番外編 誓約
アイオンが目覚めてから2日が過ぎた。
教会に招かれたイザークは、内心で愚痴をこぼしていた。
(ったく、雪が止んだんだから、さっさと帰ればよかったのによ…)
ケニーのせいで余計な面倒事に巻き込まれた――そう思うと苛立ちが募る。
まあ、自分の活躍のおかげでどうにかなり、村人や少女の家族には感謝された。
その点は悪くなかったが――
(…あの兄ちゃん、村の人間じゃなかったのか)
ふと、あの時すれ違った男――ジェダに目をやる。彼は自分のパーティメンバー・ウルと親しげに話していた。
(ケニーさんもいて、俺たちもいて、あいつもいる。村の人間じゃない者を集めてる。なにがあるんだ?)
「ごめんなさい、待たせたわね」
「わざわざご足労いただいたのに~申し訳ありません~」
詫びながら入ってきた二人のシスター。
ひとりは金の髪を一つにまとめ、どこかエルフの特徴を持つ美しい女性。
もう一人は栗色の髪を下ろし、にこやかな微笑みを浮かべる女性だった。
「ケニーさん以外に名乗る機会がなかったわね。私はレア。隣はベティ」
「ベティです~。よろしくお願いします~」
(…ベティさん、やっぱりタイプだ…)
どストレートに好みだった。大きな瞳、小柄な体格、そして大きい――
「ぐわっ!」
「?どうしました~?」
「いえっ!お構いなく!進めてください!」
隣のエリーに足を踏まれ、慌てて姿勢を正すイザーク。エリーは彼の代わりに返事をした。
そして話が始まる。
#
「時間を取らせても悪いし…すぐに本題に入るわね。あなた達を集めた理由、わかるかしら?」
「私たちは、この村の人間ではありませんね」
ケニーが即座に答える。
「そうよね。だからこそ、必要な話をします」
レアが真剣な表情になる。
「簡単に言えば――この村で起きたことを、誰にも言わないでほしいの。特に…アイオンが禁断の森に行って、帰ってきたことを」
「な、なぜですか?とんでもないことですよ!? この国だけじゃない、他国にも伝えられる偉業です。禁足地のひとつに、一人で入り、五体満足で帰還し、薬草まで採ってきたなんて…!」
ケニーの声が高まる。確かに、それほどの話だった。
「それなんだけど…実際には、アイオンは森の奥まで進んでないのよ。魔物とも遭遇していないって話なの」
「と、言いますと?」
「入口付近で、偶然グリフォンの排泄所に出くわしたそうよ。その匂いを体中につけて、潜むように進んだんですって」
強い魔物の排泄物は、縄張りの印だ。
「ここは俺の領域だから近づくな」と、暗に周囲へ伝えている。
「アイオンさんが、そう言ったんですか?」
ケニーが問いかけると、レアが頷き、ベティが続ける。
「はい~。とても恥ずかしそうに話されていました~。そのまま、グリフォンの縄張りの中を移動して~、奇跡的に赤い薬草を発見できたのでは~?と」
もちろん嘘だ。
だが、アイオン本人の了承は得てある。
女神教では“意味のない嘘”を禁じている。
これは“意味のある嘘”だった。
ここにいる5人を黙らせ、アイオンを守るための。
「ふむ…それなら、顔や腕に傷がなかったって話にも納得できるな」
ジェダが口を開いた。
「コケたときの傷からは血が出てたって言ってたが、回復薬の痕跡はなかった。ゼアスもそう言ってたしな」
ジェダは静かに考える。
(…C級以上の魔物しかいない森に入って、無傷で出てくる? どれだけの強者でも無理な話だ。…だが、隠れてやり過ごしたってんなら…魔力操作は確かに凄そうだが、魔力量自体はそれほどじゃない)
禁断の森に関しては、新女神教でさえその詳細は知らない。
ただ、“外の世界の魔物とは根本的に異なる可能性がある”ということだけは伝えられている。
(やはり御使ではない? それならそれでいいのだが…)
思索に耽るジェダを探る視線には、誰も気づいていなかった。
「…だから、この話が外に出れば、赤い薬草を求めて、アイオンに採取を迫る者が現れる。私たちは、それを防ぎたいのよ」
「アイオンさんの~身を守るためです~。…皆様、誓っていただけませんか~?」
「俺たちは別にいいけど…な?」
「そうね。正直、そういう理由じゃなきゃ信じられないし」
「構わないぜ」
「…僕も」
イザークたちは頷いた。残るはあと二人――。
「…赤い薬草を採りに行けるなら、素晴らしいことだと思いますし、商品価値も凄まじいんですが…」
ケニーは悩んだ。
奇病に効果のある薬草。
それを持ち帰れば、とんでもない高値で取引できる。
11歳以下の跡継ぎを救うため、貴族たちは金に糸目をつけないだろう。
…新女神教へのお布施も減らせる。
「その噂が広まるのも避ける必要がある。希望に縋りたい親たちが、ラクトのように森へ殺到するかもしれない」
「…治るって分かったら、そりゃ行きたくもなるさ。俺の村の友達も、“女神の印”に選ばれて――ぎゃあ!」
イザークは隣のケニーに足を思いっきり踏まれる。
「おい!なにすんだよ、ケニーさん!」
「…お前は本当に迂闊だな」
「は?何がだよ!?」
「――前」
言われてイザークが顔を上げると、そこには――。
笑みを浮かべながら、目だけが全く笑っていない、明らかに怒っているベティの顔があった。
「え?…あ」
重大さに、ようやく気づいた。
"女神の祝福"だと伝えられている原因不明・対処困難な“奇病”。
新女神教が作った方便を、女神を信奉する旧女神教のシスターの前で言ってしまったのだ。
場が凍りつく。
イザークはベティから目を逸らせず、
エリーたちは呆れ顔で、黙ってうつむいた。
「…ベティ」
「……」
「ベティ」
「…申し訳ありません~。どうぞ続けてください~、イザークさん~」
にこやかに、しかし目は全く笑っていないまま、ベティはイザークに微笑んだ。
「い、いえっ! 結構です!!」
(あ、あんなに怖い目…人生で初めて見た!!)
