芽吹いた感情
「フレイアはリオン・バスラムと会ったことがある?」
ルーンベル伯爵邸に到着した翌朝。
食堂で朝食を共にしている時、ルフェウスに問われたフレイアは頷いた。
辺境伯領へ視察に行くというルフェウスが、旅の道中、辺境伯家について訊いてくることは一度もなかった。
それが今になって突然の質問。
ちらりとルフェウスの顔を見れば昨日眠れなかったのだろう、心なしか顔色が悪いし目もどこか精彩を欠いているように見える。
なんとなくどういった用で辺境に向かうのか察することができてしまうというものだ。
リオン・バスラムは辺境伯家の嫡男で現在二十二歳。
頻繁に会うことはないが領地が隣同士だったので母が生きていた頃に何度か顔を合わせたことはある。
武を重んじる辺境伯家に生まれたというのに剣の腕はからきしとのことで。
リオンとは従弟である、十五にして剣聖とまで称えられるラクレスの方が次期当主に相応しいのではないかと専らの噂だが、フレイアは彼の本当の強さを知っていた。
「彼は秘密にしておりますが弓の名手なのです」
フレイアがそれを知ったのは偶然だ。
十年前に辺境伯領で開催された狩猟祭。
母に唆されたリオンは、なんと遠く離れた城内のテラスから弓を構え、討伐を競う敷地から逃げ貴賓席へ入り込もうとした猪の眉間を次々と射抜いてみせた。
感知できないほど遠くから飛来し、獲物を正確に射抜いた矢の持ち主は不明のまま会場は騒然とし。稀代の弓の名手の正体を知るのはテラスに居た母と自分と辺境伯夫妻のみ。
当時は母が何故そんなことをしたのか不思議に思ったけれど。
今思えばそれは次期当主候補に指名されているのに、時に心無いことを言われることもあるリオンの心を救うための行動だったのだろう。
「社交はあまりお好きではないようで王都で姿を見かけることはありませんでしたね。成人された今も辺境伯夫人によく似た綺麗で繊細な風貌だそうで……私が知っているのは幼い頃のリオン様ですが……何事も驕ることなく努力する方で。弱冠十二歳にしてその知恵や物事に対する考え方は辺境伯も舌を巻くほどで……どうされました、ルフェウス様?」
思い出しながら語ったところでフレイアはルフェウスが何とも表現しにくい複雑な表情をその顔に浮かべているのを見て首を傾げた。
「いや……君にしては随分褒めるんだな、彼のことを」
ルフェウス自身も戸惑っているのだろう。
言葉を紡ぎながら不可解そうな眼をしている。
「ふふ、幼い頃は……それはもう憧れておりましたので」
いま思えば初恋だったのかもしれないが、あまりにも幼い記憶すぎて忘れてしまったし。
幼いころの自分はリオンというよりはリオンの婚約者として紹介されたアルテにべったりだったので、彼に恋をしていたかといえば微妙なところだ。
「そっか……」
「婚約者のアルテ様は辺境伯門家レスターヴ家のご息女で。彼女もまた素晴らしい弓の使い手なのです」
そうだった。
アルテはリオンの三歳年上の、とても麗しい、頼りがいのある少女で。
そもそもリオンの弓もアルテが気晴らしに勧めたものだった。
うつくしい姿勢で弓を射るふたりの姿を見て自分ははしゃいで。矢が的の中心を射たことを我がことのように誇らしく、周囲の人間に語っていたものだ。
そしてそんな自分と一緒に大はしゃぎしていたのがラクレスだ。
リオンは従弟のラクレスを実の弟のように可愛がっていたし、ラクレスもまたリオンを実の兄のように慕っていた。
あのふたりが反目しあっているはずがないと思うし。心無い噂に最も傷ついているのはあのふたりだろう。
語っているうちにまだ母が生きていた頃を思い出すことができた。
父は辺境伯家を恐れながらも厭っていたので、何か用事がある際は代理として母を送ってばかりいたのだ。
「君の眼から見て次期当主はリオンがふさわしいと思う……?」
ルフェウスの口調は重かった。
問われた此方の肩にまでずしりと重さがかかるような気がして。フレイアは深く息を吸う。
「リオン様、ラクレス様……どちらも辺境伯家にとって欠くことのできない方々です。リオン様は百発百中の弓の腕前を差し引いても知略を巡らせての勝利や内政による今後の繁栄をもたらすことができると思いますし。ラクレス様はまだ幼くも剣に秀で、辺境伯家が擁する兵達の求心力は相当のもの」
語ってから深く息を吸う。
ルフェウスが言っていた『正史』がどうなっているのかわからないけれど。
きっとルフェウスはふたりのどちらかを……『正史』に従って『消し』にきたのかもしれない。
ルフェウスのことなので本当に『消し』に来たわけではないのだろうが。
いま……隣国アウレアが迫るなか、その二人のどちらかを歴史の表舞台から『消す』のは国の存亡にかかわるに違いない。
「フレイアから見てふたりは『英雄』になる可能性がある?」
ルフェウスの口調にほんの少し温度が戻る。
どういう意図で訊かれているのかわからなかったけれどフレイアは深く頷いた。
「どちらかが、あるいはどちらも『英雄』になるのは戦乱が起こった時なので正直そんなことになってほしくはありませんが……」
きっと近い未来。
『正史』ではどちらかが『英雄』となっているのだろう。
そしてその未来をルフェウスが叶えなければきっと神は『世界を壊す』のだろう。
「ふたりは『英雄』になり得ます。ルフェウス様が『行動を起こさず』とも」
「そう」
フレイアの言葉にルフェウスの表情が仄かに緩む。
血の気が失せていた頬にもわずかに赤みが戻り。漸く思い出したようにルフェウスはパンに手を伸ばした。
「お願いがあるんだ」
ゆっくりとお茶を嗜みながらパンを食べ終えたルフェウスはふと居住まいを正してフレイアを見た。
「一緒に辺境伯家まで来てくれないか」
その提案にフレイアは少し驚いた後、ぱっと微笑んだ。
「勿論! リオン様達にお会いしたいですし……勿論領地の視察と対策のために戻ったのであまり長居はできませんが……そういえば就任のご挨拶も書面で済ましたのみでした。考えれば丁度良いですね」
久しぶりに昔馴染みに会えると思うと心が弾む。
「随分と、嬉しそうだね?」
気づけば満面の笑みになっていたようで。またルフェウスが形容しがたい顔でこちらを見つめている。
「そうですね。八年はお会いしていないのでとても嬉しいです」
そんなルフェウスの表情に気づきながらも浮き立つ気持ちが抑えられないフレイアは朝食後にとりあえず先触れの手紙を出すことに決めた。




