激闘の後
森の奥、木々に囲まれた小さな空き地。
アイオンとジーナは、そこに腰を落ち着けていた。
小枝を拾い集めて火を起こし、焚き火はパチパチと静かな音を立てながら揺れている。その淡い炎に照らされて、2人の影が地面に長く伸びていた。
「…暖かいね」
ジーナがぽつりと呟く。
その声はかすれていたが、どこか安堵の響きがあった。
「ええ。でも、少しだけ寒いですね。まだ夏前なので」
アイオンは微笑みながら、火に当たる手をさすった。戦いの疲れはあったが、今は互いに何も言わず、ただ炎を見つめていた。
「…さっきの戦い、あなた、怖くなかったの?」
ジーナがふと尋ねる。視線は火の中に落ちていたが、その声はまっすぐだった。
アイオンは少し目を伏せてから、静かに答える。
「怖かったですよ。正直、人を斬る感覚には…いつまでたっても慣れません。ですが──」
彼は火の向こうのジーナを見て、微笑んだ。
「できることをやらずに、何かを失うのは嫌なんです。自分ができる範囲で、できることをする。そういう人生にしたいんです」
ジーナの胸に、ふっと温かなものが灯る。
「…本当に、変な人」
「どこが?」
「…全部よ」
2人の間に、微かな笑いが流れる。
しばらくして、ジーナが草の上に座り直す。
「ねぇ、あなたは…今後もオルババ村で過ごすの?」
「ええ。ただの村人ですからね。本格的に夏になれば畑仕事で忙しくなるし、賊の影響で魔物の脅威も増えてる。対応もしなきゃ。…やることだらけですよ」
アイオンは少し呆れたように言う。
賊がもたらした魔物。
その影響は、この周辺ではあまりにも大きい。
少しずつでも討伐し、生態系を戻したい。
ジーナはそんな彼に軽く笑いかけた。
「ただの村人にしては、やったことがとんでもなかったけどね」
「正直、全部がうまくいきすぎました。実力以上の力が出た。…もう一度やれと言われても無理ですね」
「謙遜?」
「事実です。…なので、もし次の遊行があるなら、そのときはまともな護衛団と一緒に来てください。もう、ただの村人が出しゃばる必要がないように」
「…次は、助けてくれないの?」
アイオンは少し考えてから言う。
「村が巻き込まれるなら、助けますよ」
「…本当に変な人」
ジーナはアイオンを見つめ、嬉しそうに微笑んだ。
「話、噛み合ってます?」
「ええ。私の中ではね」
「ならいいですけど…」
ジーナは微笑んだまま、さらに尋ねる。
「あなた、やりたいこととかないの?」
「やりたいこと? う〜ん…ありますけど、それが本当に“やりたいこと”なのかと聞かれると…」
ジーナの頬に、微かに笑みが浮かぶ。
「なんでそんな答えになるの?」
「色々複雑なんですよ」
「へぇ〜。どんなこと?」
「…世界を見せたいんです。このアストライアを。この目を通して」
ジーナは疑問を口にする。
「見せたい? 誰に?」
「――自分に。ですかね?」
しばし沈黙が流れた後、ジーナが吹き出す。
「な、なによそれ! 変なの!」
「…色々あるんですよ」
アイオンは不貞腐れたように火をいじり、
焼けたホーンラビットの肉をジーナに差し出す。
「どうぞ」
「悪かったわよ…ありがとう」
食べる。
ひと口で、とんでもなく美味しいと感じた。
城や学園で食べる料理よりも、ずっと。
「私、ここに来るまで知らなかった。こんなに美味しいものがあるなんて。…楽しいと思える時間があるなんて」
「? 楽しいですか? 結構散々な目にあったと思いますけど…」
「…あなたって、人に興味ない?」
ジト目でジーナが睨む。
「……言葉の意味が分からない」
「ならいいわ。…でも、世界を見るなら、村から出なきゃ見られないわよ? 旅立つの?」
「…そうですね。少なくとも、父のラクトさんが畑仕事をできてるうちに、世界を見て帰ってきたいとは思ってます」
焚き火の炎が少しだけ高くなり、パチッと音を立てた。
「そう…。なら、まずは王都パルキノンよね!」
「この国の中心ですからね」
ローズレッド王国の中心、新女神教が支配する地。今の女神教がどうなっているのか、それを“女神に見せたい”と、アイオンは思っていた。
「…あなた、14歳よね?」
「ええ。同い年ですよ」
「そうよね…それなら…」
何かを考えるジーナ。
それを不審そうに見つめるアイオン。
「…なんです?」
「いえ! 今はいいわ」
「そうですか。―そろそろ休んでは? 明日、朝になったら村に戻ります。慎重に進むつもりなので、体力が必要です。と言っても、1日かからずに着きますけど」
「わかったわ。…あなたは?」