「はぁ〜。ごめんなさいね。この子、まだ若いの」
レアがため息混じりに謝り、話を続けた。
「――患ってしまった子を助けたい。私たちも同じ気持ちよ。今回、ナリアが奇病にかかり、アイオンが奇跡的に薬草を採ってきてこれた。だけど、その奇跡が広まったら、次を望む者が続き…犠牲者が増えていくかもしれない」
「アイオンの事を、“奇跡の象徴”と見なすかも。けれど、それをできなかった人たちは、遺族は…彼をどう思うかしら?」
「…確かにな。奇跡を起こした存在に縋りたくもなるし、自分たちは駄目だったのに、なぜお前は!と、嘆くか」
ジェダが呟くと、誰もが黙って頷いた。
奇跡――それは、時に人を救う光であり、時に命を蝕む毒でもある。
一度起きれば、誰もが次を望む。
けれど、次がなければ――人は絶望するのだ。
「わかりました。口外しないことを誓いましょう」
ケニーが頷く。
「ありがとうございます、ケニーさん。あなたは?」
そう言ってレアは、ジェダに視線を向けた。
(ここで断ったら、アイオンを探る機会が失われる。なら――)
「もちろん! 誓うぜ!」
言葉だけの約束――それに効力などない。そう思っていた。
「――本当に? みんな誓ってくれる?“禁断の森に入って薬草を採取し、戻ってきたアイオンのことを、口外しない”という誓いを――女神様に」
レアがあらためて確認する。
「えぇ! ケニーは誓いますとも!」
(今後の取引にも関わるしな。ここでポイント稼いどこう)
「イザークも誓います!」
「エリーも誓います」
「ウルも誓う」
「…オニクも、誓います」
皆、この話を早く終わらせたかった。
そして3人は迂闊なイザークへ文句を言いたかった。
「ジェダも誓うぜ!」
ジェダも表情ひとつ変えず、あっさりと。
「そう! ありがとう! 女神様と、ケニー、イザーク、エリー、ウル、オニク、ジェダの誓いが結ばれたことを、シスターレアが見届けました」
「シスターベティが見届けました〜」
――?
首を傾げる一同をよそに、レアとベティは手を合わせ、神聖術を詠唱しはじめる。
次の瞬間、白い光が教会を包み――それは空へと伸びる白い柱となった。
そして――光は、すっと消えた。
「い、今のは!? 我々に何をしたんですか?」
ケニーが驚きながら尋ねる。
「あなたたちと女神様との“誓約”を仲介したのよ。私たち二人で」
レアは、静かに、穏やかに笑っていた。
「これは神聖術のひとつです〜。今の女神教には、もう伝わっていないでしょうが~」
ベティもまた、ニッコリと笑いながら言った。
「…と、言いますと?」
ジェダが慎重に問い返す。
「冒険者が秘匿依頼で使う“契約書”、あるわよね?」
「あ、ああ。特殊な依頼で外部漏洩を防ぐやつだな…」
イザークが答える。
「それと同じようなものよ。違いは――破れば確実に“死ぬ”ってことと、解除方法がないってこと。…もし偽名や嘘の言葉でも、関係ないわ。魂に根付いた契約だからね」
「ただし、使うには“女神様由来の神聖術”を2人で唱える必要があります~。ずっと昔に失われた儀式ですので~、知ってる人はもう限られてます~」
「私は長く生きてるから知ってたけれど」
「でも、構いませんよね~? 皆様、“言わない”って、私たちと約束してくださいましたし~。それを女神様ともしていただいただけです~」
二人は穏やかな笑顔を浮かべたまま、言った。
「あっしは別に構いませんよ。言わなきゃいいだけでしょ?」
金の種が減ったとしても、その程度なら許容範囲だと、ケニーは商人の頭で割り切った。
「言わなきゃいいだけだし、忘れりゃいいし…構いませんよ!な? みんな?」
「うん。びっくりしたけど、言うつもりなかったし」
「構わない。でも、最初に説明はしてほしかった」
「――興味深いね。他にも失われた儀式はあるんですか?」
イザークたちは、もともと口外する気などなかった。
「おう!」
(…そんなの知らねぇぞ!? 今のは本当か?それを見破る術も情報もねぇ…くそっ!だが今は、笑って誤魔化すしかない!)
焦るジェダ。
だが、動揺を見せるわけにはいかない。
そんな5人を見つめながら、レアとベティは満足げに言った。
「そう言ってくれて嬉しいわ。ありがとう! 話は以上よ」
「わざわざご足労いただき~ありがとうございました~」
#
その後、教会には2人だけが残った。
「なんとかなったわね」
「はい~。やはり、俗物共には失われた儀式のようですね~。女神様に祈ることを忘れて、なにが“女神教”なのか…です~」
ベティは皮肉をこぼす。
もう少し柔らかくなってくれればいいのだけれど。
「まあ、よしとしましょう。これでアイオンの行動が外に漏れることはなくなった」
「はい~。村人とは既に話がついてますし~、誓約も交わしてますからね~」
「アイオンが女神様にとって、そして私たちにとってどういう存在なのか…それは、まだ分からない。けれど、これが今できる最善ね」
「はい~。願わくば…女神様が喜んでくださいますように~」
二人はそっと女神像を見つめた。
その表情はいつもと変わらない微笑みを浮かべていた。




