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穏やかな日々

「あぁーフレイアちゃん、ほんとにごめんね、まさかこんなやらかしをするなんて思わなかったよー」


 母に会えたのは記憶が戻ってから三日後のことだった。

 まだ魔力は戻っていない感覚があったけれど、記憶や思考が幼い身体と馴染んだのだろう。あまり考えこまないように気を付けている限り、強い眠気や眩暈に苛まれることもなくなった。


「それはもう大丈夫です、お母さま……みんなが幸せに過ごせるのなら」

 

 ぎゅうぎゅうと抱きしめてくる母の腕の柔らかさに甘えながらフレイアは微笑んだ。

 

 本当はルフェウスの魂が誰かと入れ替わっていないかは気になっていたけれど。

 三日かけて漸く、いまの自分は第一王子と釣り合わないことを実感したので、遠くから安逸に暮らしていることを見守ることができたら幸せだと思った。


「いやいやいや、大丈夫じゃないよ絶対! むしろ軽率なことしたら殿下の記憶が戻った時下手したらルーンベル家が吹き飛んじゃうから!」


 母の言葉は大げさだと思ってフレイアはスカーレットに目を向けた。

 忙しいにもかかわらず、母が暴走しないように同席しているスカーレットまで真面目な顔をして頷きを返してくるので。フレイアはルフェウスが自分の死後どうなったのか心配になった。


「どうせなら当たり障りのない婚約者を探していただけたらいいなと思ったのですが……」


 ちいさな声で呟くと何故か母とスカーレットが黙り込む。


「そりゃこんなに可愛いフレイアちゃんは引く手数多なんだけどさ……フレイアちゃんは……殿下に会いたいんじゃなかったの?」


 髪を優しく梳きやってくれる母の声には心配が滲んでいる。


「はい、会いたいです。でも……『前回』と同じなら婚約者が居らっしゃいますし。もしも『前回』と同じようにルフェウス様が婚約者を探すことになっても伯爵家で四歳年下の私は……」


 ずっと思っていたことを言葉に出すと胸がぐっと重く、苦しくなった。

 候補にならないでしょう、という言葉を言うことができなかったのは……本当は諦めきれないからだ。

 『ギフト』の力を使ってでも始まる前に終わらせたいという臆病な気持ちが、会いたい、希望を捨てきれないという感情に勝てないせいだ。


「ねぇフレイアちゃん。フレイアちゃんはさ、もっと我儘で欲しがりでいいんだよ。一生分の我慢をしてきたこと、ちゃんと私たちは知っているから……もっと我慢せずに甘えて欲しいな」


 母が頬を撫でて眼を覗き込んでくる。

 二人にすら弱みを見せるのが恥ずかしかったから強がってしまったことを。覗き込まれただけで溢れる涙が証してしまう。


「ううぅー」

 本当に、八歳の身体は不便だ。

 いいや……十八で様々な感情をなかったことにして飲み込んだまま死んだせいだろうか。

 なにひとつ格好がつかない。

 けれど格好がつかなくてもいいと母は言ってくれる。


「ルフェウス様に、会いたいです……死んでしまう時に好きだって、きづいたんです……だから、ほんとうは、見ているだけで満足なんてできない……でも、私、ルフェウス様にひどいことをしたから、嫌われたと思うんです。だから……記憶が戻ってほしいのに、戻ってほしくないとも思ってる」


 溢れる涙を抑え込もうとするように目元を手で覆ってフレイアは泣いた。

 我ながら音程を踏み外した声で訴えた言葉は支離滅裂で自己中心的なひどいものだったけれど。母の柔らかな手は温かく柔らかいまま髪や背中を撫でてくれて。そのおかげですこし、落ち着くことができた。


「ねぇフレイアちゃん。あなたはね……とんでもない魔力と『ギフト』を持っている。だからこそ、早まらないで欲しいんだ」


 春の日向に降る雨のような母の声がそっと響いてくる。


「あなたがその気になれば殿下の記憶を永久に葬ることもできてしまうし。逆に殿下の記憶を蘇らせ、婚約者を捨てさせて自分を選ばせることだってできてしまう。だからこのまま殿下を見守るにせよ、何か行動を起こすにせよ……後悔のないようにしてほしい」


 見上げると母は微笑んでいた。

 慈愛に満ちた、優しい微笑み。

 けれど同時に思い出す。

 『前回』……いいや、この世界に『旅人』として現れ、自分を産んだ母は……いざという時、娘の命と幸せのために他者を犠牲にしてもいいという選択をしたということを。

 きっと母は……そしてそれに賛同し『ギフト』を失ってまで手を貸したスカーレットも。考え悩んだ果ての判断だったのだろう。


「ありがとうございます、お母さま……私、後悔しないように、たくさん悩むことにします」


 涙を拭ったフレイアは微笑み。母は何故か堪えかねたようにフレイアを抱きしめるので……呆れた顔をしたスカーレットがぎゅうぎゅうと豊かな胸に押しつぶされそうになっていたフレイアを救出した。




 すっかり元気になったフレイアは家庭教師のレッスンを受ける傍ら、縫物に没頭することが増えた。

 建前は貴族令嬢としての嗜みだが目的はメナーディアを移すぬいるぐみを作るためだ。

 礼儀作法は幼少期からみっちりと仕込まれ、継母たちが家に来てからはひとりで反復していたのでどうにかなった。

 だがダンスや絵画、縫物や刺繍等は本格的なものを学ぶ前だったし。そんな朧げな知識と八歳の手先の不器用さが組み合わさると結果は……思うようにいかないものだった。


 気分を変えようと考えて木陰でちくちくと針を操っていると。窓から姿を見たのだろう。 

 兄が笑顔で手元を覗き込んでから動きを止めてしまった。

 

「ねぇフレイア……それは何を作っているのか、訊いてもいいかな」

「ぬいぐるみです」

「うん。それはわかるんだけど……馬かな? かわいいね」

「いいえ、熊です」

「あっごめん。綿入れる前だから間違えちゃったよ」


 謝られると余計に惨めな気持ちになる、と思いながら見上げると兄は傍らに置いてある『完成品』を持ち上げた。


「あっこれはわかるよ。サボテンかな?」

「……そ……そうです」


 これ以上兄を困らせたくなくて。フレイアは出かけた言葉を飲み込んで頷いた。

 本当はそれは犬だったのだけれど。

 兄にはサボテンに見えたのだ、と思うと自然と肩が落ちた。


「ねぇフレイア、僕と絵を描かない? 思うように作れないのなら、まずは絵を描いてみたら作りやすくなるんじゃないかな」


 取り繕えない落ち込みを見た兄がそう提案してくれる。

 気遣ってくれる言葉と納得できるその考え方にフレイアは目を上げて頷いた。


「ありがとうございます、教えてくださいお兄さま」


 迷惑を掛けたくない、という気持ちに蓋をして声を上げるとぱぁっと顔を輝かせた兄が行こう、と手を取って駆けだそうとするので。

 フレイアは待ってください、と言いながら広げていた諸々を布の鞄に入れて兄についていった。


 結果的に二人で絵を描いているところにヒルデも現れ。

 三人で絵を描き続けた結果……ある意味芸術的な絵が伯爵家のいたるところに飾られることになったのだった。


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