュカオンの突拍子もない行動力が母親譲りに違いないと納得するほどだ。
思いつく理由は、私の中に一つしかない。
ああ、嫌だ。やっぱり気付きたくない。
だってそんな……、そんなことある?そうだとしたら大事じゃないの。
おいそれとは口に出すのも憚られる。ストレイフ卿だってそりゃ口を割らないはずよ。
……いや、きっとあるはずだ。5人がティターニアの王女と侍女であったという状況証拠と矛盾しない形で、侍女たちが王女に仕える道を断念して没交渉と世間から隠れる暮しを余儀なくされつつ、さらに私に不思議な継承割り込み機能が付いていることを説明できるなんらかの便利で穏便な理由が!
…………。
全然思いつきもしないけど、なんかそんなご都合な理由がたぶんある!
そ、そうだ。侍女は全員本当に血の繋がりのある姉妹説はどう?
年齢のこととか検証してないけど、充分センセーショナルだし、入れ替わっているよりはずっとマシ!ほら、王太子妃殿下の顔、どこかで見たことあると思っていて、作りがリュカオン、雰囲気が母に似ているせいだと理由を付けていたけど、カナリアにもそっくりだわ!?苦し紛れとかじゃなく!
ノックの音の後、扉が両開きで開いてリリィ・アンが現れた。
今日のリリィ・アンは、かっちりした軍服のような詰襟ジャケットにくるぶしまでの重そうなスカートを履いている。
私とリュカオンの姿を見て一瞬驚いたようだが、すぐに気を取り直して、入ってすぐの扉付近で首を垂れた。
スカートを巻き込まないように右手で高く掲げ、左足を半歩引いて片膝をつく。騎士の礼だが、女性衣類の美しさが映えるような所作で華がある。ユグドラの女性騎士は、ドレスの時はカーテシーなので、おそらくティターニアの礼法なのだ。
大仰だけど、ちょっとカッコいい。
リリィ・アンは、そのまま声がかかるまで平伏し続けた。
母は席を立って、私の向かい側から左手奥に移動し、扉から正面に見える最も上座の位置に座り直した。
「近う」
その言葉で、リリィ・アンは、立ち上がってよどみなく会議テーブルの前まで進み、再び同じように平伏する。
「面を上げよ」
「は。わたくしは王国十三騎士が第九席、トワイライトール家のリリィ・アンと申します」
「此度の働き、大義であった」
ヒロインであるリリィ・アンが凸ってきたからには、イベントシナリオ的なひと悶着が始まるのかもしれないと覚悟したが、事前情報が少なすぎて、何の話がどういう方向に進むのか、予想以上にわからない。王国騎士の第九席って何?単語の解説から求めるレベルで話に付いていけなさそうなのだけれど、これ、ちゃんと私もにもわかるようにしてもらえるやつなのかしら。
だがそれにも増して、母の尊大な態度に度肝を抜かれた。
母は普段全然そんな感じではないというか、誰にでも分け隔てなく丁重に接し、娘の私に対してでさえ丁寧語で話すほどだ。
そんな母の口から居丈高な言葉が発せられるのは、その瞬間をこの目で見てもまだ信じられない気持ちだ。
しかし初めて見るはずの威風堂々たる母の姿を、不思議にも自然だと感じた。
貴婦人の鑑とも言うべき非の打ちどころがない作法と教養を身に付けながら、手慰みの趣味もなく無為に過ごす母は、風に吹かれる美しい花のようで、憂いを帯びてどこか歪だった。夫婦仲が良い事は誰の目にも明らかだったので、病弱な身体のために才覚を活かすことを諦めた母を、父の愛だけがこの家に繋ぎとめているのだと思っていた。
危うい違和感は、母が本来屋敷の奥深くにひっそりと閉じこもっているべき人ではないという事を感じ取ったものだったのかもしれない。
威儀を正した途端、ただ完璧だったというだけの振る舞いから、カリスマが光のように溢れて周囲を圧倒する。
母はこのように育てられた人なのだ。
「心澄まして望みを申せ」
「申し上げます。わたくしの望みは、こちらの手紙にお目通しいただくことでございます」
リリィ・アンは片膝をついたまま、封書を懐から出し、両手で目線より上に差し上げた。
「それがそなたの望みと申すか」
「正確には、このお手紙をお読みいただき、お返事を持ち帰る事です」
リリィ・アンの後ろ両側に控えていたオリオールが掲げられた手紙を受け取り、フィロメルが用意したレタートレイの上に乗せる。
「中を検めますよ」
「無論です」
二人は手紙を灯りに透かして内容物を確かめ、順番に匂いを嗅いでからペーパーナイフで慎重に封筒から手紙を取り出した。軽く文面にも目を通して、ようやく母の手に渡る。
「そちらはティターニア最後の女王、カトレアナ女王陛下からのお手紙でございます」
「花押は本物です」
フィロメルが手渡しながら囁き、母は小さく頷いて手紙に目を落とす。
「お読みいただいたのち、マグノーリア王女殿下のお手紙をお預かりしとう存じます」
ああ、ついに言った。
王太子妃は私の向かいに座っており、リリィ・アンからは斜め右側の位置にいる。
リリィ・アンは、まっすぐ正面を向いて、私の母メイヴィスの目を見て言い切った。
「クロエ王太子妃殿下の代筆ではなく、マグノーリア王女殿下の直筆のお手紙を」
全員が鳥の名前を持っているという設定は、ここの推理パートのために初期の初期から用意していたものだったのですが、今回使う段になって初めて、「クロエ」に「カラス」という意味がないことを知って焦りました。たぶん創作物からくる勘違いです。
新しい名前を付ければ良いとはいえ、私の中では彼女のことをずっとクロエと呼んできたために他にしっくりくる名前がすぐには見つからず、とりあえず屁理屈をつけてクロエのまま進みます。