迫る傲慢
朝露の残る地面に、陽が少しずつ差し始める初夏の朝。
オルババ村の広場には、いつもより多くの村人が集まっていた。
まだ肌寒さの残る空気の中、田畑の支度も後回しにして、人々の視線は一人の女性に向けられている。
村長オルババが立っていた。
陽に焼けた肌と鋭い眼差しが、普段の厳格さを物語っていたが、今朝はその目にわずかな緊張が宿っていた。
「――みんな、よく聞いてくれ。フィギル子爵より伝令があった。4日後、王族がこの村にいらっしゃる」
その一言に、どよめきが広がる。
「…王族って、ローズレッド王国の?」
「なんでこんな田舎に?」
「めんどくさい〜!!」
口々に不安と驚きを漏らす村人たちに、オルババは手を振って制した。
「落ち着け!……王女殿下が“視察”に来るそうだ。どんなに狭くても、なにもなくとも――ここは私たちの村だ。恥をかかせるな」
沈黙が降りた。
その中で、オルババは若者たちへ視線を向ける。
「マリオ、グレン、トーゴ、エルナ、ハンジ。お前たちはラクトと一緒に街道付近の森を回ってくれ。魔物の様子がおかしいとの報告があった。見たことのないハーピーも確認されている」
「ハ、ハーピーって、マジかよ…」
ざわつく村人たちを制し、オルババは続けた。
「落ち着け! アイオンが数体、すでに討伐している!が、まだ潜んでいる可能性はある。注意して探索し、発見したら刺激せず撤退してくれ」
「了解」
「騒ぎになったら、王女どころじゃねぇもんな……」
「それどころか不敬罪で首をハネられるかも…ひぃー! お前ら、真面目にやれよ!」
苦笑交じりに言いながらも、自警団の面々は真剣な顔で準備へと散っていった。
村の中は次第に慌ただしさを増していく。
掃除道具を手に走る子どもたち、干していた布を取り込む主婦たち、道端の石を拾う老人の姿もある。
そんな喧騒の外で、アイオンは村の井戸のそばに腰を下ろしていた。
(――ローズレッド王国王女、ね)
井戸の水で顔を洗い、深く息を吐く。
(新女神教に支配されている王族、か。クソ女神に関する話じゃなさそう。なら、関わる事もないか…)
(――森に入るかな。ハーピーが出たら、自警団じゃ対処できない)
家に戻ってバッグを取り、セアラたちに伝えて森へ向かった。
#
2日後、バルナバから北へ伸びる街道。
まだ整備の最中で、砕かれた石と土が剥き出しになった道を、数人の人間が黙々と作業していた。
イザークとウルが先導し、地ならしと警戒を担当している。
久しぶりのパーティ活動だったが、状況は芳しくない。
獣の足跡、枝折れた藪。
最近になって魔物の数が異常に増えていた。
特にゴブリンやウルフの出現頻度は、これまでにないほどだ。
「やっぱり森の奥から追い出されてるのかしらね。妙に縄張りの境界が荒れてるし」
エリーが呟き、オニクがうなずく。
「…奥で何かが起きたか、人為的に“流した”か。どちらにしても自然じゃない」
緊張が走る中、遠くから馬蹄の音が近づいた。
――ジーナ王女一行の到来である。
馬車を中心に、赤い外套の護衛団が騎馬で道を割って進んでくる。
先頭には、尊大な態度の男――ガーリン・デュラント。
「そこをどけ!王族が通る!民は道を開けてひれ伏すものだ!」
その一声に、整備していた村人たちがざわめいた。
「はぁ? 何様のつもりだ?」
「仕事中だってのに、なんだよその態度」
だが、ガーリンは構わず命令を飛ばす。
「道を塞ぐ者には処罰を――! そこ、避けろッ!」
護衛兵が棍棒を振り上げ、作業していた老人の肩を小突いた。
「このっ…!」
思わずイザークが飛び出す。
「てめぇ、今どこを叩いたと思ってんだ!」
がっしと護衛兵の腕を掴み、威圧する。
「彼らは領主の依頼で仕事中だぞ? 勝手な事してんじゃねぇぞ!」
エリーも前に出る。
「今の、見てました。…あなたたちのやってること、明らかに過剰です」
