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強引なあごクイは危険です

 そのままリュカオンは、じわ……と滲み出るような視線を静かに私へ注いだ。

 雫が落ちるように、滔々と視線が上から降り注ぐ。

 泉に浸した堅い布が、ゆっくり水を吸い上げて形を無くすような。

 柔らかな水蜜桃が、歯に食い込んで滴るような……。

 なんでそんなに見るの?

 滲み出るって何が?

 なんか……上手く言えないけど、よく分からないけどヘンよ。

「ところで、私に報告することというのは?」

 言語化できない思いにグルグル囚われていた私は、はっと我に返った。

「ほえっ?んえ……、ええと」

 私の容量の少ないメモリーは、視線の情報量で溢れてしまい、該当情報の検索に時間がかかってしまう。Now loadingなので一旦入力をご遠慮ください。 

「な、何でしたっけ?」

 リュカオンはくっと噴き出していつものアルカイックスマイルに戻る。

「思い出してくれ。クロードにわざわざ頼むくらい大事なことなんだろう?」

 ああ、帰りに報告するの忘れてたら教えてってクロードに言ったことね。

 待って、すでにその時聞いてたの?そこからまだ随分広場を張り込みしてたはずよ。よくもあんな目立つ格好で騒ぎにならず潜伏出来たわね。見るものすべてノックアウトしてきたのか?


「実は昨日、しっぽを掴んでやろうとイングラハム子爵邸へおもむきまして、新しいことが分かりましたのでご報告いたします」

 いつの間にか店員は個室から全員下がっていたが、念のため声を潜めると、リュカオンは身を乗り出してきた。

「いつでも大人しいと夏に自分で言っていたのは空耳だったかな」

「ちゃんとケンドリックに付いてきてもらいましたから大丈夫です」

「……もういい。それで?」

「イングラハム閣下が仰るには、怪しい動きをしていたのは、ストレイフ閣下が先に怪しい動きをしていたから、それを阻止するためだと」

「まさかそれを鵜呑みにしたのじゃないだろうな」

「鵜呑みというわけではありませんが、苦し紛れの言い訳とも違うと思いました」

 リュカオンは基本的に微笑みを湛えたようなポーカーフェイスだが、幼馴染の私には多少ガードが緩い。その眉がもの言いたげにピクリと動いた。

 彼には、セオドアやデリオルのことも報告して情報共有している。

 デリオルの告発を横取りされた時、「やはりイングラハムが黒幕だった!」と私が息巻いていた時は難色を示していたのに、一転して信用するとなると、それはそれで心配ということだろうか。

「ストレイフの他に離宮を探っていたのは、デリオル男爵家の侍従であると裏がとれた。辻褄は合う。しかし」

「辻褄が合いすぎる?」

「それもある。この件を調べ始めて知ったことだが、イングラハムは宰相直属の諜報員統括主任だ。この手の工作はお手の物だろう」

 宰相直属!諜報員統括主任!?何それカッケェー……!!

「ああ、わかったからそんなにギラギラ瞳を輝かさなくていい。確かに君の好きな物語のようにドラマチックな仕事に相違ない」

「公式スパイですか!この国にもそんな部署があったのですね!!」

「議会管理下の情報局より規模が小さい分、秘匿性は高いだろう」

「ならば悪巧みし放題の、暗躍し放題……!?」

 やはり油断ならない悪オジであったか。

「勿論。その分、人選は慎重だ」

「そりゃあ、そうですね。現政権に反抗的な人間を任命しては政治が混乱してしまいますもの」

「イングラハムは強固な王政派だ。評価されない仕事でも、身を粉にして働くほど忠誠が篤い。ストレイフとは師弟関係と呼べるほど仲が良かったのに、いつの間に仲違いしたものか……。そのあたりの事情が分からなければ、敵味方の判別はなんとも難しい」

「それでしたら……」

「何か話したか?」


 かつて仲の良かった二人が、今現在明確に対立している事ならあるわ。大した事じゃないから、それが元々の原因ではないでしょうけど。

「本心かは分かりませんが、イングラハム子爵は私をアシュレイ殿下の妃候補としてキープしておきたい、と仰せでした」

 私をリュカオンと縁組させたいストレイフと、私をアシュレイのためにお取り置きしておきたいイングラハム。二者択一なら対立するしかない。

 突然の展開にリュカオンは呆けた。

「なに?」

「イングラハム子爵は、そのために私を守ったそうです。私の経歴を守るために、ストレイフ卿の既成事実作戦を阻止する必要があったと。当然、適当な人間と縁組させようとしたのは、依頼を曲解したデリオル男爵の独断であると主張していました。疑うとお見合いをセッティングされそうだったので、引き下がるしかありませんでした」

