固まる決意
さて、第一章もかなり佳境ですねー
「あなたという方は! 何故! 社交期に王都にお越しにならないのです!」
開口一番。マナーハウスを訪れたセラスが叫んだ。
マナーハウスに到着したと思えばどういう伝手で情報を知ったのかドレスを着替える間もなくベルム公爵家からの先触れが届き。了承するや否や、ベルム公爵夫人となったセラスが乗り込んできた。
制服を脱いだセラスは自らデザインしたのだろう、凝った意匠のドレスを身に纏い。以前にはなかった風格を身に纏っている。
黙って佇んでいれば完全に王家の血を引く、若き公爵夫人に見えることだろう。
それでも陽光の欠片のような金の髪も晴れ渡る空のような眼の色も、どこか挑戦的でいて素直で明るい魅力もそのままで。フレイアはうっかり涙ぐみそうになった。
「ごめんなさい、少し立て込んでいたもので」
かなり忙しかったのは確かだが、ルーンベル領からは急いでもかなりの日数がかかる。
時間が惜しかったというのが偽らざる本音だ。
「それにしてもセラス様……私は東方から来たというのに流行り病が怖くはないのですか?」
ある意味狙い通りではあるが、現在、東の国境及び東部で危険な流行り病が蔓延しているという噂が国中で囁かれ。華やかな王都は皆流行り病を警戒して静かなものだった。
特に東部の検問は非常に厳しく。
貴族は身分証を提示すれば二日間の待機の後、王都に入ることを許可されるが貴族ではないものは五日間の待機となる。
その為、王都を目指す者も極端に少なかった。
正直こんな噂を流布して経済的に問題はないのかと心配になるほどだったが。
その辺りは流石、ギルド長官のスカーレットだ。
これまでのギルドの備蓄から補填を行い、食い詰める民が出ないようにしているそうだ。
ちなみに王族であるルフェウスとギルド長であるスカーレットと行動を共にしていたので王都への帰還は非常に早かった。
ルーンベル領から昼夜を問わず馬車で走ること一日半。
そこからギルド所属の最新の船で川を下り、一日半。
当然、検問はほぼ素通り。
本来五日かかる行程を三日で移動したので流石に体は疲れていたけれど。不思議と辛くはなかった。
「流行り病? お従兄様と一緒だったのでしょう? 何も怖くないわ」
「それは……そうかもしれませんが……というかセラス様。何か私に言うことがありますよね?」
ふふんと胸を張るセラスにフレイアは微笑みながら問いかけたけれど。セラスの微笑みは翳らない。
「なくってよ! わたくしはただ事実を広めただけですわ。望む結果を手に入れる……それが貴族というものよ」
何の後ろ暗さもない声と表情を、やはり眩しく感じて。フレイアは胸の痛みを覚えながら。微笑んだままふっと息を吐いた。
「それで、どうでしたの? お従兄様は流行り病の中、駆けつけていったくせに土壇場でヘタレませんでした?」
「……素敵でしたよ」
フレイアはそっと微笑んだ。
言葉は本心だったけれど心はここ数日のやりとりを経た分、重くなっている。
本当にルフェウスは自分にはもったいない人だと心底思う。
そしてそんな人を、自分はこれから悲しませるのだと突き付けられるような気分になる、そんな数日間だった。
幸いだったのは表情がさえない理由を誤魔化せる環境にあったことだ。
けれどその分ルフェウスは気遣ってくれて。それが余計に堪えた。
「え、じゃあ……もしかして……?」
セラスが詰め寄ってくる。
きっとセラスの言葉を肯定したら明日にでも『噂』が流れる。
そのことはルフェウスも織り込み済みだろう。
「はい……まだ決まっておりませんが婚約者に、と望んでくださりました」
もしも死ぬ運命さえなかったら。
曇りない気持ちで微笑むことができたかもしれない。
そう思いながら微笑んでいたフレイアはじっとセラスに顔を覗き込まれて戸惑った。
間近で見て眼の形がルフェウスそっくりで。場違いだと思いながらも二人が従兄妹であることをしみじみと実感した。
「フレイア様……思い悩んでおられるみたいだわ。何か心配事がおありかしら」
「心配事は尽きませんね。流行り病の影響も、婚約の報告とはいえ領地を空けてしまったことも」
きっとセラスは納得しない。
けれどセラスは貴族だ。
そう思いながらフレイアが微笑むと案の定、セラスが言葉を飲んだのがわかった。
きっと友人同士だから気が緩んでいるのだろう。
セラスは本当に公爵夫人になったのだ。
「何かあったら相談してくださいませね。わたくしたちは……お友達なのですから」
