そして扉は開かれる
「……はぁ……はぁ……」
アイオンは剣を杖代わりにして、かろうじて立っていた。
全身が軋むように痛む。
腹の焼けた傷は、脈が打つたび内部から鋭く突き上げるような激痛を走らせる。
膝は勝手に震え、視界は波のように揺れる。
足裏の感覚すら曖昧で、ひと息つけば崩れ落ちそうだった。
(……立ち上がってこないでくれ……!)
倒れているカイルを見る。
意識はないが、胸はわずかに上下している。
生きている。
安堵と警戒が入り交じる中、アイオンは自分の剣を見る。
このオルグの剣は抜刀術には向かない。
刃渡り、重さ、重心。
前世風に言えば、西洋の片手剣だ。
居合や抜刀術のための日本刀――刀ではない。
さらに、風の魔力の付与にも時間が足りなかった。
圧縮は甘く、刃の形成も中途半端。
本来なら、あの斬撃は届くはずもなかった。
(槍を切れたのは……運だ)
カイルが動揺していた。
攻撃が乱れていた。
槍の中心に偶然、刃が噛み合った。
あらゆる条件が重なり合い、奇跡のように勝てただけ。
呼吸は浅く、胸が痛む。
視界の端が黒く染まり、意識が薄れる。
だが――まだ終わりではない。
カイルが立ち上がれば戦闘は続く。
その恐れは消えなかったが、代わりに全身の緊張が崩れ、耐え続けていた痛みが一気に押し寄せた。
「……ぐ……ぁっ!」
膝が落ちかける。喉の奥が焼ける。
視界が暗く沈みかける。
(……駄目だ。まだ、終わりじゃない!)
副官が消えた通路へ視線を向け、アイオンは一歩踏み出す。
剣を杖に、血を滴らせながら。
その背に――
「……とどめは、刺さないのか?」
カイルの声がかすかに響いた。
アイオンは足を止め、振り返る。
虚ろな目でこちらを見るカイル。
「……」
アイオンは沈黙のまま見返す。
「なんで殺さないんだ?お前の勝ちだぜ?この状況なら誰だってそうする」
折れた槍を見つめながらカイルが続ける。
「なのに……なんで?」
少し間を置き、アイオンは淡々と答える。
「そうする理由がないからです」
「……は?」
カイルは初めてアイオンの目を見る。
「理由がない、だと……?」
「はい」
アイオンの声は揺らがない。
「あなたの依頼は失敗です。その傷じゃ俺を殺せても、他の護衛の方やティガル族は殺せません。なら隠蔽なんて不可能でしょう?……ここで終わりです」
カイルは呆然と息を飲む。
「そんな傷負わせたのに?……どう見ても、生きてるのが奇跡って感じだぞ?その傷……」
「でも、生きてますから」
カイルは言葉を失った。
「……お前、本当に変わってるな」
「そうですか?」
「考えられねぇよ……恨みがあるだろ……爺さんを殺した恨みが。その上、遺体を好き勝手されてるのを黙って見てたんだぞ?」
「恨み……ですか」
アイオンは少し考え、静かに言う。
「……ありませんね」
カイルの呼吸が止まった。
「あなたの依頼と俺の依頼は違う。だからぶつかった。それだけです。オルグさんの件は……俺がどうこうすることじゃない。腹立たしさはありますがね」
反論できずに沈黙するカイル。
アイオンは続ける。
「それに、あなたが今生きてるのは、俺の技が不完全だったからってだけです」
「不完全……?」
「はい。俺は全てを切るつもりで斬撃を飛ばしました。でも実際に切れたのは槍と、その浅い傷だけ……本来なら、あなたを両断するはずだった」
自分の剣を見つめる。
「未熟だから殺しきれなかった。……だから正直、おっかなびっくりでしたよ。その折れた槍でも、あなたほどの技量なら今の俺を殺せるでしょうから」
カイルは唇を噛んだ。
「でも、その気はないようなので。なら、やっぱり理由はないですよ」
背を向けるアイオン。
「……俺は」
カイルの声が震える。
「……俺は、ずっと……」
折れた槍を握りしめる手が震えていた。
「深く考えなかった。言いなりになって……誤魔化して……引き返せなくなって……ただ、そうやって生きてきた」
声には、初めて後悔が滲んでいた。
「選ぶことから……逃げてた」
カイルは自嘲しながら言う。
「冒険者になっても結局は駒。裏の依頼を断れず……ここまで来た」
槍を見つめる眼差しは、自分の人生そのものを見るようだった。
「意地……俺には最初からなかったのかもしれねぇ。……だから、無様に負けたんだな」
アイオンはゆっくりと向き直り、
「……なら」
静かに言う。
「これから選べばいいんじゃないですか?」
「……は?」
「今まで選ばなかったなら、これから選べばいい」
アイオンはまっすぐに見据える。
「俺はあなたを殺さない。それは俺の選択です。もう決めた事で、曲げるつもりはありませんよ」
カイルの目が揺れる。
「あなたも選べるはずです」
「……選ぶ?何を?」
「これからどう生きるか、です」
淡々とした声に、妙な重さが宿る。
