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儚かった令嬢

 時は、三日前に遡る。



「あー生きてるって素晴らしい!」


 美味しいものを食べている時、本気でそう思う。

 右手にドーナツ、左手にマドレーヌを持って口に運んでいると侍女の目が鋭い気がするけれど私一人の無礼講だ。

 礼儀? 作法? 知った事じゃない。

 というかどうせそんなにたくさん食べられない。

 アニメみたいにバクバク食い散らかす勢いでいきたいのに、口の中に広がるバターの香りと砂糖の甘みは重たくて、つい味わってしまうから現実って嬉しくて悲しい。


「何故、健康になられたというのに仮病を使うのですかお嬢様……第一王子、ですぞ」


 堪えきれない胃痛に苛まれているのだろう。

 執事が紅茶を注ぎながら問いかけてくる。


「うーん、それなんだよね。ぶっちゃけなんでうちの家が第一王子と縁を結ぶの?って感じ」


 アルカインド侯爵家長女、フェルメーシュ。

 第一王子ルフェウスの婚約者。十三歳。

 とろりとした絹のような黒髪が美しい、儚げな美貌の侯爵令嬢……だった。


「外貨をたっぷり稼げるうちは王家との関りも既にあるし権力も経済の基盤もがっちり……逆にこれ以上王家の人間と関わりなんて持ったら権力持ちすぎってことで王家からの締め付けとか他国からの売国のお誘いとか他の貴族の嫉妬による圧政とか普通にあり得る。ほんとなんで?」


 がぶりとドーナツにかぶりつくと破片が首筋に落ちる。

 雑にその辺の皮膚をペシペシ叩いて破片を落とすと侍女がとうとう頭痛に苛まれたのか、限界を迎えたのかハンカチに顔を埋めてしまった。


「それにしても貴族の令嬢って食べられないのねー。もうお腹いっぱい。せっかく健康な体に生まれたんだから思うまま美味しいもの食べてやろうと思ったのに……」


 ぶつくさ言いながらフェルメーシュは溜息を吐いてナプキンで手と口元を拭う。

 指が脂っこいから手を洗いたいなと思って侍女を見ると怨念すら感じられる眼で見返された。なんで?


 そう。フェルメーシュは数日前に目を覚ました時から『旅人』となった。

 『前世』は幼い頃から病を患う少女で。周囲に心配を掛けまいと気丈に振舞いながらも心はいつも寂しかったしやりたいことができない鬱屈感もあった。

 過去を思い返した時、一番に思い出すのはしろい病院の天井と味のしない病院の食事だ。

 家は貧乏だったのでベッドから窓を見ることすらできなかったし。何かと気を遣う大部屋での出来事は思い出すだけで気が滅入る。


 だからこれからはいろいろな色の空を見て、食べられるものすべて食べて楽しく生きていくつもりなのだ。

 そして何の因果か……『いま』自分は……前世結構やり込んだ『あのゲーム』の世界に居る。

 それも第一王子ルフェウスの婚約者。

 ゲームでは名前すら明かされず、病気の為、ルフェウスがヒロインと懇意になる前に退場する侯爵令嬢に生まれ変わったようなのだ。

 病気になって婚約解消となるのはルフェウス、フェルメーシュともに二十歳。

 いまから七年後だ。

 七年も待てないしまた病気になるなんて冗談じゃない。

 それにたとえ運命に抗えず、七年後に病気になるとしても王子の婚約者の生活なんて、王妃教育がない分マシとはいえ、まっぴらごめんだ。

 いまの自分には自由に生きて好きなものを食べて出歩けて……そして『あのゲーム』ではヒロインの異母兄で留学してしまったがために恋愛イベントすら起こらなかった推しを……落としに行ける可能性が、ある。


「エルムス様……」


 エルムス・ルーンベル。

 それがフェルメーシュの『推し』の名前だ。


 何の因果か自分はエルムスと同い年。

 うまくすれば学園にも一緒に通えるかもしれない……

 ルーンベル家の現状は知らないけれど原作のままだとしたら落ち目だろうから同じクラスのなるのは難しいだろうが。

 入学式、花祭り、舞踏会……様々な行事を共にして……も、もしかしたらお昼ご飯を一緒に食べたり廊下ですれ違ったりできる、かも……


 いいや、それでは遅いし、甘い。

 ルーンベル家が激変するのはエルムスが十三歳の時……すなわち、もう間もないか、もうその変化が、起こっている。

 この世界がゲーム通りの世界なら、ルーンベル伯爵夫人が亡くなり、ルーンベル伯爵が他所で作った庶子であるヒロイン……リーナが継母と共に家に引き取られる。

 それはエルムスと妹フレイアの、息苦しい生活の始まりだ。

 

「いやーやっぱあのゲーム、いい感じに描写ぼかしてたけど主人公側がクソだわー」


 執事が差し出す温められたタオルで繊手を拭ったフェルメーシュはそんな感想を漏らし。何の話をしているのかさっぱり呑み込めていない執事は何か問おうとして思いとどまったように口を閉じた。


「うん、これは恩を売って婚約者にしてくださいって押せばいけるんじゃ……?」


 既に傾きかけているルーンベル家を経済的に締め上げて。

 リーナと継母をうちの領地の適当な漁村にでも飛ばして。エルムスに恩を売る。

 そしたらエルムスは平穏な伯爵家での生活を取り戻すし。家から離れたい一心で留学し、結果的に伯爵家に取り残した妹の訃報を聞いて病むこともなくなる。

 それにしても本当にあのシナリオ、性格悪すぎる、と思い出す度に思う。

 第一にエルムスの扱いが雑すぎるし『妹想いの兄』という設定に矛盾もあるし、エルムスが病む描写があるのにプレイヤーは外国に居る彼に会うことすらできないのだ。赦すまじ。


「あーシナリオ書いた奴が転生してきたら殴りてぇー」


 ついうっかり零してから。フェルメーシュは段取りを考えた。

 ルーンベル家を締め上げるメリットを示せば父は自分にも伝手を使わせてくれるだろう。

 そうしてすべてを上手くこなせばゲームの世界は崩壊するし。

 あわよくばエルムスと婚約できる。


 あ。婚約と言えば……


「ルフェウス殿下と婚約解消するからお父様が帰ってきたら教えて」


 そんな爆弾発言をかましたフェルメーシュはほっそりとした体を寝台に横たえた。

 音声さえなければ今にも折れてしまいそうな儚げでうつくしい令嬢がベッドに横たわるシーンなのだが……この部屋に居合わせるものは皆、そんな光景とは程遠い現実を……嫌というほどにこの数日間、突き付けられている。


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