「無礼な――!」
護衛が剣に手をかけた瞬間、背後からフィギルの声が飛んだ。
「やめろッ!!」
その一声に、空気が震えた。
フィギルは馬車から降り、泥の跳ねる道を踏みしめながら前に出る。
「ここは私の領内だ。民に手を出すことは、私の許しなくしても許されない」
「王女を護るのが我らの責務。治安維持のために排除したまでだ」
ガーリンが鼻で笑う。
「“排除”と“暴力”は別だ。それを理解できぬなら、護衛の資格はない」
馬車の中から、ジーナが姿を現す。
「やめなさい、ガーリン!」
その言葉に空気が止まる。
だが――
「――殿下。ご自身の立場をお忘れなきよう。“道を作る”のは我らです」
冷たい刃のような言葉だった。
ジーナの目が揺れる。
――「王女が口を出すべきことではない」
何度も浴びせられてきた冷笑。
声を上げても届かない現実。
(私は…また、止められなかった)
拳を握りしめ、唇を噛む。
(王女であるのに、何もできない。…いえ、“王女だから”何もできないのか)
その時――
「――相変わらず、下劣な人間性だね。ガーリン・デュラント。伯爵家なことだけが取り柄のろくでなし。…弟が家を継ぐんだって?」
オニクが歩み出た。
ガーリンが睨む。
「何者だ、貴様」
「セルヴァート伯爵家のオニク。…今はただの冒険者だけどね」
「ほう? 地位を捨てて野良犬になった愚か者か。そんな身分で我に意見すると? 卑しいな」
にやりと笑うガーリン。だが、その目に警戒が混ざった。
「セルヴァートの名、久しいな。父の代で我が家とやり合って、見事に負けたのだったか」
「汚いやり方で得た“勝利”が誇るのか。随分と無様だね」
オニクが一歩進むたび、護衛兵たちが剣に手をかける。
イザークも剣を握り、ウルが立ち塞がった。
エリーも短剣を構える。
「どうする? ここでやり合う? 王女の護衛が君たちの仕事だろ? 支障が出るね」
フィギルの声が重なる。
「剣を抜けば、私は王族に正式な抗議をする。私の領地で、民に剣を向ける護衛など寄越すなと!」
空気が凍るように張り詰めた。
「くだらん」
ガーリンが舌打ちし、剣から手を離す。
「野犬に吠えられたところで、こちらの格は落ちん。――進め!さっさとオルババ村へ行くぞ!」
冷笑しながら馬に跨る。
「――そのうち、“本物の誇り”を見せてやるさ」
オニクは小さく笑った。
「誇り? 安っぽいセリフだ」
馬車が遠ざかる中、ジーナは振り返り、オニクを見た。
(…彼は、“捨てた”んじゃない。選んだんだ。自分の意志で)
思わず自らの手を見る。
(…オルババ村で、何が見えるのかしら)
一方、フィギルは馬車に戻りながら息を吐く。
(今の貴族の姿、それを止められない王族。…全部が、腐ってる!)
彼の中に芽生えた怒りは、もう収まらなかった。
#
一行の背が森の奥へと消えていく。
残ったイザークたちは、去っていった護衛団の赤い背中を見つめていた。
「ったく!気に入らねぇな、あいつら」
「王族を守る立場とは思えんな。あれじゃ民衆の敵だ」
「…特に女性や子どもは危ないわね」
エリーの言葉にオニクが短く息をつき、頷いた。
イザークは剣を握り直す。
「俺はオルババ村に向かう。…まだあの村の住人だからな」
「僕も付き合うよ。シスター達に被害が出たら、貴重な神聖術が失われる」
「面倒事はゴメンだが、まあ行くか。どうせ逃げ場もねぇ」
ウルが盾を叩いて笑う。
「…カーラが心配。あの子、喧嘩っ早いし」
四人は振り返り――オルババ村の方角へと向かった。
小さな村が、これから何を迎えるのか――
彼らの胸には、その重さが静かに積もり始めていた。
そして――
その街道のずっと先。
人知れず、幾人もの“旅人”たちが、すでにオルババ村へと忍び込んでいた。
静かに、しかし確実に。
火は、風に煽られていく――。