「過去はどうしたって変えられない。でも未来は選べる。……少なくとも選ぶ権利だけは、誰にだってあるはずだ」
カイルは折れた槍を見つめ、小さく呟く。
「……そんな権利が、あるのか?俺にも?」
「あるでしょ。生きてるんだから」
カイルの目が、ほんの僅かに揺れた。
アイオンは背を向ける。
「まぁ、自分で決めてくださいよ。あなたの人生だ。選んで決めて――意地を通してみればいい」
歩き出したところで、カイルが叫ぶ。
「ま、待てよ!……俺を置いて行ったら、この部屋爆発してお前を生き埋めにするかもしんねぇぞ?本当に生かしてていいのか!?」
「そんな事しませんよ、あなたは」
「なんでそんな事が言える!?」
アイオンは振り返り、意地の悪い笑顔を見せる。
「――一勝二敗ですよ?そんなつまんない結末があなたの“ケリのつけ方”なら、どうぞお好きに。……まぁ、生き埋めで殺しても二勝ニ敗の引き分けですから、ケリはつきませんけどね」
カイルはその返答に驚き返事ができない。
アイオンはそんなカイルに満足そうに笑って闇に消えた。
「……く、ははっ!はっはっはっ!」
折れた槍を握りしめ、カイルは笑う。
「……選ぶ、か」
静かな声だけが地下に残った。
#
アイオンは通路を進む。
血を落としながら、一歩、一歩。
呼吸は浅く、胸の内側が締めつけられる。
腹の痛みは鈍痛に変わり、逆に不気味だ。
(……もう少し……)
奥に見える扉を目指す。
(あと……少し……)
だが――
「……あ」
膝が折れ、前のめりに倒れた。
反応する暇もなく、石床が顔を強打する。
「……っ」
体が動かない。
痛みすら遠のき、逆に冷たさだけが身体を包む。
(……ここまでか……)
意識が暗闇に溶けていく。
(……でも、よかった……のか……?)
遠くなる心臓の音。
ドクン……
ドクン……
ドク……
――止まった。
冷たい石床の感触も、傷の痛みも全てが消える。
意識が闇に沈む。
(……カイルの前でなら……面倒だったし……)
#
自分の体を俯瞰していた。
魂だけが浮遊しているような感覚。
(……初めてだな。この感覚……)
次の瞬間、何かが熱を持った。
急激に、強引に、体へ引き戻される。
心臓が脈動し、血が巡り、傷が閉じていく。
生命が押し戻されるように――復活する。
#
「――っ!」
アイオンは息を呑んで目を開けた。
「……はぁ、はぁ……!」
全身を確認する。
傷は完全に癒えている。
血痕だけが生々しく残っていた。
「――よし。戻った」
命のストックによる復活。
前世、禁断の森、南の森――そして今。
五度目の死。
だが感慨はない。ただ事実として受け止めるだけ。
(……駄目だ。慣れるな、この力に)
自分の手を見る。
(慣れたら絶対に間違う。それは……致命的な何かを引き起こす。そんな気がする)
心を引き締める。
そして――
(……呼ばれている)
あの得体の知れない感覚は、さらに強まった。
糸で引き寄せられるような、心臓を掴まれるような。
アイオンは通路の先――扉を見る。
決意を固め、歩き出す。
#
古びた木製の扉の前に立つ。
だが――これは本命ではない。
(この先にあるんだな……)
扉を押し、部屋へ足を踏み入れた。
ギィィ……
広い石室。
何もない空間。
ただ中央に――石でできた“扉”がひとつ。
壁にも天井にもつながらず、ただそこに立っている。
「……何だ、これ?」
静寂が返る。
副官の姿はない。
床には血の痕跡が付近にあるが、その先で途切れている。
まるで扉に吸い込まれたかのように。
アイオンは扉に近づき、表面を観察する。
石でできてる。
全体に無数の細かい刻印。
見たことのない文字。
(言語理解は文字には使えないのか……不便だな)
そして――
(副官は……オルグさんの血を使ったのか?)
床の血痕、扉の前で作業していただろう副官。
そして今、扉の前に何かが塗られた痕跡。
(ティガル族の血で開く扉……でも、何人も犠牲にしても開かなかったんじゃ?……わからないな)
因果はわからない。
だが副官の姿が見えずに、残された痕跡。
先に進んだと考えるのが妥当だ。
そして、もう一つ確信していた。
(……開く。俺が触れば、間違いなく)
根拠はない。
だが、分かってしまう。
『罪が眠るとされています』
「財宝を手に入れて戻る」
ラガと副官の言葉が脳裏に重なる。
(絶対に……良いものじゃない)
嫌な予感が、胸の奥でねじれる。
逃げるべきだと本能が告げるのに、扉は逆に呼び寄せてくる。
まるで意志を持つかのように。
アイオンは深く息を吸う。
「……来なきゃよかった」
小さく呟き、手をかける。
押し開いた瞬間――
まばゆい白光が溢れ出した。
「……っ!」
視界が焼かれ、世界が白一色に沈む。
その光に包まれながら、アイオンの意識は――途切れた。