「ちゃんと断れたのか」

「当たり前です。私だってそこまで命知らずじゃありません。両殿下の婚約が白紙撤回されたら一肌脱ぐと約束してしまいましたが、ご婚礼が成れば無効でしょうし、問題ありません」

「それは普通ちゃんと断ったと言わない。そういう条件なら本当にただの保険なのだろうが……」

 そう言って、袖口を整えながら伏し目がちに考え込む。

「ただ、ヴィクトリア殿下には、隣国に輿入れする話が持ち上がっているそうです」

 私の報告の本題はそこだ。

「待て……。なんだって?もう一度言ってくれ」


「ヴィクトリア様に、フロラント皇太子との縁談があるのですって。外交での影響力を考えると、乗らない手はないとイングラハム子爵はお考えのようです」

「あの兄がヴィクトリア殿を諦めるはずないだろう」

「私だってそう言いましたよぅ~……」

 外聞の話や、ヴィクトリアの次の婚約者にヘンな人物が紛れ込んだ場合の危機管理について、とにかく予備が必要で、できればそれなりのネームバリューが欲しいという一連の会話の流れをかいつまんで説明する。

「万が一の時に、対抗馬がいないと一気に丸め込まれて危険だそうです」

「聞けば聞くほど最低なんだが?」

「王室の婚姻ともなれば、思惑が錯綜するのは仕方がないのかと」

「こんな前時代的なことがあってたまるか。上手くまとまっている所を引っ掻き回すなんて」

 リュカオンは眉間を押さえてため息を吐いた。

 私にしてみれば、封建制度自体が前時代的だけど。ところどころ価値観が先進的だったりするわよね。価値観まで前時代的だったらプレイヤーが感情移入できないからかな?

「とにかく礼を言う。この件は私から兄に伝えておこう」

「はい。報告出来て私も一安心です」


 リュカオンは左右のカフリンクスを付け終わり、台の上に置いてあったタイクリップを私に手渡した。カフリンクスはきっと私には付けられないと判断したのだろう。大正解です。

 私はネクタイを矯めつ眇めつし、いつもこの辺りに付いていた気がする……という場所に狙いを定めてエイヤッと差し込んだ。そして最後にもう一度タイを整えた。

「話し込んでしまいました。そろそろ行きましょう。もういい時間です」

「私からも報告がある」

 タイを指をぴたりと止めて顔を上げる。

「リズガレットをずいぶん気に入っているようだな」

 この質問は……、勿論『はい』よ。気に入ってなかったら一緒にお出かけするわけないんだから。意図が分からない質問は揚げ足を取られないよう慎重に答えないと。

「私も気に入っているよ」

 まあ!まあ~~~……!!

 これってルート開通!?このまま推し進めちゃっていい感じですか?

 特に交流しているイメージはなかったけど、同じ講義を取っているのが効いたのかも!

 何か心配事はない?何でも相談してね!?

 例えば身分の問題とか。リズガレット家が叙勲している騎士爵は、世襲ではない一代限りの爵位だから、リリィ・アンは実質平民なんだけど、平民が王子妃になれないって法律はありませんから大丈夫。それに王子妃の後ろ盾になりたい家なんていくらでもあるんだから、養子縁組の話が山のように来るわ。私がいい家を選んであげる!

 本当言うと、ヒロインなんだから、障害があっても取り除く方法は用意されているはずよ。でももし、本筋から外れたせいで立ちはだかる壁があろうものなら、この私みずから粉砕しますからね!!

 そもそもリュカオンと共に道を歩むなら、生半可な障害物は取るに足らないかもしれないわ。用意周到で優秀なリュカオンは、問題解決能力もピカ一だもん。

 私がニコニコすると、リュカオンもお返しのように微笑んだ。

 今日も五兆点満点!