念押しされたけれどフレイアは曖昧に微笑んだ。
晴天を思わせるセラスの表情を曇らせたくはなかったけれど。誰にも打ち明けられない考えを持っている以上、それは無理な相談だと思うしかなかった。
一年ぶりにセラスとのやり取りを楽しんだフレイアは胸に蟠る罪悪感を抱えたまま床に就いた。
けれど邸宅を出て以来の上質なベッドだというのに眠れない。
今日、王城へ帰還したルフェウスは自分との婚約を父である王や王妃、そして側妃に憑依したメナーディアに伝えただろうか。
『正史』では死ぬ存在である自分が第一王子と婚約する流れはきっと……メナーディアにとって歓迎すべきことではないだろう。
謁見を申し込んで断られる可能性もあるが応じられた場合……自衛をしなければ危ない可能性もある。
そう、自分の狙いは……メナーディアに憑依されることなのだから。
物思いに耽っていると余計に眠れなくなって。
フレイアは身を起こしてベッドに腰かけると水差しからグラスに水を入れ、喉を潤した。
用意された水は不思議とひんやりとしていてレモンと仄かなハーブの香りが静かに波打つ心をおさめてくれる。
ちいさく息を吐いて、部屋をいつも整えてくれるメアンに感謝していると……隣の部屋で物音がした。
隣はメアンの部屋だ。
侍女のための、地続きの部屋。
あなたは友人でもあるのだから、そこまでしなくていいとフレイアが何度言ってもメアンは頑として聞き入れなかった、その部屋で。何かが倒れる音がした。
ただ、何かを倒しただけかもしれない。
けれどそうでないなら……
そしてなによりメアンはルフェウスの腹心のひとりであるヴァシル・ロンウェイ伯爵と婚姻を結んだメリナ・ロンウェイ伯爵夫人としてエウロ妃に仕えている。
何かあったら即座にルフェウスとフレイアの傍にそれぞれ控えた『メアン』が知らせることになっているのだけれど。それがいまかもしれないと思った。
「メアン?」
居てもたってもいられなくなったフレイアはドアを叩いて声を掛けたけれど中からは返事がない。
杞憂か、と思ったけれど心配が勝ったフレイアはごめんね、と言い置いてドアを開け。
「メアン!」
ベッドの上でうずくまるメアンを見て慌てて駆け寄った。
慌てて肩を支えるとその身体はぞっとするほどに熱かった。
額や首筋からは汗が吹き出し、顔は苦悶の表情だ。
病気だろうか……いや、やはり……
それを裏付けるかのようにメアンがかっと目を見開く。
おおきな黒い瞳に湛えられていたのは苦痛と恐怖。
いま、ここに居ない自分の痛みを感じているのだろう。
すんなりとした体が瘧を起こしたように震え、力みすぎて白くなった爪がシーツをきつく掴んだ。
「フ、レイア様……エウロ妃から、折檻を……受けているだけです」
背を鞭打たれでもしているのだろうか。
身体を折ったメアンを思わずフレイアは抱きかかえた。
ルフェウスの婚約の報せはエウロ妃……いや、メナーディアにとって間違いなく望ましくないものだったに違いない。
「いま、『あなた』はひとりでしょうか」
「はい……」
「あなたたちの身体から、痛みは消えて痕も残らず治ります」
躊躇いなく『ギフト』を使うと目に見えてメアンの顔色がよくなった。
だが汗の滲んだ顔が痛々しい。
「ありがとう、ございます……」
「いいえ、辛い想いをさせています……はやく、決着をつけないと」
心配と憤りは尽きないが、救いだったのはメアンに慣れた様子がないことだ。
メアンがひとりで耐える夜が何度もあったなんてことがあったら、きっと冷静ではいられなかった。
「フレイア様も、眠れなかったのですか」
憔悴した様子だが微苦笑を浮かべたメアンに水差しから水を注いで差し出すとごめんなさい、と言い置いてメアンが水を口にする。
目に見えてよくなる顔色に安堵しているとそんなことを問われ。
フレイアは誤魔化しても意味がないと思って頷いた。
「どうなるかわからなくて、不安だったけれど……あなたのお蔭で万全の状態で臨まないといけないと思いました。こればかりはあちらからの召喚を待つしかありませんが……早いことを祈っていますよ」
フレイアはメアンの汗を拭いて、メアンをそっとベッドに横たえた。
いつも傍に居て護ってくれるメアンの身体は思いのほか細くて。
早く決着をつけなければ、とフレイアは心底思った。
そして。翌日エウロ妃の使いの者が現われた。
携えられていた書簡には謁見に応じるという短い返答。
日付は三日後だった。