「休みますよ。警戒しながらなので完全には無理ですが…心配しないでください」
「…そう。無理しないでね? 警戒くらいなら私もできるはず。だから、起こしてくれて構わないわ」
「はい。お休みなさい」
「おやすみ」
森の夜は静かに更けていく。
だが、その中心にいる2人の心には、確かな灯が灯りはじめていた。
#
少し前に遡る。
――焼け焦げた土。
へし折れた木々。
そして、湿った血と鉄の匂い。
ライアは剣の柄に手を置いたまま、警戒を緩めず足を踏み入れる。森の奥、静寂の中心には、信じがたい光景があった。
「――これは、ヒュドラ?」
視線の先には、巨大な黒い躯体。
しかしその首は──未成熟な首。
細く、まだ成長途中だったことが分かる。
「まだ幼体ね。…それでも、十分すぎるほどの脅威」
身体中が深々と斬られ、所々が裂け、うち1つの首は完全に斬り落とされている。
斬撃の跡は乱れていたが、力強く、渾身のものだった。
「これは、勢いでなんとかした類の戦いじゃない。覚悟と、意志の戦い」
ライアはその場にしゃがみ込み、地面をなぞる。
焦げた草、巻き上げられた土、荒れ狂った風の痕跡──
「風魔法? 体外魔法を覚えたって言うの? たった数日で?」
少し離れた場所には、人間の死体が3つ。
1人は困惑の表情で胸を貫かれ、1人は驚愕の顔で胴を斬られ、最後の1人は笑いながら絶命していた。
「これが賊だとしたら…アイオンはヒュドラと賊を相手に立ち回って、勝利した? 王女の姿がないから…助けた上で? …まさか」
ライアの目が鋭く細められる。
彼女は立ち上がり、周囲を見渡した。
「アイオンの姿はない。恐らく落ち着ける場所に移動したのね。私には追えない…」
そのとき、森の奥から足音と声が重なって聞こえてきた──
「ライアさん!」
「見つけた!」
木々をかき分けて、イザーク、エリー、ウル、オニクの4人が姿を現す。
彼らも、戦場を目の当たりにして言葉を失った。
「これは――」
イザークが絶句する。
「ヒュドラ…か? でも首が…」
オニクが眉をひそめる。
「未成熟な個体よ。それでも十分に危険。…倒したのは、恐らくアイオンだと思う」
ライアは静かに言った。
「そして、そこにいる賊も。3人とも死んでるわ」
「王女は…? 無事なの?」
エリーが不安げに尋ねる。
「たぶんね。2人とも生き延びて、どこかへ移動した。土地勘のない私たちじゃ追えないわ」
ウルは周囲と死体を観察し、呟く。
「火を使った痕跡。斬撃の乱れ…魔法使いを含む賊3人と、ヒュドラを相手にして?… とんでもねぇな」
オニクも風魔法の痕跡を確かめる。
「風魔法だね。まだ粗いけど、勢いは凄まじい。…体外魔法の素質もあったのか。あの精度で身体強化もしてるのに」
ライアが少し微笑む。
「…子どもだった子が、背中を預けられる男になった。素直に、嬉しいわ」
イザークは肩をすくめる。
「ありえねぇ…化け物じゃねぇか」
「彼に足りなかったのは、実戦経験。それを得たのよ。どんな経緯であれね」
ライアは嬉しそうに呟いた。
「――負けてられねぇ!」
イザークが頬を叩く。
(負けてられない…か。ならこの子も強くなるわね)
上を見た時に下を向くのか、腐らずに上を向くのか。
それが一流と二流を分ける決定的な差だと、ライアは経験から学んでいた。
「よし!まずはこいつらを処理しよう。村の人間が見たら、ショックが大きい」
「ヒュドラの骸も、どうにかしなきゃな。少しは生態系が落ち着くかもしれん」
ウルが木々を見渡す。
「…解体する? かなりのお金になるよ」
エリーが小さく呟く。
「そうだな。毒には注意しろよ! ライアとエリーに任せていいか? 解体報酬はもらうが、大半はアイオンに渡す」
ライアが頷き、風に吹かれながら双剣を抜いた。
「それならいいわ。さっさと終わらせて、アイオンたちより先に村に戻りましょう。──フィギルを安心させないと。…一応言っとくけど、この事、村の人や誰にも話さないようにね? アイオンがやったとは思うけど、どういう経緯でそうなったかはわからないから」
「でも、王女の確認はできてねーぞ? どうすんだ? 王女と戻ってこなかったら…」
イザークの問いに、ライアは鼻で笑った。
「あなた、冒険譚は読まないの? ここまで派手にやった少年が、王女を救えず終わる…そんな話、見たことある? 勘だけど、一緒にいるわ」
「──まるでセドリックみたいだ」
呟くイザークはウルとオニクの作業に加わる。
「セドリック──御使様…まさかね」
ライアもエリーに加わる。
夕暮れの空が木漏れ日を橙に染め、彼らの背を押していた。