「君たちはよく似ている。独創的なアイデアや、突拍子もない行動力なんかが特にね。しかしあからさまなやり方は反発につながると心得ろ。共有時間をとにかく増やす方針は有効だと思うが、一辺倒では力技過ぎてスマートさに掛ける」

 途端に私は昼間の朝顔のようにしょんぼりした。

 ヒロインとの仲を取り持とうとした攻略対象から、策略を見破られ、ダメ出しされ……。

「恋愛事はもっと運命論的な錯覚を利用すべきだ。人は押し付けられたものを嫌う。しかし己の意思さえ必然の前では矮小だ。……例えば、あくまで例えばの話だが、私を街に連れ出して、偶然出会ったことにした方が良かった」

 挙句の果てにはさらに高度な作戦の提案まで。

「まことに仰る通りで」

 トラップ対象からの理論レクチャー、つらいなぁ……ッ。

「巧妙な罠から露見した時の方が怒りはさらに膨らむだろうが」

 時すでにおすし!それは今現在もちょっとご立腹ということですか?

 しかしリュカオンの瞳は、穏やかに細められたままだった。

「やめろとは言わないよ。君の自由さを愛してる。でも私だって人間だ。時には傷つくことだけは覚えておいてほしい」

「あ……それは……」

 小さなころから何度も求婚されているのに、はぐらかしてばかりで、こんな風に他の人との仲を取りもとうとしていたら、ふざけていると思われても仕方ない。


 そんなつもりじゃなかったなんて、言い訳にはならない。だけど、説明してあげられたらどんなにいいか。ヒロインこそが私たちの運命であり必然なのよ。

 大いなる力に対して私たちは、否が応でも巻き込まれる風の前の塵、嵐の中の小舟に等しい。あなただって、ヒロインが輝き始めたら目を背けてはいられないわ。

 だからせめて、嵐の中を最速最短距離で駆け抜けて、物語の起承転結のために起こる被害を最小限に食い留める。それが私の真心よ。そういう形で私はきっとあなたに報いるからね。

 キリリと眉を吊り上げて、決意を新たにリュカオンを見上げる。

 …………。

 いや、ちょっと待ってよ。

 こっちだって小さい頃から面白半分で求婚されてんだから、お互い様じゃない?

 そのおキレイな顔に絆されて、うっかり好きにならなかった私を褒めて欲しいわよ。

「ああ、いいね。こんな至近距離で顔を付き合わせていたら、傍から見た時さぞ情熱的に見つめ合っているように見えるだろうな」

 リュカオンは私の手と腰を取り、楽しそうにダンスのステップを踏み始めた。そして、いたずらが成功したように私を見る。

 別に傷ついている様子はないな。単なるいつもの揺さぶりか。

 まあね。そろそろお年頃だし、婚約者が居ないと困るのもわかる。今年1年、あなたが誰とも上手くいかなかったら、私も考えてみることにしましょう。

 友達同士の夫婦も悪くはない。結婚という契約に必要なのは、お互いの尊重と、信頼と、相性だもの。

 んん?やっぱり友だちの付き合いで王子妃なんて気苦労の多い仕事は嫌だな?条件の話し合いをしっかりしなきゃね。


 リュカオンはスローテンポでステップを踏みながら、ゆっくりと回転した。それからそっと身をかがめて耳打ちしてきた。

「気付かれないように窓の外を見ろ。叫ばないようにな」

 窓の外?窓は確か2か所あった。今の態勢なら私の後ろと、リュカオンの背中の向こうだ。

 再び回転して場所が入れ替わる際に、後ろ側にあった窓をチラリと目の端で捉える。

 人がガラス窓に張り付いて、必死で中を覗いていた。

 あの燃えるような赤い髪はリリィ・アン!

「わ゛ァんむ……ッッッ!!!」

 リュカオンが大口を開けて叫びそうになった私のあごをくっと持ち上げて、黙らせることに成功した。リリィ・アンに視線が釘付けの私を、瞬時に回転して背中で隠す。

「叫ぶなと言ったろう」

 あっぶねえ。舌を噛むかと思った。

「んむむ」

 だって美少女が台無しだったのよ!

 脳裏に焼き付いた彼女の姿は、鬼のような、修羅のような 凄まじい形相だった。目は大きく見開き、口は裂けたように釣り上がり、鼻の穴もこれでもかとかっぴろがって、その憤怒とも歓喜ともつかない鬼気迫る表情は……。

 なんだあれ?どういう感情??

「リズガレットには用心しろ。彼女は叙勲を受けたばかりの騎士爵どころか、ユグドラ人でさえない。どうやら命を狙われて、アカデミーに入ることになったらしい。決して二人きりにならないと約束してくれ」


おそらく来週は間に合わないです

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